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残された中継所

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それでは、どうぞお楽しみください。

入口が1つだけの半円形の部屋で、俺は最初の夜を明かした。


上へ戻る道は、格子と死体で自分から塞いだ。格子の向こうには首を挟まれたスポアハウンドの肉が残っているが、それが尽きれば食うものはない。白い菌糸(きんし)がいつ通路まで伸びてくるかも分からなかった。


天井から落ちる滴(しずく)を、黒い石鉢で受けた。空の鉢が満ちるまでを、1日と決める。正しい長さかは分からなかったが、数えないよりはよかった。鉢が満ちるたびに、記録帳へ線を1本引いた。


最初の7日、俺は部屋からほとんど出なかった。右肩を胸へ固定し、左脚と掌(てのひら)の傷を洗う。眠れない時は入口に積んだ机を確かめ、白い菌糸(きんし)が通路まで来ていないか耳を澄ませた。


食料は、格子の向こうのスポアハウンドの肉と、通路へ迷い込む小さな菌獣だった。火はない。毒の少なそうな部位を薄く削り、滴(しずく)の水で何度も洗ってから飲み込んだ。口へ入れるたび、毒分解(どくぶんかい)へ意識を向ける。腹の奥に熱が集まり、しばらくすると鈍い痛みへ変わった。吐いた日も、線は1本だった。


5本目の線を引いた夜、入口の机が鳴った。


俺は壁から背を離し、短くなった鎌脚(かまあし)を握った。白い先端が机の隙間を探り、板の端へ巻きついている。動きは遅く、森の中にいた時より力も弱かった。


すぐには近づかなかった。先端がどこまで伸びるかを見て、届かない位置から黒い石を投げる。石が通路へ落ちると、白い先端は音のほうへ向きを変えた。まだ、外の何かとつながっている。


俺は机の上へ黒い棚板を重ね、床の溝へ別の板を差し込んだ。完全には止められなくても、動けば音が出る。


それからは、眠る前に必ず入口へ小石を3個並べた。位置が変われば、何かが入ったと分かる。俺が目を閉じている間に、中央の機械が動いたかどうかも確かめられた。


だが、人の形をした黒い機械は動かなかった。胸の青い石が数日に一度だけ淡く光り、首へ入った管の奥で音がする。それ以外は、死体と変わらない。俺は光った日を、線の横へ書き残した。


『13。青い光、1回』


『17。音が先』


書いても、意味は分からなかった。


20本目の線を越える頃、右肩の腫(は)れが少し引いた。


肘を曲げ、腕を胸の高さまで上げようとする。肩の奥で骨が擦(す)れ、指先が震えた。腕は上がらない。無理に動かせば、また外れる。


左脚の傷は閉じ始めていた。掌(てのひら)も布を外せる程度には塞がったが、右脛(すね)の傷へ残った白い菌糸(きんし)だけは変わらない。森から離れても枯れず、引いても抜けない。切れば脚の奥まで裂ける気がして、俺は触らず、周りだけを水で洗った。


部屋の食料が尽きる前に、外へ出る必要があった。入口の机を少しずつ動かし、通路の先を確かめる。格子の向こうには、森の中央の塊から切れた菌糸(きんし)と死体が積もっていた。


大きく動くものはいない。俺は黒い石を投げ、反応したものだけを狭い格子へ寄せた。近づきすぎた菌獣は、隙間から伸びた頭を鎌脚(かまあし)で刺す。格子が盾になり、俺の右肩は使わずに済んだ。倒せない相手とは戦わず、水と肉を持ち帰るために必要なものだけを狩った。


最初の外出は、石鉢が半分も満たないうちに終えた。戻ると、小石は3個とも同じ位置にあった。中央の機械も動いていない。俺は入口を塞ぎ、持ち帰った肉を洗った。


外へ出る日は増えたが、遠くまでは行かなかった。右肩は使えず、右脛(すね)の菌糸(きんし)は長く歩くと熱を持つ。森に残った魔物も、少しずつ減っていた。安全になったのではない。食えるものが先に尽きようとしているだけだった。


40本目の線を引いた頃、髪が目へ入るようになった。


残していた鎌脚(かまあし)の欠片を黒い石で研ぐ。刃として使える部分は、指1本分しかなかった。左手で髪を掴(つか)み、少しずつ削る。髭(ひげ)も同じように切ったが、鏡はない。左右が揃っているかは分からなかった。切った髪は入口の机と壁の隙間へ詰めた。乾けば火種になるかもしれない。


