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赤い川の音

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

岩壁の穴から噴き出した水が、足元の土を削っていた。


背後では、白い菌糸(きんし)につながれた骨と死体が起き上がっている。砕けた口がミアの声をまね、中央の塊から伸びる触手が地面を叩いた。


穴は人の頭ほどしかない。通れなければ、ここで追いつかれる。


俺は折れた鎌脚(かまあし)を亀裂へ差し込み、左肘の硬殻(こうかく)で柄を叩いた。1度目で刃が沈んだ。2度目で亀裂が横へ伸び、水圧が拳2つ分の石を押し出した。


白い触手が右から迫る。右脛(すね)の菌糸(きんし)が縮むより早く、風が頬を打った。俺は左へ身体を倒した。


触手が岩壁へぶつかり、亀裂の周りに残っていた石を砕く。水が勢いを増し、穴の縁から土と細い根を洗い流した。あの力は、俺を狙う時と同じように岩も砕く。使える。


次の触手が地面を這(は)ってきた。先端は俺ではなく、穴へ向かっている。白い菌糸(きんし)が亀裂へ入り、水を止めようと束になった。


俺は束の根元へ鎌脚(かまあし)を振り下ろした。刃は途中で止まる。左手だけでは押し切れない。背後から、骨の足音が近づいてくる。


俺は柄を岩へ押しつけ、左肩と腰で体重をかけた。刃が菌糸(きんし)を断ち、そのまま根元から折れた。残った刃は、指2本分しかない。それでも捨てずに握った。


穴の幅は、肩より少し狭かった。俺は左手を縁へ入れ、浮いた石を外した。右肩を固定した布が岩へ擦(す)れ、骨の奥まで痛みが走る。まだ通れない。


「レイ、待って」


ミアの声が、背後から近づいた。


振り向かない。本物なら、俺をここに残そうとはしない。俺は左の踵(かかと)を石へ当て、2度蹴った。石が内側へ落ち、穴が肩幅まで開く。


足首へ、白い菌糸(きんし)が巻きついた。引かれた脚が土を削る。俺は折れた刃で、同じ場所を何度も擦(こす)った。刃先が欠け、4度目で糸が切れた。


身体を横にし、左腕から穴へ入れた。胸が縁へ挟まる。息を吐き、腰を捻(ひね)る。右肩が岩へ触れ、痛みで指先が開いた。


後ろから伸びた触手が背中を掠(かす)め、白い衣の背を裂いた。戻れば捕まる。俺は左手で濡れた段差を探し、身体を穴の内側へ引き込んだ。足が縁から離れる。


直後、触手が穴へ突っ込んだ。先端は入る。だが、太い部分が岩へつかえた。


俺は濡れた縦穴(たてあな)を下った。


暗視(あんし)を使う。光のない岩肌が、灰色に浮かんだ。穴は真下へ落ちておらず、3歩ほど先で右へ曲がっている。水も同じ方向へ吸い込まれていた。


左手で凹凸を確かめ、1段ずつ足を下ろす。右腕は胸へ固定したまま、右肩を岩から離した。背後で石が割れた。触手が穴の縁を広げている。急ぐしかない。


濡れた足を置いた瞬間、段差の表面が剥(は)がれた。身体が落ちる。左手で岩の突起を掴(つか)んだが、掌(てのひら)の傷が開いた。血が水へ混じり、指が滑る。


下に、黒い金属の格子が見えた。俺は壁を蹴り、身体を右へ振った。格子の端へ落ちる。左腿(もも)と脇腹を打ち、息が止まった。


格子の下へ、水が吸い込まれていく。その奥から、途切れない低い音が響いていた。


川だ。姿は見えないが、森の下を大量の水が流れている。川の音だと思った。


だが、すぐ下に流れは見えない。水は足元の格子を抜け、さらに深い場所へ落ちている。格子の向こうには、人が通れる乾いた通路が続いていた。


俺は立ち上がろうとした。右脚に力を入れた瞬間、脛(すね)の菌糸(きんし)が勝手に縮む。膝が折れた。


背後の穴から、白い先端が現れた。


俺は左手で床を押し、通路へ身体を滑らせた。先端が足首へ届く前に、壁際の黒い輪を掴(つか)む。だが、輪は錆(さ)びつき、動かない。


横に、3本線を刻んだ金具がある。先行探索隊が残していた印と同じだった。考えている時間はない。俺は金具の隙間へ折れた鎌脚(かまあし)を差し込み、左手で捻(ひね)った。


