↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/127

逃げ道は2人分

盾の列が、1歩ぶん前へ出た。3枚の盾が路地の幅をちょうど埋め、その後ろにもう1列、同じ高さのものが並んでいた。隙間の口から数えて、前の列の縁までは8歩だった。


左の路地口からは、松明を掲げた若い男たちが間を詰めてきていた。後ろの隙間は板塀で行き止まりで、左手の甲の罪標(ざいひょう)は暗がりに入っても消えなかった。ここで捕まれば、朝の舟にも、2日先を行く灰色の幌(ほろ)の馬車にも届かなくなる。1年まで、あと10日だった。


盾の列の向こう、兵の頭の上に、川へ下りる石段の頭が見えていた。水の音は、そこから上がってきていた。


後ろから、外套(がいとう)の裾(すそ)をもう一度引かれた。


「ねえ」


「離すな」


返したのは、それだけだった。


盾がもう1歩出た。真ん中の盾の下から槍の柄が低く突き出され、俺の右の脛(すね)を払いにきた。俺は脛(すね)の前に硬殻(こうかく)Lv.4を寄せた。柄は殻に当たって跳ね、俺は半歩も下がらずに済んだ。


俺は真ん中の盾に右の手のひらを当て、体重だけを乗せて押した。盾は動かなかった。押した重さが左右の盾へ逃げていき、3枚がまとめて俺の手を受け止めていた。


盾の縁と縁が合わさる所に、細い文字の筋が刻まれていた。押すたびに筋が鈍く光り、その光が隣の盾へ渡って、また戻ってきた。洗濯場で焼いた鎖にも、同じような筋が走っていた。


つなぎ目なら、黒炎(こくえん)Lv.1が食える。だが、どの盾の内側にも、取っ手を握る人の手があった。奈落(ならく)でも洗濯場でも、俺の火がどこで止まるのか、俺にも分からなかった。


考える間に、後ろの列が前の列の背を押した。前の3枚が同時に半歩出て、俺の右肘が家の壁に当たった。左からは、棒の男たちの足音がすぐ後ろまで来ていた。


「挟め! 盾と壁で潰せ!」


背後で、子供が俺の腰に額を押し付けた。


俺は右手の指先だけを、真ん中と右の盾のつなぎ目に当てた。火を流すのではなく、指先に溜(た)めた分だけを筋へ押しこんだ。黒い火が文字に入り、つなぎ目の長さだけを焦がしていった。盾の内側へ回りこもうとした火の先を、俺は指を握りこむようにして閉じた。


火は、閉じた所で止まった。


光の筋が、そこで切れた。真ん中の盾の兵が、急に前へのめった。3枚分の重さで押していた腕に、自分の1枚の重さしか返らなくなったようだった。右の盾との間に、肩が入るほどの隙間が開いた。


止めたい所で、火が止まった。思わず、自分の指先を見た。


遅れて、右腕の内側を焼けた針が1本、肘から手首まで走った。指を開くと、動いた感覚がいつもより遅れて返ってきた。


俺は裾(すそ)をつかむ子供の手ごと腰に押し付け、開いた隙間へ肩から入った。のめった兵の盾を手のひらで横へ倒すと、後ろの列の2人がそれに足を取られて膝をついた。誰かの槍の柄が、左の肩甲骨の下を掠(かす)めた。息が一度詰まったが、足は止めなかった。


列を抜けた先に、オズワルドが立っていた。男は細剣の包みを抱えたまま、俺の右手を見ていた。


「……盾の方を、焼きましたか」


俺は答えずに、その横を抜けた。オズワルドは、手を伸ばさなかった。


石段の上から見下ろすと、黒い水が岸の石を洗っていた。下りかけた所で、水の上から声が上がった。


「こっちだ! 石段の右、杭(くい)の所!」


フィンだった。小舟の上に片膝をつき、杭(くい)にかけた縄をほどこうとしていた。


俺と、俺の後ろの子供を見たとき、フィンの目が一瞬、肩の向こうの暗がりへ抜けた。何かをなぞるように、目だけが2度動いた。


「……2人分だ」


小さく言ってから、フィンは怒鳴った。


「早く降りろ! 盾が起き直るぞ!」


背中の方で、盾を起こす金具の音がした。俺は最後の段で、子供を前へ回した。子供は裾(すそ)を離さないまま、舟の上を見ていた。


「フィン、売ったの」


フィンの手が、縄の上で止まった。


「売った」


子供は何も言わなかった。


「だから、買い戻しに来たんだ。お前は岸の葦(あし)の中を伝って、遠くまで行け。朝まで出てくるな」


子供は動かず、俺の顔を見上げた。


「あいつらが追うのは、俺の手の印だ」


俺は左手の甲を見せた。黒い印は、石段の上の松明の明かりを受けても暗いままだった。子供は印と俺の顔を見比べて、ようやく指を離した。


小さな背中が、葦(あし)の中へ消えた。追う足音は、石段のどこからも下りてこなかった。ほっとした、と思った。


俺は最後の段を蹴って舟へ跳んだ。右足で着いたが、揺れた舟底に左足を置いたとき、膝の奥がまた鳴った。フィンが縄を外し、櫂(かい)で杭(くい)を突いた。舟は岸を離れ、流れの真ん中へ引かれていった。