その夜、青い石が2度光った。


俺は機械の前に座り、首へ入った3本の管を見た。どれも壁の奥へ続き、表面には3本線が刻まれている。


「聞こえているなら、光れ」


返事はなかった。青い石は暗いまま、俺の声だけが天井へ上って消えた。俺は記録帳へ書いた。


『41。青い光、2回。声への反応なし』


書き終えてから、自分の名を声に出した。


「レイ・クロウ」


しばらく使っていなかった声は、掠(かす)れていた。


記録帳を開くたび、最初の頁(ページ)でミアの字の自分の名を読む。その次に、自分で書き足した帰る場所と、待っている者の名を読む。


『ベルガルド。ミア』


ミアの顔は思い出せた。山道で記録帳を俺の胸元へ押し込んだ時の、涙をためた目も覚えている。俺を呼んだ声も、まだ残っていた。


だが、分けて食べた黒パンの味だけがない。もう1度確かめても、口の中には何も浮かばなかった。


俺は頁(ページ)を閉じた。思い出せないものを考え続けても、腹は満たせない。


51本目の線の横へ、青い光の回数を書く。


『51。2回。間隔が短い』


60本目では、光る前に首の奥で音がした。


『60。音が先。右目の奥にも光』


60という数字は、奈落(ならく)へ落ちてからの日数ではない。ここへ着いてから数えた日数にすぎない。それでも、身体は時間を隠さなかった。傷の端は硬くなり、左手の爪は伸びた。服は乾いても血の色が残り、裂けた裾(すそ)は短く結び直すしかなかった。


話すことも減った。必要なことは記録帳へ残し、声にするのは自分の名とミアの名だけでよかった。


63本目の線を引いた日、施設の奥で重い音がした。


俺は鎌脚(かまあし)の欠片を握り、壁を背にして待った。入口の小石は動いていない。音はもう一度続き、奥の黒い扉が横へ沈んだ。


俺は触れていない。開いた先に細い通路が伸び、床には3本線があった。奥から、赤い光が弱く反射している。機械が開けたのか。胸の青い石は暗いままだった。


俺は入口の机を確かめ、記録帳と布を腰へ結んだ。戻れなくなる可能性を考え、石鉢には水を残しておく。


細い通路は、人1人が通れる幅しかなかった。壁の黒い板はところどころ割れ、隙間から冷たい風が流れている。腐臭はないが、遠くから大量の水の音が響いていた。


赤い光は、通路の先にある縦穴(たてあな)から上がっていた。俺は縁へ腹をつけ、下を覗(のぞ)いた。暗い水面が、はるか下を流れている。赤い光は水そのものではなく、両側の壁へ埋め込まれた細い板から漏れていた。光に照らされた水は、血を薄めたような色をしていた。


ここから聞こえていた。森の下を流れる川の音だ。


下りるための足場は途中で崩れていた。残った段差も濡れていて、右腕を使えない今の状態では戻れなくなる。


対岸の壁には、古い文字が残っていた。読めない。だが、文字の下にある3本線だけは分かった。先行探索隊が道標に使った印と、同じ形だった。


俺は通路の長さと縦穴(たてあな)の位置を記録し、部屋へ戻った。


黒い扉は開いたままだった。中央の機械は動いていない。


それでも、扉が偶然開いたとは思えなかった。俺は胸の青い石を見た。首へ入る3本の管。割れた頭部。右耳に当たる位置には、指先ほどの小さな穴があった。光る前に、いつも音が先に鳴っていたことを思い出す。


すぐには触れず、床から黒い石片を拾う。穴の前で、石を2度打ち合わせた。


青い石が光った。


偶然ではない。俺は機械の正面から2歩離れ、鎌脚(かまあし)を構えた。


「聞こえるか」


返事はなかった。青い石が1度だけ光り、また暗くなる。俺は刃先を向けたまま、息を浅くして待った。首の奥で歯車が噛(か)み合う音がして、右目の割れ目に細い青色が灯った。


『……音声……検出』


声は口ではなく、胸の奥から響いた。中性的で、石を擦(こす)るように掠(かす)れている。


俺は刃先を下げなかった。


「動けるのか」


『質問形式を確認。応答機能……損傷』


右手の指が1本だけ動き、床を掻(か)いた。爪の先が石を擦(こす)る細い音が、部屋の中で妙に大きく聞こえた。


長い沈黙のあと、青い右目が俺へ向いた。


『識別を要求します』


「レイ・クロウ」


『登録なし』


短い答えだった。俺は刃先の位置を変えずに、青い目を見返した。


「お前は」


青い石が2度点滅した。


『私は……記録中継施設、保守守護機』


音が途切れ、胸の奥で何かが空回りした。俺は一歩も動かず、続きを待った。


『個体識別名……シグ』


「シグ」


名を繰り返すと、青い石がもう1度だけ光った。返事の代わりなのか、ただの反応なのかは分からなかった。


俺は刃を向けたまま記録帳を開いた。68本目の線の横へ、左手で書く。


『機械が話した。名はシグ』


文字を書き終えた時、シグの右目に青い光が残った。


『未登録収容対象。記録を開始します』

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