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死にたがり魔王ですが、早く討たれたいのに勇者が同居を始めました 〜吐血を隠していたら、全部知られていて看病されています〜  作者: のびろう。
第2章 勇者が魔王城に同居を始めました 〜監禁ではなく看病なので、逃げ道だけが丁寧に塞がれていきます〜

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第8話 魔王様六時間睡眠令、施行 〜「監禁ではなく看病です」と鍵を渡されたのに、なぜか逃げ道だけが消えました〜

魔王城の執務室で、ゼロスは書類の山と向かい合っていた。

壁の時計は午後10時50分を指している。

勇者との同居が決まった初日の夜だというのに、この男は、三日先の決裁書類を前倒しで処理していた。

(討たれる予定だったとはいえ、引き継ぎの準備だけは完璧にしておきたいからな)

前世から染みついた習慣は、転生しても一向に抜けないのである。


そこへ、控えめなノックの音が響いた。


「魔王様、失礼いたします」


扉が開いて、アリアが入ってきた。

昼間の白銀の騎士装束ではなく、ふわりとした白いワンピース姿である。

ポニーテールはほどかれて、輝く金髪が肩から背中へさらさらと流れていた。

(……騎士の装備は、どこへやった)

ゼロスは、ペンを持つ手が止まったことに、数秒遅れて気がついた。

勇者といえば鎧、という先入観が、見事に裏切られている。

その後ろから、なぜか第一軍団長のリリティアまで、巻物を抱えてついてきた。


「魔王様、就寝のお時間でございます」

「……就寝、だと」

「はい、本日より、こちらが施行されます」


アリアが両手で広げてみせた巻物には、流麗な文字で、こう記されていた。


『魔王様六時間睡眠令 一、就寝は午後11時、起床は午前5時とする 二、寝室への書類の持ち込みを禁ずる 三、「あと少しだけ」は却下とする』


(令、だと?)

ゼロスは、思わず絶句した。

内容もさることながら、巻物の隅には、勇者の印が、でかでかと押されている。


「勇者殿の発案ですが、私も確認いたしました」


リリティアが、きりっとした顔で補足した。

視線は相変わらず、床か巻物のどちらかである。


「当初は、魔王様に令を出すなど不敬と思いましたが、策の一環として、魔王様のお体を万全に整えることは、極めて合理的であると、判断いたしました」

「は?」

「万全の魔王様でなければ、勇者殿を懐柔するという壮大な策も、成就いたしませんので」

(俺が昼間に言った出任せが、次々と、法律になっていく)

