【第12話:大旅籠の若旦那、ギャルマインドに完敗】
敵陣営のチーフである大旅籠の「若旦那」がスパイとして潜入!
しかし、ギャル女将の裏表のないサバサバ接客と圧倒的な人間力の前に、若旦那の硬いハートは一瞬で粉砕されてしまいます(お約束)。
「……ふん、不届きな因業宿め。お上の目を盗み、どのような邪法を売っているかと思えば」
上質な絹の着物を端正に着こなした若者が、使い慣れた扇子を固く握りしめ、ウチの旅籠の前にできた長い行列を苦々しく睨みつけていた。
彼の名は、宿場町で一番の格式を誇る大宿「大文字屋」の跡取り息子、新次郎。
ウチが評判を呼び、にわかに大はやりしたことで客足を完全に奪われ、大敗を喫した大文字屋の主・藤右衛門が、旅籠の秘密を探るべく送り込んできたカタブツの「若旦那」――つまり、スパイだった。
「化けの皮を剥ぎ取ってやる。親父を愚弄した報い、たっぷりと受けさせてくれるわ」
新次郎は冷酷な笑みを浮かべ、着物の襟をキリッと正すと、意気揚々と客を装い敷居を跨いだ。
――だが、一歩足を踏み入れた瞬間、彼の身体は凍りついた。
(な、なんだ……この、胸を突くような瑞々しい活気は……!?)
館内に満ちていたのは、今までのどの宿でも体感したことのない、圧倒的な心地よさだった。
埃一つない畳には柔らかな日の光が差し込み、風が綺麗に通り抜けていく。
そして何より、給仕をする女中たちの顔が、信じられないほど明るい。
「いらっしゃいませ! どうぞ、空いているお席へ!」
盛り髪をしたきよが、キラキラ光るデコ髪飾りを揺らし、心からの笑顔で旅人たちを迎えている。
義務や恐怖の苦役で動いている奉公人は一人もいない。
新次郎の知る大文字屋の、あの張り詰めた、冷徹でギスギスした空気とは完全に真逆の世界だった。
「……チッ、形ばかりを取り繕いおって。内実はどうだか分かったものではないな」
新次郎は動揺を隠すように、あえて大きな足音を立てて小ぎれいな畳座敷へと上がり、勧められた円座へどっかりと腰を下ろした。
すると、廊下の奥から軽い足音が近づいてきた。
「はーい、お待たせ! 遠くからわざわざありがとね、お兄さん!」
お茶を乗せたお膳を自ら持って現れたのは、私だった。
新次郎は、私の団十郎茶の袖を捲り上げた格好や、裏表のないサバサバした態度に一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに冷ややかな視線で私をねめ回した。
「……ふん。小宿の女将が、自ら客に茶を運ぶか。どこまでも品格の欠片もない宿場町の手落ちだな。これだから新参の泥宿は軽蔑されるのだ」
これ見よがしな嫌味。普通の旅籠なら、格式ある大宿の若旦那にそんなことを言われれば顔を真っ白にして平伏するところだ。
帳場の隅で様子を伺っていたおじいちゃんも「ひっ……!」と息を呑んで震え上がっている。
だが、私は怯えるどころか、クスッと笑って新次郎の顔をまじまじと覗き込んだ。
「え、お兄さん真面目すぎ! そんなに眉間にシワ寄せてたら、せっかくのイケメンが台無しじゃん!」
「な……な、何だと!? 無礼千万な……っ!」
「あはは、怒んないの! もっと肩の力抜きなよ、ほら、これ食べな? ウチの自信作だから!」
新次郎がガタガタと肩を震わせて激昂しかけたその時、私はお膳の上に、あの噂の神スイーツ『大豆とハチミツの和風パフェ』をバチンと差し出した。
汲みたての冷たい井戸水でキンキンに冷やされたギヤマンの器。その中で、白、茶、黄金色の美しい層が、日の光を浴びて宝石のようにキラキラと輝いている。
「……な、なんだ、この妖しげな器は。このようなもので、この私が騙されると――」
「いいから口に入れなって。マジで飛ぶから!」
私のまばゆいほどの笑顔と、真っ直ぐな勢いに気圧され、新次郎は毒気を抜かれたように竹で作られた小ぶりなヘラを握らされていた。
不届きな証拠を掴むためだ、と己に言い聞かせ、彼は層を崩すようにして一口分を口へと運んだ。
――一噛みした、その瞬間だった。新次郎の身体が、ビクッと大きく跳ね上がった。
(――っ!? な、なんだこれは……甘い、美味すぎる……!)
