転生先は魔王の玉座、前任者は全員過労死 〜円満退職(=討伐)まで、あと一晩〜
「魔王様。勇者アリアは明朝には魔王城へ到着の見込みでございます」
玉座の上で、ゼロスは口の中の血を静かに飲み込んだ。
鉄の味がする。
今日で何度目か、もう数えていない。
「……そうか」
低く答える。
魔王の声は、震わせない。
顔色が悪いのは「生まれつき」で通っているのでそこは問題ない。
玉座の前で報告書を読み上げているのは第一軍団長リリティア・イグニス。
紫のウェーブヘアに金色の猫目。
スリット入りの秘書官スーツの背で、小さなコウモリの羽がぱたぱたと跳ねている。
そして彼女は、報告書から一度も顔を上げない。
(転生して数か月後のあの日以来、この秘書官は俺と目を合わせないんだよな)
おかげで顔色がバレない。
ありがたい話ではある。
「各軍団の士気は最高潮でございます!
第二軍団は武具の手入れを三周、第三軍団は城内の罠を全点検、第四軍団は兵糧を三日分上乗せいたしました!」
「……うむ」
「さらに領内の件ですが先月の犯罪件数はゼロでございました!
すべて魔王様の御威光の賜物です!」
(犯罪ゼロの魔王領って何だ)
ゼロスは肘掛けの下で、そっと拳を握る。
(原作の魔王領は、瘴気にまみれた荒野だったはずだぞ)
「ちなみに勇者アリアは十七歳。聖剣を携えほぼ単身で進軍してきたとのことです!
二か月間、一度も足を止めなかったとか。
実に勇ましい御方でございます!」
(十七歳、か)
精神年齢五十代の身としては複雑だった。
あの年頃の子供に人殺し同然の仕事を頼むのだ。
(せめて、できるだけ痛くない形で終わらせてやらないとな)
「それと魔王様。ご即位からまもなく三年でございます」
「……三年、か」
三年。
歴代の魔王は在位数年で全員が衰弱死している。
城の記録にはそう書いてあった。
(離職率の高さで言えば前世のブラック企業が可愛く見えるな)
そのとき、左肩に鋭い痛みが走った。
(……っ)
熱い。
何かが裂けた。
黒い軍服の内側を、ぬるりと温かいものが伝っていく。
ゼロスは眉ひとつ動かさない。
ポーカーフェイスは店長時代に嫌というほど鍛えられた。
(勇者め、またどこかで怪我をしたな)
痛みで滲む視界の先で磨かれた黒い床が鏡のように揺れた。
そこに映る銀髪の青年の顔が三年前の記憶と重なる。
◆
三年前。
とある保険代理店のバックヤードで佐藤健は倒れた。
五十代、店長。
部下のミスの謝罪文を書き、クレームの矢面に立ち、誰もやりたがらない案件を「じゃあ俺がやるよ」と丸ごと抱え込んだ末の深夜零時すぎだった。
薄れる意識の中で、思った。
(ああ、これでやっと休める)
唯一の趣味は通勤電車で遊ぶRPGだった。
『アトラスティア・サーガ』。
先週クリアしたばかりの勇者が魔王を討つ王道の物語である。
あのエンディングは悪くなかった。
討たれた魔王がどこか救われたように見えたのだ。
(ああいう終わり方ならいいな)
それが最後の記憶だった。
目を開けると黒曜石の玉座の間にいた。
見覚えがある。
画面越しに何十回も見た、ラストダンジョンの最奥だ。
磨かれた床に映るのは銀髪に真紅の瞳の青年。
十八歳ほどの若い顔。
目の下には、前世と同じ濃い隈。
(魔王ゼロス・ルシフェリア……俺が、ラスボス?)
