↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/68

呑まれる

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

アビスクラーケン成体の頭が、細水路へ入ってきた。白い顎(あご)が左右の壁を削り、石片が赤い水へ落ちて俺の足元を流れていく。


俺は入口から6歩目で待っている。触手が届くのは5歩目まで。突起へ結んだ幼体の死骸は、成体の口から2歩先にある。俺までは、あと4歩。


頭の後ろで開く3本の裂け目、鰓(えら)は、まだ水路の外だ。あれが入口まで来なければ、鉄杭(てっくい)は届かない。死骸だけ食われて戻られれば、次の餌(えさ)はない。


成体が口を開いた。水路の水が河側へ引かれ、幼体の死骸が浮いて縄が張る。


1度目は、結び目が持った。次の吸い込みで縄が石へ擦(す)れ、切れた。


死骸が白い口へ消える。骨の砕ける震えが水と床を通して、両脚へ届いた。頭はさらに入ってくる。だが、3本の鰓(えら)はまだ外にある。


俺は右脇へ挟んだ鉄杭(てっくい)を外し、先端で水面を叩いた。1度。間を置いて、もう1度。


成体が死骸を噛(か)むのをやめた。目のない頭が音へ向き、白い口がこちらへ開く。


『頭部、進入を継続。触手を確認』


空洞に固定した中枢核(ちゅうすうかく)から、シグの声が届いた。


「数は」


『水路内に2。後方は視認できません』


触手が壁沿いを這(は)ってきた。最初の1本は左の石を探り、もう1本は水中をまっすぐ伸びて俺の脇腹を狙っている。


俺は左へ半歩ずれた。触手の先が布を掠(かす)める。塞がりかけていた傷が引かれ、熱いものが水へ滲(にじ)んだ。血に反応して、1本目まで向きを変えた。


『触手先端、5歩目へ到達』


「記録どおりだ」


『以降は未確認です』


俺は6歩目へ下がり、腰の縄を右側の突起へ回した。引けば身体を支え、手を離せばすぐ外れる結び方にしてある。


成体の頭が水路の半分を塞いだ。まだ鰓(えら)は見えない。このまま口だけを入れて戻られれば、ここまでの準備がすべて無駄になる。


俺は鉄杭(てっくい)の先で左手の布を破った。練習で裂けた掌(てのひら)から、赤い筋が水へ落ちる。


『出血の増加を確認』


「餌(えさ)が足りない」


『追加の自傷を推奨しません』


「もうやった」


掌(てのひら)を水へ浸し、鉄杭(てっくい)で床を叩く。


成体が前へ出た。顎(あご)が壁へ当たり、白い皮膚が左右から押される。それでも頭は止まらない。


水位が、俺の足首から脛(すね)へ上がった。3本の鰓(えら)のうち、上の裂け目だけが入口から見えた。まだ遠い。


「あと何歩だ」


『頭部先端まで2歩。上部の裂け目まで4歩』


触手の先は俺の手前で水を掻(か)いている。5歩より先へは届かない。だが、口は違う。


成体が顎(あご)を大きく開いた。


水が一気に河側へ引かれ、腰の縄が張る。結び目が腹へ食い込み、身体が0.5歩ずつ前へ滑った。


俺は鉄杭(てっくい)を床の突起へ横向きに掛け、左手へ硬殻(こうかく)Lv.1を集めた。灰色の殻で杭(くい)を握り、流れへ耐える。右肩は上がらない。右腕を胴へ押しつけ、脇だけで杭(くい)の後端を支えた。


吸い込みが強くなる。左足が滑った。


縄が腰からずれ、身体が前へ引かれる。鉄杭(てっくい)は突起へ残ったまま、俺の左手だけが柄を滑った。


足首が口へ入った。白い牙が左右に並んでいる。入口の牙は長く、奥へ行くほど短い。


右足を壁へ当てた。濡れた石を蹴っても、吸い込みに負けて外れる。左膝まで呑(の)まれた。


『レイ、腰部固定が外れます』


「見えてる」


『後退してください』


「今、下がれない」


顎(あご)が閉じ始めた。長い牙を避けるには、外へ逃げるより奥へ寄る方が早い。


俺は右足を下顎(したあご)の内側へ置き、左足を上顎(うわあご)の縁へ当てて両脚を広げた。右の履物が牙へ引っ掛かり、足だけが抜ける。裸足になった右足を、短い奥歯の根元へ置き直した。