ゼロスは、頭を抱えたくなった。

だが、リリティアの尻尾は、誇らしげにぴんと立っている。

これを否定すれば、彼女の深謀遠慮への信頼を、真正面から裏切ることになる。


「……体調管理も、策のうちだ」

「さすがは魔王様! 承認の印を、押させていただきます!」


ぽん、と軽快な音がして、巻物の二つ目の印が押された。

引き返せる場所は、とっくに通り過ぎていた。


◆


「ま、待て、それでも今夜はまだ、片づけたい案件が」

「拝見しました」


アリアは、ゼロスの机の上の書類の山を、ちらりと見て言った。


「こちらは、明後日期限の案件ですよね、そちらも、明々後日のものです、すべて、期限の3日前に処理されておりました」

「……いつ、見たのだ」

「先ほど、お夕食の後に、そっと」

「勝手に見るな!」

「勇者の特異体質ですので」


アリアは、悪びれもせず、にこにこと微笑んだ。


「魔王様がお休みにならないのは、仕事のせいではなく、習慣のせいだと、思います」


図星である。

ぐうの音も出ないゼロスに、アリアは、さらに追い打ちをかけた。


「それと、休暇の申請も、一度も出されていませんね」

「魔王に、休暇などない」

「では、私が付与いたします」

「誰の権限でだ」

「稟議は不要です、私の独断ですので」


さらりと言い切られて、ゼロスは、もう反論する気力も失ってしまった。

ふと、ある恐ろしい可能性に思い至って、彼は、ひそめた声で問いかけた。


「……貴様、まさか、我を部屋に閉じ込めるつもりではあるまいな」

「いいえ」


アリアは、きょとんと首をかしげた。


「監禁ではなく、看病です」


そう言って、ポケットから小さな銀の鍵を取り出し、ゼロスの掌に、ちょこんと乗せる。


「こちらが、魔王様の寝室の鍵です、内側からも外側からも、魔王様ご自身がお持ちください、いつでも、お出になれます」

「……なぜ、我が持つのだ」

「魔王様の自由意志を、お守りするためです」


あまりにも真っ当な理由に、ゼロスは、返す言葉を失った。

ただ、そこでアリアは、ふわりと笑顔のまま、つけ加えた。


「ただ、魔王様が出ていかれたら、私も、ついていきます、どこまでも、お側に」

「…………」

「地の果てまででも、ご一緒します」


蒼穹の瞳に、星の光が、すうっと消えていく。

笑顔は、少しも変わらない。

変わらないからこそ、背筋が冷たくなる。

(自由は保証されているが、尾行は確定している)

鍵を握りしめたまま、ゼロスは、静かに頷くしかなかった。

その隣で、リリティアが、小声で「勇者殿、恐ろしい人」と呟いたのが、聞こえた。


◆


寝室は、ゼロスの部屋とは思えないほど、殺風景だった。

黒い天蓋つきの寝台が、ぽつんと置かれているだけで、他には小さな机と、本棚と、衣装箱が並んでいる。

壁に聖剣が飾られていないことに、ゼロスは、そっと安堵した。

リリティアの猛抗議の末、聖剣は、アリア自身が泊まる隣の客間の壁に掛けられることになったのだ。


「それでは魔王様、横になってください」


アリアは、寝台の脇に小さな椅子を引き寄せて、ちょこんと腰かけた。

ゼロスは、ぎこちなく寝台に横たわり、天井を見上げる。

白いワンピースの勇者が、枕元に座って見守っているという状況は、どう考えても、落ち着かない。


「……見られていると、眠れんのだが」

「はい、見ません、数えます」

「何を」

「魔王様の、呼吸を」


アリアは、背筋を伸ばして、真剣な顔で目を閉じた。

そして、小さな声で、静かに数え始める。


「吸って、1、吐いて、2、吸って、3」

(……数える声が、完全に羊のそれだ)

