↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

102/126

群れの主

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

重なった声の中から、同じ声がもう1度抜け出した。


「レイ」


少しかすれた声だった。最後の音が、細く震えて消えた。さっきと、何も変わらなかった。


声は、礼拝堂の前の通りから来ていた。裏の路地から灰色のが何体も回ってきた、と兵は言った。大通りには、西門から来た列の年寄りと子供が、まだ残っている。


後ろで、兵が息を呑(の)んだ。


「……今の、あの娘の声だ。礼拝堂に入れたのに」


兵は、声だけで決めていた。俺の耳は、何も決めてくれなかった。外套(がいとう)の上から、胸の記録帳に手が触れた。紙の角が指に当たった。


奈落(ならく)の森の下でも、ミアの声に呼ばれたことがある。あのときも俺はこの帳面に触れ、「お前じゃない」と言った。


声が同じでも、それはミアではなかった。ミアは、あの森にいなかった。それだけで分かった。


今は、ミアがこの城塞にいる。


「シグ」


俺は、背中へ声を落とした。


包みの中で、少しのあいだ何も返ってこなかった。人前では喋らない。それはシグが自分で決めたことだった。


『あなたの生命に関わると判断します。ですから、話します』


シグの声は、後ろの兵に届くかどうかの小ささだった。


『洗濯場で、イレーネ・ヴァイスが来たとき、ミア・ベルはあなたを1度呼びました。その声を記録しています』


「今のと、比べられるか」


『比べました。高さも、長さも、最後の震えも、同じです』


「同じなら」


『同じすぎます。今の2回も、互いに少しも違いません。人は、同じ名前を2度呼ぶとき、同じにはなりません』


1度きりの声を、何かが何度もなぞっている。それに、鈴が鳴らなかった。ミアが俺を呼ぶとき、あの鈴はいつも首元で鳴っていた。


「……拾われた声だ」


目ににじんだ涙を、手の甲で払った。白く溶けていた通りが、形を取り戻した。


大通りは、礼拝堂の前で少しだけ広くなっていた。石段の上の扉は閉じていた。石段の下には、西門から来た列の最後の者たちが固まっていた。年寄りと、子供と、子供を抱えた女たちだった。


通りの北側、家と家の間の路地の口に、それはいた。白い塊だった。軒の高さまで盛り上がり、路地の口を塞いでいた。


幾重にも絡んだ菌糸(きんし)の下に、灰色の手足がいくつも埋まっている。グールの死骸を抱え込み、脚の代わりにしていた。塊の上には、膨らんだ袋が並んでいた。胞子嚢(ほうしのう)だった。


奈落(ならく)の第2大層の窪地(くぼち)で、同じ種類のものを見た。死者を縫い合わせて動かし、死者の声で呼んだ森の母体。形は違う。だが、湿った土と傘を開いた茸(きのこ)の匂いは同じだった。


