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死にたがり魔王ですが、早く討たれたいのに勇者が同居を始めました 〜吐血を隠していたら、全部知られていて看病されています〜  作者: のびろう。
第3章 勇者捕獲の祝宴が始まります 〜討たれ損ねた魔王は乾杯の挨拶で本音を言いたいのに、席次表戦争と婚礼の噂が大暴走しました〜

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第14話 乾杯の挨拶で「勝っていない」と言ったら、全軍が謙虚さに感動した 〜本当のことが一言も届かない、世界一伝わらないスピーチ〜

祝宴の前夜、ゼロスの執務室には、くしゃくしゃに丸められた紙が、山のように積み上がっていた。

机の前で頭を抱える魔王の隣で、アリアが、赤ペンを片手に、真剣な顔で原稿をのぞき込んでいる。

白いワンピースの肩から、ほどいた金髪が、さらりと流れ落ちた。


「魔王様、第3稿の書き出しですが」

「うむ、読んでみてくれ」

「『本日は、お忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます』」

「何か、問題でもあるか」

「丁寧すぎます、これでは、取引先への挨拶です」


(しまった、前世の癖が、まったく抜けていない)

ゼロスは、ぐしゃりと原稿を丸めて、後ろへ放り投げた。

その紙は、きれいな放物線を描いて、廊下の柱の陰へ消えていった。

そこから、ひそやかな「あっ」という声が聞こえたのは、気のせいだろうか。


「では、悪役の口調に、直しましょうか」

「それでは、意味がない、我は、素の言葉で話したいのだ」

「素の、言葉」

「ああ、勝っていないこと、討たれ損ねたこと、嘘を重ねてきたこと、これだけは、飾らずに、伝えたい」


ゼロスは、新しい紙に、ゆっくりとペンを走らせた。


『一、我は、勝っていない 二、我は、討たれ損ねただけだ 三、皆を騙して、すまなかった』


「……とても、短いですね」

「長いと、聞いてもらえんからな、前世で、長い挨拶は、嫌われる」

「はい、実体験に基づいた、素晴らしい判断です」


アリアは、うんうんと頷いて、その紙を、愛おしそうに見つめた。

それから、ペンを取って、一行だけ、そっと書き足す。


『四、それでも、ここにいたい』


「待て、それは、書いていない」

「私が、書き足しました」

「勝手に、書き足すな!」

「では、心の中で、追加しておきます」


アリアは、悪戯っぽく片目を閉じて、紙を机の上に置いた。

ゼロスは、顔を真っ赤にして、四行目に、大きな二重線を引く。

だが、その上から、うっすらと、元の文字が透けて見えていた。

(……消えて、いないじゃないか)

胸の奥が、ざわざわと、落ち着かない。

そんな夜が、三晩、続いた。


◆


そして、祝宴の夜が、やってきた。


魔王城の大広間には、800人を超える兵たちが、ぎっしりと詰めかけていた。

壁には、巨大な横断幕が、堂々と掲げられている。

『勇者捕縛 大勝利祝宴』

ただし、その四隅には、いつの間にか、小さなハートの飾りが、びっしりと貼り付けられていた。

(誰が、貼ったんだ、あれは)

ゼロスは、遠い目になった。

リリティアが「婚礼の噂は、公式には否定いたしました」と胸を張っていたが、兵たちの意志は、横断幕に、静かに刻まれている。


長いテーブルの上座に、ゼロスは座っていた。

右隣にはリリティア、左隣にはアリアがいる。

正面の席には、バルザークがどっかりと座り、その斜め後ろでは、シェイドが、薄い笑みを浮かべて杯を傾けている。

ずっと遠くの端の席では、ヴェルミナが、気だるげに足を組んで、こちらを観察していた。

背後には、ネフェリアが、完璧な姿勢で立ち席に控えている。


「皆様、ご静粛に! これより、魔王様のご挨拶を頂戴いたします!」


リリティアの号令が響くと、800人の兵たちが、一斉に、静まり返った。

ゼロスは、杯を手に、ゆっくりと立ち上がる。

手のひらが、じっとりと汗ばんでいた。

アリアが、隣で、小さく囁く。


「魔王様、お天気は」

「……晴れだ」

「承知しました、がんばってください」


ささやかな暗号に、少しだけ、勇気が湧いた。

ゼロスは、大きく息を吸い込んで、広間の兵たちを、見渡した。


◆


ずらりと並んだ顔が、ゼロスを見上げている。

どの顔も、期待と尊敬と、純粋な喜びで、きらきらと輝いていた。

門番のガルド。

料理長のマルガ。

当番兵のトト。

名前を覚えている顔が、いくつも並んでいる。

(……三年間、俺が、守りたいと思った、顔だ)

胸が、きゅっと締めつけられた。

それでも、ゼロスは、口を開いた。


「諸君、聞いてほしい」


広間が、しん、と静まる。


「我は、勝って」

「魔王様ぁぁぁ! 万歳ぃぃぃ!」


突然、広間の後方から、割れんばかりの大歓声が上がった。

トトが、感極まって、叫んでしまったらしい。

それを皮切りに、「魔王様万歳!」の大合唱が、800人の喉から、轟音のように響き渡る。


(……最初の一言も、言えなかった)

ゼロスは、杯を持ったまま、しばらく、嵐が過ぎるのを待った。

ようやく静まった頃合いを見て、もう一度、挑む。


「諸君、静粛に、我は、勝っていない」


広間が、どよめいた。

一瞬、水を打ったような静寂が落ちて、それから。


「……勝ってなお、驕らず」

「勝っていない、と仰った、つまり、勝ってなお、謙虚であられる」

「なんと、お優しい、なんと、徳の高い」

「さすがは、魔王様だ!」


(違う、断じて違う!)

