第7話「お世話係の座」を賭けて秘書官と勇者が睨み合う 〜「これは我の策だ」と言った瞬間、魔王の言い訳が全軍の深謀遠慮になりました〜
玉座の間は、奇妙な緊張に包まれていた。
壊れた扉の前には、兵たちの山が築かれたまま、その手前では第一軍団長が尻尾を尖らせて立っている。
そして広間の中央では、勇者の白いマントを肩に掛けられた魔王が、血の気の引いた顔のまま、悪役の表情だけは必死に保っていた。
(この状況を、どう収拾すればいいんだ)
「ガルド、兵を下げよ、これは我と軍団長と勇者の話だ」
「は、はっ! 全員、持ち場へ戻れ!」
号令だけは立派に響いたものの、兵の山は、一人も動かなかった。
全員が、目をきらきらさせて、成り行きを見守っている。
壊れた扉の陰から顔だけを出した兵が、十数人はいた。
「しかし魔王様、勇者殿の処遇が気になって」
「ここで解散したら、続きが分かりません」
(観客だ、完全に観客になっている)
そのとき、床を揺らす重い足音が、廊下の奥から響いてきた。
現れたのは、岩のような体躯の巨人である。
第四軍団長のドルガン・ストーンが、小脇に真新しい扉を抱えて、無言で広間へ入ってきた。
兵の山を軽々とまたぎ、壊れた蝶番を引き抜き、新しい扉をはめ込むまでに要した時間は、およそ五秒。
「……承知」
それだけ言い残して、彼は踵を返しかけ、ぴたりと足を止めた。
「……請求、第一軍団へ」
「なぜ私なのですか!?」
「……蹴破った、のは、お前」
ドルガンは、それだけを告げると、のっそりと去っていった。
リリティアは口をぱくぱくさせたが、反論の余地は、一ミリもなかった。
◆
「ごほん、気を取り直しまして」
リリティアは、スーツの襟を正し、背筋をぴんと伸ばして、アリアに向き直った。
視線は、ゼロスに向けられない。
彼女は、勇者の顔だけを、ひたすらまっすぐに睨みつけている。
「勇者殿、改めて名乗らせていただきます、私は魔王軍第一軍団長リリティア・イグニス、魔王様の秘書官にして右腕、この三年間、一日も欠かさず魔王様にお仕えしてきた者でございます」
「はい、リリティアさん、よろしくお願いします」
「よろしくなど、いたしません!」
アリアは、にこにこと穏やかな笑顔を崩さない。
その笑顔が、かえって、じわじわと圧を生んでいた。
「魔王様のお世話は、この三年間、私がすべて務めてまいりました、勇者殿の出る幕はございません」
「それは、素晴らしいことだと思います、では、少しだけ質問をさせてください」
「何なりと、どうぞ」
「今朝の魔王様の、睡眠時間は、どれくらいでしたでしょうか」
「そ、それは」
リリティアの尻尾が、ぴくりと固まる。
「魔王様は、我ら凡人とは違い、長い睡眠を必要とされませんので、きっと、ほんの少しで」
「お顔の色は、いかがでしたか」
「万全にございます!」
「リリティアさん」
アリアは、少し身を乗り出して、穏やかに言った。
「魔王様のお顔を、きちんと見たことは、ありますか」
びくっ、とリリティアの肩が跳ねた。
言い返そうとして口を開き、そのまま何も出てこずに、また閉じる。
(そうか、彼女は三年間、一度も俺の顔を見ていないんだった)
ゼロスは、玉座の上で、心の中で頷いた。
おかげで顔色がバレなかったのだから、感謝すべきなのだが、こうして改めて指摘されると、なかなか気まずい事実である。
「そ、それは、恐れ多くて、畏れ多くて、魔王様のお顔を直視するなど」
「では、今、見てみてください」
「えっ」
「私の見立てでは、魔王様は睡眠が足りておらず、お体も冷えていらっしゃいます、それをご自身の目で確かめないまま、お世話係を名乗るのは、決算書を一度も見ずに決算を語る経理担当のようなものです」
(的確すぎて、俺が反論できない)
リリティアは、ぷるぷると震えながら、顔を上げようとした。
金色の猫目が、ゆっくりと、ゼロスのほうへ動いていく。
顎のあたりまで来て、首元まで来て、あと数センチで、目が合うというところで。
「む、無理でございますっ!」
彼女は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んでしまった。
「魔王様のお顔を見たら、心臓が爆ぜます! 爆ぜて死にます!」
