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声をまとう死者

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

岩壁の向こうで、水が流れていた。音は足元の亀裂から上がってくる。だが亀裂は指2本も入らず、周りを太い根が塞いでいた。


背後の窪地(くぼち)には、菌糸(きんし)に縫われた死骸がいくつも転がっている。右肩は外れたままで、右腕は上がらない。手に残っているのは、前腕ほどに折れたヴェノムマンティスの鎌脚(かまあし)だけだった。水へ届く前に、森がまた何かを起こす。


俺は左手で刃を持ち、岩壁へ絡む根を見た。中央の巨大な菌糸塊(きんしかい)から伸びる束は、窪地(くぼち)の外周でいくつにも分かれている。岩壁へ集まる根も、その1本だった。水音に近い部分を切れば、岩の隙間を広げられるかもしれない。


背後で声がした。


「まだ……生きてる……」


人の声ではなかった。低く、喉の奥が潰れた音だった。


振り向くと、窪地(くぼち)の中央で骨の塊が持ち上がっていた。人の頭蓋(ずがい)、獣の脚、ヴェノムマンティスに似た鎌(かま)、大型のカエルの骨。別々の死骸が、白い菌糸(きんし)でつなぎ合わされている。


「たすけて」


人の顎(あご)が動いた直後、獣の脚が地面を蹴った。塊は崩れず、こちらへ走り始める。右脛(すね)の内側が震えた。正面から来る。


俺は岩壁を左にして、外周へ沿って動いた。短い鎌脚(かまあし)を左手だけで構える。骨の塊との距離は12歩。上半分についた鎌(かま)が持ち上がった。


動きは、ヴェノムマンティスと同じだった。速さは劣る。だが振り始める角度も、内側へ刃を返す動きも、俺が何度も見たものだった。


鎌(かま)が斜め上から来る。右脛(すね)の菌糸(きんし)が先に縮んだ。俺は岩壁へ寄り、鎌(かま)の先は胸元を通って岩へ当たった。骨の刃が欠ける。その隙に、塊の左側を支える菌糸(きんし)を切った。獣の前脚が外れ、身体が傾く。


倒れると思った。だが背中から新しい束が伸び、岩壁へ刺さった。塊はその糸に吊(つ)られ、落ちずに向きを変える。死骸そのものを壊しても止まらない。つながっている限り、別の骨を足にする。


塊の下部にあるカエルの骨が縮み、次に大きく伸びた。パラサイトトードの跳躍だった。右脛(すね)の菌糸(きんし)が強く引かれ、俺は左へ転がった。


骨の塊が岩壁へ衝突した。人の頭蓋(ずがい)が砕け、白い菌糸(きんし)の間から古い歯が散る。


「こっちだ」


砕けた口が言った。声だけは止まらない。


俺は立ち上がり、背中から岩壁へ伸びる束を狙った。長さは3歩ほどで、太さは手首より少し細い。塊が動くたびに張り、攻撃の後だけ緩む。


人の腕が持ち上がった。手には錆(さ)びた槍先が菌糸(きんし)で縛られている。肩を引き、腰を落とす。探索者が生きていた時の動きだった。


槍先が正面へ出る。俺は右へ半歩ずれ、左前腕へ硬殻(こうかく)を集めた。灰色の殻で槍の側面を受けると、穂先(ほさき)が外へ流れ、塊の身体が伸びきった。背中の束が緩む。


俺は踏み込み、短い鎌脚(かまあし)を下から入れて菌糸(きんし)を岩壁へ押しつけた。刃は半分までしか入らない。左手だけでは押し切れず、柄を胸へ当てて身体ごと前へ出た。刃が束を断った。


骨の塊が崩れた。人の腕も、獣の脚も、鎌(かま)も、力を失って地面へ散る。文字は浮かばない。死者の動きを借りた菌糸(きんし)を切っただけだった。


中央の塊が膨らんだ。外周の根が一斉に震え、俺の右脛(すね)も同じ速さで脈打(みゃくう)つ。


足元に散った骨の一部が、また動き始めた。だが、さっき切った束につながっていたものは動かない。1本切れば、その周りだけは止まる。


岩壁へ集まる根は5本あった。最も太い1本が中央の塊へ伸び、残る4本は窪地(くぼち)の外周を通って別の場所へ続いている。全部を切る必要はない。水音の上を塞ぐ部分だけを止めればいい。


根のつながりを目で追う。1本目は今切った束の近くにあり、2本目は右の岩柱の裏にある。3本目は骨と古い鎧に覆われ、4本目は中央へ近すぎる。5本目は地面へ潜り、位置が分からなかった。まず、近い2本を切る。


