第6話 三つの誓い
村人たちの態度が変わってから、五日が経った。
朝、水を汲みに井戸へ向かうと、それまで挨拶を交わしていた女たちが、青山の姿を見た途端に会話を止める。完全に無視されるわけではない。会釈くらいは返ってくる。だが、そこには以前のような温度がなかった。まるで、薄い一枚の膜を隔てて話しているような、そんな距離感だった。
畑仕事を手伝いに行っても、以前は気安く声をかけてくれた老人たちが、必要最低限の指示しか出さなくなった。子供たちに至っては、青山の姿を見ると、遠くから様子をうかがうだけで、決して近づいてこようとはしない。
誰かに何かを言われたわけではない。表立って責められたことも、一度もない。それでも、青山にはよく分かった。この村における自分の立ち位置は、あの日を境に、確実に変わってしまったのだと。
夕方、割り当てられた薪割りを終えた青山は、村外れの小さな丘に腰を下ろし、沈みゆく夕日を眺めていた。空はいつものように、地球よりも一段濃い茜色に染まっている。その美しさすら、今は少し虚しく映った。
(――前世でも、似たようなことがあったな)
脳裏に蘇るのは、まだ新人だった頃の記憶だった。当時の青山は、上司や先輩の言葉を疑うことなど考えもしなかった。ある案件で、先輩社員が持ってきた「確実に儲かる」という土地の話に、周囲の同僚たちが次々と乗っていく中、たった一人だけ違和感を口にした古株の営業マンがいた。
その男は、周囲から「臆病者」「やる気がない」と陰口を叩かれながらも、頑として案件に関わろうとしなかった。結果として、その案件は半年後に大きな瑕疵が発覚し、関わった同僚たちは軒並み処分を受けた。あの古株の営業マンだけが、傷一つ負わなかった。
当時の青山は、その男の頑固さを、どこか滑稽なものとして見ていた。だが今なら分かる。あの男は、孤立を恐れなかったのではない。孤立してでも守るべきものを、ちゃんと理解していたのだ。
(俺も、同じ立場に立っているというわけか)
自嘲気味に、青山は小さく笑った。
丘の上を吹き抜ける風が、少し冷たくなってきた。日が完全に沈む前に、青山はこれまで頭の中だけで整理していた三つの原則を、改めて言葉として組み立て直すことにした。感覚的な戒めのままにしておくのではなく、明確な行動指針として固めておく必要があると感じたからだ。
一つ目は、【即決拒否】。
どれほど魅力的に見える話でも、どれほど急かされても、その場で結論を出さない。前世で全てを失った、あの契約の日。もし青山が、あの一瞬だけでも判断を保留にしていたら――結果は違っていたかもしれない。人は焦らされると、正常な判断力を失う。だからこそ、必ず一晩、時には数日、判断を寝かせる時間を確保する。これは臆病さではなく、自分自身を守るための最低限の防御線だ。
二つ目は、【裏取り】。
語られた話を、語った本人の言葉だけで信じない。必ず、無関係な第三者からの情報と照らし合わせる。ミレイアの祈祷会の一件を思い出す。彼女の言葉だけを聞いていれば、疑う余地など一つもなかった。だが、複数回にわたる観察と、細部の食い違いに気づいたことで、初めて違和感が確信に変わった。一人の語りだけを鵜呑みにすることの危うさを、青山は改めて胸に刻んだ。
三つ目は、保留すること自体を恐れないという原則。
人間関係において、「疑うこと」は時に、相手への裏切りのように受け取られる。事実、この五日間で、青山はそれを痛いほど思い知らされた。だが、疑うことと、相手を嫌うことは、決してイコールではない。判断を保留するという行為は、相手を否定することではなく、あくまで自分自身の中に「まだ結論を出せる材料が揃っていない」という事実を、正直に受け止めているだけに過ぎない。
それを、村人たちに理解してもらう必要はない。理解されないことを恐れて、原則を曲げてしまえば、それこそ本末転倒だ。
青山は懐から、ゲオに借りた粗末な木片と炭を取り出すと、そこに小さく三つの言葉を刻みつけた。
――即決せず。
――独りの言葉を信じず。
――保留を恐れず。
書き終えた木片を、青山はしばらく無言で見つめた。たったそれだけの言葉だが、この三つを徹底することさえできれば、少なくとも前世と同じ轍だけは踏まずに済むはずだった。
丘の下から、夕餉の支度を告げる鐘の音が響いてくる。孤立した今の状況でも、村を追い出されたわけではない。当たり前の日常は、まだ続いている。
(焦る必要はない。時間をかけてでも、信頼は積み上げ直せばいい)
青山は木片を懐にしまい、ゆっくりと丘を下り始めた。
村へと続く道の向こうに、ぽつりぽつりと灯る家々の明かりが見える。その中の一つが、自分を拒絶する光であっても、青山の足取りに迷いはなかった。
孤立は、代償ではなく、選択の結果だ。
そう自分に言い聞かせながら、青山は静かに、村への道を歩いていった。