母体の前に、人が6人立っていた。寝間着の年寄り。荷車を押していたらしい若い男。前掛けをつけたままの女。


ほかに男と女が1人ずつ。その端に、槍を持たない兵が1人。6人の首の後ろから、白い糸が1本ずつ、母体へ伸びていた。


口が、少しずつずれて動いていた。


「たすけて」


「こっちだ」


「まだ、いる」


兵の口だけが、違う言葉を言った。


「レイ」


ミアの声だった。ミアに付き添っていた兵の喉から、それが出ていた。


「あいつ……扉の外で、見張ってたんだ」


後ろの兵が、呻(うめ)くように言った。


通りの南の端では、西門から回ってきた兵たちが、別の路地から出てくるグールを槍で押し返していた。小隊長の声がした。こちらまでは、手が回っていなかった。


前掛けの女が、石段の方へ歩き出した。首の糸を引きずり、両手を前へ伸ばしている。その先に、しゃがみ込んだ男の子がいた。さっきの悲鳴は、この子だった。


女の手が、男の子の腕を掴(つか)んだ。男の子が泣き叫んだ。女は、その腕を引いて母体の方へ戻り始めた。塊の上で、胞子嚢(ほうしのう)が1つ、ゆっくりと膨らんだ。


俺は走った。右の爪先で蹴り、左膝には乗せるだけにした。左の脇腹が、柄頭を受けたところから1歩ごとに重く痛んだ。


女の喉が、目に入った。首の後ろも。1年かけて覚えた場所が、全部そこにあった。


全部、この女のものだった。この女は、まだ人間だった。


女の横をすり抜け、背中へ回った。首の後ろから伸びる糸は、親指ほどの太さだった。張っては緩み、また張った。


右手に硬殻(こうかく)Lv.3を張った。女の首から手のひら1枚分離れたところで、糸を掴(つか)んだ。引きちぎった。


女の手から、力が抜けた。男の子が転がるように離れた。女は膝から崩れて石畳に倒れ、浅く息をしていた。首に残った糸の端は、皮膚の下へ縮んで消えた。


母体の側の切れ端が、跳ねた。宙で向きを変え、俺の右腕へ伸びてきた。肘の上の、刺し傷へ。


菌糸(きんし)は、開いた傷を探す。奈落(ならく)の沼で、脛(すね)に教え込まれたことだった。


硬殻(こうかく)Lv.3を肘の上まで広げた。糸の先が殻に当たり、縁を回って隙間を探し始める。左手で掴(つか)んで引き剥(は)がし、石畳へ叩きつけた。切れ端は、母体の方へ縮んで戻った。


「その女を引け」


後ろの兵に言った。


「10歩以上、離せ。触るのは服だけだ。首の傷には、素手で触るな」


兵は一瞬だけ俺の顔を見た。それから女の襟を掴(つか)み、石畳の上を引きずっていった。


母体から、新しい糸が1本、倒れた女の方へ伸びかけた。7歩ほど進んだところで、先が宙に止まり、揺れた。届く距離には、限りがある。窪地(くぼち)の触手も、そうだった。


残りは5人。5人が、そろって俺の方を向いた。首の糸を張ったまま、両腕を前へ出して歩いてくる。5つの口が、同じ速さで開いた。


「たすけて」


塊の表面からも、白い触手が3本持ち上がった。


結合を焼けば、早い。黒炎(こくえん)Lv.1なら、菌糸(きんし)のつながりだけを噛(か)む。


だが、黒炎(こくえん)Lv.1は糸を伝う。糸は母体でつながり、母体から5本、5人の首へ入っている。止まる場所は、切れた端だけだ。今焼けば、火は5人の首の中まで走る。


