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下へ続く扉

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

曲がり角の手前で、俺は傷を縛り直した。


左肩の布をきつく巻き、右足首には細く裂いた布を重ねる。鎖は床の亀裂へ通し、輪を1つ作っておいた。


最初の戦いで見たことは、記録帳へ短く残してある。炭筆の文字は震えていたが、読めないほどではなかった。


『胸の青い核。動く直前に光る。扉から4歩以上離れない。正面から剣へ付き合わない』


俺は記録帳を胸元へ戻し、採掘槌(つち)を握って角を曲がった。


ガラムは同じ場所にいた。壁へ名前を刻んでいた石片を落とし、折れた剣を拾う。剣先が、迷わず俺の喉へ向いた。


石扉までは、男の背後に4歩。俺の後ろには上り坂が続き、右には乾いた水路、左には名前を刻まれた壁がある。準備した鎖の輪は、俺とガラムの間に半分だけ残っていた。


逃げるために来たのではない。今度は、胸の光へ届くために戻ってきた。


ガラムの胸で、青い光が強くなった。


直後、折れた剣が右から薙(な)がれた。俺は採掘槌(つち)の柄を立てて受ける。刃が木を削り、手の中へ重い衝撃が走った。


右の掌(てのひら)の傷が開き、柄が血で滑る。力だけなら、アッシュワームの突進より弱い。だが剣は受けた槌(つち)の上を滑り、そのまま俺の指へ落ちてきた。


俺は柄を放し、右手を引いた。槌(つち)が床へ転がる。


ガラムは追って踏み込まなかった。刃を戻し、俺と扉の間へ立ち直す。左脚の骨が砂を削ったが、上半身の構えは崩れていない。


「武器を捨てた」


「落としただけだ」


俺は鎖を踏み、端を右手へ引き寄せた。


「同じだ」


ガラムの胸が、また光った。今度は突きだった。右肩が動く前に、濁った青が一度脈打(みゃくう)っている。


俺は左へ半歩ずれた。剣先が脇腹の服を裂く。避けきれてはいない。だが、深くは入らなかった。


鎖を剣へ巻こうとした瞬間、ガラムは手首を返した。刃が輪を避け、俺の右腕を下から打つ。骨まで響き、鎖が指から抜けた。


生前の剣技が残っている。本人は祭壇へ乗せられた理由も、ここへ落とした者も覚えていない。それでも剣の使い方だけは、身体から消えていなかった。


「誰に習った」


俺が聞くと、ガラムの刃が止まった。


「何を」


「剣だ」


男は、自分の右手を見下ろした。


「知らない」


「どこで戦った」


「知らない」


胸の光が、細く揺れた。


「何を守っていた」


ガラムの剣先が下がった。その隙に、俺は槌(つち)へ手を伸ばした。


刃が跳ね上がった。腕を引いたが、切っ先が右の前腕を浅く裂く。血が一筋落ち、乾いた水路の底へ黒い点を作った。


「聞くな」


「思い出せないからか」


「聞くな」


ガラムは2歩進んだ。初めて、扉から離れた。


俺は槌(つち)を諦め、坂の上へ下がる。ガラムが追ってくる。左脚を引きずっているのに、右脚だけで身体を押し出す速さは落ちなかった。


3歩。4歩。胸の光が強くなる。


俺は鎖を拾い、喉の前へ張った。


折れた剣が上から落ちてくる。鉄と鉄がぶつかった。鎖は刃を止めたが、両腕ごと胸へ押し込まれる。左肩が軋(きし)んだ。


力を抜けば首を斬られる。押し返せば肩が壊れる。


俺は右膝を落とした。刃を受けた鎖が斜めに下がり、剣先が左の壁へ流れる。石へ当たった瞬間、俺は鎖の端を剣へ一周させた。


ガラムが腕を引く。引かれる前に、俺は鎖を放した。鉄輪が折れた刃へ巻きついたまま床へ落ち、その重さで剣先が下がる。


俺は右足で採掘槌(つち)を蹴った。槌(つち)が坂を滑り、俺の左側で止まる。右手で拾うには、身体を捻(ひね)らなければならない。


ガラムは剣を一度振り、鎖を外そうとした。その間、胸の青い光が弱くなっていた。


動く時に強まり、止まれば弱くなる。あの光が、死んだ身体を動かしている。


俺は槌(つち)へ飛びついた。右足首が潰れるように痛み、膝から床へ落ちる。それでも柄を掴(つか)んだ。


ガラムが剣を振り上げる。鎖は外れていない。刃から垂れた鉄が、男の左脚へ触れていた。


俺は槌(つち)の平らな側を、ガラムの右の膝へ叩きつけた。乾いた音がした。


ガラムの身体が傾く。だが、折れた剣は止まらない。上から振り下ろされた刃が、俺の左肩を狙う。


硬殻(こうかく)を肩へ集めた。だが灰色の層は、鎖骨の下へずれた。刃は硬化した場所ではなく、肩の外側を切った。布が裂け、熱が走る。


