第13話 魔王軍の全員が席次表を巡って大戦争を始めた 〜勇者捕獲の祝宴なのに、魔王の隣に誰が座るかで城が真っ二つになりました〜
祝宴は、3日後の夜と決まった。
それからというもの、魔王城の朝は、一変した。
廊下には色とりどりの飾りが吊るされ、厨房からは朝から肉を焼く香ばしい匂いが漂い、兵たちは、すれ違うたびに「おめでとうございます!」と、よく分からない祝辞を叫んでいく。
その熱気の中で、ゼロスだけが、冷めた顔で、執務室の窓辺に立っていた。
(討たれ損ねたまま、宴だと)
手首のリボンはほどいたものの、あの日の「結ばれた」という大歓声が、まだ耳の奥で響いている。
祝宴の趣旨は、「勇者を捕らえた魔王軍の大勝利」である。
だが、実際の魔王は、勝ってなどいない。
勇者に、看病され、契約され、全軍の前で、手首を結ばれただけである。
(このままでは、嘘が、全軍に、固定される)
ゼロスは、ひとつの決意を、胸に固めていた。
乾杯の挨拶の場で、すべてを正直に話す。
自分は、勝っていない、むしろ、討たれ損ねたのだと。
そうすれば、少なくとも、部下たちを騙し続ける罪悪感からは、解放される。
「魔王様、第14版の席次表が、完成いたしました!」
そこへ、リリティアが、巻物を抱えて飛び込んできた。
目の下には、うっすらと、隈ができている。
徹夜で、席次表を作り続けていたらしい。
(徹夜した彼女の疲労が、そっくり、こちらに来ているな、道理でまぶたが重い)
ゼロスが目をこすっている前で、リリティアは、堂々と巻物を広げた。
「ご覧ください、魔王様の右隣は、この私、リリティア・イグニスでございます!」
「第14版、ということは、第13版までに、何があった」
「はい、第1版は、魔王様の右隣、私、第2版は、魔王様の右隣、私、第3版は」
「全部、同じではないか」
「はい、ですが、毎回、細部を、改善しております」
(改善の方向が、おかしい)
ゼロスは、静かに天井を仰いだ。
前世で、社内の忘年会の席次を巡って、部長と課長が三日間揉めた記憶が、鮮やかによみがえる。
あの時も、結局、全員が不機嫌なまま、宴会は終わった。
◆
「それでは、第1回、席次表委員会を、開催いたします」
昼過ぎ、城の奥の大会議室に、主要メンバーが集められた。
議長席には、名誉議長として、なぜか、ゼロスが座らされている。
円卓を囲んでいるのは、リリティア、アリア、ネフェリア、ヴェルミナ、マルガ、そして、無言で立つドルガンの、六人だった。
「議題は、ただひとつ、魔王様のお席の、周囲の配置でございます」
リリティアが、きりっとした顔で、全員を見回した。
「まず、魔王様の右隣は、筆頭秘書官たる、私が務めます」
「異議があります」
アリアが、すっと手を挙げた。
「魔王様の、お食事の管理と、お酒の量の確認のため、私は、お隣の席で、常に、お皿と杯を見ている必要があります」
「勇者殿は、左隣でよいでしょう」
「いいえ、右隣のほうが、魔王様の利き手側ですので、お皿の中身を、確認しやすいのです」
「そんな理由が、通るものですか!」
リリティアの尻尾が、ぴしぴしと机を叩く。
アリアは、にこにこと、穏やかな笑顔のまま、蒼い瞳の星を、すうっと消した。
「リリティアさん、ニンジンの件は、ご存じですか」
「に、ニンジン?」
「魔王様は、ニンジンを、ナプキンに隠して、持ち帰ろうとなさいます」
「な、なんと」
「私が、すぐ隣で、見張っていなければ、いけないのです」
(……勝手に、俺の弱みを、バラすな)