右の岩柱へ向かうと、背後から複数の声が上がった。


「待って」


「置いていくな」


「痛い」


声が近づくたび、右脛(すね)の菌糸(きんし)が前へ、左後ろへ、地面の下へと別々に引かれた。1つずつなら攻撃の前触れになる。重なれば、どれが先か分からない。


岩柱の陰へ入った時、前方から4本脚の影が来た。背中に骨板を重ねた獣だった。首から上はなく、代わりに3人分の腕が束ねられている。


獣は首を下げる動作をした。頭はない。それでも背中の骨板を前へ向け、一直線に走ってくる。縦穴を横切る石の通路で戦った、頭と背に骨をまとう獣と同じ突進だった。死んだ獣が覚えているのではない。菌糸(きんし)が、取り込んだ身体の動かし方を残している。


俺は岩柱の左へ出た。影が進路を変える。突進が3歩まで近づいたところで、右へ戻った。骨板が岩柱へ衝突し、獣の前脚が止まる。束ねられた腕だけが左右へ広がり、俺を探した。


その間に岩柱の裏へ回る。2本目の接続束があった。表面は薄く、奥に黒ずんだ太い筋が走っている。


短い鎌脚(かまあし)を振ると、刃は薄い菌糸(きんし)を裂いたが、黒い筋までは届かなかった。後ろで骨が擦(す)れる。獣が岩柱から離れようとしている。2撃目を入れる時間はない。


俺は刃を傷口へ残し、左前腕へ硬殻(こうかく)を集めて柄を押した。殻は手ではない。細かく握れず、力も逃げる。それでも体重を乗せると、刃が黒い筋へ食い込んだ。


右脛(すね)の菌糸(きんし)が縮んだ。後ろから来る。俺は柄から腕を離し、その場へ伏せた。束ねられた3本の腕が頭上を通り、指先から垂れた白い糸が髪に触れた。


伏せたまま、左脚で鎌脚(かまあし)の柄を蹴った。刃が黒い筋を断ち、獣の前脚が崩れる。骨板の身体は勢いを失い、岩柱へ横倒しになった。


中央の塊が強く脈打(みゃくう)った。切った束の周りが灰色へ変わり、岩壁へ伸びる根の1本がしぼむ。水音が少し大きくなった。


鎌脚(かまあし)を抜くと、刃の根元に亀裂が入っていた。あと何度も使えない。


3本目は古い鎧の下にある。そこまでは10歩ほどで、中央の触手が届く境目に近い。右腕は胸の前に固定した。動かすたび肩の奥がずれ、指先まで痺(しび)れる。


骨と鎧の山へ近づくと、右脛(すね)の菌糸(きんし)が前方へ引かれた。地面には何もない。次の瞬間、鎧の山が立ち上がった。


人の上半身が4つ、背中合わせに菌糸(きんし)でつながれている。それぞれが別の武器を持っていた。剣、斧(おの)、折れた杖、そして両手だけが残った弓。4つの口が、別々に動いた。


「退け」


「隊列を崩すな」


「火を使うな」


「下へ行け」


最後の声だけが、はっきりしていた。先行探索隊の誰かが残した命令だった。


正面の剣が左から来る。右側の斧(おの)は遅れて頭上へ上がり、杖の先からは白い菌糸(きんし)が伸びて足元を狙う。弓には矢がないが、指の間に細い骨が挟まれていた。


俺は前へ出た。後ろへ下がれば、4つの攻撃を順に受ける。剣を持つ腕の内側へ入り、左前腕の硬殻(こうかく)で肘を押し上げた。刃が肩の上を通る。


短い鎌脚(かまあし)を、剣の身体と斧(おの)の身体の間へ差し込んだ。2つをつなぐ菌糸(きんし)が張っている。切ろうとした時、足首へ杖の糸が巻きつき、身体が引かれた。


膝を落とす。斧(おの)が頭上を通り、剣の身体の肩へ入った。菌糸(きんし)は仲間を避けない。傷ついた身体の代わりに、別の死体を使うだけだ。


弓の身体がこちらを向き、骨の矢を放った。俺は左前腕を顔の前へ出した。骨は硬殻(こうかく)へ当たって先端が砕け、殻にも亀裂が増える。


足首の糸がさらに締まった。刃を下へ向け、杖から伸びる菌糸(きんし)を切る。脚が自由になった。


剣が戻る前に、2つの身体の間へ左肩と背中で入り、4つの死体を岩壁へ押しつけた。中央の菌糸束(きんしそく)へ短い鎌脚(かまあし)を突き立てる。刃は入ったが、途中で止まった。