ゼロスの背筋に、冷たい汗が走った。

隣で、リリティアが、目を潤ませて、うっとりと呟いている。


「……深謀遠慮、勝ってなお、勝っていないと仰る、つまり、真の勝利は、これからの連盟への策に、あると」

「違う、リリティア、本当に、勝っていないのだ」

「はい、魔王様、そのお言葉の真意、このリリティア、胸に刻みました!」


聞いていない。

まったく、聞いていない。

それどころか、解釈が、さらに壮大に膨らんでいく。

ゼロスは、杯を握る手に力を込めて、さらに言葉を続けた。


「聞け、諸君、我は、ただ、討たれ」

「ええい、魔王様の挨拶は、長いぞ! 乾杯だ、乾杯ぃぃぃ!」


バルザークが、突然、杯を高々と掲げて、立ち上がった。


「魔王様の、大いなる勝利に! 乾杯ぃぃぃ!」

「乾杯ぃぃぃ!」


800人の杯が、一斉に打ち鳴らされた。

轟音のような歓声と、杯のぶつかり合う音が、広間を揺るがす。

ゼロスは、杯を持ったまま、固まっていた。


(……終わった)

三晩かけて準備した原稿は、一行も、届かなかった。

彼は、無言で、杯を口に運んだ。

中身は、ほぼ水で割られた、薄い果実酒だった。

ネフェリアの、静かな気遣いだろう。


◆


乾杯のあと、席に戻ったゼロスは、ぐったりと椅子にもたれた。

その肩に、そっと、小さな手が置かれる。


「お疲れ様でした、魔王様」

「……何も、言えなかった」

「いいえ、ちゃんと、言おうとなさいました」


アリアの声は、とても優しかった。


「三度も、勇気を出されました、私は、見ておりました」

「結果は、同じだ」

「いいえ、違います、魔王様の言葉は、みなさんに届いていませんが、私には、届いています」


その言葉に、ゼロスは、顔を上げた。

蒼い瞳が、まっすぐに、こちらを見つめている。

そこには、ひとかけらの嘘もなかった。


「それに、魔王様、みなさん、とても、お幸せそうです」


アリアは、広間を見渡した。

兵たちは、肩を組んで歌い、杯を掲げて笑い、料理を囲んで、賑やかに騒いでいる。

その中心に、確かに、ゼロスが守ってきた日常が、あった。


「この笑顔を、壊さずに、いられるなら、もう少しだけ、このままでも、いいのではないでしょうか」

「……それは、嘘を、続けるということだ」

「はい、でも、嘘というより、まだ、お伝えするタイミングが、来ていないだけ、かもしれません」


優しい言葉だった。

けれど、その奥に、ほんの少しだけ、複雑な色が滲んでいる気がした。

(……この子は、俺が、討たれたいことを、どう思っているのだろう)

ふと、そんな疑問が、胸をよぎった。


そのとき、正面の席から、低い声が響いた。


「魔王様」


バルザークが、杯を傾けながら、じっとゼロスを見据えていた。

さっきまでの豪快な笑顔は、少しだけ、影を潜めている。


「先ほどの、『勝っていない』という言葉、俺は、少し、気になったぞ」

「……そうか」

「魔王様が、本気で、そう思っておられるなら、俺は、それを、聞きたい」


その目には、純粋な武人の、まっすぐな光があった。

同時に、ほんのわずかに、不安のようなものが、宿っている。

ゼロスは、一瞬、言葉に詰まった。


「おやおや、バルザーク殿、野暮ですねぇ」


横から、シェイドが、薄い笑みで割って入った。


「魔王様は、勝ってなお、勝っていない、つまり、まだ、先を見ておられる、そうでしょう、魔王様」

「…………ああ」


とっさに、頷いてしまった。

それが、新たな嘘を、積み上げることだと分かっていながら。

シェイドは、にやりと笑って、杯を掲げる。

その細い目の奥は、まったく、笑っていなかった。


「さあ、魔王様、杯が、空いていますねぇ、勇者殿、お注ぎしても?」

「はい、ここから先は、お酒の量を、きっちり、確認させていただきます」


アリアは、にっこり微笑んで、懐から、白いチョークを取り出した。

そして、ゼロスの杯の側面に、きゅっ、と一本の線を、引く。


「お酒は、この線まで、6割です」

「……なぜ、チョークを持っている」

「健康管理ですので」


杯に引かれた、白い線を見つめながら、ゼロスは、静かにため息をついた。

討たれ損ねた魔王は、今夜も、勇者の笑顔と、嘘と、6割の線に、囲まれていた。

その様子を、少し離れた席で、ヴェルミナが、気だるげに眺めている。

そして、さらに遠くで、手帳を握りしめたリリティアが、ぷるぷると震えていた。


「……魔王様の杯に、勇者殿が、線を、引いた」

「リリティア殿、それは、普通、嫉妬の対象では」

「べ、別に、嫉妬では、ございません! 観察、ただの、観察でございます!」


宴は、まだ、始まったばかりだった。

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