罪なき告白
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それでは、どうぞお楽しみください。
扉の向こうで、7度目の鐘が鳴った。
窓のない石室では、朝なのか昼なのかも分からなかった。広場から連れてこられたあと、俺は両腕を壁の鉄輪へつながれたまま一夜を過ごした。手首には縄の痕が残り、少し指を動かすだけで皮膚が引きつった。
鐘の余韻に重なって、天井から細かな砂が落ちた。砕城犀が近づいているのか。それとも、城壁で何かを動かした振動か。確かめる方法はなかった。
廊下から足音が3つ近づいた。重い靴が2人分、その間に布の裾が床を擦る音が混じっていた。
錠が外れ、兵士が扉を開けた。
「立て。罪の告白だ」
「座って見えるか」
兵士は俺の鎖を見て、顔をしかめた。もう1人が鉄輪を外し、短い鎖を腰の革帯へつなぎ直す。立ち上がると、足の裏が痺れて石床の感触が遠かった。
扉の外には、司祭エイベル・ローデンがいた。昨日と同じ白い法衣を着ていたが、裾に泥がついている。眠っていないらしく、目の下が暗かった。
エイベルは俺の手首へ1度視線を落とし、すぐに兵士へ向き直った。
「告解室までで構いません。中へは入れないでください」
「代官閣下から、常に2人で監視しろと命じられています」
「扉の前にいてください。告白の内容を聞かせるわけにはいきません」
兵士は納得していなかった。それでも司祭の儀式へ口を出す気はないらしい。俺の鎖を引き、歩けと顎で示した。
石段を上がるにつれ、空気が冷たくなった。地下牢から礼拝堂の裏へ出る途中、細長い窓の前を通った。
外では兵士たちが丸太を削り、先端へ鉄を打ちつけている。中庭の壁には大きな地図が広げられ、西門から山道まで赤い線が引かれていた。
「祈りより忙しそうだな」
俺が言うと、エイベルの歩みがわずかに遅れた。
「備えを怠らないことも、神々の教えです」
「俺を落とせば災厄は戻るんじゃなかったのか」
「人にできる務めを果たした者に、神々は手を差し伸べます」
「便利だな。倒せたら神のおかげで、倒せなければ人の備えが足りない」
鎖が強く引かれ、俺の肩が後ろへ持っていかれた。
「口を慎め」
兵士が言った。エイベルは止めなかった。ただ、胸元の聖印を握る指へ力を込めた。
告解室は礼拝堂の奥にあった。普段、孤児たちが入る場所ではない。狭い部屋の中央を木格子が分け、向こう側に司祭が座る。こちらには膝をつくための台が1つ置かれていた。
だが、その日は先客がいた。
灰色がかった白髪を顎の辺りで切り揃えた女が、格子の横に立っていた。白い法衣の下から、金属の留め具がのぞいている。
巡察官が身につける銀の数珠を右手に持ち、左手には黒い手袋をはめていた。いや、両手とも黒い。
「この方は、聖都から来られた巡察官です」
エイベルが言った。
「七印浄化が教義に従って行われるか、監督なさいます」
「イレーネ・ヴァイスです」
女は名乗った。淡い紫色の目が、俺の顔から足元までゆっくり動く。
「どうぞ、座ってください。鎖は外さなくて結構です」
頼んでいるような口調だったが、選ばせる声ではなかった。兵士が腰の革帯から鎖を外し、床の輪へつなぎ替えた。
扉が閉まると、足音が左右へ分かれた。言われた通り、外で見張るらしい。俺は膝台を避け、床へ座った。
「そこは告白を受ける姿勢ではありません」
エイベルが言う。
「立っていればいいのか」
「膝をつき、七柱へ赦しを請うのです」
「俺を拒んだ神に?」
格子の向こうで、エイベルが口を閉じた。イレーネだけが数珠を動かしていた。7つの銀玉が、黒い指の間を1つずつ滑っていく。音はほとんどしない。
「姿勢は問いません」
彼女が言った。
「告白は言葉で行うものです。司祭、始めてください」
エイベルは膝の上に分厚い聖典を置いた。開いた頁には、七柱の印が円を描くように並んでいる。
「レイ・クロウ。偽りなく答えなさい。汝は他者の命を奪ったことがありますか」
「ある」
エイベルが顔を上げた。
「いつ、誰の命を」
「鼠。鶏。冬に罠へかかった兎」
「……人の命です」
「ない」
筆が紙を擦った。格子の横で、イレーネが俺を見ている。
「汝は他者の財を奪ったことがありますか」
「ある」
今度はエイベルの筆が止まらなかった。
「何を奪いましたか」