葛粉でぷるぷるに固めた豆乳の練り菓子の滑らかな舌触り。
そこへ、カリカリとしたおからのクランチの香ばしさと、濃厚なハチミツの優しい甘みが一気にお口の中で爆発した。
(大豆とハチミツだけで、これほどまでに洗練された贅沢な味が作れるというのか……!?)
衝撃のあまり、新次郎の脳裏には、実家である大宿「大文字屋」の光景が、次々と目の裏に浮かんでは消えた。
金に物を言わせて問屋場を脅し、食材を囲い込んで作らせる、豪華だがどこか冷めきった、格式ばかりの堅苦しい本膳の料理。
奉公人たちを牛馬のように使い潰し、恐怖とルールで縛り付けることで、辛うじて維持していた「本陣の格式」。
(それに比べて、この旅籠はなんだ……。誰もがハッピーに、命を輝かせて働いている。だからこそ、この器の中にこれほど豊かな情が宿るのだ……!)
新次郎は、器を見つめたまま、ガタガタと激しく震え出した。
身分の垣根なんて最初から気にも留めず、誰に対しても優しく、真っ直ぐに向き合ってくる私の「ギャルマインド」。
その圧倒的なエネルギーに、彼のカタブツな心は、根底から激しく揺さぶられていた。
「……私が、間違っていた」
「え、お兄さん、何か言った?」
私か首を傾げると、新次郎は突然、器を置くと床に両手をつき、ポロポロと涙を流し始めた。
「ひっ、わ、若旦那様!? お口に合いませんでしたか!?」
おじいちゃんが腰を抜かして慌てふためくが、新次郎は猛烈な勢いで首を横に振った。
「違う! 違うのだ! この新次郎、己の愚かさが恥ずかしくてならん! お上の御用や、大宿の看板という虚名にすがり、形ばかりを押しつけて、客の心をないがしろにしていた我が大文字屋の商いこそ、浅ましく、無粋の極み……! 人を生かし、真に心を満たすこの小旅籠こそが、天下無双の、真の『粋』というものだ……!」
「お、お兄さん……!」
新次郎は顔を跳ね上げると、涙で濡れた目をギラギラと輝かせ、私の両手をガシッと掴んだ。
「お咲殿と言ったな! 私は完全に、貴殿のその……『ばいぶす』とやらに魅了された! 生涯、断固としてこの宿の、いや、貴殿の大贔屓となろう!」
「ヤバっ! お兄さん、激デレじゃん! ウケるんだけど!」
「笑うてくれ! 私は誓う! 大文字屋に戻り、親父の仕組んだ卑劣な仕入れの差配や、買い占めの企てを私が身を賭してねじ伏せ、この美しい旅籠に二度と手出しはさせぬと誓おう!」
「え、実家の不正を身を挺して止めるとか、お兄さんマジで男前じゃん! 超カッコいい!」
私が親指を立ててパチンとウインクを飛ばすと、新次郎は顔を熟したほおずきのように真っ赤にしながら、しかし力強く何度も頷いた。
実家から送り込まれた最強のカタブツスパイが、ギャル流のおもてなしとスイーツによって、まさかの身内を揺るがす熱狂的なファンへと上書きされた瞬間だった。
「おじいちゃん、しけた面はもう終わり! ウチらの完全勝利の波、マジで確定演出来ちゃってるっしょ!」
「あ、ああ……! 大宿の若旦那様までもを心服させてしまうとは、お前は本当に、畏れ多いおなごじゃな……!」
おじいちゃんが嬉し泣きしながら深く頷き、きよや佐助、料理長も「やったーーー!」と厨房で抱き合って大歓声を上げた。
大文字屋の仕掛けてきた最大の裏工作を、ギャルマインドで見事にノックアウトし、最強の逆転劇を収めた小旅籠の土間には、どこまでも明るい、ハッピーな日の光が燦々と降り注ぐのだった。
若旦那、まさかの寝返り(笑)。
これで大旅籠からの嫌がらせも完全に終結です。
次回は第1部の締めくくり!ボロ旅籠が最高の栄誉を手にし、従業員たちと最高のハッピーを分かち合います!




