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忘却喰らいの黒騎士  作者: こっさむ
第一章 選ばれなかった生贄
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神に選ばれなかった生贄

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

朝の鐘は、七度目の前に止まった。


黒鐘養護院(こくしょうようごいん)の裏庭で薪を割っていた俺は、斧を切り株へ食い込ませたまま顔を上げた。


いつもなら七柱の神へ一度ずつ、間を置いて鳴る。


だが今日は、六度目の余韻が消えるより先に、城壁の方角から低い警鐘が重なった。


屋根の上で鳩が一斉に飛び立った。


続いて外壁の向こうから、石を引きずるような音が響いた。


足の裏までかすかに揺れた気がしたが、他の孤児たちは誰も動けずにいた。


「レイ」


裏口からミアが走ってきた。


肩までの淡い金髪が乱れ、首の銀の鈴が細かく鳴っていた。


片手には、まだ湯気の残る黒パンを二つ抱えている。


「何があったの?」


「分からない。中へ入れ」


「分からないのに?」


「警鐘が鳴ってる」


俺が斧から手を離すと、ミアは裏口ではなく俺の隣へ来た。そうすると思っていた。


表の通りから怒鳴り声が聞こえた。戸を閉めろ、井戸に並べ、中央広場へ行け。


命令が混ざり、どれに従えばいいのか誰にも分からない。


やがて白い法衣を着た修道女が庭へ駆け込み、息を切らしながら全員を礼拝室へ集めた。


俺だけは入口の外に立たされた。


「レイも一緒でしょう」


ミアが言うと、修道女は唇を結んだ。


「神印を持つ子を先に確認します」


「ここで暮らしてるのは同じです」


「ミア」


俺が呼ぶと、振り返った顔はもう怒っていた。


黒パンの一つを俺の胸へ押しつけてから、ミアはようやく礼拝室へ入った。


扉が閉まる直前まで、灰青色の目が俺を見ていた。


パンは固かった。半分だけ食べ、残りを上着へ入れた。


通りへ出ると、城塞兵が家々の扉を叩いていた。


黒鐘城塞都市こくしょうじょうさいとしベルガルドの外壁近くは、鉱石を運ぶ荷車と労働者でいつも騒がしい。


今日は荷車がすべて道の端へ寄せられ、代わりに太い杭と丸太が西門へ運ばれていた。


荷台の一つには、黒い鉱石が山のように積まれていた。倉庫へ入れる向きではない。


城外へ出す列だった。


「見てないで歩け、ゼロ持ち」


兵士が槍の柄で俺の肩を押した。


「どこへ」


「中央広場だ。全住民への命令だ」


俺が歩き出すと、兵士はすぐ後ろの家へ向かった。


逃げないと思われているのか、逃げても構わないと思われているのかは分からなかった。


石畳には、昨夜までなかった亀裂が走っていた。


西門に近づくほど幅が広がっている。


露店の男たちは品物を片づけながら、山で見たという魔物の話を互いに叫んでいた。


「八歩はある角だった」


「外殻に矢が通らなかったらしい」


「白金位だ。騎士団の主力もいないのに、どうやって止める」


魂蝕獣(こんしょくじゅう)砕城犀(さいじょうさい)


