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死にたがり魔王ですが、早く討たれたいのに勇者が同居を始めました 〜吐血を隠していたら、全部知られていて看病されています〜  作者: のびろう。
第3章 勇者捕獲の祝宴が始まります 〜討たれ損ねた魔王は乾杯の挨拶で本音を言いたいのに、席次表戦争と婚礼の噂が大暴走しました〜

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第16話 勇者の挨拶は、なぜか全軍に完璧に届いた 〜魔王の乾杯は一言も届かなかったのに、「魔王様の睡眠を守る会」が800人で結成されました〜

アリアが、リリティアを抱えたまま、兵たちの波に飲み込まれそうになったその時、背後から、静かな声が響いた。


「勇者様、リリティア様は、わたくしが、お預かりいたします」


ネフェリアが、完璧な角度で進み出て、眠る秘書官を、軽々と受け取った。

そして、アリアにだけ聞こえる声で、小さく付け加える。


「勇者様は、どうぞ、宴を」

「ありがとうございます、ネフェリアさん」

「別に、礼を言われるようなことは、しておりません」


ネフェリアは、リリティアを抱えたまま、すっと人混みの向こうへ消えていった。

その直後、アリアの周りは、800人の兵たちに、ぎっしりと取り囲まれた。

上座の席から、ゼロスは、その光景を、複雑な気持ちで眺めている。


「勇者殿! お話を、聞かせてくだされ!」

「そうだ! 壇上へ! 壇上へ!」

「勇者殿の、ご挨拶を!」


あれよあれよという間に、アリアは、兵たちの手で、広間の奥の小さな壇の上へ、担ぎ上げられてしまった。

困り顔で、きょろきょろと周囲を見回す姿が、なんとも小動物のようで愛らしい。

(……あの子は、本当に、人を惹きつけるな)

ゼロスは、杯を傾けながら、そっと目を細めた。

アリアは、一度、深呼吸をして、胸の前で両手を合わせる。


「ええと、皆さま、このたびは、お招きいただき、ありがとうございます、アリア・ヴァンガードと申します、捕虜、という立場ですが、魔王様に、大変お世話になっております」


広間が、しん、と静まり返った。

兵たちは、身じろぎひとつせず、勇者の言葉に聞き入っている。

(……なんだ、この静けさは)

ゼロスの乾杯の挨拶では、あれほど騒がしかったのに。

同じ800人が、まるで別人のように、真剣な顔で、耳を傾けている。


「皆さまに、ひとつだけ、お願いがあります」


アリアは、ぴっと人差し指を立てた。


「魔王様は、お休みになるのが、とてもお下手です、どうか、夜遅くに、書類や相談事を、お持ち込みになるのは、おやめください、午後11時以降は、魔王様の就寝時間です」

「…………」

「あと、お夜食の差し入れも、ご遠慮ください、魔王様は、遠慮なさらずに、全部食べてしまわれるので」


一瞬の静寂のあと、広間が、どっと沸いた。


「おお! そういえば、魔王様は、夜遅くまで!」

「俺、先月、午前2時に、書類を持って行った!」

「俺もだ! あの時、魔王様、嫌な顔ひとつせず」

「なんてことだ、俺たちが、魔王様の睡眠を、削っていたのか!」


どよめきは、すぐに、決意の叫びへと変わっていった。


「守ろう! 魔王様の睡眠を!」

「魔王様の睡眠を守る会、結成だ!」

「午後11時以降は、魔王様の部屋には、近づかない!」


(……なんだ、この一体感は)

ゼロスは、杯を持ったまま、呆然としていた。

彼の三年間、誰も、止めてくれなかった夜更かしが、勇者のたった一言で、800人の軍の総意に変わってしまった。

(俺の挨拶は、一言も届かなかったのに)

