第7話 試すという罪
村での孤立生活が三週間ほど続いたある日、ロウレル村に一人の行商人が立ち寄った。
荷馬車いっぱいに雑貨や布地を積んだその男は、フォルカーと名乗った。恰幅のいい体つきに、人懐っこい笑みを浮かべた、いかにも商売人らしい雰囲気の人物だった。
「次はカルドナに向かうんだが、道中の話し相手兼、荷運びの手伝いに、一人くらい連れて行ってもいいかと思ってね。しっかりした人物がいると、ムテンさんから聞いて」
村長ムテンを介して、そんな話が青山に持ちかけられたのは、ちょうど夕食の後だった。
青山はしばらく考えた。
この村に、ずっと留まり続けるつもりはなかった。ミレイアの一件以来、村人たちとの間には、修復しきれない溝ができている。無理に居座って関係を取り繕うよりも、いっそこの機会に、村を出て見聞を広めるべきではないか――そんな考えが、頭をもたげていた。
もっとも、フォルカーという人物を、無条件に信頼するつもりは毛頭なかった。
(この男についても、裏を取っておく必要がある)
その夜、青山はムテンのもとを訪ね、フォルカーについて、それとなく尋ねてみた。
「フォルカーか。もう五年以上、この村に品物を運んできてくれとる行商人だよ。年に何度か、決まった時期に顔を出す。素性の知れない流れ者とは、わけが違う」
「これまで、何かトラブルを起こしたようなことは」
「聞いたことはないな。値切り交渉はしぶといが、約束を違えたという話は、一度も耳にしとらん。まあ、儂の見立てが絶対に正しいとは言わんが、少なくとも、村の連中は皆、あの男を信用しとるよ」
その足で、青山はゲオのもとにも立ち寄り、同じように尋ねた。
「フォルカーさんなら、俺も知ってるぜ。前に村で祭りがあった時、酒を安く融通してくれたことがあってな。強面のわりに、義理堅い男だ」
村長と猟師、それぞれ立場の異なる二人から、独立して似た評価が得られたことに、青山は、ひとまずの安堵を覚えた。無論、これで全ての不安が消えたわけではない。だが、少なくとも、この村で年月をかけて築かれた信用が、根も葉もない見せかけではないという程度のことは、確認できた。
(裏取りとしては、ひとまず十分だろう)
残る不安は、道中で直接、自分の目で確かめていくしかない。青山は、そう心を決めた。
翌朝、旅支度を整えた青山のもとに、ムテンとゲオが、見送りに来てくれた。
「達者でな、アオヤマ。この村での日々が、お前さんにとって、多少なりとも意味のあるものだったなら、儂も嬉しいよ」
「こちらこそ、大変お世話になりました。行き倒れの余所者を、拾っていただいたご恩は、忘れません」
青山は、深く頭を下げた。ミレイアの一件以来、村人たちとの間にできた溝は、最後まで完全には埋まらなかった。それでも、ムテンとゲオだけは、変わらず、青山に接し続けてくれた。その事実だけは、確かな温かさとして、胸に残っていた。
「兄ちゃん、次にこの辺りに来ることがあったら、また顔を出しな。角狼の肉くらいは、いつでも振る舞ってやるよ」
ゲオが、そう言って、快活に笑った。
「――ありがとうございます。その時は、遠慮なく」
青山も、自然と、口元が緩むのを感じた。この世界に来て、最初に手を差し伸べてくれたのが、この男だった。あの日の警戒と、今の別れの気安さとの落差に、青山は、自分でも気づかぬうちに、この村で少しずつ積み重ねてきたものの重みを、噛み締めていた。
「短い間でしたが、本当にありがとうございました」
青山は、もう一度、二人に向かって頭を下げると、待たせていたフォルカーの荷馬車へと向かった。
こうして、青山を乗せた荷馬車は、カルドナへと向かう道中に就いた。街道は緩やかな丘陵地帯を縫うように延びており、道すがら、フォルカーは実に饒舌に話しかけてきた。
