下へ続く扉
ご覧いただきありがとうございます!
よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!
それでは、どうぞお楽しみください。
曲がり角の手前で、俺は傷を縛り直した。
左肩の布をきつく巻き、右足首には細く裂いた布を重ねる。鎖は床の亀裂へ通し、輪を1つ作っておいた。
最初の戦いで見たことは、記録帳へ短く残してある。炭筆の文字は震えていたが、読めないほどではなかった。
『胸の青い核。動く直前に光る。扉から4歩以上離れない。正面から剣へ付き合わない』
俺は記録帳を胸元へ戻し、採掘槌を握って角を曲がった。
ガラムは同じ場所にいた。壁へ名前を刻んでいた石片を落とし、折れた剣を拾う。剣先が、迷わず俺の喉へ向いた。
石扉までは、男の背後に4歩。俺の後ろには上り坂が続き、右には乾いた水路、左には名前を刻まれた壁がある。準備した鎖の輪は、俺とガラムの間に半分だけ残っていた。
逃げるために来たのではない。今度は、胸の光へ届くために戻ってきた。
ガラムの胸で、青い光が強くなった。
直後、折れた剣が右から薙がれた。俺は採掘槌の柄を立てて受ける。刃が木を削り、手の中へ重い衝撃が走った。
右の掌の傷が開き、柄が血で滑る。力だけなら、アッシュワームの突進より弱い。だが剣は受けた槌の上を滑り、そのまま俺の指へ落ちてきた。
俺は柄を放し、右手を引いた。槌が床へ転がる。
ガラムは追って踏み込まなかった。刃を戻し、俺と扉の間へ立ち直す。左脚の骨が砂を削ったが、上半身の構えは崩れていない。
「武器を捨てた」
「落としただけだ」
俺は鎖を踏み、端を右手へ引き寄せた。
「同じだ」
ガラムの胸が、また光った。今度は突きだった。右肩が動く前に、濁った青が一度脈打っている。
俺は左へ半歩ずれた。剣先が脇腹の服を裂く。避けきれてはいない。だが、深くは入らなかった。
鎖を剣へ巻こうとした瞬間、ガラムは手首を返した。刃が輪を避け、俺の右腕を下から打つ。骨まで響き、鎖が指から抜けた。
生前の剣技が残っている。本人は祭壇へ乗せられた理由も、ここへ落とした者も覚えていない。それでも剣の使い方だけは、身体から消えていなかった。
「誰に習った」
俺が聞くと、ガラムの刃が止まった。
「何を」
「剣だ」
男は、自分の右手を見下ろした。
「知らない」
「どこで戦った」
「知らない」
胸の光が、細く揺れた。
「何を守っていた」
ガラムの剣先が下がった。その隙に、俺は槌へ手を伸ばした。
刃が跳ね上がった。腕を引いたが、切っ先が右の前腕を浅く裂く。血が一筋落ち、乾いた水路の底へ黒い点を作った。
「聞くな」
「思い出せないからか」
「聞くな」
ガラムは2歩進んだ。初めて、扉から離れた。
俺は槌を諦め、坂の上へ下がる。ガラムが追ってくる。左脚を引きずっているのに、右脚だけで身体を押し出す速さは落ちなかった。
3歩。4歩。胸の光が強くなる。
俺は鎖を拾い、喉の前へ張った。
折れた剣が上から落ちてくる。鉄と鉄がぶつかった。鎖は刃を止めたが、両腕ごと胸へ押し込まれる。左肩が軋んだ。
力を抜けば首を斬られる。押し返せば肩が壊れる。
俺は右膝を落とした。刃を受けた鎖が斜めに下がり、剣先が左の壁へ流れる。石へ当たった瞬間、俺は鎖の端を剣へ一周させた。
ガラムが腕を引く。引かれる前に、俺は鎖を放した。鉄輪が折れた刃へ巻きついたまま床へ落ち、その重さで剣先が下がる。
俺は右足で採掘槌を蹴った。槌が坂を滑り、俺の左側で止まる。右手で拾うには、身体を捻らなければならない。
ガラムは剣を一度振り、鎖を外そうとした。その間、胸の青い光が弱くなっていた。
動く時に強まり、止まれば弱くなる。あの光が、死んだ身体を動かしている。
俺は槌へ飛びついた。右足首が潰れるように痛み、膝から床へ落ちる。それでも柄を掴んだ。
ガラムが剣を振り上げる。鎖は外れていない。刃から垂れた鉄が、男の左脚へ触れていた。
俺は槌の平らな側を、ガラムの右の膝へ叩きつけた。乾いた音がした。
ガラムの身体が傾く。だが、折れた剣は止まらない。上から振り下ろされた刃が、俺の左肩を狙う。
硬殻を肩へ集めた。だが灰色の層は、鎖骨の下へずれた。刃は硬化した場所ではなく、肩の外側を切った。布が裂け、熱が走る。
俺は横へ転がった。2撃目が床を叩き、砂を跳ね上げる。