顎(あご)が狭まる。左膝の横を牙が擦(こす)り、布を裂いた。


俺は身体を左端へ滑らせた。口の中央を外れ、壁と顎(あご)の間にできた細い流れへ乗る。頭が水路へ入った分だけ、水は横へ逃げている。


水流感知(すいりゅうかんち)Lv.1で、最も弱い吸い込みだけを選んだ。そこへ左脚を抜く。


顎(あご)が閉じた。失った履物が牙の間で潰れ、白い皮と布が河側へ流れた。


俺は水路の床へ転がった。


頭が奥まで入ったことで、3本の鰓(えら)が入口へ並んでいた。届く。


突起に掛けていた鉄杭(てっくい)を外す。


「上が開く時を言え」


『上部、閉鎖。中央、開放。下部、開放』


成体が頭を振る。狭い水路では曲がれない。白い顎(あご)が左右の壁を叩き、天井から石の粉が落ちた。


2本の触手が戻ってくる。1本目を右へ避けた。2本目が背中を打った。


胸から床へ落ち、息が抜ける。鉄杭(てっくい)の先が石へ当たり、左手から離れかけた。俺は柄へ腕を巻きつけた。


『上部、開放を開始』


右脇へ鉄杭(てっくい)の後端を挟み、左手で先端を支えて白い膜へ向ける。右肩では押せない。右足を床へ置き、左膝を立て、腰と背中を一緒に前へ出した。


杭(くい)の先が上の鰓(えら)へ当たる。膜がへこみ、滑った。


成体が後退しようと頭を引く。触手が鉄杭(てっくい)へ巻きつき、俺から奪うように河側へ引いた。


その力を使う。左手で先端の向きだけを変えた。


杭(くい)が白い膜へ突き刺さった。黒い血が水中へ噴く。


成体が頭を振った。水路全体が揺れ、鉄杭(てっくい)が傷口の中で横へ倒れる。裂け目が杭(くい)の太さより広く開いた。


俺は左腕ごと壁へ叩きつけられた。肘の骨が石へ当たる。手は鉄杭(てっくい)を握っているはずなのに、指の感触が薄い。


『左腕の動作低下を確認』


「まだ動く」


『保持力が低下しています』


上の鰓(えら)が閉じようとした。刺さった鉄杭(てっくい)が膜の縁へ挟まり、閉じ切らない。傷口から水が漏れ、黒い血と一緒に水路へ流れ込む。


成体は逃げなかった。残る2本の鰓(えら)を大きく開き、さらに奥へ頭を押し込んでくる。


白い口が、俺の正面で開いた。餌(えさ)ではない。今度は俺を呑(の)むためだ。


腰の縄は外れている。左腕は杭(くい)へ伸ばしても力が入らない。俺は鉄杭(てっくい)から手を放し、水路の奥へ這(は)った。


口が水を吸う。床の突起へ右手を掛けた。右肩が引かれ、関節の奥で何かが擦(す)れる。


次の突起へ左腕を伸ばす。指が閉じない。手首を引っ掛け、身体を支えた。


吸い込みが背中を引く。腹が床から浮き、両脚が口へ向いた。


「シグ、距離」


『口部まで1.5歩。高床まで2歩』


近い。俺は右手を次の突起へ移した。


傷ついた上の鰓(えら)から、水が横へ漏れている。残る2本と流れが揃わず、成体の頭が左壁へ傾いた。白い顎(あご)が石へ食い込み、吸い込みが一瞬弱くなる。


その間に両脚を床へ下ろし、奥へ蹴った。高くなった床へ、左肩から乗り上げる。


直後、成体の頭が壁へぶつかった。天井から石が落ちる。大きな欠片が左腿(もも)を打ち、膝から力が抜けて、俺は高床の縁へ倒れた。


『左脚、動作低下』


「折れてない」


『判定できません』


成体の3本の鰓(えら)が同時に開いた。傷ついた上だけは、鉄杭(てっくい)に塞がれて半分しか動かない。残る2本が大きく膨らんだ。


水路の水が止まった。


次の瞬間、流れが逆向きになった。河から空洞へ、水が押し込まれてくる。成体は口で吸うのをやめ、鰓(えら)から水を吐いていた。


膝下だった水位が腰まで上がる。さらに1度押し込まれ、胸へ届いた。俺の身体が高床から剥(は)がれ、奥へ飛ばされる。背中が石へ当たり、息が止まった。


赤い水が空洞へ溢(あふ)れ込んだ。


『水位上昇。中枢核(ちゅうすうかく)の退避は実行不能』


シグの声が近い。


俺は水面へ顔を出した。空洞の高い段へ固定した中枢核(ちゅうすうかく)は、まだ水の上にある。だが、水位は一段下まで来ていた。


「もっと上へ移れないか」


『移動機能はありません』


成体を見る。狭い水路から頭を抜こうとしていた。鉄杭(てっくい)は上の鰓(えら)へ刺さったまま、壁へ擦(す)れている。傷口から漏れる流れで、頭はまっすぐ下がれない。それでも、少しずつ河へ戻っていく。


