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死にたがり魔王ですが、早く討たれたいのに勇者が同居を始めました 〜吐血を隠していたら、全部知られていて看病されています〜  作者: のびろう。
第1章 魔王は今日、討たれて円満退職する予定でした 〜決戦の日に勇者が剣を抜かず、吐血も本音も全部バレていた件〜

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第1話 決戦の朝、魔王は吐血を隠して出勤する 〜「勇者を通せ」と命じただけなのに、部下が全員泣きながら接待の準備を始めました〜

魔王の朝は、吐血から始まる。

ゼロスは寝台の縁に腰かけたまま、口元に当てた白いハンカチへ静かに咳を吐き出した。

布に広がる赤は昨夜から数えて四枚目になる。

(決戦の朝くらい少しは手加減してくれてもいいだろうに)

誰にともなく文句を言いながら、血に濡れたハンカチを畳んで引き出しの奥にしまった。

洗濯係に出すわけにはいかないので、あとで自分でこっそり洗うことになっている。

部下のミスの後始末は店長の仕事だったから、自分の吐血の後始末が上手くなるのも考えてみれば自然な流れだった。


左肩の傷は、まだじくじくと疼いている。

勇者アリアがどこかで負った裂傷が、同じ場所に同じ痛みとして居座っているのだ。

夜のうちに包帯を巻いておいたおかげで血は止まったが、痛みのほうは一向に引いてくれない。

クローゼットを開けると、漆黒に金糸の軍服がまったく同じ形で三着並んでいる。

血で汚れた昨日の一着を脱ぎ捨て、予備の一着目に袖を通した。

(残りは二着か。足りるといいが)

足りなくなる前に死ぬ予定なので、たぶん足りる。


鏡の前に立つと、銀髪に真紅の瞳の青年がいつもどおり不健康そうな顔でこちらを見返してきた。

目の下の隈は前世から付き合いの続く古い相棒である。

ゼロスは眉間に皺を寄せ、口の端を冷たく吊り上げて、最高に悪そうな顔を作ってみせた。

「待ちわびたぞ、勇者よ」

悪くない。

初手の台詞は昨夜、三時間悩んだ末に「待ちわびたぞ」で確定したのだ。

企画会議なら即日で決裁が下りる出来だと思う。


◆


部屋を出た瞬間ゼロスは足を止めた。

廊下の両側に魔王軍の兵がずらりと整列していたからである。

誰ひとり口を開かず、全員が胸に拳を当て、目をうるませたまま微動だにせずこちらを見つめていた。


(……何だ、この沿道は。出棺か?)

いや、昨夜リリティアが「何も聞くな、ただ従え」と徹底した結果なのだろう。

質問ひとつ出ない職場というのは、管理職としては理想のはずなのになぜか背筋が寒かった。

ゼロスが一歩進むたびに兵たちが一斉に敬礼を送り、廊下の端から嗚咽が聞こえてくる。


(泣くな。頼むから泣かないでくれ。こっちが居たたまれなくなる)

悪役の威厳を保ったまま歩くにはここの廊下は少し長すぎた。

階段の下では恰幅のいい女性が盆を抱えて待ち構えていた。

厨房を預かる料理長のマルガである。


「魔王様! 今朝はせめて、これだけでも召し上がってくださいまし!」

差し出されたのは湯気の立つ肉まんだった。

マルガの目も赤く腫れている。

「全軍が、今日で世界に幕が下りると申しておりまして……もしかしたら、これがお別れの朝ごはんになるかもしれませんから」

「……我はまだ、どこにも行かぬ」

(終わるのは世界じゃなくて、俺の勤務なんだが)


訂正したい気持ちをこらえてゼロスは肉まんを受け取った。

吐血のあとで食欲などまるでないものの、泣いている相手の好意を無下にするのは彼の流儀に反する。

ひと口かじると母親のような優しい味が舌に広がって、不覚にも少し胸が詰まった。

(ここの人たちは本当に温かいな)

その温かい人たちを置いて討たれることに後ろめたさがないわけではない。

だからこそ、せめて引き継ぎ書くらいはきちんと残しておこうと思った。


◆


玉座の間はすでに決戦の準備を整えていた。

黒曜石の床は鏡のように磨き上げられ、壁の燭台には新しい火が灯り、広間の奥の玉座だけが静かにゼロスを待っている。

その手前に立っていたのは第一軍団長のリリティアだった。


「おはようございます、魔王様!全軍、配置につきました!