肩から血が流れた。腕は動く。深くはない。それでも、次に同じ場所を受ければ槌を支えられなくなる。
ガラムは折れた右膝を引きずり、床から剣を抜いた。両脚が崩れても、まだ立っている。胸の光はさっきより強く、青い筋が穴の周りへ広がっていた。
「止まらないのか」
「止めるまで、止まらない」
「誰を」
「下へ行く者を」
「なぜだ」
男の口が開いた。答えは出なかった。代わりに、剣を持つ手が震えた。
「忘れたなら、退け」
「忘れても、残る」
ガラムは胸へ左手を当てた。青い光が、指の隙間から漏れる。
「ここに、残っている」
「それはお前の望みか」
「俺は、ガラム・ハイネだ」
答えになっていなかった。
壁に刻んだ名を読むたび、自分が誰かは確かめられる。だが、その人間が何を望んでいたかは戻らない。ガラムは理由を失っても、守るという動きだけを続けている。
俺は立ち上がった。右足へ力をかけると、痛みが脛まで上がってくる。正面から速さで抜くことはできない。
男の背後にある扉を見る。ガラムも俺の視線を追った。右肩がわずかに引かれる。俺が扉へ動けば、必ず間へ入るつもりだ。守る場所は変わらない。
俺は槌を左の壁へ投げた。
鉄頭が、何度も刻まれた名前へぶつかった。ガラムが振り向く。ほんの一瞬だった。だが、その目は扉ではなく、自分の名へ向いていた。
俺は鎖を掴み、坂を下った。
ガラムもすぐに向き直った。胸の光が大きく脈打ち、右脚だけで俺の前へ出ようとする。その足元には、剣から垂れた鎖がある。
俺は鎖の端を踏んだ。鉄が張り、ガラムの剣腕が下へ引かれる。同時に、鎖へ絡んだ左脚が右脚の後ろへ滑った。男の身体が、扉側へ倒れる。
俺は槌を手放している。右手にあるのは鎖だけだった。
倒れながらも、ガラムは剣を突き出した。切っ先は俺の腹を向いている。避ければ、立て直される。
俺は右の脇腹へ意識を集めた。
「硬殻」
灰色の層が広がった。今度は、狙った場所を覆った。
折れた刃が硬い皮膚へぶつかる。先端が滑り、脇腹を横へ押した。衝撃で息が止まったが、肉には入らない。
俺はそのまま踏み込んだ。ガラムの胸が目の前にある。穴の奥で、青い光が縮んだ。
右手へ巻いた鎖の端を握り、穴へ突き込む。鉄輪が、硬いものへ触れた。
ガラムの左手が、俺の喉を掴んだ。冷たい指が食い込む。身体を離そうとしても、右足が踏ん張れない。
「ここから、下へは……」
俺は鎖をさらに押し込んだ。青い光の中心に、丸い石のようなものがある。指先では壊せない。採掘槌は壁際だ。
ガラムが俺を持ち上げようとした。胸の光が強くなる。死んだ指へ力が戻り、喉が潰されていく。
俺は鎖を青い石へ一周させた。それから、身体ごと後ろへ倒れた。
鎖が張った。硬化した右脇腹へ押しつけられた剣が支点になり、ガラムの胸から青い石が半分引き出される。
男の手から力が抜けた。
俺は床へ落ち、咳き込んだ。息を吸うたびに喉が焼ける。
ガラムが剣を抜こうとしていた。俺は先に立てなかった。右足を使わず、両膝で壁際へ這う。槌まで2歩。
後ろで鎖が鳴り、青い光がまた強まった。
指が柄へ届いた。握った瞬間、ざらついた木目が掌へ触れる。今感じているものだけは、失っていない。
俺は身体を反転させた。
ガラムは片膝で起き上がり、胸から垂れた鎖を引き抜こうとしていた。青い石が、穴の縁へ引っかかっている。距離は1歩半。
俺は右足を引きずり、左足だけで踏み込んだ。槌の尖った側を、青い石へ振り下ろす。
ガラムの剣が持ち上がる。間に合わない。
鉄の先端が、青い石を割った。
光が弾けた。ガラムの剣は、俺の頬へ届く前に止まった。ひび割れた青い石から細い光が漏れ、一つずつ消えていく。
男の身体が扉へ背を預け、ゆっくりと座り込んだ。
俺も槌へ寄りかかった。喉には指の跡が残り、息を吸うと咳が出る。右足首は熱を持ち、左肩の布は新しい血で濡れていた。
ガラムの右目が、壁の文字へ向いた。だが倒れた位置からは角度が悪く、名前は見えないようだった。
「俺は……」
声が途切れた。
俺は壁を見た。何十回も刻まれた文字が、青い残光に浮かんでいる。
「ガラム・ハイネ」
男の目が、俺へ戻った。
「そう、か」
「名前は残る」
「お前が、読むのか」
俺は答えず、胸元の記録帳へ手を当てた。ガラムはそれを見て、わずかに顎を引いた。
「なら……下で、忘れるな」
最後の光が消えた。