逃がせば、同じ水路へは二度と入らない。追えば、シグが沈む。


俺は成体へ背を向け、空洞の奥へ泳いだ。


『河の主が離脱を開始しました』


「先にお前だ」


『私の保全より、あなたの退避を推奨します』


「今さら変えるな」


高い段へ右手を掛けた。左肘は曲がらない。右肩も胸より上へ上げられず、身体を持ち上げる力が足りない。


壁へ右足を当てる。裸足の裏がざらついた石を捉えた。蹴り上がり、段へ腹を載せる。


中枢核(ちゅうすうかく)を固定していた帯を外した。さらに上に、腕が入るほどの壁穴がある。


帯を投げても届かない。右手で端を持ち、左手首へ1度巻く。壁へ背を押しつけ、痛む右肩を少しずつ上げた。


指先が壁穴へ届く。帯を押し込む。反対側から引き出すには、もう片方の手が要る。左肘は動かない。


俺は帯を歯で咥(くわ)え、首を傾けて穴の下へ引いた。右手へ持ち替え、輪を作る。


水位が段の縁を越えた。青い光へ赤い水が映る。


「外装まで、あと」


『8センチ』


中枢核(ちゅうすうかく)を背負い枠ごと持ち上げた。右肩へ重さが掛かり、腕が落ちかける。左前腕を枠の下へ差し込んだ。肘は使えなくても、骨で支えることはできる。


壁穴へ通した帯を締め、歯で端を引いて結び目を作った。


中枢核(ちゅうすうかく)が一段上へ吊(つ)り上がった。水面との間に、手のひら1枚分の隙間ができる。


『浸水回避を確認』


「次はない」


『河の主が水路から離脱します』


俺は段へ座り、動かない左腕を腹へ寄せた。水路の向こうで、巨大な頭が河へ抜けていく。


ここまで追い込んだ。上の鰓(えら)には鉄杭(てっくい)が残っている。今なら、広い場所でも動きが傾く。


だが、左肘は使えず、右肩も悪化した。左腿(もも)には石が当たり、右足の履物もない。


『追跡を推奨しません』


「ここで止めないと戻ってくる」


『戻るまでに退避経路を探せます』


「食料がない」


『交戦すれば、生存時間はさらに短くなります』


「今なら傷がある」


『あなたにもあります』


俺は中枢核(ちゅうすうかく)へ右手を置いた。青い光は揺れず、こちらを向いている。


「それは命令か」


『意見です』


「なら、聞いた」


『従うとは記録できません』


「戻ったら好きに書け」


『帰還を条件として記録します』


成体の流れが水路から遠ざかる。


このまま待てば、傷を確かめる時間はある。同時に、あれが鉄杭(てっくい)へ慣れる時間も与える。


俺は腰から3本線の金具を抜いた。曲がった先を石へ当て、まだ使えることを確かめる。


空洞へ流れ込んだ水は、ゆっくり水路へ戻り始めていた。成体が完全に抜け、河側へ向かう流れが強くなる。


「記録を続けろ」


『レイ』


「戻る」


返事を待たず、俺は段から水へ入った。


左腕を腹へ固定し、右手と両脚だけで逆流へ進む。細水路の壁を蹴るたび、裸足の右足に石が食い込んだ。


水流感知(すいりゅうかんち)Lv.1で、傷ついた成体が残す乱れだけを追う。上の鰓(えら)から漏れる水が、まっすぐな流れへ片側だけの揺れを作っている。見失わない。


水路の出口で、流れが身体を掴(つか)んだ。河へ吐き出される。白い柱が横へ飛び、上下の感覚が入れ替わった。


俺は3本線の金具を握ったまま、右足で川底を探した。指先が石へ触れる。身体を起こす。


傷ついたアビスクラーケン成体は、広い河の中央で向きを変えていた。


上の鰓(えら)には、鉄杭(てっくい)が刺さったままだった。

お読みいただきありがとうございました!

「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!


感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。

それでは、次回の更新でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。