少しだけ、ほんの少しだけ、悔しい。

だが、それ以上に、胸の奥が、あたたかかった。


◆


壇上から降りたアリアは、あっという間に、質問攻めにあった。


「勇者殿! 魔王様とは、どんなお暮らしを!」

「魔王様は、普段、どんなお方ですか!」

「勇者殿! 魔王様の、好物は!」


アリアは、ひとつひとつ、丁寧に、笑顔で答えていく。


「魔王様の、好きなものは、静かな夜と、温かいお茶です、苦手なものは、ニンジンです」

「えっ」

「ニンジンを、ナプキンに隠して、持ち帰ろうとなさいます」

「ええええ!?」

「あの、魔王様が!?」

「かわいい」


兵たちの間に、どよめきが広がる。

ゼロスは、杯を持ったまま、ぷるぷると震えていた。


「貴様、余計なことを、話すな!」

「あ、魔王様、お聞きになって」

「魔王様、照れておられる!」

「魔王様、お顔が、お赤い!」


「赤くない!」


上座から叫んだゼロスの声は、兵たちの大爆笑に、あっさりとかき消された。

アリアは、くすくすと笑いながら、少しだけ、頬を染めて、続ける。


「魔王様は、書類を、期限の3日前に、終わらせてしまわれる、とても、真面目なお方です、でも、真面目すぎて、ご自分のお体のことは、後回しになさいます」

「分かる」

「うちの上官にも、そういう方が」

「魔王様は、本当に、お優しいのだ」


兵たちの目が、うるうると潤んでいく。

その熱気の中で、兵のひとりが、おずおずと、手を挙げた。


「あの、勇者殿、ひとつだけ、お聞きしても、よろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

「勇者殿は、魔王様のことを、どう、思っておられますか」


広間が、再び、静まり返った。

全員が、息を詰めて、アリアの答えを待っている。

ゼロスの心臓が、どくん、と跳ねた。

(待て、それは)

止めようとしたが、遅かった。

アリアは、まっすぐな瞳で、迷いなく、答えた。


「お慕いしております」


一瞬の沈黙の後、広間が、爆発した。


「うおおおおお!」

「やはり、そうなのか!」

「婚礼だ! 婚礼の宴だ!」

「ちがう! 断じて、ちがう!」


ゼロスの悲鳴は、完全に、かき消された。

アリアは、頬を桜色に染めて、小さく俯いている。

その横顔が、あまりにも愛らしくて、ゼロスは、目を逸らすしかなかった。


◆


宴の熱気が、少し落ち着いた頃、アリアは、ひとりの鬼族の男の前で、足を止めた。

バルザークである。

彼は、杯を片手に、壁際で、じっと勇者を見つめていた。


「勇者よ、ひとつだけ、聞かせてほしい」

「はい、何でしょうか」

「貴様は、魔王様を、どうしたいのだ」


低く、静かな声だった。

その目には、武人らしい、まっすぐな光があった。

同時に、ほんのわずかな、懸念の影が、見え隠れしている。


「貴様は、強い、それは認めよう、だが、魔王様の隣に立つ者に、必要なのは、強さだけではないぞ」

「はい、存じております」


アリアは、真面目な顔で、頷いた。


「魔王様の隣に、必要なのは、ご飯と、睡眠です」

「…………は?」

「それと、ニンジンの見張りです」


バルザークは、一瞬、きょとんとした顔で固まった。

やがて、肩が、小刻みに震え始め、それから、豪快な笑い声が、広間に響き渡る。


「がっはっはっは! ご飯と、睡眠、か! なるほど、それは、確かに、そうだ!」

「はい、大事なことです」

「面白い、実に、面白い小娘だ!」


バルザークは、勇者の肩を、ばしんと叩いた。

アリアは、ほんの少しだけ、ぐらついて、「お手柔らかに」と苦笑する。

だが、笑い終えたバルザークは、ふと、真顔に戻って、低く呟いた。


「……魔王様を、頼むぞ」

「はい」

「だが、もし、魔王様が、何か、道を誤るようなことがあれば」


言いかけて、彼は、ぐっと口をつぐんだ。

アリアは、その言葉の続きを、静かに待っている。

バルザークは、大きく息を吐いて、苦笑した。


「……いや、なんでもない、忘れてくれ」

「はい」


彼は、杯を一気に呷って、豪快な笑顔を取り戻し、人混みの中へ消えていった。

その背中を、アリアは、じっと見つめている。

(……あの人は、魔王様を、本当に、大切に思っているのだな)