ガラムの頭が、胸へ落ちる。折れた剣も、もう持ち上がらなかった。
静かになった坂で、冷たい文字が浮かんだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
《討伐結果》
討伐対象:レヴナント 1体
討伐吸収:対象外
理由:吸収可能な力の残滓なし
能力値の変化はありません。
獲得候補:執念Lv.1
魂適合率:低
忘却負荷:小
魂を喰らいますか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
レヴナント。それが、ガラムの成れの果ての名だった。
死んでも動き続け、誰を守っていたかを失っても扉の前へ立つ。執念がどれほど身体を動かせるのかは、もう見た。
強い力だった。両脚を砕かれても、胸を割られるまで止まらなかった。俺がここで倒れた時も、立ち上がれる力になるかもしれない。
だが、立ち上がった後に何をするのかまで、あの技能は残してくれない。帰る理由を失ったまま動く俺は、ガラムと変わらない。
俺は座り込んだ男の顔を見た。壁の名前を読めない位置で、目はもう何も映していない。
「喰らわない」
黒い煙が、死体の胸から細く滲んだ。俺の返事を受けると、煙は伸びるのをやめた。しばらく宙で揺れ、やがて砂の上へ崩れるように消えた。
冷たい文字が変わった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
奪取を拒否しました。
技能は獲得されません。
技能取得の代償は発生しません。
忘却値に変化はありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ガラムには、身体を強くするだけの残滓が残っていなかった。技能を拒んだから、記憶も失わない。
俺はガラムの手から折れた剣を外し、壁際へ置いた。胸へ垂れていた鎖を引き抜き、石片と一緒に男の右手へ戻す。
記録帳を開いた。炭筆を握る右手は震えたが、読める大きさで書いた。
『ガラム・ハイネ。生贄として奈落へ落とされた。扉を守っていた。死後、レヴナントとなった』
その下へ、もう一行加えた。
『執念を拒否』
帳面を閉じると、背後で石が動いた。
ガラムが背を預けていた扉へ、青い光が3本の線を伝って流れている。割れた胸の石から散った光が、刻まれた溝を満たしていた。
俺は死体を壁際へ寄せた。扉の中央で重い音が鳴り、左右の石が少しずつ開いていく。冷たい空気が、隙間から流れ込んだ。
最初に聞こえたのは、水音だった。
扉の内側、短い石段の脇で、細い水が岩から落ちている。その下には人の手で削った浅い受け皿があり、澄んだ水が縁から溢れていた。
喉が勝手に鳴った。それでも、俺はすぐには飲まなかった。
布へ1滴含ませ、色と匂いを確かめる。濁りはない。腐った臭いもしない。唇へつけ、舌の痺れが出ないことを待ってから、少しずつ口へ含んだ。
冷たい水が喉を通った。
味は薄い。黒パンの時のように、知っているはずの何かが欠けている感覚もない。生きている身体が、ただ水を求めていた。
俺は一度に飲みすぎないよう、3口で止めた。
布を濡らし、右前腕と左肩の新しい傷を洗う。痛みで指が止まりそうになったが、砂を残す方が危険だった。傷へ布を巻き直し、濡らした布で右足首を冷やす。
扉の向こうには、下へ続く石段があった。3本線の道標も、その縁へ新しく刻まれている。探索隊はガラムを越え、この先へ進んだのだ。
俺は水をもう2口飲み、立ち上がった。
その時、扉がさらに開いた。空気の匂いが変わった。
甘い。
養護院の小さな花壇で、春に咲いた花をまとめて潰したような濃い匂いだった。岩と灰しかなかった場所には似合わない。
石段の下に、青白い光が広がっている。光の中を、小さな粒が無数に漂っていた。雪のように見えた。
だが一粒が扉を越え、濡れた布へ落ちた。白い粒は水を吸い、細い糸を伸ばした。
俺は息を止めた。
甘い空気とともに、白い胞子が扉の隙間から流れ込んできた。
お読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!
感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。
それでは、次回の更新でお会いしましょう!