状況を飲み込む前に、視界の端へ半透明の文字が浮かんだ。
『エンディング到達時、転生者は■■■■へ退場します』
肝心の部分が文字化けしている。
読めない。
目を凝らした瞬間文字は消えた。
それきり、二度と現れていない。
(エンディング到達で退場……つまり、勇者に討たれて物語が終われば「元の世界へ帰還」ってことか)
前任の魔王は数日前に亡くなったらしい。
空いた玉座になぜか俺が座っている。
なぜ俺なのかは分からない。
ただ、やることは決まった。
原作どおり勇者に討たれればいい。
そうすれば帰れる。
そのはずだった。
◆
「……魔王様? 魔王様!」
声に呼ばれて、意識が玉座の間へ戻る。
リリティアが顔は上げないまま報告書の端から様子をうかがっていた。
スペード型の尻尾の先がはてなマークの形に揺れている。
「お加減が……いえ、失礼いたしました。魔王様は深いお考えの最中でございましたね」
「……ああ」
ゼロスは玉座に深く身を沈め悪役の声音で呟いた。
「明日ですべてが終わるな」
本音である。
勇者に討たれて、このブラックな職場から円満退職できるのだから。
ところが。
リリティアの尻尾がぴんと立った。
「す、すべてが終わる!? つまり明日、人類の命運を決する、と!」
「ん?」
「全軍に通達いたします! 魔王様は明日で世界に幕を引かれるおつもりだと!」
「待て、我は——」
「ご安心ください! 魔王様の深謀遠慮は一言たりとも外へ漏らしませぬ!
全軍に『何も聞くな、ただ従え』と徹底いたします!」
(それは報連相が逆だ。聞け。むしろ聞いてくれ)
扉が閉まる音。
彼女はすでに廊下の彼方を駆けていた。
静寂。
(……終わるのは、俺の勤務なんだが)
訂正は、もう間に合わない。
◆
扉が閉まって五秒。
ゼロスは、ごほ、と咳き込んだ。
握っていたハンカチが赤く染まる。
(今日だけで三枚目か)
魔王領が澄んでいる理由は一つしかない。
魔族が放つ瘴気を、魔王が一身に引き受けて浄化する仕組み。
【魔王の呪縛】だ。
歴代の魔王は最低限だけ処理して残りを領内に放置した。
だから荒野になり全員が早死にした。
ゼロスは全量を処理している。
困っている部下を放置できない前世からの職業病だ。
その代償がこの慢性的な吐血である。
もう一つ、厄介なものがある。
【魂の還元】。
顔と名前を覚えて、守りたいと思った相手の負傷、呪い、疲労を、全部こちらへ回す呪いだ。
軽減はなく解除もできない。
配下は全員最初から登録済み。
門番のガルドから当番兵のトトまで名簿を丸暗記した結果である。
(店長の癖で、部下の名前を覚えただけなんだが)
そして二か月前、名簿に新しい名前が一つ増えた。
勇者アリア。
(討ちに来る相手の傷まで引き受ける魔王がどこにいる)
(しかも勇者に弱られたら俺が討たれ損ねる。笑えない矛盾だ)
原作を知る身としてはあの子を放ってもおけなかったのだ。
左肩の傷はまだ疼いている。
けれど誰にも言わない。
自己犠牲なんて知られたら部下に気を遣わせる。
そんな職場は、最悪だ。
黒い軍服は血が目立たない。
予備も三着、クローゼットに揃えてある。
万全だ。
誰にも気づかれていない。
そう、完璧に。
段取りも三年かけて練り上げた。
威圧、挑発、第一形態、そして第二形態。
原作どおりに運べば、誰も傷つけない後味のいい悪役のまま討たれて終われる。
台本は、すでに十二稿目になる。
初手の台詞は「よくぞ来た、勇者よ」で決まっていた。
……はずだったのだが。
(いや、「待ちわびたぞ」のほうが悪役の貫禄が出るか?)
(決戦前日に台詞を悩む魔王って、どうなんだ)
前世の企画会議で、資料の言い回しに三時間かけた記憶がよみがえる。
職業病は転生しても治らないらしい。
心残りは死んだ後の魔王領くらいだ。
(引き継ぎ書は書いておくか。立つ鳥跡を濁さず、だ)
ゼロスは玉座を立ち窓辺へ歩いた。
瘴気の晴れた夜空に星が瞬いている。
歴代の魔王領で星が見えた夜はなかったという。
(悪くない景色だ)
(明日、俺は討たれる。そして、帰る)
痛いのは嫌だが、それも一瞬のことだ。
ゼロスはひとり静かに笑った。
——彼は、まだ知らない。
明日、玉座の間に現れる勇者が剣を抜かないことを。
そして、彼の隠し事が最初から全部バレていることを。