金属の内側で、何かが外れた。頭上の格子が、半分まで落ちてくる。俺は身体を横にし、下を潜った。固定した右肩が格子へ触れる。痛みで視界が揺れたが、左脚を引き抜いた。


直後、白い触手が格子へぶつかった。金属が軋(きし)む。細い先端が隙間を探り、通路側へ入り込んできた。


俺は床に落ちていた黒い石片を拾った。先端が伸びた瞬間、格子へ押しつける。触手が石片へ巻きついた。外から、引く力がかかる。俺は手を放した。石片ごと、先端が格子の向こうへ戻った。太い部分は通らない。


死体と骨が、縦穴(たてあな)を落ちてきた。最初の1体が格子へ衝突し、その上へ次の骨が重なる。白い菌糸(きんし)が互いに絡み、狭い穴を塞いだ。


俺は床へ座り込まなかった。格子が曲がれば終わる。通路の先まで離れる必要がある。


右肩は動かない。左腿(もも)と掌(てのひら)から血が落ちている。脇腹も、息を吸うたびに鈍く痛んだ。それでも、足は動いた。


10歩進んだところで、背後の格子がもう1度鳴った。振り返ると、格子の隙間から、犬に似た頭が突き出ていた。胸には、根で抉(えぐ)られた跡が残っている。俺が根の軌道をずらして当てた、あのスポアハウンドだった。


上から落ちてくる死体に押され、そいつは格子の隙間へ首だけをねじ込んでいた。白い糸を垂らした口が、床を噛(か)みながら俺の足跡へ向かってくる。胴は格子につかえ、それ以上は進めない。


今なら届く。俺は3歩戻り、折れた鎌脚(かまあし)の刃を、格子に押さえつけられた首の付け根へ突き込んだ。指2本分の刃が、菌糸(きんし)の下の柔らかい肉へ沈む。


もう1度、同じ場所へ押し込む。口の動きが止まり、首から力が抜けた。その後、格子の向こうで追ってくる音も止まった。


冷たい文字が、視界へ浮かんだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

《討伐結果》

討伐対象:スポアハウンド 1体

討伐吸収(とうばつきゅうしゅう)が完了しました。

蓄積していた力の残滓(ざんし)を統合しました。

能力値が上昇しました。

生命:30 → 34

筋力:28 → 32

耐久:40 → 46

敏捷(びんしょう):42 → 48

魔力:16 → 18

知覚:45 → 51

精神:33 → 37

獲得可能な技能はありません。

忘却値に変化はありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


熱が、身体の奥へ入った。


傷は閉じない。外れた右肩が戻ることも、裂けた掌(てのひら)が塞がることもなかった。だが、震えていた左脚へ力が戻る。浅かった呼吸も、少しだけ深くなった。


落ちてきた死体の重さに押されなければ、あいつも格子へ首をねじ込むことはなかっただろう。格子の向こうを確かめに戻る余裕はない。俺は表示が消えるのを待ち、通路を進んだ。


暗視(あんし)の灰色の視界に、黒い板が並んで浮かぶ。壁にも床にも、ところどころ3本線が刻まれていた。先行探索隊の印より古い。あの印を見つけた誰かが、道標として使い始めたのかもしれない。


通路には菌糸(きんし)がない。腐った臭いも薄かった。代わりに、濡れた金属と古い埃(ほこり)の臭いがする。


床へ落ちた自分の血を見て、布の残りを左腿(もも)へ巻いた。掌(てのひら)は、握ればまた開く。細く裂いた布を歯で引き、手首の裏で結んだ。


右肩を固定した布は緩んでいた。壁へ背をつけ、左手だけで締め直す。腕を胸へ寄せるたび、肩の奥で骨が擦(す)れた。1度休めば、立てなくなる。俺は壁に左手を添えたまま進んだ。