その名だけは、広場へ着くまでに何度も聞いた。


黒灰色の鉱石をまとった巨体が山道を下り、ベルガルドへ向かっている。


全長は八メートル。額の角は城門を砕き、前脚を落とせば地面が割れるらしい。


話すたびに魔物は大きくなった。最後には、外壁より高いと言う者までいた。


中央広場は人で埋まっていた。


七柱神の像が囲む祭壇の前に、銀色の板が七枚並べられている。


聖板にはそれぞれ異なる印が刻まれ、薄曇りの下でも表面だけが白く光っていた。


見覚えがあった。


年に一度、子供たちの神印を確かめるときに使うものだ。


胸や腕に刻まれた印と聖板が呼応すれば、どの神の加護が強いか分かる。


俺が九歳のとき、触れるよう命じられた板は一枚も光らなかった。


その日から、名前より先に「ゼロ持ち」と呼ばれるようになった。


「レイ!」


人混みの中からミアが手を上げた。俺が近づくより早く、二人の兵士が間へ入った。


「レイ・クロウだな」


「そうだ」


「祭壇の前へ」


兵士の声は確認ではなかった。左右から腕を取ろうとしたので、その前に歩いた。


腰の剣へ手をかけていた兵士が、わずかに息を吐いた。


人々が道を空けた。俺から遠ざかるためなら、混み合った広場でも動けるらしい。


肩が触れそうだった男は子供を抱き上げ、老婆は口元で七柱の名を唱えた。


祭壇には司祭エイベル・ローデンが立っていた。


養護院の責任者で、俺が熱を出したときに薬を持ってきたこともある。


穏やかな声で祈りを教え、孤児が食事を残せば自分で理由を聞く男だった。


今日は俺を見なかった。


その隣には、濃紺の軍服を着た城塞代官ヴァルター・ゲルンがいた。


背筋を伸ばし、広場のざわめきにも眉一つ動かさない。


元軍人だという話に似合う、飾りのない長剣を腰へ下げていた。


「静粛に」


ヴァルターの一声で、兵士たちが槍の石突きを地面へ打ちつけた。


乾いた音が連なり、広場は静まった。


エイベルが巻物を開いた。


「西の山岳より、高位の魂蝕獣(こんしょくじゅう)砕城犀(さいじょうさい)が迫っています。斥候(せっこう)の報告では、明日にもベルガルドの監視域へ入り、三日のうちに西門へ到達する見込みです」


