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閉じた記録庫

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それでは、どうぞお楽しみください。

扉へ手を掛ける前に、俺は耳を澄ませた。記録施設の中から音はしない。壁の青い線は消えたままで、自動兵の足音も遠かった。


それでも、扉は内側から動いていた。入口が1つしかなく、扉を落とせば守れる部屋は、この街ではまだここしか見つけていない。中に何かがいるなら、水を運び込む前に確かめなければ、眠る場所がなくなる。


腰を落とすと、左腿(もも)の奥が痛んだ。右肩は胸より上へ持ち上がらない。小型刃を握る右手だけを扉の脇へ寄せ、身体は石壁の陰に残した。


「中を調べる。水はここに置く」


『賛成します。携行物の重量を減らしてください』


「扉の下は見えるか」


『光学機能は中枢核(ちゅうすうかく)の外装に遮られています』


「なら、手で探る」


俺は腰布から薄い金具を抜き、扉の隙間へ差し込んだ。何にも当たらない。床を左右へなぞっても、足も、倒れた物もなかった。


扉を指2本分だけ押す。蝶番(ちょうつがい)は鳴らなかった。冷えた空気が頬の傷へ触れた。血や腐敗の匂いはない。薬草の匂いが混じっていても、俺には分からない。


暗視(あんし)Lv.1を使った。灰色の室内に、長机と端末の輪郭が浮かぶ。正面に動くものはいない。右の壁際には倒れた棚、左には荷を置いた壁際が見えた。


「入る」


『退路を維持してください』


扉が閉じない幅まで開き、細い石片を敷居へ噛(か)ませた。


俺は小型刃を前へ向けて中へ入った。左足を引きずらず、床へ置くたびに体重を確かめる。背負い枠の中で、シグの中枢核(ちゅうすうかく)が小さく震えた。


荷を置いた壁際まで6歩。敷いていた布は乱れていない。干し肉の包みも、記録帳を置いた石の台もそのままだった。


だが、床の灰に細い跡が残っていた。入口から入ってきた跡ではない。部屋の奥にある長机の下から始まり、端末の前まで続いている。


人の足跡に見える部分もあれば、布か髪を引きずったように崩れた部分もあった。俺はしゃがまず、刃の先で灰の横へ印をつけた。


「外から来たんじゃない」


『痕跡の開始位置を確認してください』


「長机の下だ」


『最初にこの施設を確認した時、床面の開口部は記録されていません』


「見落としたか、隠れてたか」


『どちらも否定できません』


痕跡は、端末の前で1度止まっていた。床の灰が半円に払われ、中央に指で押したような窪(くぼ)みが3つある。そこから跡は入口へ向かい、扉の手前で折り返していた。外へ出た形跡はない。それでも、目印の石は動かされていた。


「扉を開けて、石だけ動かした」


『目的は不明です』


「俺たちが戻ったと知るためかもしれない」


『推測として記録します』


痕跡は長机へ戻らず、左奥の壁で消えていた。そこには、青い線の途切れた石板が並んでいる。石板の前には、出かける前にはなかった黒い粉が薄く落ちていた。


俺は粉へ触れず、刃先で少量を布へ移した。粉は乾いている。金属片のような光はない。灰より重く、布を傾けてもすぐには落ちなかった。


『採取物を隔離してください』


布を二重に折り、空の骨筒へ入れた。


「この下に何かある」


石板の端へ刃を入れた。隙間は狭い。右手で引いても動かない。


胸の高さにある青い線へ目を向ける。線は左右から来て、石板の中央だけを避けていた。壊れて途切れたのではない。最初から、何かの周囲を回る形だった。


「シグ、つなげるか」


『接続端子が必要です』


「探す」


端末から石板までを、壁に沿って確かめた。倒れた棚の裏に、指ほどの穴が1つある。灰で埋まっていたが、縁だけ青い金属だった。


棚を動かそうとすると、右肩へ痛みが走った。俺は手を止めた。


『右肩の可動範囲を超えています』


「だから止めた」


倒れた棚の下へ足を入れ、左手を添える。左肘から先は、力の入り方が分かりにくい。右肩を使わず、腰と右脚で棚を押した。石床を擦(こす)る音が響き、棚が手のひら1枚分動いて端子が露出した。


