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生きたまま捧げる

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

扉が開いたとき、外では雨が降っていた。


細く冷たい雨だった。中庭の石畳は黒く濡れ、軒から落ちる水が等間隔に地面を打っている。夜明け前らしく、空はまだ灰色だった。


「立て。行列の支度をする」


兵士が鎖を引いた。


2日間、水以外を口にしていない。立ち上がると視界の端が暗くなり、壁へ肩をついた。兵士が鼻で笑い、もう一度鎖を引く。


「神々へ逆らう元気は残っているか」


「お前を殴る分なら」


「やってみろ」


「彼を傷つけないでください」


廊下の先から、イレーネ・ヴァイスが歩いてきた。白い法衣の上に雨よけの外套(がいとう)を羽織り、黒い手袋には銀の数珠を持っている。


その後ろを司祭エイベル・ローデンが歩いていた。抱えた木箱の中には、白い布と7本の細い縄が入っている。


「傷つけてはいません」


兵士が言った。


「転びかけただけです」


イレーネは俺の肩についた石の粉を見たが、何も言わなかった。


「支度を始めてください」


連れていかれたのは、礼拝堂の裏にある洗い場だった。中央に大きな桶(おけ)が置かれ、雨水より冷たい水が張られている。


エイベルは木箱を台へ置き、白い布を広げた。


「上着を脱ぎなさい」


「また調べるのか」


「身を清めるためです」


「昨日までの罪は、水で落ちるらしい」


エイベルの手が止まった。


イレーネは窓の外を見ていた。中庭では兵士たちが木柵を運び、行列の通る道を作っている。その外側には、もう住民が集まり始めていた。朝の鐘も鳴っていないのに、人の声が聞こえる。


俺は上着を脱いだ。冷たい水を頭からかけられ、息が詰まる。2杯目は背中へ、3杯目は両腕へ流された。手首に巻かれた布が濡れ、固まりかけた傷へ張りついた。


「その布は外します」


エイベルが言った。


「このままでいい」


「浄化に私物は持ち込めません」


「私物じゃない。傷当てだ」


「新しいものを用意します」


結び目をほどかれる。煤(すす)の薄く残った布は、昨日ミアが巻いたものだった。エイベルが捨て布の籠へ入れようとしたので、俺は奪い返した。


「レイ」


「持っていく」


「規則です」


「これで神が怒るなら、直接言いに来させろ」


兵士が動こうとしたが、イレーネが止めた。


「布1枚で儀式の結果は変わりません」


「巡察官殿」


「彼に持たせてください」


エイベルは迷った末、乾いた白布を傷へ巻き、その上からミアの布を重ねた。


次に着せられたのは、袖のない白い衣だった。胸には七柱の印が縫われ、裾(すそ)には泥を引くほど長い布がついている。両手首へ7本の細縄を結ばれ、その先を別々の兵士が持った。