誰かが泣き出した。別の場所では、主力騎士団を呼び戻せと男が叫んだ。


エイベルは巻物を握る指に力を入れ、声が収まるのを待った。


「古き教えには、地上へあふれた災厄を鎮める道が記されています。七柱の加護を受けぬ空の器を奈落へ返すとき、災厄もまた黒淵(こくえん)へ引かれる、と」


今度は、誰も声を上げなかった。


視線だけが俺へ集まった。


空器選定(くうきせんてい)の儀を行います」


選ぶための儀式ではない。俺がここへ連れてこられた時点で、答えは決まっていた。


そう言おうとして、広場の端にミアを見つけた。


兵士の腕を抜けようともがいている。


今ここで俺が抵抗すれば、あいつも祭壇まで来る。


エイベルが最初の聖板を示した。


「手を」


俺は右手を置いた。冷えた銀の感触だけが(てのひら)に残った。


祈りの言葉が終わっても、板は光らなかった。


二枚目も同じだった。


三枚目へ移ると、群衆から小さな息が漏れた。


四枚目では「やはり」と誰かが呟いた。


五枚目に触れたとき、石が飛んできて俺の背中に当たった。


振り返ると、投げた者は人の影へ隠れていた。


六枚目は沈黙したままだった。


最後の聖板だけは、薄い金色の筋が表面を走っていた。


祈るときにもっとも多く名を呼ばれる神の印だ。


俺が触れた瞬間、その光まで消えたように見えた。


広場の空気が変わった。


遠巻きだった恐れが、形を得た。石を握る手。唾を吐く音。子供の目を塞ぐ母親。


俺は聖板から手を離し、何も刻まれていない自分の掌を閉じた。


エイベルが宣告文を持ち上げた。目は紙に落ちたままだった。


「レイ・クロウ。(なんじ)は七柱すべてから拒まれた、空の器である」


歓声は上がらなかった。


代わりに、長く止められていた息が広場のあちこちで吐き出された。


選ばれたのが自分ではなかった。それだけで、人は安心できる。


「違う!」


ミアの声が響いた。


一人分の声なのに、さっきまでのざわめきよりはっきり聞こえた。


兵士の間を抜けたミアが祭壇へ走ってくる。


銀の鈴が鳴り、伸ばされた手を避けて石段の下まで来た。


「選んでない。レイが光らないって、最初から知ってたでしょう!」


「下がりなさい、ミア」


エイベルが初めて巻物から顔を上げた。


「嫌です。去年も、その前も光らなかった。今日だけ調べる意味なんてない」


群衆の視線がミアへ移った。好意的なものではなかった。


近くにいた女が「空の器の仲間だ」と呟き、その言葉が周囲へ広がった。


俺は石段を下りた。


兵士が槍を横へ向けたが、止まらなかった。


あと二歩進めば切っ先が胸へ触れる位置で立ち、ミアを背中へ隠した。


「戻れ」


「戻らない」


「養護院へ戻れ」


「レイはどうするの」


「三日で帰る」


口にしてから、嘘としては下手すぎたと思った。


ミアも分かっていた。俺の上着をつかんだ指が震えている。


それでも泣かずに、背中越しにヴァルターを睨んでいた。


生贄(いけにえ)で魔物が止まる証拠はあるんですか」


ヴァルターはすぐには答えなかった。


その視線は俺でもミアでもなく、広場を囲む建物の屋根を順に見ていた。


兵の配置と、人々の動きを確かめているようだった。


「城塞を守るため、使える手段はすべて使う」


「答えてません」


「十五歳の子供へ、軍議の内容を説明する義務はない」


遠くで車輪の音がした。広場の脇を、杭を積んだ荷車が西へ進んでいく。


続いて、弩砲(どほう)の部品らしい太い鉄の腕が布をかけられて運ばれた。


魔物を止める準備は、別に進んでいる。


なら、俺は何のために落とされる。


「レイ・クロウを拘束しろ」


ヴァルターの命令で、四人の兵士が動いた。


ミアが俺の前へ出ようとした。俺はその肩をつかみ、後ろへ戻した。


兵士の一人が腕を伸ばしたので、自分から両手を差し出した。


「レイ、だめ!」


「こいつには触るな」


「お前の立場で条件を出せると思うか」


「俺が歩けば、拘束する必要もない」


兵士はヴァルターを見た。代官は俺とミアを見比べ、短く頷いた。


手首に縄が巻かれた。


抵抗しなければ痛くはなかったが、結び目は固く、指先へ血が通いにくくなった。


ミアは縄をほどこうとした兵士の手を叩き、俺の袖をつかんだ。


「勝手に決めないで」


「決めたのは俺じゃない」


「受け入れるかはレイが決めてる!」


言い返せなかった。


ミアの言う通りだった。俺はいつも、選べないふりをして先に諦める。


そうすれば誰かを巻き込まずに済むと思っていた。


だが今は、広場中の目がミアへ向いていた。


俺を庇った少女として覚えられれば、俺がいなくなった後も何をされるか分からない。


「問題ない」


「それ、問題があるときに言う言葉でしょう」


「よく知ってるな」


いつものように呆れた顔をすると思った。ミアの唇は動いたが、声は出なかった。


エイベルが祭壇から下りてきた。俺の前で足を止めても、やはり目は合わなかった。


「これより三日間、七印浄化(しちいんじょうか)を行う。一日目は罪の告白。二日目は断食と祈り。三日目は鎮災の行列を巡り、その夜、黒淵(こくえん)へ器を返す」


「俺に告白する罪があるのか」


エイベルの喉が動いた。


「すべての人は、罪を持って生まれる」


「神印は持たず、罪だけ持って生まれたらしい」


後ろの兵士が縄を引いた。


手首に食い込んだが、俺はエイベルから目をそらさなかった。


「司祭様」


ミアが低い声で呼んだ。


「レイが九歳のとき、文字を教えてもいいって言いましたよね。働いた分の食事を渡すようにしてくれたのも、熱を出した夜に薬を持ってきたのも覚えています」


エイベルの指が、胸元の聖印を握った。


「だから聞きます。本当に、これが正しいと思ってるんですか」


答えはなかった。


兵士に促され、俺は広場を横切った。来たときより道は広く空いていた。


罵声を浴びせる者もいたが、多くは黙っていた。


俺と目が合う前に顔を伏せ、祈るように指を組んだ。


祭壇の前では、七枚の聖板が再び淡く光り始めていた。


俺が触れたときだけ沈黙した板。


神が俺を拒んだ証だと、誰もが信じていた。


広場を出る直前、背後で銀の鈴が鳴った。


振り返ると、兵士に止められたミアが両手で何かを抱えていた。


朝、俺が上着へ入れたはずの黒パンだった。縄をかけられたときに落としたらしい。


「レイ!」


足が止まった。


「三日で帰るって言ったからね!」


群衆の前で、ミアは泣かなかった。


俺も頷かなかった。戻れる見込みのない約束を、軽く扱いたくなかった。


それでも、もう一度歩き出す前に言った。


「待ってろ」


三日後、俺は黒淵(こくえん)へ落とされる。


その底に何があるのかは知らない。


生きて戻った者はいないと、子供の頃から聞かされていた。


だからこそ、決めた。


神に選ばれなかった俺が、誰の許しもなく帰る。

お読みいただきありがとうございました!

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それでは、次回の更新でお会いしましょう!

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