「爆ぜるな、貴様、それでも第一軍団長か」
「だって、だって、尊すぎて、お眩しくて、あああ」
指の隙間から見える耳が、真っ赤に染まっている。
スペード型の尻尾が、ぐるぐると渦を巻いていた。
アリアは、そんな彼女を見下ろして、ほんの少しだけ、目を細める。
「……お気持ちは、とても、よく分かります」
「勇者殿に、私の何が分かるのですか!」
「お顔を見ると、胸がいっぱいになって、息ができなくなりますよね」
アリアの頬が、ほんのり桜色に染まった。
それは、共感であり、同時に、ライバルを認めた者の表情でもあった。
ただし、その直後、蒼い瞳から光がすうっと消える。
「ですが、魔王様の健康に関しては、私は一切、妥協いたしません」
「だ、誰が妥協しろと言いましたか」
「お世話係の座を、お譲りするつもりも、ございません」
「それは私の台詞です!」
◆
「そ、それに、私には魔王様と交わした、大切な約束がございます!」
リリティアは、涙目のまま立ち上がり、ばっと胸を張った。
「決戦の後に、私のお願いをひとつ、聞いてくださると、魔王様は確かにお約束くださいました、そうですよね、魔王様!」
ゼロスの背筋に、冷たいものが走った。
(旗が、回収しに来た)
死亡フラグとして立てたはずの約束が、死なないせいで、そのまま有効になってしまっている。
「お願い、ですか」
アリアが、静かに首をかしげた。
蒼穹の瞳が、ハイライトのないまま、ゼロスのほうへ、ゆっくりと向けられる。
「魔王様、その、お願いの内容を、教えていただけますでしょうか」
「……知らぬ」
「知らない、のですか」
「まだ、聞いていない」
二人の視線が、同時に、ゼロスに突き刺さった。
片方は、涙と期待と嫉妬の混じった、金色の猫目。
もう片方は、穏やかな笑顔のまま、何も映さない蒼穹。
(まずい、非常にまずい、このままでは、広間が戦場になる)
アリアが本気で怒れば、聖剣など抜かずとも、床に蜘蛛の巣を走らせることができるのを、ゼロスは先ほど目の当たりにしたばかりだった。
ここは、魔王として、事態を収めなければならない。
「静まれ!」
ゼロスは、玉座の肘掛けを叩いて立ち上がり、広間の隅々まで届く悪役の声を響かせた。
兵の山が、ぴたりと静まり返る。
二人の少女も、息を呑んで、こちらを見た。
(何か、何か言わないと、何かもっともらしい理由を)
頭の中で、前世の取引先対応のストックが、猛烈な勢いで検索された。
そして、ひとつの、とんでもない言い訳に辿り着いた。
「……これは、我の策だ」
「策、でございますか」
「そうだ」
もう後には引けなかった。
ゼロスは、悪役の笑みを深くして、重々しく続ける。
「勇者を我の手元に置き、人類側の内情を引き出し、連盟を内側から切り崩す、そのためにあえて勇者を懐柔し、手厚くもてなしているのだ」
「ま、まさか」
「勇者を我が手で討つのは容易い、だが、それでは人類の希望を折るのみで、連盟の腐敗を暴けぬ、ゆえに生かしたまま取り込む、これこそが我の描いた筋書きだ」
嘘八百である。
口から出任せを並べながら、ゼロスは自分でも感心するほど、すらすらと言葉が出てくるのに驚いた。
前世のクレーム対応で培った「もっともらしい理屈を即興で組み上げる」技術が、こんな場面で火を噴いたのだ。
しばしの沈黙のあと、リリティアが、はっと顔を上げた。
「…………深謀遠慮!」
彼女の瞳が、みるみるうちに輝きを取り戻していく。
尻尾が、ぴしぴしと嬉しそうに左右へ振れた。
「勇者殿を殺さず、味方にして、人類を内側から崩す、なんという壮大な策。そうとは知らず私は勇者殿に無礼な口を!」
「うむ、分かればよい」
「申し訳ございませんでした、魔王様! このリリティア、深謀遠慮を疑った己を恥じます!」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げられて、ゼロスは、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。
兵の山からも、「さすが魔王様だ」「そこまで見抜いていたなんて」と、感嘆のどよめきが沸き上がる。
(ごめん、全部、出任せなんだ)
◆