ゼロスは、遠い目になった。
リリティアは、悔しそうに唇を噛み、ぷるぷると震え出す。
「では、私が、左隣から、ニンジンを見張ります!」
「いいえ、私が右隣で」
「いいえ、私が」
「お二人とも、お落ち着きくださいませ」
ネフェリアが、静かに、割って入った。
「わたくしは、給仕のため、お席には、つきません、魔王様の背後に、立ち席で控えます」
「それは、ずるいのでは」
「ずるくはございません、給仕とは、そういうものでございます」
涼しい顔で言い放つネフェリアの横で、ヴェルミナが、気だるげに、手を挙げた。
「あたしは、魔王様の、真正面の席を、希望するよ」
「却下します」
「早いね、勇者ちゃん」
「診察は、宴の場では、お断りです、距離は、2メートル以上、離れてください」
「宴会で、2メートルって、広間の端じゃないか」
ヴェルミナは、あくびを噛み殺しながら、ゼロスのほうを、じっと見つめた。
その視線に、ゼロスは、思わず背筋を伸ばす。
(……あの目は、まだ、俺の匂いを、諦めていない)
そこで、ドルガンが、のっそりと、一歩前に出た。
「……椅子、八百、不足」
「ふ、不足ですって!?」
「……予算、第一軍団」
「また、私ですか!?」
リリティアの悲鳴が、会議室に響いた。
マルガだけが、おたまを片手に、のんびりと微笑んでいる。
「あらあら、皆さん、席なんて、どこに座っても、料理は、美味しいのよ」
「それが、正論すぎて、誰も反論できません」
「ふふ、ありがとう、勇者様」
だが、その正論は、一瞬で、かき消された。
議論は、さらに、白熱していく。
右隣、左隣、正面、背後、斜め前、斜め後ろ。
あらゆる座標を巡って、少女たちの熱い言葉が、飛び交った。
(これが、会議の、末期症状か)
ゼロスは、静かに、遠くを見つめた。
◆
そのとき、会議室の扉が、轟音とともに、開け放たれた。
「魔王様ぁぁぁ! ただいま、戻りましたぞぉぉぉ!」
地鳴りのような大声とともに、筋骨隆々の大男が、のしのしと入ってきた。
赤黒い肌、片方だけ折れた角、全身に刻まれた無数の古傷。
第二軍団長、バルザーク・ドラウグである。
その後ろから、黒い外套を羽織った男が、ふらりと、影のように現れた。
薄い笑みを浮かべた、細身の男、第三軍団長のシェイド・ヴェイルだ。
「国境警備、一段落いたしましたぞ! それにしても、勇者を捕らえたとの報せ、真でございますか!」
「おやおや、これは、にぎやかですねぇ」
バルザークは、広間を見回して、豪快に笑った。
そして、円卓の隅に座るアリアに気づいて、ぴたりと足を止める。
「……貴様が、勇者か」
「はい、アリア・ヴァンガードと申します、お初にお目にかかります」
アリアは、丁寧に立ち上がって、一礼した。
その手首には、まだ、白いリボンが、巻かれている。
バルザークの目が、そのリボンに、吸い寄せられた。
「……魔王様に、手首を、結ばれたと、聞いたぞ」
「はい、結ばれました」
「勇者殿、そこは、否定してください!」
リリティアの悲鳴を無視して、バルザークは、ずしりと、ゼロスのほうへ向き直った。
その視線は、さっきまでの笑顔とは、少し違っていた。
ほんのわずかに、探るような、鋭さを宿している。
「魔王様、ひとつだけ、お伺いしたい」
「何だ」
「魔王様は、強さの象徴であるべき方、人間の小娘に、縛られるなど、あってはならぬ」
「……あれは、捕縛の儀だ、形式に過ぎぬ」
「ならば、結構」
バルザークは、ふん、と鼻を鳴らして、アリアに向き直った。