「逃げると思うか」


「昨日、逃走の準備が確認されました」


イレーネが答えた。


「逃げなかった」


「結果としては」


「ミアは」


「養護院へ戻っています」


「何かしたら――」


「何もしていません。今のところは」


黒い手袋の指が数珠を送る。


俺はそれ以上聞かなかった。答えを信じたわけではない。ここで暴れれば、あいつが使われる。それは昨日、イレーネ自身が教えた。


礼拝堂の正面扉が開いた。雨音より先に、怒声が入ってきた。


「空の器を返せ!」


「災厄を連れてきた者を黒淵(こくえん)へ!」


「西門が破られる前に落とせ!」


木柵の向こうを住民が埋めていた。職人、商人、鉱夫、子供を抱いた女。広場で見た顔もあった。全員が俺を見ている。


鐘が7度鳴った。


エイベルが先頭へ立ち、聖典を開く。その後ろに香炉を持つ修道士が2人、白い衣を着た俺、左右に兵士、最後にイレーネが続いた。


「これより鎮災行列(ちんさいぎょうれつ)を始めます」


エイベルの声が雨の中へ響いた。


「空の器に地上の災いを負わせ、七柱の御前へ返します。祈りを絶やさず、石を投じず、定められた道を空けなさい」


石を投じるなと最初に言う程度には、何が起きるか分かっていたらしい。


行列が動き出した。


礼拝堂を出て最初の通りでは、まだ人々は祈っていた。両手を組み、七柱の名を唱え、俺が通ると顔を伏せる。目を合わせた者も、すぐに逸らした。


2つ目の角を曲がると、祈りに罵声(ばせい)が混じり始めた。


「お前がいるから魔物が来た!」


「11年前の村も、お前が滅ぼしたんだろう!」


灰鐘村(かいしょうむら)のことまで知っている者がいた。俺より詳しそうだった。


泥の塊が飛んできて、胸の七柱印へ当たった。兵士は止めなかった。エイベルも歩き続ける。


次は腐った果物だった。肩で潰れ、酸っぱい臭いが鼻につく。


「投げるな!」


兵士が1度だけ叫んだ。だが、木柵の外から投げた者までは探さなかった。行列を止めず、俺が歩ける程度なら構わないのだろう。


道の先に西門が見えた。城壁の上には固定式弩砲(こていしきどほう)が3基並び、太い矢が山道へ向けられている。


門前の広場には、荷車から降ろされた黒い鉱石が積まれていた。鉱石の列は門の外へ続き、南側の空き地へ曲がっている。


囮(おとり)だ。


昨日、ミアが描いた地図にもなかった。短い間に兵士たちが道を作ったらしい。


「ずいぶん準備がいいな」


俺が言うと、左の兵士が細縄を引いた。


「黙って歩け」


「魔物は南へ進路を変えたんじゃなかったのか」


「お前に関係ない」


「俺を落として止まるなら、鉱石を並べる必要はない」


近くの住民がこちらを見た。兵士がもう一度、強く縄を引く。手首の傷が開き、白布に赤い染みが広がった。


「口を閉じろ」


「何を隠してる」


「歩け!」


背中を槍の柄で突かれた。空腹で力の入らない足がもつれ、片膝を石畳へつく。群衆から笑い声が上がった。


その直後、低い振動が地面を通った。笑いが止まる。


城壁の向こうから、岩が割れるような音が響いた。弩砲(どほう)のそばにいた兵士たちが一斉に動き、見張り台で赤い旗が振られる。


「砕城犀(さいじょうさい)、南の囮(おとり)へ接近!」


「距離、6000!」


「第一杭列(くいれつ)、展開を急げ!」


命令が飛び交った。門の近くに集まっていた住民が押し合い、道の内側へなだれ込んだ。木柵が傾き、警備の兵士が支える。


「下がれ! 行列を乱すな!」


「先に落とせ!」


誰かが叫んだ。


「空の器を今すぐ落とせ! 待つから近づくんだ!」


声が広がり、石が飛んできた。


1つ目は足元へ落ちた。2つ目は兵士の盾に当たった。3つ目が俺の額を打ち、視界が白く弾けた。温かいものが眉を伝った。


「止めろ!」


エイベルが叫んだ。ようやく行列が止まる。だが、群衆は止まらなかった。


木柵が倒れた。前にいた者たちが押し出され、兵士とぶつかる。逃げようとする者、俺へ来ようとする者、倒れた者を助けようとする者が混ざった。誰が敵なのか分からないまま、人の塊が近づいてくる。


7本の細縄が別々の方向へ引かれた。右腕が上がり、左肩が後ろへ持っていかれる。足元では長い白衣の裾(すそ)を誰かが踏んだ。


「殺せ!」


男が木槌(きづち)を振り上げた。


俺との間には2人いた。男は兵士の肩を押し、倒れた女を踏み越えてくる。木槌(きづち)は城壁作業に使う大きさで、頭に当たれば立ってはいられない。


避けようとしたが、縄が張って動けなかった。男の腕が振り下ろされる。


白い影が間へ入った。


硬い音がした。イレーネの細剣が鞘(さや)に入ったまま、木槌(きづち)の柄を受け止めていた。


彼女は手首を返し、男の指を柄から外す。落ちた木槌(きづち)を足で後ろへ蹴った。


「下がってください」


声は静かだった。


男が拳を振るう。イレーネは半歩ずれ、黒い手袋で腕をつかんだ。勢いを使って男を石畳へ伏せさせ、肩を膝で押さえる。


別の男が横から石を振り上げた。


銀色が走った。今度は細剣が鞘(さや)から抜かれていた。切っ先が男の喉元で止まる。


「次に1歩進めば、手ではなく脚を斬ります」


誰も動かなかった。イレーネは周囲を見回した。


「この者は、今夜まで生きていなければなりません」


雨の中でも、その声ははっきり届いた。


「黒淵(こくえん)へ捧げる前に殺せば、七印浄化(しちいんじょうか)は成立しません。都市を守りたいのであれば、道を空けてください」


俺を守る言葉ではなかった。死なせる場所と時間を守る言葉だった。


それでも、群衆は下がった。神の怒りを恐れたのか、イレーネの剣を恐れたのかは分からない。


伏せられた男が唾(つば)を吐いた。


「化け物を庇(かば)うのか」


「庇(かば)ってはいません」


イレーネは男の肩から膝を外した。


「儀式に必要な状態を保っているだけです」


「同じだろう!」


「違います」


言い切る声に、迷いはなかった。


兵士たちが木柵を立て直し始めた。俺の額から落ちた血が雨で薄まり、白い衣へ赤い筋を作っている。


エイベルが近づき、布を当てようとした。


「触るな」


「血を止めなければ」


「その程度では死なない」


「そういう問題ではありません」


「昨日は罪を認めろと言った。今日は石を投げた連中に何も言わないのか」


エイベルの手が止まった。


「人々は恐れているのです」


「恐れれば、罪じゃなくなる?」


答えはなかった。俺は布を奪い、自分で額へ押し当てた。


行列は西門を離れた。次に向かったのは、鉱夫たちの住む外壁区だった。道沿いの家は戸を閉め、窓の隙間から人が見ている。広場より静かだったが、向けられる目は同じだった。


