【第29話:お兄さん顔色悪すぎ!寝不足とかマジ勿体ないから】
再び襲来したヤクザのボス。
ですが、ギャル女将が注目したのはショバ代ではなくボスの「健康状態」でした。
重度の不眠症に悩むボスを、女将が強引に旅籠自慢の温泉へと連行しちゃいます!
「――お上の厳かなる御改めの掟に口を挟むなど、言語道断!
万死に値する!
直ちにこの不届き者を搦め捕れ!」
西の空を血のような朱に染める夕暮れの光の中、重々しい木造りの関所に、
割れんばかりの怒号が響き渡った。
ずらりと私を取り囲むのは、公儀の威信を背負った男たちが構える突棒、
刺股、そして鋭い槍の穂先だ。
じわじわと間合いを詰めてくる鈍い鉄の光が、
物々しい殺気を放ちながら私の身体を文字通り威圧してくる。
検問所の机の向こうで、書類を叩きつけるようにして立ち上がったのは、
髭面の関所役人――この御関所を預かる最高責任者だ。
その目は完全に据わっており、そこから放たれるガチの殺気が、
張り詰めた空気を限界まで濃縮させていく。
私の足元では、さっき決死の覚悟で飛び込んできた隣の茶屋の茂蔵さんと、
小旅籠『丸米屋』の親父が、冷たい土の床にこれでもかと額を擦りつけていた。
二人の背中は、巨大な権力への恐怖でガタガタと情けなく身を震わせている。
「ひ、ひえぇっ……!
お、お役人様、どうかお許しを!
このおなごは、生まれついてのうつけ者にございやす!
決して公儀を侮るような大それた心根は……!」
「左様にごぜいます!
ただの無知な田舎娘の不調法にございます!
どうか、どうかこの通り、平に、平にお慈悲を……っ!」
必死の形相で声を枯らし、私の命乞いをしてくれるオヤジたちの姿。
その頭上から、髭面の責任者は冷酷な眼光を突き刺す。
「どけい!
公儀の威信を汚した罪、看過できん!
そこを退かねば、お前たちごと容赦なく処断するぞ!」
その言葉は冗談でも脅しでもない。
ここは一歩間違えれば簡単に首が飛ぶ、お上の権力が絶対の江戸時代。
周囲の若い定番の役人たちも、お頭の命令一つでいつでも突き出す準備を整え、
ごくりと生唾を読み込んでいた。
普通の人間なら、この時点で腰を抜かして泣き叫ぶか、
気絶しているシチュエーション。
だけど、私の心の中に湧き上がってきたのは、
恐怖ではなく――圧倒的な『だるさ』だった。
「ヤバっ!
捕り物とかマジ物騒すぎなんだけど!」
私は怯えるどころか、むしろ呆れ交じりのため息と共に、
はっきりと声を上げた。
その瞬間、周囲の定番の役人たちの動きが僅かに止まる。
命乞いをするどころか、不満げに顔を顰めた小娘の態度が、
彼らの理解の範疇を超えていたからだ。
「な、何っ……⁉」
髭面のお頭が驚愕に目を見開いた、まさにその刹那。
私は、鋭い刺股の隙間をすり抜けるようにして、
すっと自分の片手を前に伸ばした。
そこへ、上からぽんと、力強く触れたのだ。
「き、貴様……何を、するかっ……!」
お上の象徴である武士の身体に、直に触れる町娘。
その場にいた全員の心臓が飛び出るほどの暴挙に対して、
私は至近距離から真っ直ぐに彼の目を覗き込んだ。
「ちょっとおじさん、落ち着きなよ。
そんな尖ったもの振り回して、私の首飛ばしたところでさ、
誰もハッピーにならないじゃん?」
「お、お前……、
天下の御関所を前にして、何をわけの分からぬことを……っ」
「はいはい、怒る前にまずこれ!
おじさんのイライラを一瞬で溶かす、いいもの出しちゃうから!」
我ながら圧倒的すぎるコミュ力と、底なしのポジティブバイブスをフル稼働させ、
私は武士たちの威圧感を完全に無視した。
硬直する役人たちの目の前で、私は袂の中へガサゴソと手を突っ込み、
あらかじめ旅籠の厨房で仕込んってきた竹皮の包みを、素早く取り出してみせた。
「おい、それは……なんだ。
怪しげな飛び道具か……?」
若い定番の役人が剣呑に身構える中、私が竹皮をさらりと開くと、
夕暮れの光を浴びてキラキラと黄金色に輝く物体が現れた。
とろりとした琥珀色のタレをこれでもかと纏い、
香ばしい焦げ目をつけた、出来立ての『食べ歩きみたらし団子』だ。
「お、おい……
それは……団子、か……?」
あまりにも予想外すぎる展開に、髭面のお頭だけでなく、
槍の柄を握りしめていた周囲の男たちまでもが、
一斉に彫刻のように動きを止めた。
殺気だっていた関所に、突如として醤油と砂糖が焦げた
、たまらなく甘じょっぱくて香ばしい匂いがふわりと漂う。
「お腹減ってると、人間誰でもイライラして
周りに当たり散らしちゃうじゃん?
おじさんもさ、こんな埃っぽいところで一日中立ちっぱなしで、
書類ばっかり睨んで、お腹ペコペコでしょ?
ほら、怒る前にまずはお団子食べな?」
「な、何をおなごが――むぐっ⁉」
声を荒らげようとして、ガバッと大きく開いた武士の口めがけて、
私は串からするりと外したお団子を、
ぽんと躊躇なく突き刺すように放り込んだ。
「お、おい!