30歩ほど先で、通路が広がった。


半円形の部屋だった。入口の左には倒れた机が2つ。右には黒い棚が並び、奥に閉じた扉がある。天井の裂け目から透明な水が落ち、床の浅い溝を通って格子へ流れていた。


中央に、人の形をした黒いものが固定されている。俺は入口で止まった。


頭と右腕は残っている。左腕は肩からなく、腰から下は床と継ぎ目なくつながっていた。胸には曇った青い石が埋まり、背後の壁から伸びる細い管が首と背中へ入っている。


死体ではない。皮膚も骨もなかった。金属の身体だった。俺が近づいても、動かない。


右手には5本の指がある。掌(てのひら)は開いたまま床へ触れ、爪も武器も見えない。それでも、人の形をしているだけで安全とは思えなかった。俺は左へ回り、倒れた机との間に距離を取った。


頭部の片側が割れている。その奥に、細い輪と欠けた青い石が見えた。胸の外殻にも、3本線が刻まれていた。同じ施設のものだ。


俺は折れた鎌脚(かまあし)を向けたまま、奥の扉を調べた。取っ手はない。扉の脇に黒い板があり、そこにも3本線がある。触れても反応しなかった。


棚には、割れた器と腐って崩れた布が残っている。食料にできるものはない。天井から落ちる水だけは、透明だった。


蛙の水辺で最後の水を傷へ使ってから、1滴も飲んでいない。それでも、俺はすぐには飲まなかった。この森で、水は何度も毒と一緒にあった。


溝へ落ちた水を布へ染み込ませ、左腿(もも)の傷を洗う。次に掌(てのひら)を洗い、舌の先へ1滴だけ触れさせた。鉄の味はしない。腐った苦みもなかった。


少量を飲み、毒分解(どくぶんかい)へ意識を向ける。身体の内側で、弱い反応が続いた。しばらく待った。吐き気はない。喉も痺(しび)れない。


もう1口だけ飲んだ。水が使えるなら、ここに残れる。そのためには、まず入口を塞ぐ。


俺は倒れた机を通路へ引いた。右腕は使えない。左手で脚を掴(つか)み、腰と脚を使って後ろへ下がる。机は床の溝へ何度も引っかかった。止まるたびに、息を整える。


2つを格子へ続く通路の手前で重ね、黒い棚から外れた板を斜めに差し込んだ。白い触手がここまで来れば、完全には止められない。それでも、音は出る。


次に、部屋を一周した。奥の扉は開かない。棚の裏にも穴はない。天井の裂け目は、腕1本入らない。逃げ道は入口だけだった。


安全ではない。だが、森の中よりはましだった。俺は壁を背にして座った。


右肩を胸へ固定し直し、左腿(もも)、右脛(すね)、掌(てのひら)へ残った布を分ける。右脛(すね)の傷には、白い菌糸(きんし)が残っていた。


引き抜こうとはしなかった。森から離れても、菌糸(きんし)は動かないだけで消えていない。今切れば、脚をどこまで傷つけるか分からなかった。


記録帳を開く。紙の端は濡れ、何枚かが張りついていた。乾いた頁(ページ)を探し、炭筆を左手で持つ。


『毒胞樹海(どくほうじゅかい)の下。乾いた通路。3本線。人の形をした機械』


文字が震えた。日付は書けない。奈落(ならく)へ落ちてから何日経ったか、もう正確には分からなかった。


俺は水滴の間隔を数えた。


100を越えたところで、壁の奥から低い音が返った。1度。長い間を置いて、もう1度。川の音ではない。


俺は折れた刃を握り、中央の機械を見た。曇った青い石が、一瞬だけ光った。


光はすぐに消えた。機械は動かない。返事もない。


それでも、部屋には俺以外の何かが残っていた。

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