第11話 魔王の「善処する」は約束ではないと勇者に見抜かれた 〜同居契約書に「善処の定義」と「ニンジン2倍」が書き加えられました〜
夕食の席で、事件は起きた。
魔王城の食堂の長いテーブルに、料理長マルガ特製の、胃に優しい定食が並んでいた。
やわらかく煮込んだ野菜のスープ、白身魚の蒸し物、ふっくらとしたパン。
ゼロスは、悪役の威厳を保ったまま、ひとつずつ、黙々と平らげていく。
その皿の端に、鮮やかなオレンジ色の物体が、ひっそりと残っていた。
(ニンジンだけは、前世から、どうしても無理なんだ)
ゼロスは、さりげなく、左手でナプキンを広げて、その上にニンジンをそっと滑り落とした。
そのまま、ナプキンを丸めて、懐へ。
完璧な犯行だった。
ところが、向かいの席で、静かにスープを口に運んでいたアリアが、ぴたりと手を止めた。
「魔王様、ニンジンが、2切れ、足りません」
「……何の話だ」
「配膳された数は、6切れでした、召し上がったのは、4切れです」
「数えていたのか、そこまで」
「はい、健康管理ですので」
アリアは、にっこり微笑んだまま、スプーンを置いた。
蒼い瞳から、星の光が、すうっと消えていく。
「懐の中を、拝見してもよろしいですか」
「……だ、断る」
「お断りは、お断りします」
ゼロスは、観念して、ナプキンの包みを取り出した。
遠くの席で、マルガが「あらあら、見つかっちゃったのねえ」と、楽しそうに笑っている。
(……この勇者、俺の逃げ道を、すべて塞いでくる)
ゼロスは、涙目でニンジンを口に運び、無言で咀嚼した。
その様子を、リリティアが、少し離れた席から、手帳に書き込んでいる。
「午後6時42分、魔王様、ニンジンを、召し上がる、お勇ましい、いえ、お可哀想」
◆
食事のあとで、ゼロスたちは、城の奥の小さな会議室に集められた。
(念願の、会議室だ)
あの決戦の日、玉座の上で「誰か会議室を押さえてくれ」と願った場所が、まさか、自分の健康管理のために使われることになるとは、思わなかった。
円卓には、四人分の席が用意されている。
議長席にはゼロスが、その左右にアリアとリリティアが、向かい側にネフェリアが、書記として控えていた。
「それでは、第1回、同居ルール会議を、始めます」
進行役を務めるのは、なぜか、アリアである。
議長のはずのゼロスは、お飾りのように、真ん中で背筋を伸ばしていた。
アリアは、きびきびとした手つきで、議題の書かれた紙を全員に配る。
『議題 一、自由意志の尊重について 二、食事と睡眠について 三、その他(非公開)』
「議題一、自由意志の尊重について」
アリアが、すっと立ち上がった。
「私は、魔王様に対して、洗脳、薬、魔法、監禁、これら四つを、一切行いません、魔王様の意志は、常に、魔王様ご自身のものです」
「勇者殿、それは、当然のことでは」
「はい、当然のことです、ですが、当然のことほど、書面にしておく必要があります」
アリアは、さらさらと、羊皮紙に、一文を書き加えた。
ネフェリアが、無言で、それを清書していく。
「ただし、お願いが、ひとつだけございます」
「聞こう」
「魔王様が、ご自身の命を、危険に晒すような行動を、取られる場合は、事前に、私に、ご相談ください」
穏やかな声だった。
けれど、その一言は、会議室の空気を、わずかに引き締めた。
リリティアが、はっと息を呑む。
(……この勇者は、俺が、また、討たれに行く可能性を、本気で警戒しているのか)
ゼロスは、返事をしなかった。
いや、できなかった。
アリアは、それを肯定とも否定とも受け取らず、ただ、静かに、次の議題へ進んだ。
「議題二、食事と睡眠について」
食事は1日3回、苦手な野菜を含めて、残さず食べること。
睡眠は、6時間睡眠令を、引き続き施行すること。
入浴は、浴室の外で待機する者が、30分を超えた場合、声をかけること。
「入浴の待機は、私が担当します」
「却下です!」
「却下でございます」