遠くから眺めていたゼロスも、同じことを感じていた。


「おやおや、勇者殿は、人気者ですねぇ」


背後から、ふらりと、シェイドが現れた。

薄い笑みを浮かべたまま、アリアの隣に、並ぶ。


「ところで勇者殿、魔王様のお体を、お診みになっている、と伺いましたが、どのように」

「はい、お顔の色と、お食事と、睡眠を、毎日、確認しております」

「それだけ、ですかねぇ」

「それだけです」

「魔王様の、お顔色の悪さの、原因までは」

「魔王様が、お話しくださるまで、お待ちしています」


さらりと、穏やかな笑顔で、答える。

嘘は、ひとつもない。

シェイドは、細い目をさらに細めて、くつくつと笑った。


「おやおや、奥ゆかしい、実に、奥ゆかしい」

「ありがとうございます」

「では、お邪魔しましたねぇ」


彼は、ひらひらと手を振って、影のように、去っていく。

その背中を、見送りながら、アリアは、静かに、ほっと息をついた。


◆


宴は、深夜に向けて、ますます賑わっていった。

アリアの周りには、いつの間にか、小さな人の輪ができている。

彼女は、ひとりひとりの名前を、丁寧に聞き取って、笑顔で呼びかけていた。


「ガルドさん、いつも、門を守ってくださって、ありがとうございます」

「ゆ、勇者殿が、俺の名前を」

「トトさん、先ほどの大歓声、とても、素敵でした」

「うわあ、勇者殿に、褒められた!」

「マルガさん、お料理、とても美味しいです、お手製のパイを、ありがとうございます」

「まあまあ、嬉しいわあ」


兵たちが、次々と、感動に打ち震えている。

その様子を見ながら、ゼロスは、ふと、ある一つの違和感に気づいた。

(……なぜ、あの子は、全員の名前を、知っているんだ)

考えてみれば、彼女は、ゼロスの体から伸びる、無数の線を、見ていたのだろう。

魔王が、顔と名前を覚えた者たち、そのすべてに、繋がる線を。

それは、彼女にとって、名簿のようなものだったに違いない。


「魔王様は、皆さんのお名前を、一人残らず、ご存じです」


アリアは、誇らしげに、兵たちに語りかけていた。


「ですから、私も、覚えたくなりました」

「魔王様が、俺の名を!?」

「知っていてくださったのか!」

「勇者殿、ありがとうございます!」


兵たちの感動は、とどまるところを知らない。

いつの間にか、広間の一角には、『勇者殿を見守る会』と書かれた、手作りの小さな旗まで、掲げられていた。

ゼロスは、静かに、遠い目になった。

(……俺の部下が、勇者の、非公式の、ファンになっていく)

だが、それは、不思議と、悪い気分ではなかった。

胸の奥が、じんわりと、温かくなる。

彼女が、皆に愛されていくことが、まるで、自分のことのように、嬉しかった。


「あっ!」


そのとき、広間の中央で、小さな悲鳴が上がった。

ガシャン、と何かが割れる音。

見れば、トトが、人混みに押されて、持っていた皿を落としたところだった。

割れた皿の破片が、彼の左の掌を、ざっくりと切り裂いている。


「いてっ!」

「トトさん、大丈夫ですか!」


アリアが、すぐに駆け寄った。

だが、その瞬間。


(……っ)

ゼロスの左の掌に、焼けるような痛みが走った。

熱い、何かが、じわりと、溢れ出してくる。

(……来た)

ゼロスは、さっとテーブルの下に左手を隠した。

指の間から、赤いものが、ぽたり、ぽたりと、落ちている。

トトの傷と、同じ場所、同じ深さで。


(まずい、広間の真ん中で)

ゼロスは、慌てて、ナプキンを掴んで、掌を覆った。

そして、ちらりと、広間の向こうの、アリアを見る。

彼女は、トトの傷の手当てに、かかりきりになっていた。

だが、ふいに、アリアが、はっと顔を上げた。

蒼い瞳が、まっすぐに、ゼロスを捉える。

線が、見えたのだ。

ゼロスは、唇をほとんど動かさずに、ひとことだけ、呟いた。


「……雨だ」


遠くのアリアが、小さく、こくりと頷いた。

唇の動きだけで、意味は伝わったらしい。

同時に、広間の遠い席で、気だるげにあくびをしていた、ひとりの女性が、ぴくりと、鼻を動かした。

ヴェルミナが、ゆっくりと、顔を上げた。

眠たげだった目が、すっと、獣のように、細くなる。


「……鉄の匂い、だね」


宴の夜は、まだ、終わらない。

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