「勇者よ、貴様の力を、見せてもらおう」
「力、ですか」
「腕相撲だ、俺が勝ったら、魔王様の隣の席は、俺が頂く」
「お手柔らかに、お願いします」
アリアは、きょとんと小首をかしげて、円卓の中央に、右腕を置いた。
バルザークも、がっしりとした腕を、その隣に置く。
二人の手が、がしりと組まれた。
「はじめ!」
ネフェリアの合図と同時に、バルザークが、全力で腕を倒しにかかった。
だが、アリアの腕は、びくともしない。
それどころか、じわり、じわりと、バルザークの手の甲が、机に近づいていく。
「な、なんだと、この力は」
「あ、す、すみません、加減を」
ばきぃっ。
円卓の板が、真っ二つに割れた。
バルザークの腕は、机ごと、床に叩きつけられている。
会議室に、沈黙が落ちた。
(骨が折れていたら、今ごろ、俺の右腕が悲鳴を上げていたところだ、無傷で、よかった)
ゼロスは、ひそかに胸をなで下ろした。
「……机、請求、第二軍団」
「なっ、ドルガン、貴様ぁ!」
バルザークの絶叫が、響き渡った。
一瞬の沈黙のあと、彼は、顔を真っ赤にして、腹の底から、笑い出した。
「がっはっはっは! 面白い、面白い小娘だ! これほどの怪力を、魔王様は、手玉に取ったのか!」
「あ、いえ、それは」
「さすがは、魔王様! 俺の目に、狂いはなかったぞ!」
バルザークは、涙を流しながら、ゼロスに向かって、深く一礼した。
(……手玉に、取ってないんだが)
ゼロスは、そっと視線を逸らした。
その背後で、シェイドが、薄い笑みのまま、ゼロスの顔を、じっと観察していた。
「おやおや、魔王様、お顔の色が、悪くないですねぇ、いつもは、もう少し、青白いのに」
「……睡眠を、取っているからだ」
「それは、勇者殿のおかげ、ですかねぇ」
その目は、笑っているのに、何かを、探っているようだった。
アリアが、静かに、ゼロスの隣へ、半歩、近づいた。
◆
結局、席次表の問題は、ゼロスの、ひとことで、決着した。
「全員、くじ引きだ、ただし、我の隣の二席は、リリティアと、アリアとする」
「ま、魔王様、その二席は」
「異論は、認めぬ、これも、策の一環だ」
リリティアは、ぽっと頬を染めて、嬉しそうに頷いた。
アリアも、ほっとしたように、微笑む。
その隣で、バルザークは、「正面は、俺だ!」と叫び、ヴェルミナは、「遠くの席から、観察するよ」と、気だるげに笑った。
会議が散会したあと、ゼロスは、ひとり、廊下の窓辺に立っていた。
夕陽が、城の石壁を、茜色に染めている。
隣に、アリアが、そっと並んだ。
「魔王様、お疲れ様でした」
「……ああ」
「今日は、なんだか、嬉しそうなお顔をされていますね」
「そうか?」
「はい、少しだけ」
ゼロスは、咳払いをして、顔を逸らした。
そして、ぽつりと、言った。
「……アリア、乾杯の挨拶で、全部、話そうと思う」
「全部、とは」
「我が、勝っていないこと、討たれ損ねたこと、嘘を、重ねてきたことを」
アリアは、じっとゼロスを見つめて、それから、ふわりと、微笑んだ。
「素敵なお考えだと、思います」
「そうか」
「では、挨拶の原稿を、一緒に作りましょう」
「……一緒に?」
「はい、魔王様一人だと、また、『善処する』で、終わってしまいそうですので」
悪戯っぽく、片目を閉じる勇者に、ゼロスは、ぐうの音も出なかった。
窓の向こうでは、兵たちが、祝宴の飾りつけを、笑いながら続けている。
その光景を、ゼロスは、少しだけ、眩しそうに、見つめていた。