お頭になんてことを!」
「曲者だ!
出会え、出会え!」
周囲の定番の役人たちが一斉に色めき立ち、槍の柄を激しく鳴らした。
床に伏せていた茂蔵さんたちにいたっては
「もう完全に終わりだ」と言わんばかりに白目を剥いて
その場に卒倒しかけている。
だが――当の責任者である武士の動きは、完全に停止していた。
「ご、ごくり……」
口の中に入った物体を、無意識のうちに咀嚼したのだろう
。彼の喉が大きく鳴った。
その瞬間、武士の切れ長で冷酷だった両目が、
これ以上ないというほど丸く、こぼれ落ちそうなほどに見開かれた。
「……っ!!」
彼の脳裏に、まるで青天の霹靂かのような、
あるいは脳髄を直接揺さぶられるような凄まじい衝撃が走っていた。
口いっぱいに広がったのは、今まで味わったことのない絶妙な甘じょっぱさと、
歯を優しく包み込むような、信じられないほどにモチモチとした柔らかな食感。
江戸初期のこの時代、
街道筋で売られている一般的な団子といえば、時間が経てばすぐに石のように硬くなり、
口に含めばボソボソとした粉っぽさが残るのが当たり前だった。
それがお上も、旅人も知る『団子』という食べ物の常識。
しかし、目の前の少女に突っ込まれたこの団子は、
完全にその常識の枠を破壊していた。
ひんやりとした夕気の中でも驚くほど柔らかく、瑞々しく、なめらかに噛み切れるのだ。
タレの奥深いコクが、大豆の香ばしさと完璧に調和して、
疲れた身体の隅々にまで甘みが染み渡っていく。
「な……なんだ、この柔らかさは……。
それに、このタレの、甘みと辛みの調和はどうだ。
ただの砂糖水ではない。
この底深いコクと艶は、一体なんなのだ……!」
「ふふん、分かっちゃう?
それ、冷めても固くならなくて、ずーっと柔らかくて美味しいように、
うるち米と糯米の配合をウチの旅籠で何回もテストして作った特製品んだよね。
タレにもね、隠し味にほんの少しの水飴を混ぜて、
艶とまろやかさを出してるの。
マジでネ申クオリティでしょ?」
私のドヤ顔に圧されながら、
武士はハッと我に返ったように自分の手元を見た。
いつの間にか、声を張り上げていた喉元の強張りが完全に抜けている。
お頭のその変化を敏感に察知したのか、
周りを取り囲んでいた全部下たちの突棒や刺股も、
どこか所在なさげにゆっくりと下ろされていった。
「お頭……?
その、本当に美味いのでございますか……?」
緊迫した空気が緩んだ隙を見計らい、
後ろの方で様子を伺っていた若い定番の役人の一人が、
ごくりと大きな生唾を飲み込みながら、
羨ましそうにお頭の顔を覗き込んだ。
見れば、他の定番の男たちも、
私の手元に残っている竹皮の上の団子を
じっと見つめており、完全に職務の集中力を失って、
お腹の虫を鳴らしている始末だ。
「美味いっしょ?
これ、ウチの街の新しい特産品なんだ。
ねえおじさん、そんな怖い顔して、捕り物道具振り回して旅人を脅してないでさ。
この関所で、待たされてる旅人さんたちにもこれ配ってあげたら、みんなハッピーじゃない?」
「旅人に、菓子を……?
お上の関所でか?」
お頭は、信じられないというように眉をひそめた。
「そうだよ!
『お疲れ様でーす!
ようこそウチらの宿場町へ!』って、
おじさんたちが最高の笑顔でこれを手渡すの。
そうすればさ、手形のチェックを何時間も待ってるだるい時間も、
みんな楽しくお団子モグモグしながら待てるじゃん。
大渋滞のイライラも、一瞬でアゲアゲに消えるって!」
「……ふん。公儀の御関所が、
旅人に色目を使って菓子を配るなど、前代未聞。
仕来りにない不届き千万な所業だ」
お頭は腕組みをしながら、
ふいっと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
だけど、その声からは先ほどまでの刺すような殺気は
微塵も感じられない。
「前代未聞だからいいんじゃん!
誰もやったことないからエモいわけ。
ねえ、『世界一優しい関所』って噂が国中に広がれば、
お上のおじさんたちの好感度も爆アゲだよ?」
「こうかんどう……?
ふん、お前という娘は、本当に調子の良いことばかりを並べる……」
髭面の武士は、呆れたように首を振りながらも、
私の手から残りの団子が包まれた竹皮の包みを、
そっと、壊れ物を扱うように受け取った。
その横顔には、冷酷な役人としての仮面の裏に、
どこか宿場町の新しい風を、新しいバイブスを面白がって受け入れようとする、
柔軟な光が灯り始めていた。
捕らえられて牢屋へぶち込まれ、打ち首になるところだった人生最大のピンチは、
たった一本のみたらし団子によって、信じられないほどの急展開を迎えた。
私たちの仕掛ける最強のバイブスは、
頑固な地元のオヤジたちだけでなく、ついに天下の関所の門番すらも、
そのハッピーな渦の中へと完全に巻き込もうとしていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
嫌がらせに来たはずが、なぜか温泉にブチ込まれたヤクザのボス。
次回、最高の湯船の中で、強面ボスの心に溜まっていた「闇」がポロポロと溢れ出します。