俺は横へ転がった。2撃目が床を叩き、砂を跳ね上げる。


肩から血が流れた。腕は動く。深くはない。それでも、次に同じ場所を受ければ槌(つち)を支えられなくなる。


ガラムは折れた右膝を引きずり、床から剣を抜いた。両脚が崩れても、まだ立っている。胸の光はさっきより強く、青い筋が穴の周りへ広がっていた。


「止まらないのか」


「止めるまで、止まらない」


「誰を」


「下へ行く者を」


「なぜだ」


男の口が開いた。答えは出なかった。代わりに、剣を持つ手が震えた。


「忘れたなら、退け」


「忘れても、残る」


ガラムは胸へ左手を当てた。青い光が、指の隙間から漏れる。


「ここに、残っている」


「それはお前の望みか」


「俺は、ガラム・ハイネだ」


答えになっていなかった。


壁に刻んだ名を読むたび、自分が誰かは確かめられる。だが、その人間が何を望んでいたかは戻らない。ガラムは理由を失っても、守るという動きだけを続けている。


俺は立ち上がった。右足へ力をかけると、痛みが脛(すね)まで上がってくる。正面から速さで抜くことはできない。


男の背後にある扉を見る。ガラムも俺の視線を追った。右肩がわずかに引かれる。俺が扉へ動けば、必ず間へ入るつもりだ。守る場所は変わらない。


俺は槌(つち)を左の壁へ投げた。


鉄頭が、何度も刻まれた名前へぶつかった。ガラムが振り向く。ほんの一瞬だった。だが、その目は扉ではなく、自分の名へ向いていた。


俺は鎖を掴(つか)み、坂を下った。


ガラムもすぐに向き直った。胸の光が大きく脈打(みゃくう)ち、右脚だけで俺の前へ出ようとする。その足元には、剣から垂れた鎖がある。


俺は鎖の端を踏んだ。鉄が張り、ガラムの剣腕が下へ引かれる。同時に、鎖へ絡んだ左脚が右脚の後ろへ滑った。男の身体が、扉側へ倒れる。


俺は槌(つち)を手放している。右手にあるのは鎖だけだった。


倒れながらも、ガラムは剣を突き出した。切っ先は俺の腹を向いている。避ければ、立て直される。


俺は右の脇腹へ意識を集めた。


「硬殻(こうかく)」


灰色の層が広がった。今度は、狙った場所を覆った。


折れた刃が硬い皮膚へぶつかる。先端が滑り、脇腹を横へ押した。衝撃で息が止まったが、肉には入らない。


俺はそのまま踏み込んだ。ガラムの胸が目の前にある。穴の奥で、青い光が縮んだ。


右手へ巻いた鎖の端を握り、穴へ突き込む。鉄輪が、硬いものへ触れた。


ガラムの左手が、俺の喉を掴(つか)んだ。冷たい指が食い込む。身体を離そうとしても、右足が踏ん張れない。


「ここから、下へは……」


俺は鎖をさらに押し込んだ。青い光の中心に、丸い石のようなものがある。指先では壊せない。採掘槌(つち)は壁際だ。


ガラムが俺を持ち上げようとした。胸の光が強くなる。死んだ指へ力が戻り、喉が潰されていく。


俺は鎖を青い石へ一周させた。それから、身体ごと後ろへ倒れた。


鎖が張った。硬化した右脇腹へ押しつけられた剣が支点になり、ガラムの胸から青い石が半分引き出される。


男の手から力が抜けた。


俺は床へ落ち、咳(せき)き込んだ。息を吸うたびに喉が焼ける。


ガラムが剣を抜こうとしていた。俺は先に立てなかった。右足を使わず、両膝で壁際へ這(は)う。槌(つち)まで2歩。


後ろで鎖が鳴り、青い光がまた強まった。


指が柄へ届いた。握った瞬間、ざらついた木目が掌(てのひら)へ触れる。今感じているものだけは、失っていない。


俺は身体を反転させた。


ガラムは片膝で起き上がり、胸から垂れた鎖を引き抜こうとしていた。青い石が、穴の縁へ引っかかっている。距離は1歩半。


俺は右足を引きずり、左足だけで踏み込んだ。槌(つち)の尖(とが)った側を、青い石へ振り下ろす。


ガラムの剣が持ち上がる。間に合わない。


鉄の先端が、青い石を割った。


光が弾けた。ガラムの剣は、俺の頬へ届く前に止まった。ひび割れた青い石から細い光が漏れ、一つずつ消えていく。


男の身体が扉へ背を預け、ゆっくりと座り込んだ。


俺も槌(つち)へ寄りかかった。喉には指の跡が残り、息を吸うと咳(せき)が出る。右足首は熱を持ち、左肩の布は新しい血で濡れていた。


ガラムの右目が、壁の文字へ向いた。だが倒れた位置からは角度が悪く、名前は見えないようだった。


「俺は……」


声が途切れた。


俺は壁を見た。何十回も刻まれた文字が、青い残光に浮かんでいる。


「ガラム・ハイネ」


男の目が、俺へ戻った。


「そう、か」


「名前は残る」


「お前が、読むのか」


