第8話 親切の裏側
カルドナの街並みが見えてきたのは、ロウレル村を発って三日目の昼過ぎのことだった。
石畳の大通りには、木造建築が立ち並ぶ田舎の村とは比べ物にならないほどの活気があった。荷馬車が行き交い、露店の呼び込みの声があちこちから響き、様々な服装の人々が忙しなく行き交っている。青山にとって、この世界で初めて目にする"都市"だった。
「大したもんだろう。ここがカルドナだ。この辺じゃ一番の商業都市さ」
フォルカーが得意げに手綱を操りながら言う。青山は馬車の上から、街の様子を注意深く観察していた。
(人が多いということは、それだけ悪意も紛れ込みやすいということだ)
馬車は市場の近くで止まった。フォルカーはここから別の取引先へ向かうといい、青山とはここで別れることになった。
「兄さん、これから宿を探すのか?」
「はい、そのつもりです」
「なら、この先の広場を右に行った先に、まあまあ安い宿がある。気をつけてな、都会は村と違って一癖も二癖もある奴が多いからよ」
フォルカーの忠告に礼を言い、青山は市場の雑踏へと足を踏み入れた。
荷物は最小限しか持っていないとはいえ、慣れない土地での一人歩きに、青山は自然と気を張っていた。すれ違う人々の視線、露店の呼び込みの言葉、路地の奥から漂ってくる怪しげな気配。全てに神経を尖らせながら、青山は宿を目指して歩を進めた。
その道中、一人の初老の男が声をかけてきた。
「兄さん、旅の人かい? その荷物、重そうだね。宿までなら、運びを手伝おうか」
人の好さそうな笑みを浮かべた男だった。着ている服はやや粗末だが、清潔感はある。ごく自然な申し出――のはずだった。
だが、青山の中で、明確な警戒信号が灯った。
(見ず知らずの相手が、無償で荷物を運ぶと申し出てくる。これは典型的な"手口"だ)
前世で聞きかじった詐欺や窃盗の手口の中に、こうした親切を装って荷物や貴重品に近づき、一瞬の隙をついてすり替えたり盗んだりする手法があったことを、青山は思い出していた。
「いえ、結構です。自分で運べますので」
青山はきっぱりと断った。男は特に気を悪くした様子もなく、「そうかい、気をつけてな」とあっさり離れていった。
その反応の自然さに、青山は一瞬、自分の判断が過剰だったのではないかと思い直した。だが、疑念を完全には拭えないまま、青山は宿への道を急いだ。
宿の手続きを終え、部屋に荷物を置いた青山は、少し外の空気を吸おうと再び市場へ足を運んだ。
そこで、先ほどの初老の男を再び見かけた。今度は、別の旅装の若い女性に、同じように「荷物を運ぼうか」と声をかけている。女性は快くその申し出を受け入れ、男に荷物を預けた。
青山は、少し離れた場所からその様子を見守った。男は女性の荷物を持ち、和やかに会話をしながら歩き始める。何の変哲もない、微笑ましい光景に見えた。
(――俺の考えすぎだったか)
そう思いかけた、その瞬間だった。
人混みの中で、男の手が一瞬、女性の荷物の中身を素早く探るように動いた。次の瞬間には何事もなかったかのように、また会話を続けている。あまりに自然な動作で、注意して見ていなければ気づけなかっただろう。
青山は迷わず、女性のもとへ歩み寄った。
「すみません、少しよろしいですか」
突然声をかけられた女性は、怪訝そうな顔をした。だが、男の表情は、一瞬にして凍りついた。
「その方に預けた荷物、念のため中身を確認された方がいいと思います」
その一言を聞くなり、男は舌打ちをすると、女性の荷物を、その場に押し付けるように突き返した。
「――悪いが、急用を思い出したもんでな」
男は早口にそう言い残すと、女性の返事も待たずに、人混みの中へ駆け出していった。あまりに唐突な変わり身に、女性は、ただ呆然と、男の後ろ姿を見送るばかりだった。
「え……な、何、今の」
「――失礼しました。荷物の中身を、確認していただけますか」
青山が促すと、女性は、まだ状況が呑み込めない様子のまま、荷物の中を検めた。
「あ……財布が、軽い……。銀貨が、何枚か足りません」
女性の声が、次第に震えを帯びていく。青山は、周囲を見渡したが、男の姿は、既に雑踏の中に紛れ、見えなくなっていた。近くにいた通行人の何人かが、事の次第を察し、慌てて男が消えた方向へと駆け出していったが、追いつける見込みは薄そうだった。
「そん、な……」
女性は、その場に立ち尽くしたまま、しばらく声を失っていた。青山は、かける言葉に迷いながらも、静かに口を開いた。
「――残念ながら、盗まれた分を取り戻すのは、難しいかもしれません。もっと早くお声がけできていれば、と思います。申し訳ありません」
「いえ……あなたのせいじゃありません。むしろ、教えていただかなければ、いつ盗まれたのかも分からないままでした。それに気づけただけでも、まだ救われます」
女性は、気持ちを立て直すように、深く息を吐いてから、青山に頭を下げた。その表情には、まだ悔しさが色濃く残っていたが、それでも、なんとか自分を保とうとする芯の強さが感じられた。
「次からは、知らない人に、荷物を預けるのはやめます。……いい勉強代だったと思うことにします。教えてくださって、ありがとうございました」
青山は小さく頷きながらも、複雑な思いを抱いていた。
(結局、盗まれること自体は、防げなかった。だが――)
もし自分が最初に男の申し出を断らなかったら。もし、あの一瞬の観察がなければ。今頃、自分の荷物の中身も、同じように盗まれていたかもしれない。
結果として、自分の警戒は正しかった。だが同時に、青山の脳裏には、先ほど「考えすぎだったか」と一瞬でも思い直しかけた自分の甘さが、苦く残っていた。
(一度、警戒を解きかけた。それが、今回はたまたま間に合っただけだ)
正しかったという結果に安堵する一方で、青山はその慢心こそが最も危険なのだと、改めて自分に言い聞かせた。
空回りに見えても構わない。周囲から神経質だと思われても構わない。それでも、警戒を緩める理由には、ならない。
夕暮れの市場を歩きながら、青山は新しい街での生活に、静かに気を引き締め直していた。




