第12話 勇者が自ら「捕虜届」を提出しに来た 〜手首にリボンを結んだ瞬間、全軍が「結ばれた」と大歓声を上げました〜
翌朝の執務室で、アリアは、机に向かって一心不乱に筆を走らせていた。
昨夜の会議の最後に宣言した、人類連盟への報告書である。
ゼロスは、その背後から、書きかけの文面をのぞき込んでは、なぜか自然に赤ペンを握っていた。
『拝啓 魔王は衰弱し、現在、勇者の監視下で、拘束中にあります』
「待て、『拘束中にあります』は、重複表現だ、『拘束中です』で足りる」
「あ、本当ですね、ご指摘ありがとうございます」
「それと、『衰弱し』の後は、読点を入れたほうが読みやすい」
「承知しました」
勇者が書いた報告書を、魔王が校正している。
(なぜ俺は、自分を弱体化させる文書の、添削をしているんだ)
前世の管理職の癖で、誤字脱字を見ると、直さずにいられない。
そんなゼロスを、アリアは、にこにこと見上げていた。
「魔王様、とても、頼もしいです」
「別に、貴様のためではない、文書の品質を保つのは、管理職の責務だ」
「はい、存じております」
ゼロスは、ごほんと咳払いをして、文面の続きに目を通した。
ふと、あることに気づいて、眉をひそめる。
「待て、この『拘束中』は、事実ではないのでは」
「いいえ、事実です」
「我は、貴様に拘束されてなど」
「同居契約書の第5条に、魔王様の退職願は、無期限に受理しないとあります、これは、拘束にあたります」
アリアは、きっぱりと言い切って、にっこり微笑んだ。
「契約による拘束です、嘘は、ひとつも、書いておりません」
(……契約書が、拘束具になっていたのか、昨夜の署名が)
ゼロスは、がっくりと机に手をついた。
保険屋として、署名の重みを、これほど痛感したことはない。
アリアは、筆を置いて、少しだけ声を潜めた。
「連盟には、嘘を見抜く力をお持ちの方が、おられると聞いています、ですから、すべて、本当のことだけを書きます、ただし、全部は書かない、それだけです」
「真実の一部で、押し通すのか」
「はい、それが、いちばん、安全ですので」
蒼い瞳が、静かに、窓の外を見つめている。
その横顔には、少しだけ、憂いの影が差していた。
◆
昼前になって、執務室の扉が、勢いよく開いた。
「魔王様! 勇者殿の捕虜届を、頂戴に参りました!」
飛び込んできたのは、巻物を抱えたリリティアと、その後ろに控える、無表情のネフェリアだった。
リリティアは、きりっとした顔で、一枚の書類を机の上に広げる。
『捕虜届出書 氏名 身長 捕獲日 捕獲者 拘束場所 待遇希望』
「勇者殿を、正式に捕虜として登録いたします、魔王軍の規定では、捕虜の届け出は、全軍への通達と、捕縛の儀を、必須としております」
「捕縛の、儀?」
「はい、魔王様の手で、勇者殿を、全軍の前で、捕らえる儀式でございます、士気の向上と、示威のために」
(また、とんでもない行事を、作り出したな、この秘書官は)
ゼロスは、頭を抱えそうになった。
だが、リリティアの目は、きらきらと輝いている。
昨日の策の続きとして、彼女の中では、すでに壮大な計画が、完成しているのだろう。
「ご安心ください、勇者殿の待遇は、規定に従い、丁重にお取り扱いいたします」
「ありがとうございます、では、記入させていただきますね」
アリアは、嬉々として、ペンを握った。
氏名の欄に、アリア・ヴァンガード。
身長の欄に、160センチ。
捕獲日の欄に、決戦の日。
捕獲者の欄に、少しだけ考えてから、しっかりと、ゼロス・ルシフェリアと書き込んだ。
「待遇希望の欄は、こうです」
『一、睡眠は、魔王様と同じく、6時間 二、魔王様のお隣の部屋を、希望 三、毎日、魔王様のお体を、診る権利』
「待て、これは、捕虜の希望ではなく、看病の要求だ」
「いいえ、捕虜の、正当な権利です」
「勇者殿、さすがに図々しいのでは」
「でしたら、規定にある『お茶は毎日3回』も、図々しいことになりますが」
「それは、規定です!」
ネフェリアが、無言で、書類の端に、小さく何かを書き足した。
ゼロスが、のぞき込むと、そこには、こう記されていた。
『ボタン代、後払い、継続』
(まだ、覚えていたのか、あの件を)
ゼロスは、静かに、遠い目になった。
◆
捕縛の儀は、その日の午後、玉座の間で、行われた。
壊れた扉は新品に取り替えられ、赤絨毯が、再び、堂々と敷かれている。
広間の両側には、魔王軍の兵たちが、ずらりと整列していた。
その中には、ガルド、マルガ、ドルガンの姿もある。
第二、第三軍団長は、国境の警備で、城を空けていた。
「静粛に! これより、勇者捕縛の儀を、執り行う!」
リリティアの号令が、広間に響き渡った。
玉座に座るゼロスの前に、白銀の騎士装束に身を包んだアリアが、聖剣を携えず、ゆっくりと歩み出る。