俺は答えず、胸元の記録帳へ手を当てた。ガラムはそれを見て、わずかに顎(あご)を引いた。


「なら……下で、忘れるな」


最後の光が消えた。


ガラムの頭が、胸へ落ちる。折れた剣も、もう持ち上がらなかった。


静かになった坂で、冷たい文字が浮かんだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


《討伐結果》


討伐対象:レヴナント 1体


討伐吸収(とうばつきゅうしゅう):対象外


理由:吸収可能な力の残滓(ざんし)なし


能力値の変化はありません。


獲得候補:執念(しゅうねん)Lv.1


魂適合率(たましいてきごうりつ):低


忘却負荷(ぼうきゃくふか):小


魂を喰らいますか。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


レヴナント。それが、ガラムの成れの果ての名だった。


死んでも動き続け、誰を守っていたかを失っても扉の前へ立つ。執念(しゅうねん)がどれほど身体を動かせるのかは、もう見た。


強い力だった。両脚を砕かれても、胸を割られるまで止まらなかった。俺がここで倒れた時も、立ち上がれる力になるかもしれない。


だが、立ち上がった後に何をするのかまで、あの技能は残してくれない。帰る理由を失ったまま動く俺は、ガラムと変わらない。


俺は座り込んだ男の顔を見た。壁の名前を読めない位置で、目はもう何も映していない。


「喰らわない」


黒い煙が、死体の胸から細く滲(にじ)んだ。俺の返事を受けると、煙は伸びるのをやめた。しばらく宙で揺れ、やがて砂の上へ崩れるように消えた。


冷たい文字が変わった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


奪取を拒否しました。


技能は獲得されません。


技能取得の代償は発生しません。


忘却値に変化はありません。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ガラムには、身体を強くするだけの残滓(ざんし)が残っていなかった。技能を拒んだから、記憶も失わない。


俺はガラムの手から折れた剣を外し、壁際へ置いた。胸へ垂れていた鎖を引き抜き、石片と一緒に男の右手へ戻す。


記録帳を開いた。炭筆を握る右手は震えたが、読める大きさで書いた。


『ガラム・ハイネ。生贄(いけにえ)として奈落(ならく)へ落とされた。扉を守っていた。死後、レヴナントとなった』


その下へ、もう一行加えた。


『執念(しゅうねん)を拒否』


帳面を閉じると、背後で石が動いた。


ガラムが背を預けていた扉へ、青い光が3本の線を伝って流れている。割れた胸の石から散った光が、刻まれた溝を満たしていた。


俺は死体を壁際へ寄せた。扉の中央で重い音が鳴り、左右の石が少しずつ開いていく。冷たい空気が、隙間から流れ込んだ。


最初に聞こえたのは、水音だった。


扉の内側、短い石段の脇で、細い水が岩から落ちている。その下には人の手で削った浅い受け皿があり、澄んだ水が縁から溢(あふ)れていた。


喉が勝手に鳴った。それでも、俺はすぐには飲まなかった。


布へ1滴含ませ、色と匂いを確かめる。濁りはない。腐った臭いもしない。唇へつけ、舌の痺(しび)れが出ないことを待ってから、少しずつ口へ含んだ。


冷たい水が喉を通った。


味は薄い。黒パンの時のように、知っているはずの何かが欠けている感覚もない。生きている身体が、ただ水を求めていた。


俺は一度に飲みすぎないよう、3口で止めた。


布を濡らし、右前腕と左肩の新しい傷を洗う。痛みで指が止まりそうになったが、砂を残す方が危険だった。傷へ布を巻き直し、濡らした布で右足首を冷やす。


扉の向こうには、下へ続く石段があった。3本線の道標も、その縁へ新しく刻まれている。探索隊はガラムを越え、この先へ進んだのだ。


俺は水をもう2口飲み、立ち上がった。


その時、扉がさらに開いた。空気の匂いが変わった。


甘い。


養護院の小さな花壇で、春に咲いた花をまとめて潰したような濃い匂いだった。岩と灰しかなかった場所には似合わない。


石段の下に、青白い光が広がっている。光の中を、小さな粒が無数に漂っていた。雪のように見えた。


だが一粒が扉を越え、濡れた布へ落ちた。白い粒は水を吸い、細い糸を伸ばした。


俺は息を止めた。


甘い空気とともに、白い胞子が扉の隙間から流れ込んできた。

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