背負い枠を下ろし、シグの中枢核(ちゅうすうかく)を床へ置く。接続線が伸び、端子へ入った。青い線が、石板の周囲を走った。


『保守用の副端子です。施設内記録へ接続します』


「侵入したものは使ったか」


『直近の接続履歴を確認します』


石板の中央へ文字が浮かび、すぐに崩れた。俺には読めない。シグの返事を待つ間、入口と長机の下を交互に見る。動く影はない。


『接続履歴は欠損しています。最終利用時刻、利用者識別、解除対象の3項目が削除されています』


「俺たちが出てからか」


『削除時刻も確認できません』


「何が残ってる」


『解除処理が失敗した記録のみです』


青い線が1度消え、石板の右端だけが点った。石板が扉なら、開かなかったということだ。


「中は何だ」


『記録保管区画。個人記録庫が1基あります』


「名前は」


短い沈黙があった。


『アルド・クロウ』


右手の小型刃へ、力が入った。800年以上前の端末に残っていた名と同じだった。


「開けろ」


『権限を確認します』


青い文字が増えた。中央へ人の形に似た線が出て、頭、胸、両手の位置に光が灯る。俺は読めない表示を見たまま待った。


『生体識別を要求しています』


「血か」


『不明です。識別方式の記録が欠損しています』


「名前を入れろ。レイ・クロウ」


『実行します』


光が1つずつ消えた。最後に胸の位置だけが残り、赤く変わった。


『拒否されました』


「アルド・クロウで試せ」


『虚偽の識別情報を入力することになります』


「扉がどう反応するか見るだけだ」


『了解しました』


表示がやり直される。シグが名を入力すると、頭と両手の光は青くなった。胸だけは赤いままだった。


『名称は一致。生体情報または魂情報が不一致です』


俺は赤い光を見た。同じクロウでも、扉は俺をアルドとは認めなかった。


「俺じゃない」


『少なくとも、この識別機構では別の対象です』


「それでいい」


返事はなかった。


石板の左端へ指を掛ける。隙間は浅い。小型刃を差し込み、柄を押したが、刃がわずかに曲がっただけだった。


「正面から開ける」


『非推奨です。右肩と左前腕の状態では、解除前に負傷が悪化します』


「扉を壊すとは言ってない」


俺は石板の周囲を調べた。上端は天井と一体になっている。下端には黒い粉がある。右端の青線だけが点っているなら、そこに留め具があるはずだった。


刃の背で右端を叩く。硬い音が返った。中央より短い。


右端へ、硬殻(こうかく)Lv.1を使った指を差し込んだ。石板と壁の間を押し広げる。灰色の殻が石へ擦(す)れた。石板は動かない。代わりに、肩の奥へ痛みが走った。俺はすぐ指を抜いた。


『中止を要求します』


「止めた」


正面からは開かない。それでも、何かがこの部屋へ上がってきた。俺は長机の下へ戻った。


床を刃の柄で叩く。入口側は詰まった音。奥側は、2か所だけ音が低かった。灰を払うと、四角い継ぎ目が出た。長机の脚を避けるように、床板が切られている。


「ここだ」


『開閉機構を検索します』


シグの接続先で青い文字が流れた。床の継ぎ目が光り、長机の下で石板が指1本分沈んだ。下から冷たい風が漏れた。俺は刃を構えたまま、すぐには近づかなかった。


『保守扉を確認しました。記録施設直下の隔離閉鎖区画へ接続しています』


「開けられるか」


『閉鎖命令が優先されています。通常操作では開放不能です』


「さっきのものは、ここから出た」


『痕跡の開始位置は一致します。ただし、対象が扉を通過した証拠は不足しています』


風が止まった。沈んでいた床板が元へ戻る。継ぎ目の青い光も消えた。


閉じた扉の向こうで、石を擦(こす)る音がした。1度だけだった。


俺は長机から3歩下がり、入口へ続く線を空けた。


「いるな」


『音源の特定はできません』


「開けなくていい」


『同意します』


今の身体で、狭い縦穴(たてあな)へ入る理由はない。水は確保した。急いで答えを求めても、死ねば持ち帰れない。


俺は閉じた記録庫へ目を戻した。


「中の記録は読めないのか」


『扉は開放できません。ただし、外部索引に残った欠損断片を取得できる可能性があります』


「名前以外を探せ」


『対象を限定してください』


「俺たちが今、生き残るために使えるものだ」


接続線の光が弱くなった。石板の周囲へ、欠けた文字がいくつも浮かぶ。ほとんどは途中で消えた。日付も場所も、誰へ向けた記録かも残っていない。


シグが1つずつ読み上げる。


『下層。閉鎖。治療。転移。いずれも文脈を復元できません』


「続けろ」


『動力残量が低下しています』


「あと1つだ」


『了解しました』


文字が流れ、消える。最後に、短い2つの文だけが残った。


『急ぐな。先に生き延びろ』


施設の奥で、青い線がすべて消えた。


俺はしばらく石板を見ていた。誰が誰へ残した言葉かは分からない。アルドの記録庫に付いた断片でも、アルド自身の言葉とは限らない。それでも、今の俺には十分だった。


「記録しろ」


『記録済みです』


「俺の帳面にも書く」


背負い枠を壁際へ戻し、記録帳を開いた。


『施設内へ侵入痕跡。入口からの進入は未確認。端末前で停止し、目印を移動させた可能性。左奥壁で痕跡消失。アルド・クロウの個人記録庫を確認。正面開放に失敗。長机下に、直下の隔離閉鎖区画へ続く保守扉。内部から物音。進入しない』


最後に、欠損断片を書き足した。


『急ぐな。先に生き延びろ』


帳面を閉じる。


「今日はここを守る」


『探索を中止しますか』


「違う。生きる場所にできるか調べる」


『その区別を記録します』


水を運び込み、入口と保守扉の両方を見張れる位置へ休息場所を移す。閉鎖区画へ下りるのは、傷と逃げ道を確かめてからだ。


答えは石板の向こうにある。床の下には、まだ何かがいる。


今は、どちらの扉も開けないことを選んだ。

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