「兄さん、見たところ旅慣れちゃいないだろう。どこから来たんだ?」
「詳しくは、あまり」
「まあいいさ、そういう事情のある奴は珍しくもねえ。俺もこの商売、もう二十年近くやってるが、素性を語らない客なんざ山ほど見てきたよ」
フォルカーは陽気に笑いながら、荷馬車の轍を器用に避けて進む。
青山は、その様子を注意深く観察していた。話し方に不自然な淀みはない。ムテンからの紹介という経緯もあり、身元が全くの偽りである可能性は低いように思われた。
だが、青山の中に、ある種の"実験"をしてみたいという衝動が芽生えていた。
(この男が、どこまで誠実な人間か。試してみたらどうだろう)
それは、これまでの青山にはなかった発想だった。これまでは、あくまで受動的に――相手の言動を観察し、矛盾があれば気づく、という姿勢を貫いてきた。だが今、青山の頭の中にあったのは、能動的に相手を試すという、一歩踏み込んだやり方だった。
「フォルカーさん、実は俺、ある高価な魔石を持っているんです」
青山は、あえて嘘を口にした。
「カルドナに着いたら、それを換金するつもりで」
もちろん、そんな魔石は持っていない。フォルカーがこの話にどう食いついてくるか――それを見て、彼の人となりを測ろうという魂胆だった。
フォルカーの目が、一瞬だけ輝いたように見えた。
「ほう、魔石とはまた豪気な話だ。どのくらいの品だ? もし良ければ、俺の知り合いの鑑定士を紹介できるが」
「――いえ、そこまでは」
青山は言葉を濁しながら、内心で自分の行動を振り返っていた。
フォルカーの反応に、明確な悪意があったとまでは言い切れない。商人という職業柄、金になりそうな話に食いつくのは、ある意味で自然な反応だ。だが、青山の胸には、得体の知れない後味の悪さが残っていた。
(――今、俺は何をした)
相手を試すために、嘘をついた。それは、これまで自分が最も嫌ってきた「人を騙す」という行為と、本質的には何が違うのだろうか。
地面師詐欺の被害に遭ったあの日、青山を苦しめたのは、金銭的な損失そのものだけではなかった。信じていたものに裏切られたという事実、そして、自分を騙した相手が、平然と嘘を積み重ねていたという事実そのものが、青山の心を深く傷つけたのだ。
その痛みを知っているはずの自分が、今、無自覚のうちに同じ手段を使おうとしていた。
馬車の車輪が石を踏み、小さく揺れる。青山はその振動に紛れさせるように、小さく息を吐いた。
「フォルカーさん、すみません。今の話は、忘れてください。実際には、魔石なんて持っていません」
フォルカーは意外そうに眉を上げたが、すぐにまた陽気な笑みを浮かべた。
「なんだ、からかったのか。まあいいさ、旅の道連れなんて、そんなもんだろう」
その反応にも、特に含みは感じられなかった。裏取りとしての結果だけを見れば、フォルカーは概ね信頼に足る人物だと判断してよさそうだった。
だが、青山の心に残ったのは、そんな結論の是非ではなかった。
(警戒することと、人を試すことは、同じではない)
観察すること、裏を取ること、即決を避けること。それらはあくまで、自分自身を守るための防御の姿勢だ。だが、相手を陥れるための罠を仕掛け、嘘で誘い出す行為は、防御ではなく、明確な攻撃だった。
その一線を越えかけた自分に、青山は静かな危機感を覚えていた。
誰も信じない。それは、自分を守るための誓いだったはずだ。だが、その誓いが行き過ぎれば、いつしか自分自身が、かつて自分を傷つけた者たちと同じ側に立ってしまう。
馬車に揺られながら、青山は遠くに霞むカルドナの街並みを見つめた。
これから出会う人々に対して、どこまで踏み込んでいいのか。その境界線を、青山はまだ、自分の中に見つけられずにいた。