背後の斧(おの)が持ち上がった。右脛(すね)の菌糸(きんし)が震える。上から来る。


柄を握ったまま身体を右へずらすと、斧(おの)は左肩の布を裂いて地面へ刺さった。切られたのは浅い。だが衝撃で右肩が岩へ当たり、視界が白くなった。


手を放しそうになった。ここで止めれば、また囲まれる。俺は刃の柄へ額を当て、左手と頭で押した。菌糸束(きんしそく)が1本ずつ切れていく。


最後の太い筋が残った時、4つの口が同時に開いた。


「下へ行け」


声と同時に、斧(おの)の身体が俺へ倒れ込んできた。俺は避けず、背中で死体を受けて重さを前へ流した。柄へ圧力がかかり、刃が太い筋を断つ。


4つの身体から力が抜け、死体の重さが一度に背中へ乗った。俺は下から抜け出し、地面へ転がった。


古い鎧の下で、岩壁へ絡んでいた根が灰色に変わる。岩の亀裂から冷たい水滴が飛び、頬へ当たった。だが、穴はまだ開かない。


右肩は動かない。左前腕の硬殻(こうかく)も、何度も衝撃を受けて薄くなっている。鎌脚(かまあし)の刃には、根元から先まで亀裂が走っていた。次で折れる。


3本切った部分だけ根がしぼみ、岩と根の間には指が入る隙間ができていた。中央寄りの1本を切らなくても、地面へ潜った1本を切れば届く。


頬を岩へつけると、水音のほかに低い脈動があった。足元だ。右脛(すね)の菌糸(きんし)も、同じ方向へ引かれている。左手で土を掻(か)くと、白い糸が何層にも重なり、その下に黒ずんだ太い束があった。


5本目だ。


鎌脚(かまあし)を振り上げた時、中央の巨大な塊から声がした。


「レイ」


手が止まった。ミアの声だった。


「レイ、待って」


前に幻の中で聞いたのと同じ声だった。あの時の声は、一緒に帰ろうと言った。今は、待てと言っている。本物ではない。ミアはここにいない。分かっていても、声が耳へ入った瞬間に身体が反応した。


中央の触手が伸びた。右脛(すね)の菌糸(きんし)が遅れて震える。声に止められた分だけ、判断が遅れた。


白い触手が左脇腹へ当たり、身体が岩壁へ投げられた。息が抜け、鎌脚(かまあし)が手から落ちる。


「レイ」


今度は右側から聞こえた。死体の口はない。中央の塊に埋まった骨の隙間から、声だけが出ている。


俺は地面を這(は)い、鎌脚(かまあし)を拾った。


「違う」


「置いていかないで」


ミアの声で、そう言った。森は、俺の脚へ入り込んだ菌糸(きんし)から声を拾ったのかもしれない。幻で使った声を、今度は俺の足を止めるために使っている。


胸元の記録帳へ触れた。紙の角が指に当たる。ミアが渡したものだ。その中には、ミアに言われた『帰ってきて』を書き留めてある。


本物のミアは、待てとは言わなかった。帰ってこいと言った。帰るには、ここで止まらずに進むしかない。


「お前じゃない」


俺は立ち上がった。触手が2本、左右から来る。右脛(すね)の菌糸(きんし)が先に縮んだ。1歩前へ出ると、2本の触手は背後でぶつかった。


足元の黒い束へ、鎌脚(かまあし)を振り下ろした。刃が入り、亀裂が広がる。もう1度は使えない。折れる前に、左足で柄を踏んだ。


刃が黒い束を断ち、そのまま2つに割れた。手に残ったのは、柄と刃の根元だけだった。


地面の脈動が止まり、右脛(すね)の菌糸(きんし)も一瞬だけ静かになった。岩壁へ絡んでいた根が、まとめてしぼむ。


亀裂の奥から、水が噴き出した。最初は細い線だったが、すぐに岩の隙間へ入り、内側から押し広げていく。岩壁が鳴った。根に締めつけられていた石が外れ、足元へ落ちる。


俺は後ろへ下がった。2つ目の石が落ち、亀裂が人の頭ほどに広がった。冷たい風と水しぶきが吹き出す。奥は暗い。


暗視(あんし)を使った。


灰色の視界の先に、縦へ落ちる岩穴が見えた。深さは分からない。壁には濡れた段差があり、その下で大量の水が流れている。地下水脈へ通じている。


背後で、ミアの声がまた俺を呼んだ。同時に、窪地(くぼち)のあちこちで死体と骨が起き上がる音がした。


穴は開いた。


だが、まだ身体を通せる広さではなかった。

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