「厨房のパン。3年前に2つ」
「あの冬ですか」
「そうだ」
食料庫の鍵が壊れ、養護院では1週間、食事の量が減らされた。俺が盗んだのは鍵が壊れる前だった。ミアが熱を出し、配られた薄い粥を吐いた夜だ。
エイベルはそれを知っていた。薬を持ってきたのは、その翌朝だった。
「そのパンを、自分で食べましたか」
「告白に必要か」
「答えなさい」
「1つは食べた」
残りは言わなかった。エイベルも聞かなかった。紙の上へ何かを書き、次の印へ指を移す。
「汝は他者を傷つけたことがありますか」
「ある」
「悔いていますか」
「相手による」
エイベルの眉が寄った。
「罪を選んで悔いることはできません」
「ミアを階段から突き落とそうとした男を殴った。やり直せても殴る」
「彼は酔っていました」
「だから何だ」
「判断を失っていた者へ、必要以上の暴力を加えたのです」
「俺が止めなければ、あいつが落ちていた」
声が少しだけ強くなった。格子の木目を見たまま、息を吐く。
「歯を折ったことは悪かったと思ってる。止めたことは悔いてない」
エイベルはすぐには書かなかった。やがて紙へ視線を戻す。
「神々の前では、誰もが等しく罪人です」
「神印がなくても、そこだけは同じか」
「あなたは――」
「司祭」
イレーネの声が遮った。静かな呼びかけだった。それだけで、エイベルは言葉を止めた。
「質問を続けてください。教えを説く時間ではありません」
銀の数珠がまた動き始めた。
告白は続いた。嘘をついたか。神の名を軽んじたか。祈りを怠ったか。怒りを抱いたか。死を願ったか。
俺は聞かれたことだけに答えた。嘘はついた。祈りは何年もしていない。怒りは今もある。死を願ったことはない。
死んだ方がましだと思った夜なら、数えられなかった。
エイベルは最後の答えを書き終えると、聖典を閉じた。
「罪を認め、七柱へ赦しを請いなさい」
「何を認めればいい」
「今、告白したすべてです」
「パンを盗んだ。人を殴った。嘘もついた。それは認める」
俺は鎖のついた手を膝へ置いた。
「だが、神に選ばれなかったことは罪じゃない」
格子の向こうで、エイベルの呼吸が止まった。
「生まれたときから印がなかった。俺が消したわけでも、拒んだわけでもない。それで俺を落とすなら、告白するのは神の方だ」
扉の外で鎧が鳴った。兵士にも聞こえたらしい。
エイベルは立ち上がりかけたが、イレーネが片手を上げた。黒い手袋が白い法衣の前で止まる。
「発言は記録しました」
彼女はそれだけ言った。怒りも侮蔑もなかった。処刑の日取りを書き留めるのと同じ声だった。
「告白は以上です。続いて、浄化前の身体確認を行います」
「身体確認?」
「病や古傷の有無を確認します。3日目までに死亡されては儀式が成立しません」
「親切だな」
「必要な手順です」
イレーネは扉を開け、兵士へ別室へ移すよう命じた。エイベルも立ち上がったが、彼女は首を横へ振る。
「司祭は告白書を清書してください。確認には立ち会わなくて結構です」
「しかし、巡察官殿だけでは」
「彼は鎖につながれています。問題ありません」
数珠を持つ指は動き続けていた。
連れていかれたのは、告解室よりさらに狭い準備室だった。木の寝台と水差し、小さな棚がある。壁には七柱の像ではなく、身体の部位が描かれた古い布が掛かっていた。
兵士が床の輪へ鎖をつなぐ。
「外で待機してください」
イレーネが言った。
「ですが――」
「あなた方が見ていては、告白で伏せた傷を隠す者もいます」
兵士は俺を睨んだが、従った。扉が閉まり、鍵の回る音がした。
部屋には俺とイレーネだけが残った。彼女は棚へ数珠を置き、鞄から白い布と小瓶を取り出した。黒い手袋は外さない。
「上着を脱いでください」
「断ったら」
「兵士に押さえさせます。あなたにも彼らにも傷が増えます」
「必要以上に苦しめる気はない?」
「ありません」
「落とすのに」
手袋の指が止まった。ほんの一呼吸だけだった。すぐに白い布を広げる。
「正しいかどうかではありません。必要かどうかです」
「誰にとって」
返事はなかった。
俺は上着を脱いだ。昨日、石を受けた背中が鈍く痛み、腕を抜く途中で布が手首へ触れた。
イレーネは肩、背中、脇腹を順に見た。傷へ触れる前には必ず場所を告げ、指先で短く確かめる。
「この傷は」