規則正しく、単調で、少し眠気を誘う声である。

ただ、数えられているほうは、自分の呼吸を意識してしまって、かえって眠れない。

吸うのか、吐くのか、一体どちらが先だったか、頭の中が混乱してきた。


「アリア、これは、逆効果ではないか」

「そうでしょうか、では、背中合わせで、いかがですか」


アリアは椅子の向きを変え、寝台に背を向けて、ゼロスの枕元に腰かけ直した。

小さな背中が、ゼロスの視界の端に入る。

ほどかれた金髪が、背中を覆って、ゆらゆらと揺れていた。


「これで、お顔は見えません、呼吸の音だけ、聞いております」

「……それでも、気配が気になるのだ」

「では、お話を、いたしましょうか」

「話?」

「眠くなるまで、他愛のない話を」


そう言って、アリアは、ぽつりぽつりと話し始めた。

旅の途中で見た、夜明けの景色のこと。

道端で出会った、人懐っこい野良猫のこと。

崖を越えた時に岩場に生えていた、可憐な花のこと。

声は穏やかで、低く、優しくて、前世の電車で聴いたことのある、どこかの路線の車内アナウンスのように、やけに眠りを誘う。


「その花はですね、夜に咲くのです、月の光を、集めるように」

「……そうか」

「魔王様にも、いつか、お見せしたいです」

「……ふん、悪くないな」


ゼロスの返事が、だんだんと、間延びしていく。

意識が、ゆるやかに、遠のいていく。

そのとき、胸の奥で、いつもの鈍い痛みが、ずきりと脈打った。


「……っ、ごほっ」


咳き込んだ口元に、すっと、清潔な布が差し出された。

洗いたての、八枚のうちの、一枚だった。

いつの間に洗って、丁寧にアイロンまで当てたのか、淡いラベンダーの香りさえ漂っている。


「どうぞ、お使いください」

「……すまん」

「謝らないでください、魔王様は、悪くありません」


アリアは、ゼロスの背中を、小さな手で、ゆっくりとさすった。

痛みの波が、少しずつ、引いていく。

彼女は、ゼロスの体から伸びる線を、じっと見つめているのだろう。

どこから痛みが来て、どこへ流れていくのか、一本ずつ、見守っているのだ。


「ここにいます、何があっても、私が見ています」

「…………」

「ですから、安心して、眠ってください」


ゼロスは、返事をしなかった。

いや、できなかった。

喉の奥が、痛みとは別の理由で、きゅっと詰まっていたからである。

こんなふうに、誰かに、「見ている」と言われたのは、いつ以来だろう。

(……べ、別に、貴様のためではない、ただ、体調管理は管理職の責務だから、寝てやるだけだ)

心の中でだけ、そう毒づいて、ゼロスは、そっと目を閉じた。


「おやすみなさい、魔王様」

「…………おやすみ」


最後の一言は、ほとんど、寝言のようだった。


◆


目が覚めたとき、窓の外は、白んでいた。

ゼロスは、しばらく、天井を見つめたまま、動けなかった。

体が、軽い。

頭の中に、霧がかかっていない。

何年ぶりかも分からない、すっきりとした朝だった。


(今、何時だ)

枕元の時計に目を向けて、ゼロスは、思わず息を呑んだ。

針は、午前5時を、わずかに過ぎたところを指している。

午後11時に横になってから、ちょうど、6時間。

中断もなく、悪夢もなく、咳き込んで目覚めることもなく、ただ、ぐっすりと眠っていたのだ。

前世を含めても、これほど深く眠ったのは、十年ぶりかもしれない。


そして、もうひとつ、違和感があった。

右の袖口が、何かに引っぱられている。

視線を落とすと、そこには、小さな手が、ぎゅっとゼロスの袖を握りしめていた。


アリアは、寝台の脇の椅子に座ったまま、枕に頬を預けて、静かな寝息を立てていた。

白いワンピースの肩に、いつの間にか自分の黒いブランケットが掛けられている。

(……俺が眠ってから、自分の分を、ちゃんと寝る時間も取ったのか)

彼女も、睡眠不足は魔王に届くと分かっているから、きっちり、休んだのだろう。

ほどけた金髪が、枕の上に、柔らかな川のように広がっている。

頬にかかった前髪が、寝息に合わせて、ふわふわと揺れていた。


起こさないように、そっと、手を離そうとして、ゼロスは、ふと、動きを止めた。

握られた袖は、驚くほど、ぎゅっと固い。

眠っていても、決して離さないという意志が、小さな指先から、伝わってくる。

(……困った勇者だ)

ゼロスは、口の端が緩みそうになるのを、慌てて引き締めた。

悪役が、こんな顔をしているところを、誰かに見られたら、示しがつかない。


その瞬間、扉を叩く、几帳面なノックの音が響いた。


「魔王様、メイド長のネフェリアでございます、朝のお目覚めのお茶を、お持ちいたしました」


低く、落ち着いた、完璧な発音の声だった。

(まずい)

ゼロスの全身から、さあっと血の気が引いた。

魔王の寝室に、勇者が、袖を握ったまま眠っている。

しかも、窓の外は、すっかり夜明けである。


「入ってよろしいでしょうか」

「ま、待て、まだ」


制止は、間に合わなかった。

扉が、音もなく、静かに開く。

黒髪をきっちりとまとめた、冷徹な美貌の女性が、銀の盆を片手に、完璧な角度で一礼して入ってきた。

その視線が、寝台の脇で眠る勇者を、まっすぐに捉える。

ネフェリアは、眉ひとつ動かさずに、盆をそっと机に置いた。


「…………おはようございます、魔王様」

「……う、うむ」

「そちらの方は、どちら様でございましょうか」


ひんやりとした声だった。

彼女の目は、笑っていない。

勇者は、まだ、すやすやと眠ったままである。

(……査定が、始まる)

ゼロスは、静かに天井を仰いで、これから始まる朝の修羅場を、覚悟した。

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