リリティアとネフェリアが、声を揃えて立ち上がった。
「勇者殿、不埒でございます、魔王様の入浴中に、扉の前で待機など」
「勇者様、それは、わたくしの職務の範囲でございます」
「ですが、お二人は、時間を数えて、声をかけられますか」
「そ、それは」
「私は、1秒単位で、数えられます」
アリアは、自信満々に、胸を張った。
議論は、白熱した。
結局、入浴の待機は、「メイド隊と勇者の交代制、声かけは、扉の外から、30分ごとに、3回まで」という、よく分からない妥協案に落ち着いた。
(俺は、いつから、入浴まで、管理される身になったんだ)
ゼロスは、心の中で、天を仰いだ。
「それから、第5条として」
アリアが、少し、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「魔王様の退職願は、本契約期間中、受理しないものとします」
「……就業規則の、改悪だ」
「はい、期間は、無期限です」
「無期限だと!?」
ネフェリアが、すらすらと、その一文を清書した。
リリティアは、「魔王様の退職など、そもそも、ありえません」と、胸を張っている。
(誰も、止めてくれないのか、この会議)
◆
「それでは、議題三は、非公開となりますので」
アリアの一言で、リリティアとネフェリアは、席を立った。
リリティアは、扉の前で、名残惜しそうに振り返る。
「べ、別に、魔王様のお体が心配だから、残りたいわけでは、ございませんが」
「はい、リリティアさん、お疲れ様でした」
「……べ、別に、勇者殿のことを、信頼したわけでは、ございませんからね」
ぷいっと顔をそむけて、リリティアは、足早に退出した。
ネフェリアは、清書した羊皮紙を、アリアにそっと渡して、完璧な角度で一礼する。
「お二人の議題は、ここでは、承りません」
「ありがとうございます、ネフェリアさん」
「別に、礼を言われるようなことは、しておりません」
ネフェリアが、静かに扉を閉めた。
会議室に、ゼロスと、アリアの二人だけが、残される。
ゼロスは、円卓の上で、指を組んだ。
「……議題三、と言ったな」
「はい、吐血の、ご報告についてです」
アリアは、ゼロスの向かいの席に、静かに座り直した。
さっきまでの、にこやかな進行役の顔は、消えている。
代わりに、真剣で、少しだけ、不安そうな表情が、そこにあった。
「私が、お願いしたいのは、ひとつだけです、魔王様が、吐血をされたら、5分以内に、私に、ご報告ください」
「…………」
「魔王軍の方々には、魔王様のご意向どおり、お隠しします、私も、協力します、ですが、私だけには、必ず」
アリアの手が、円卓の上で、ぎゅっと握りしめられていた。
その指先が、かすかに震えている。
「今朝のように、診察をお断りしても構いません、でも、血を吐かれたことを、私に隠されるのは、辛いのです」
「……辛い、のか」
「はい、線を見ていれば、分かってしまいますから、でも、魔王様の口から、聞きたいのです」
ゼロスは、返す言葉を探した。
本当は、隠したかった。
誰かに心配されるのも、負担をかけるのも、前世から、ずっと、苦手だった。
だが、目の前の少女の、真剣な瞳を見ていると、「嫌だ」という言葉が、喉の奥で、溶けて消えてしまう。
「……善処する」
ようやく絞り出した返事に、アリアは、ぴたりと動きを止めた。
そして、ゆっくりと、首をかしげる。
「魔王様、その、『善処する』は、約束でしょうか、それとも」
「それは、その」
「前世のお話を、伺った時に、思ったのです、魔王様は、この言葉を、きっと、たくさんお使いになったのではないかと」
図星だった。
前世で、取引先にも、部下にも、上司にも、数え切れないほど使ってきた言葉である。
そして、そのほとんどは、実行されなかった。
「『善処する』は、約束ではなく、約束しない、という意味で、使われる言葉です」
「……否定できん」
「ですから、善処の定義を、決めましょう」