輝く金髪は、今日は高い位置で結ばれ、堂々とした勇者の姿だった。
(……やはり、この姿は、凛々しいな)
ゼロスは、思わず見とれそうになって、慌てて悪役の顔を作り直した。
「勇者アリア・ヴァンガードよ、貴様は、我が魔王軍に、敗れた」
「はい」
「よって、貴様を、我が捕虜とする」
形式的な台詞を言い終えて、ゼロスは、玉座を降りた。
手には、捕縛用の、細い白い絹のリボンが握られている。
リリティアが「縄は、あまりに非人道的ですので」と手配した、白い絹である。
そのリボンを、ゼロスは、アリアの、右手首に、そっと巻いた。
「……動くなよ」
「はい」
細い手首に、柔らかな絹が、一周、二周、結ばれていく。
アリアは、頬を染めて、うつむいていた。
その指先が、かすかに震えている。
そのとき、アリアは、ゼロスにだけ聞こえる声で、囁いた。
「魔王様、リボンの、反対側の端を」
「何だ」
「魔王様の手首にも、結んでいただけますか」
「……なぜだ」
「捕虜と捕獲者は、離れてはいけませんので」
にっこり、と微笑む勇者の瞳に、一片の迷いもなかった。
(……また、論理で、逃げ道を)
ゼロスは、観念して、残りのリボンを、自分の左手首に、巻きつけた。
二人の手首が、一本の白い絹で、ふわりと結ばれる。
その瞬間。
「…………結ばれた」
誰かが、ぽつりと呟いた。
それを皮切りに、広間の空気が、爆発した。
「魔王様と勇者殿が、結ばれた!」
「手首を、結ばれた!」
「これは、婚礼の儀か!」
「おめでたい! おめでたい!」
「違う、断じて違う! これは、捕縛だ!」
ゼロスの悲痛な叫びは、兵たちの大歓声に、あっさりとかき消された。
涙を流して手を叩く者、旗を振り回す者、なぜか、胴上げを始めようとする者まで現れた。
アリアは、頬をほんのり桜色に染めて、ぽつりと呟いた。
「……はい、結ばれましたね」
「貴様、認めるな!」
「ですが、事実です、リボンで、結ばれていますので」
にこにこと、悪びれずに、手首のリボンを持ち上げてみせる。
その愛らしさに、ゼロスは、返す言葉を、完全に失った。
「あらあら、まあまあ、おめでたいわねえ」
マルガが、おたまを持ったまま、うっとりと涙ぐんでいた。
その隣で、ドルガンが、無言で、ずしり、と足を踏み出す。
「……承知」
「ど、ドルガン、何を承知したのだ」
「……祝宴、予算、第一軍団」
「なぜ私の予算なのですか!?」
リリティアの悲鳴が、広間に響いた。
彼女は、真っ赤な顔で、尻尾をぐるぐる回しながら、ふらふらとよろめいている。
そして、突然、ぴたりと止まって、両手を天に掲げた。
「……そうです、これは、祝宴の、チャンスです!」
「は?」
「勇者殿捕縛の祝宴を、全軍で、盛大に執り行います! 準備は、私が全責任を持って!」
その目は、完全に据わっていた。
嫉妬と興奮と使命感が、複雑に入り混じった、危険な輝きである。
(まずい、止められない)
ゼロスは、静かに、手首のリボンを見つめた。
隣では、アリアが、嬉しそうに、その端をそっと握っている。
◆
夜になって、ようやく、広間は静けさを取り戻した。
ゼロスの寝室の窓辺で、アリアは、夜空を見上げていた。
ゼロスの手首のリボンは、儀式が終わってすぐに、ほどいている。
けれど、アリアは、自分の右手首の分だけは、「お守りです」と言って、外そうとしなかった。
「魔王様、今日は、お疲れ様でした」
「……疲れたのは、貴様のせいだ」
「はい、すみません、でも」
アリアは、振り返って、ふわりと笑った。
「これで、魔王軍の皆さんにも、人類連盟にも、私たちの、居場所ができました」
「居場所、か」
「はい、魔王様が、討たれなくても、いい理由が、増えていきます」
ゼロスは、返す言葉を見つけられなかった。
討たれる計画は、まだ、頭の中に残っている。
けれど、今日の兵たちの、あの笑顔を思い出すと、胸の奥が、ちくりと痛んだ。
窓の外では、黒い魔鳥が、夜空へ飛び立っていくところだった。
連盟への報告書を、足に結びつけて。
その影を、アリアは、静かに見送っていた。
「あの鳥が、戻る頃には、連盟は、きっと、動き出します」
「……来るのか、連盟が」
「はい、でも、大丈夫です」
アリアは、リボンの巻かれた手首を、そっと持ち上げた。
白い絹が、月明かりに、淡く光る。
「私が、魔王様を、守りますから」
その声は、小さく、けれど、確かな意志を宿していた。
ゼロスは、何も言えずに、ただ、彼女の手首に光る白い絹を、見つめていた。
窓の向こうでは、城のどこかから、遠く、祝宴の準備に浮かれる、兵たちの歌声が聞こえてくる。
魔王と勇者の同居は、こうして、また一つ、予想外の方向へと、転がっていった。