先に、全部切る。


寝間着の年寄りは、足が遅かった。横へ回り、糸を掴(つか)んで切った。


若い男は、俺の右腕に掴(つか)みかかってきた。握る力は、人のものではなかった。糸に引かれた力だった。振りほどけば、この男の指が折れる。


俺は腕を動かさなかった。空いた左手で、男の首の後ろの糸だけを掴(つか)んで、ちぎった。男の指が、俺の袖から外れた。


触手が、上から落ちてきた。殻の左腕で横へ払った。衝撃で左肩の古い傷が鳴った。


残りの男と女の糸を、続けて切った。倒れた者を、兵が2人がかりで引きずっていく。石段の下にいた女たちも、震えながら手を貸していた。


最後に、兵が残った。槍を持たない手を下げたまま、俺の前に立っていた。目は開いているのに、俺を見ていなかった。


口が開いた。


「レイ」


目の前で聞いても、分からなかった。かすれ方も、震え方も、洗濯場で覚えようとした声と同じだった。


そのとき、礼拝堂の扉が開いた。鈴が鳴った。


「レイ! その人、まだ生きてる! ここまで、私たちを連れてきてくれた人!」


同じ声だった。同じ声が、2つあった。石段の上の方で、鈴が鳴り続けていた。


「分かってる」


俺は兵の首の後ろへ手を回し、糸を切った。兵の膝が折れた。口はまだ動いていたが、もう声は出なかった。


「扉を閉めろ。息を止めて、中にいろ」


「閉める。でも、見てるから」


扉が、細く開いたまま止まった。鈴は、その隙間の向こうで小さくなった。


6本とも切った。母体から伸びる糸は、どれもこちらへ届かない距離で揺れていた。


塊の上で、胞子嚢(ほうしのう)がいくつも張り詰めていた。石段まで、20歩もない。裂ければ、白い粉が通り一面に降る。


外から焼いても、厚い菌糸(きんし)の奥までは時間がかかる。奥にあるものを、直接焼くしかない。


腕を入れれば、菌糸(きんし)は俺の傷を探す。肘の上の刺し傷。手のひらの傷。靴の中の踵(かかと)の傷。


殻だけでは、縁を回られる。炎だけでは、焼き切る前に糸が傷へ届く。焼却炉の陰でも、洗濯場でも、殻と炎は別々に使った。


殻の上に、炎を重ねる。


右腕の殻を、肩まで張り直した。その表面へ、胸の奥の熱を下ろした。皮膚の内側ではなく、殻の外側へ。


黒い炎が、灰色の殻の上を這(は)った。殻を焼かなかった。殻の形に沿って、指先から肩まで、薄く黒く覆った。


冷たい文字が浮かんだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

黒纏(こくてん)が発動しました。

硬殻(こうかく)Lv.3

黒炎(こくえん)Lv.1

複合技:黒殻(こっかく)

独立した技能として忘却庫(ぼうきゃくこ)へは格納されません。

忘却値に変化はありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


名前を確かめている暇はなかった。


俺は、塊へ踏み込んだ。触手が3本、同時に来た。黒い腕で受けた。触れた先から灰色に変わり、崩れて落ちた。


右腕を、塊の真ん中へ突き入れた。湿った菌糸(きんし)が、肩まで呑(の)み込んだ。何百本もの細い糸が腕に絡み、殻の縁を探して這(は)い回る。触れたそばから焼けて、ほどけていった。


奥に、硬いものがあった。拳ほどの、結び目のような塊だった。脈を打っている。


そこから、無数の糸が四方へ伸びていた。死骸の脚へ、胞子嚢(ほうしのう)へ、俺が切った6本の根元へ。全部が、ここに集まっていた。


「レイ」


グールの死骸の喉が、ミアの声で言った。


俺は、結び目を握った。


「お前じゃない」


握った手の中へ、熱を放した。


黒い炎が、結び目から四方へ走った。糸を伝い、死骸の脚へ、胞子嚢(ほうしのう)の根元へ、切れた6本の端へ。切れた端で、止まった。その先へは、渡らなかった。


白い塊が、内側から灰色に変わっていった。張り詰めていた胞子嚢(ほうしのう)が、裂ける前にしぼんだ。抱え込まれていた死骸が、1つずつ石畳へ落ちた。重なった声が、途切れた。


腕を引き抜いた。黒い炎が殻の上から消え、殻も崩れた。右腕の内側に、焼けた針が束になって並んだ。


冷たい文字が、視界に浮かんだ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

《討伐結果》

討伐対象:群声胞母(コーラスマザー) 1体

討伐吸収(とうばつきゅうしゅう)が完了しました。

寄生による魂情報の摩耗を確認。

対象単体の力の残滓(ざんし)は変換できません。

蓄積していた力の残滓(ざんし)を統合しました。

能力値が上昇しました。

生命:105 → 112

筋力:100 → 106

耐久:120 → 127

敏捷(びんしょう):115 → 121

魔力:150 → 154

知覚:130 → 138

精神:160 → 165

獲得可能な技能があります。

獲得候補:寄生操糸(きせいそうし)Lv.1

魂適合率(たましいてきごうりつ):低

忘却負荷(ぼうきゃくふか):中

技能枠:5/5

魂を喰らいますか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


熱が、身体の奥へ入ってきた。北の村から今朝まで、薄く沈めてきたものが、一度に形を持った。傷は閉じなかった。膝も、腕も、そのままだった。


技能の名を見た。寄生する糸を操る。人の首に糸を入れ、歩かせ、喋らせる力だった。


奈落(ならく)の沼で、脛(すね)の中にいたものの、ずっと上にあるもの。あのときも、喰らわなかった。


「喰らわない」


俺は言った。


「人を操る力は、要らない」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

奪取を拒否しました。

忘却値に変化はありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


文字が消えた。路地の口には、灰色の山だけが残っていた。風が吹くと、その表面が崩れて、石畳の上を転がった。


倒れた6人の首の下で、白い線が止まっていた。もう、どこへも伸びていなかった。


礼拝堂の扉が、今度は大きく開いた。


鈴の音が、石段を駆け下りてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。