アリアは、きらりと瞳を輝かせて、羊皮紙に、新しい項目を書き込んだ。
『第6条 本契約における「善処する」とは、吐血後5分以内に、アリアへ報告することを指す ただし、報告できない状況の場合は、「報告できない状況である」ことを、事前に何らかの方法で、アリアに知らせること』
「定義条項、だと」
「はい、曖昧さを排除するための、基本です」
(……定義条項を突いてくるのか、この勇者、プロだ)
前世で、保険の約款を読み込んだ経験がある身としては、その完成度に、不覚にも感心してしまった。
ゼロスは、苦笑しながら、頭をかいた。
「……分かった、認める」
「ありがとうございます、では、報告の方法ですが」
アリアは、人差し指を、ぴっと立てた。
「天気予報、方式にしましょう」
「天気予報?」
「はい、『晴れ』が、ご体調、良好、『曇り』が、不調、『雨』が、軽い吐血、『嵐』が、大量の吐血です、これなら、他の方に聞かれても、天気のお話にしか、聞こえません」
(……なんだ、その、かわいい暗号は)
ゼロスは、思わず吹き出しそうになった。
真剣な顔で、天気の記号を並べる勇者の姿が、あまりにも、愛らしかったのだ。
「では、試しに、やってみましょう、魔王様、本日のお天気は」
「……曇り、だ」
「曇りですね、承知しました、では、明日の朝食は、お粥にしましょう」
「な、なぜだ」
「お体を、お大事に、するためです」
にこにこと、書き込む勇者を見て、ゼロスは、観念したように、天井を仰いだ。
そこで、アリアは、最後の一文を、すっと書き添えた。
『第7条 報告を怠った場合、翌日の食事に、苦手な野菜を、2倍追加する』
「ペナルティが、あるのか」
「はい、ニンジンです」
「それだけは、やめてくれ!」
「報告すれば、よいだけの話です」
アリアは、悪戯っぽく、舌をちろりと出した。
ゼロスは、完全に負けた。
(この勇者、俺の弱点を、完璧に把握している)
◆
最後に、アリアは、羊皮紙を円卓の中央に置き、小さな羽根ペンを、ゼロスに差し出した。
「署名を、お願いします、同居契約書、でございます」
「……俺が、署名するのか」
「はい、魔王様の自由意志ですので」
ゼロスは、しばらく、ペンを見つめていた。
署名すれば、また一つ、逃げ道が消える。
けれど、署名しなければ、この少女の、真剣な瞳を、裏切ることになる。
(討たれる計画も、保留、か)
胸の奥で、小さな声がする。
本当に、保留なのか、それとも、もう、別の何かが始まっているのか。
ゼロスは、ひとつ、深く息を吐いて、ペンを取った。
『ゼロス・ルシフェリア』
署名を終えると、アリアは、羊皮紙を胸に抱いて、ぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます、魔王様、大事に、保管します」
「……別に、貴様のためでは」
「はい、存じております」
くすくすと笑う勇者の頬は、ほんのり紅く、潤んだ瞳には、小さな星が、ちらちらと瞬いていた。
アリアは、ふと、真面目な顔に戻って、羊皮紙の最後の余白を、指でなぞった。
「それと、もうひとつだけ、ご相談があります」
「まだ、あるのか」
「人類連盟への、ご報告です」
その一言で、会議室の空気が、また、ひやりと冷えた。
「私が、魔王城に滞在していることを、連盟は、いずれ、嗅ぎつけます、先に、私から報告書を出して、状況を、整えておきたいのです」
「報告書、か」
「はい、内容は、こうです、『魔王は衰弱し、現在、勇者の監視下で拘束中』」
アリアは、にっこりと、花のように微笑んだ。
ただし、その瞳は、ひとかけらの星の光もない、底知れない深い青に、染まっていた。
「半分は、本当ですので、嘘にはなりません」
(……この勇者、本当に、言葉の選び方が、恐ろしい)
ゼロスは、思わず身震いした。
こうして、魔王と勇者の同居は、契約書と暗号と、笑えない真実を抱えたまま、さらに深く、続いていくことになった。