ご命令どおり何も訊かずただ従っております!」

「うむ。ご苦労」

ゼロスは玉座に腰を下ろし、肘掛けの陰でこっそり左肩を押さえた。

リリティアは今日も報告書に視線を落としたままこちらを見ない。


(相変わらず、見事に目が合わないな)

そのおかげで顔色の悪さも包帯の膨らみも、一切気づかれずに済んでいる。

彼女の視線が床に釘付けなのは、ある意味最高の防御なのだった。


「最終確認をさせていただきます。勇者アリアが城門に到着した際の対応方針をお聞かせください!」

ここが肝心な場面だ。

ゼロスは昨夜から用意していた指示を口にした。

「勇者が来たら誰にも手を出させるな。そのままここまで通せ。……髪の毛一本、傷つけるな」

理由は二つある。


一つ目は、こちらの兵に死傷者を出したくないこと。

二つ目は、勇者に傷がつけばその分の痛みが全部こっちに来ること。

後者のほうが本音ではやや重い。

(痛いのは嫌なんだ。本当に)

ところがリリティアは息を呑んだ。

スペード型の尻尾がぴんと真上に伸びる。


「か、髪の毛一本、傷つけずに……玉座へ、お通しする……!万全の状態の勇者を、魔王様ご自身の手で完膚なきまでに叩き伏せる!それによって人類の希望そのものを最も美しい形で折るおつもりなのですね!」

「え、いや、我はただ——」

「なんと冷酷で、なんと完璧な……!承知いたしました!

城門から玉座まで赤絨毯を敷き、道中の全ての罠を解除し、『勇者様ご一行はこちら』の案内板を設置いたします!

勇者がお疲れでしたら休憩所もご用意いたしましょう!」

早口でまくし立てる彼女の頬はすっかり紅潮していた。


(それはもう、決戦じゃなくて接待だ)

止めたい。

今すぐ止めて、「勘違いだ」と訂正したい。

だが、「実は傷つけたくないだけなんだ」と本音を言えば、そこに至る事情まで説明しなくてはならなくなる。

自己犠牲は誰にも明かさないと決めているのだ。


(管理職の辛いところだな。部下の暴走を止めたくても止められない)

ゼロスは玉座の肘掛けに指を沈め、悪役の顔のまま重々しく頷くことしかできなかった。

「……任せる」

「はいっ! お任せくださいませ!」

リリティアは踵を返し扉へ向かって駆け出した。

だが扉の手前でぴたりと足を止めると、急にもじもじとスーツの裾をいじり始める。

尻尾の先が、ふにゃりとハートの形に丸まっていた。


「あの、魔王様。決戦が終わりましたら……ひとつだけお願いがございます」

床に向かって言っている。

完全に床と会話している。

「……お願い、だと」

「はい。どうか、私の願いを……聞いていただけますでしょうか」

「…………」

ゼロスの頭の中で警報が鳴り響いた。

決戦の前に「終わったらお願いがある」と告げるのは物語において最も典型的な死亡フラグである。

しかも今回は、死ぬ予定の俺ではなく生き残る予定の彼女の側に勝手に旗が立っているのだ。


(約束を守れない側の罪悪感をどうして俺が背負わなきゃならないんだ)

断れば彼女は傷つく。

受ければ、守れない約束を残して逝くことになる。

前世で何度も味わった、板挟みの感覚だった。

「…………うむ。聞こう。すべてが終わったらな」

「! はい、必ず! 楽しみにしております!」

弾むような足音と一緒にリリティアは出ていった。

扉が閉まるのを見届けてから、ゼロスは玉座に深くもたれ小さく息を吐く。


(引き継ぎ書に、一行足しておこう)

『リリティアのお願いを、聞いてやってくれ』と。

その瞬間、喉の奥がせり上がりゼロスは慌ててハンカチを口に押し当てた。

五枚目は赤く染まったまま軍服の袖に隠された。


◆


それから、しばらくして。

玉座の間の扉が勢いよく開け放たれた。

飛び込んできたのは門番のガルドである。

大柄な体を折り曲げて息も絶え絶えに膝をついた。


「ほ、報告!勇者アリア、城門に到着いたしました!

ご命令どおり、誰も手を出さずにお通ししております!」

「……ご苦労。それで、勇者の様子は」

「それが、その……剣を、鞘に収めたまままっすぐこちらへ歩いて来られます!

道中の兵ひとりひとりに、丁寧に会釈をしながら!」

ゼロスは思わず玉座の肘掛けを握りしめた。


(……剣を、抜いていない?)

原作の勇者は魔王城に足を踏み入れるときには必ず抜刀していたはずだ。

ゼロスは玉座の背に身を預け、最高に悪そうな顔を作り直す。

左肩の痛みはまだ消えていない。

遠くの廊下から静かな足音が一歩ずつ近づいてきていた。

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