途中、鐘が激しく鳴った。西門からではない。南の見張り台からだった。


「第一杭列(くいれつ)へ接触!」


城壁の上で兵士が叫ぶ。


地面が揺れた。建物の窓が震え、屋根から瓦が滑り落ちる。群衆が悲鳴を上げ、壁際へ逃げた。俺の前を歩いていた修道士も香炉を落とし、火の粉が雨に消えた。


右手の路地から、小さな子供が飛び出した。母親とはぐれたのか、泣きながら通りを横切ろうとする。その真上で、屋根の端に残った瓦が動いた。


「止まれ!」


俺は細縄を引いた。右の兵士が体勢を崩す。できた隙間へ踏み込み、子供の肩をつかんで引き寄せた。


瓦が落ちた。背中へ硬い衝撃が走る。息が詰まり、膝をついた。


抱えた子供は無事だったが、驚いて声も出せずにいる。母親らしい女が駆け寄った。


「その子を離せ!」


女は俺から奪うように子供を抱き上げ、数歩下がった。


「触らないで! 穢れるでしょう!」


子供は母親の肩越しに俺を見ていた。礼を言われるとは思っていなかった。それでも、その言葉は背中の痛みより残った。


「歩けますか」


イレーネが隣へ来た。


「死んでない」


「答えになっていません」


「歩ける」


彼女は背中へ手を伸ばしたが、途中で止めた。代わりに白衣へ落ちた瓦の欠片を払う。


「なぜ助けたのですか」


「落ちてきたから」


「あなたを化け物と呼ぶ人々の子です」


「子供が呼んだわけじゃない」


「母親は礼も言いませんでした」


「礼が欲しくて動いたんじゃない」


イレーネの指が、数珠の上で止まった。


「おかしいか」


「いいえ」


彼女はしばらく子供と母親の背中を見ていた。


「記録と一致しないだけです」


「何の記録だ」


「質問には答えられません」


行列が再び動いた。


雨は昼を過ぎても止まなかった。7つの祭壇を巡るたび、エイベルは同じ祈りを読み上げ、住民は俺へ災いを負わせる言葉を唱えた。泥、石、罵声(ばせい)。途中からは何が当たったのか数えなかった。


イレーネは一度も俺の隣を離れなかった。投げられたものが致命傷にならない限り止めず、刃物や大きな石が見えたときだけ動いた。俺が転べば立てと命じ、水を飲ませ、歩けるかを確かめた。


夕方、最後の祭壇へ着いた。


城塞の西端。外壁のさらに内側に、黒い鉄門が立っていた。門の向こうには山へ続く細い道があり、その先に黒淵(こくえん)がある。雨雲の下でも、道の奥だけが暗く見えた。


ヴァルター・ゲルンが門前で待っていた。濃紺の軍服には泥が跳ね、腰の長剣は抜きやすい位置へずらされている。


「予定より遅れたな」


「群衆の混乱がありました」


イレーネが答えた。


「対象は」


「歩行可能です。投下に支障はありません」


俺の額と手首からは、まだ血がにじんでいた。ヴァルターはそれを見ても表情を変えない。


「砕城犀(さいじょうさい)は」


俺が聞くと、代官の目がこちらへ向いた。


「第一杭列(くいれつ)を突破した。だが進路は囮(おとり)へ向いている。日没後、南の採石場で迎え撃つ」


「俺を落とすのと同じ時刻か」


「偶然だ」


「便利な偶然だな」


兵士が縄を引こうとしたが、ヴァルターは手で止めた。


「何を疑っている」


「生贄(いけにえ)で止まるなら、軍はいらない。軍で倒せるなら、生贄(いけにえ)はいらない」


雨音の向こうで、エイベルが息を呑(の)んだ。


ヴァルターはすぐに答えなかった。黒い鉄門、その先の山道、西門の見張り台を順に見る。


「都市を守るため、使える手段はすべて使う」


広場でミアへ返したのと同じ言葉だった。


「俺は手段か」


「そうだ」


エイベルがヴァルターを見た。代官は言い直さなかった。


「1人を使い、数万を守る。それが私の務めだ」


「なら、神のせいにするな」


ヴァルターの眉が、わずかに動いた。


「俺を落としたいのは、お前たちだ」


黒い鉄門の向こうから、冷たい風が吹いた。イレーネの数珠が止まる。


遠くで、固定式弩砲(こていしきどほう)の放たれる音がした。1度、2度。少し遅れて、山が崩れるような咆哮(ほうこう)が届く。


砕城犀(さいじょうさい)との戦いが始まった。


ヴァルターは門番へ頷(うなず)いた。


「日没まで待機させろ。鐘が鳴ったら黒淵(こくえん)へ移送する」


黒い鉄門が、内側へ開き始めた。


俺を殺そうとした群衆から守られ、軍が魔物と戦う音を聞きながら、俺は自分の足で門をくぐった。


生きたまま、捧げるために。

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それでは、次回の更新でお会いしましょう!

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