「では、そういうことでしたら」
アリアが、穏やかな声で口を開いた。
にこりと微笑んで、ゼロスを見上げる。
「策でしたら、私は魔王様のお側を離れてはいけませんね」
「……は?」
「勇者が魔王様のお側を離れたら、懐柔も、内情の聴取も、成立しませんので、二十四時間できる限りお側にお仕えいたします」
「いや、そこまでは」
「策ですので」
にっこり、である。
(……あ)
ゼロスは、ようやく気づいた。
自分の口から出た嘘の策が、そのまま自分の逃げ道を塞ぐ檻になっている。
自分で掘った穴に、自分で綺麗に落ちたのだ。
「で、でしたら、勇者殿の監視役はこの私が務めます!」
リリティアが、慌てて割り込んだ。
「べ、別に、魔王様のお側に居たいからではなく、あくまで、魔王様の策を万全にするための監視任務として!」
「はい、リリティアさん、よろしくお願いします」
「よろしくなど、」
言いかけて、リリティアは、アリアが差し出した手をじっと見つめた。
しばらく、ためらってから、二本の指だけでそっと握り返す。
「……手が、温かい、泥棒猫のくせに」
「ありがとうございます」
ぎゅ、と握り返したアリアの手に、強化された腕力がうっかり乗った。
「いたたたた! 痛い、痛いです、握力が!」
「あ、失礼いたしました」
「勇者殿は、力の加減を、覚えてください!」
涙目で手を振るリリティアを見て、アリアはくすくすと笑った。
その笑顔が、ほんの少しだけ、本物の友情に近いものに見えたのは、ゼロスの気のせいではないだろう。
(意外と、気が合うのかもしれないな、この二人は)
「あらあら、まあまあ、収まったようでございますねえ」
兵の山の上から、おたまを持ったままのマルガが、のんびりと声をかけてきた。
「それで魔王様、勇者様のお部屋は、どちらにご用意いたしましょう」
「魔王様の寝室の、お隣でお願いします」
「却下です!」
アリアの即答に、リリティアの即却下が完璧な間合いで重なった。
ゼロスは、こめかみを押さえて、深いため息をつく。
「……客間のうち、我の寝室から最も近い部屋を、用意せよ、これも策の一環だ」
「かしこまりました。すぐに支度いたしますわね」
マルガが、にこにこと兵を従えて去っていく。
その後を、ガルドや兵たちが、「魔王様の策だ」「俺たちは何も聞かなかった」と呟きながらぞろぞろとついていった。
最後に赤絨毯の上へ取り残された聖剣を、アリアが人差し指と親指だけで、ひょい、と拾い上げた。
「魔王様の寝室の壁に、飾っておきますね」
「却下です、物騒すぎます!」
リリティアの叫びが、すぐ横で重なった。
(世界でいちばん雑に扱われている聖剣だな)
◆
こうして玉座の間にはようやく静けさが戻った。
リリティアは、「準備がございますので」と言い残し、頬を膨らませたまま退室していく。
扉の前で振り返り、アリアに向けて、びしっと指を突きつけた。「勇者殿、魔王様に指一本触れたら承知しませんから、監視しておりますよ!」
「はい、リリティアさん、いつでもどうぞ」
「べ、別に、勇者殿のことを気に入ったわけではありませんからね!」
ばたん、と扉が閉まった。
閉まった扉は、新品らしく、実に静かに閉まった。
そして玉座の間に残されたのは、ゼロスとアリアの二人だけである。
「魔王様」
アリアは聖剣を抱えたまま、くるりとゼロスのほうを向いてふわりと微笑んだ。
「策、ということにしてくださって、ありがとうございます。お優しいですね」
「……別に、貴様のためではない、あの場を収めるための方便だ」
「はい、存じております、ですが、おかげで、堂々とお側にいられます」
嬉しそうに頬を染めて、アリアはつま先で小さく跳ねた。
その仕草が、あまりにも無邪気で、ゼロスは、返す言葉を失ってしまう。
「それでは魔王様、今夜から、よろしくお願いします」
「……何を、だ」
「六時間は、必ず、寝ていただきますからね」
蒼穹の瞳にうっすらと星の光が戻っていた。
その笑顔は、やわらかく、とても可憐で、そして、どこまでも逃げ道がなかった。
(……六時間? 俺は、三時間が基本だったんだが)
こうして、討たれるはずだった魔王の、監視付きの、看病付きの、最悪にして最高の日々が静かに幕を開けた。