石段の上に、盾を抱えた兵が並んだ。1人が槍を投げ、槍は舟の後ろの水面に落ちて沈んだ。オズワルドは一番上の段に立ったまま、投げろとも追えとも言わなかった。松明が小さくなるまで、男はそこから動かなかった。


町の灯りが後ろへ流れ、両岸は黒い土手だけになった。フィンは櫂(かい)を水から上げ、肩で息をした。舟は流れに任せて、ゆっくり回っていた。


「漕ぐのが下手だな」


「うるさい。舟頭じゃないんだ」


フィンは櫂(かい)を膝に渡し、手のひらに息を吹きかけた。


「この舟は、朝の席の代わりだ。舟頭を叩き起こして、銀貨2枚の分を今夜に回させた。返しに行く当てはないけどな」


「なんで戻った」


フィンはすぐには答えなかった。水が舟の腹を叩く音が、何度か続いた。


「宿の名を置いてから、向かいの屋根に上がった。金を払う側は、取り逃がしたら払わないことがあるからな。見届けるつもりだった」


「それで」


「あんたが、あの子の上に被さるのが見えた」


フィンは川上の暗がりを見た。


「あそこを寝床にしろって教えたの、俺なんだ。冬でも風が入らないから」


俺は黙っていた。懐の黒パンが、盾に押されたときに平たく潰れていた。どうせ固いパンだったから、形が変わっても困らなかった。


「棒の連中、殴れば1人も起きてこなかっただろ」


「たぶん」


「なんで殴らなかった」


「約束がある」


フィンは鼻で笑いかけて、やめた。宿の部屋でも、同じ所でやめていた。


俺は左手の甲の印を、膝の上で隠した。


「俺を売れば、かなりの金になるぞ」


「そうだな。でも友達を売ったら、寝覚めが悪い」


「いつ友達になった」


「たった今。嫌なら料金を払え」


俺は外套(がいとう)の内側で銀貨を探しかけて、手を止めた。


「探すなよ」


フィンが、今度は本当に笑った。


「さっき、2人分と言ったな」


「……言ったか」


フィンは櫂(かい)の柄を指で叩いた。


「俺には、時々逃げ道が見える。いつもは1本だ。俺が1人で抜ける分だけ」


「さっきは」


「石段から舟まで、2本並んで見えた。あんたの分も。一瞬だけだ」


フィンは目を細めて土手の方を見て、それから首を振った。


「今は、また1本だ」


「代われ」


俺は櫂(かい)を受け取った。木の柄だった。


握ると、柄が軋(きし)んだ。


「折るなよ。借り物だ」


俺は握るのをやめ、手のひらで柄を水へ押すようにして漕いだ。舟は少しずつ、流れの筋に乗った。


右腕の内側が、漕ぐたびに熱を持った。肩まで裂けた右袖の下で、肘から手首の内側に、皮膚の下の黒い筋が並んでいた。2本だった筋の外側に、細い1本が増えていた。指を握ると、感覚は前よりもう少し遅れて返ってきた。


背中の包みの中で、布越しにシグの光が一度灯った。俺は包みを膝へ下ろし、布の上から軽く叩いた。


「揺れるぞ」


光が一度暗くなって、戻った。フィンは土手の方を向いていて、こちらを見なかった。


しばらくして、フィンが膝を抱えたまま言った。


「仕送り、来月は遅れるな」


「誰に」


「弟と妹だ。……俺も、もうあの町には戻れない」


それから、フィンの目が俺の左手に止まった。


「その手の印。さっき、あの子に見せてたやつ」


「どこへ行っても分かる、と言われた」


フィンは短く息を吐いた。


「じゃあ街道は駄目だ。宿場ごとに詰所がある」


フィンは東の、土手の切れ目のさらに向こうを顎(あご)で示した。


「近道ならある。まともな奴は、まず通らない道だけどな」

お読みいただきありがとうございました!

「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!


感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。

それでは、次回の更新でお会いしましょう!


第1話はこちら → (https://ncode.syosetu.com/n5416mt/1)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。