左脇腹に残った細い痕を示された。
「覚えてない」
「何歳頃のものですか」
「7歳より前だと思う」
「なぜ、そう判断しますか」
「養護院へ来たときにはあった」
彼女の目が傷から俺の顔へ移った。
「灰鐘村で暮らしていた頃のことを、どこまで覚えていますか」
「村の名前」
「ほかには」
「山があった。鐘があった気もする」
それ以上を探そうとすると、頭の奥に白い壁が立った。家の形も、道も、誰と暮らしていたかも出てこない。
思い出せないことには慣れていた。知らないものを探すのと同じで、手がかりさえなかった。
「ご両親の顔は?」
「覚えてない」
「声は」
「知らない」
イレーネの指が、また止まった。
「あなたが発見されたとき、身体に大きな傷はなかったと記録されています」
「それが何だ」
「確認です」
「何の」
彼女は答えず、俺の右手を取った。手袋越しの指は冷たく、力は強かった。振りほどこうとすると、鎖が床で鳴る。
「指先を見ます」
「傷ならない」
「小さな棘があります」
言われて親指を見ると、薪を割ったときに入ったらしい黒い点があった。イレーネは細い針を取り出した。棘を抜くのだと思った。
針先が刺さり、赤い滴が浮かんだ。黒い手袋の親指が、その血を拭った。
「何をした」
「棘を除きました」
血のついた指を白い布へ隠す動きが早すぎた。俺は立ち上がった。床の鎖が張り、鉄輪が鳴った。
「血を何に使う」
「座ってください」
「答えろ」
「声を上げれば、兵士が入ります」
「それで困るのは俺だけか」
イレーネは扉を見た。数珠へ伸びかけた右手が途中で止まる。
「よく見ていますね」
彼女は小さく息を吐き、鞄の底から掌ほどの包みを取り出した。白布を開くと、中に黒い鏡があった。銀の縁には、見たことのない細かな文字が刻まれている。
「血が必要なのは、この確認のためです」
「何を映す」
「あなたが、何者であるかを」
「顔なら普通の鏡で足りる」
「顔ではありません」
イレーネは血のついた指を鏡面へ押し当てた。
最初は何も起きなかった。黒い鏡には、俺たちの顔も部屋も映らない。磨かれた石のような表面に、赤い血だけが丸く残っていた。
やがて血の中心から、細い亀裂が走った。1本、2本と枝分かれしながら、鏡の縁へ伸びていく。
亀裂の間から、さらに濃い黒がにじみ出た。もともと黒かったはずの鏡面が、底のない穴のように変わっていく。
イレーネの数珠は、棚の上に置かれたままだった。それでも、何かを数えていたらしい右手の指が止まった。
「それは何だ」
俺が聞いても、彼女は答えなかった。
亀裂は鏡全体を覆い、最後には血の赤さまで飲み込んだ。黒い手袋に包まれた手が、白布をかぶせる。
「検査は終わりです」
「終わってない。何が分かった」
「あなたの身体は、3日目まで耐えられます」
「聞いてるのはそれじゃない」
扉の外で、兵士が柄へ手をかける音がした。
イレーネは鏡を鞄へ戻した。もう一度こちらを見たときには、表情も声も最初と変わっていなかった。
「レイ・クロウ。明日は断食と祈りです。水は与えられます」
「クロウの名に何がある」
「質問には答えられません」
「俺を黒淵へ落とすのも、お前が必要だと決めたのか」
「まだ決めていません」
初めて、彼女の答えが少し遅れた。
扉が開き、兵士たちが入ってくる。上着を着せられ、鎖を腰へつなぎ直される間も、俺はイレーネを見ていた。彼女は白い布を畳み、数珠を拾った。銀玉が1つ、黒い指の間を滑る。
「地下へ戻してください」
廊下へ出る直前、振り返った。
「イレーネ・ヴァイス」
彼女が顔を上げる。
「俺を落とすなら、先に1つ覚えておけ」
「何でしょう」
「俺は空の器じゃない。レイ・クロウだ」
兵士が鎖を引いた。扉が閉じる寸前まで、イレーネは何も言わなかった。ただ、動き続けていた数珠の指だけが止まっていた。
地下牢へ戻る途中、中庭の向こうで大きな角笛が鳴った。1度。間を置いて、もう1度。
兵士たちの足が止まった。外から怒鳴り声が重なり、地図の前にいた者たちが西門へ走り出す。細長い窓の外で、見張り台の旗が黄色から赤へ替わった。
砕城犀が、監視域へ入ったのだ。
3日という猶予は、まだ1日も終わっていなかった。
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