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第31話 甘い罠

 ガロンが正式に仲間入りしてから、半月ほどが経った。


 三人での活動は、少しずつ軌道に乗り始めていた。ジークやレイナからの紹介で、街の様々な相談ごとが持ち込まれるようになり、青山たちは、それらに一つ一つ、丁寧に対応していた。


 そんなある日、青山は、ギルドからの依頼で、街の高級宿に滞在する客の身元確認を頼まれた。宿泊客同士のトラブルを未然に防ぐため、身元の怪しい滞在者がいないか、時折、こうした確認作業が行われているのだという。


 宿の内装は、これまで青山が訪れてきた建物の中でも、ひときわ豪奢だった。磨き上げられた大理石の床、天井から下がる硝子細工の照明。カルドナに来てから、これほど洗練された空間に足を踏み入れるのは、初めてのことだった。


 宿のロビーで、青山が受付の記録を確認していると、階段を降りてきた一人の女性と、目が合った。


「あら」


 柔らかな声だった。青山と同年代くらいだろうか、上品な装いに身を包んだ、物腰の柔らかい女性だった。


「失礼ですが、以前、どこかでお会いしましたか。妙に、お顔に見覚えがあるような気がして」


「――いえ、初対面かと思います」


 青山は、努めて事務的に答えた。だが、女性は、なおも興味深そうに、青山を見つめ続けていた。


「もしかして、投資詐欺の一件を解決された、あの青山さんでは?」


「――ご存知でしたか」


「ええ、この街に来てから、あちこちで噂を耳にしていましたので。まさか、ご本人にお会いできるとは」


 女性は、そう言って、嬉しそうに微笑んだ。その微笑みは、これまで出会ってきたどの女性とも違う、柔らかく、そしてどこか儚さを感じさせるものだった。宿の窓から差し込む柔らかな光が、その表情を、いっそう印象的に照らし出していた。


「申し遅れました。リディアと申します。隣国から、商用でこの街に滞在しております」


「青山です」


 簡潔にそう名乗りながら、青山は、内心で静かに観察を始めていた。突然の声かけ、それも初対面を装いながら、こちらの功績を既に把握している様子。それ自体は、これまでの経験からも、決して珍しいことではなかった。


 だが、リディアという女性の態度には、これまで出会ってきた誰とも違う、独特の柔らかさがあった。エリスの完璧に洗練された物腰とも、村の聖女ミレイアの計算された優しさとも、また違う種類の――どこか自然体に近い、飾らない雰囲気だった。だからこそ、青山は、余計に判断がつきかねていた。


「もしよろしければ、少しお話しさせていただけませんか。この街のことも、もっと詳しく知りたいと思っておりますし……何より、あなたのような方と、もっとお話ししてみたいんです」


 その言葉には、明らかな好意が滲んでいた。青山は、少し戸惑いを覚えた。これまで、詐欺師たちから受けてきた誘いは、大抵、商談や取引の形を取っていた。だが、この誘い方は、それとは明確に異なる種類のものだった。感情に訴えかける言葉には、契約書の条文のような、明確な検証の切り口がない。


(――これは)


 青山の中で、これまでとは違う種類の警戒信号が、静かに灯り始めていた。


 数日後、青山は、依頼の合間を縫って、リディアと再び顔を合わせる機会があった。宿のロビーで、彼女は、まるで待っていたかのように、青山に声をかけてきた。


「青山さん、お忙しいところ、申し訳ありません。実は、少しご相談したいことがあって」


「相談、ですか」


「はい」


 リディアは、少し居住まいを正すように、姿勢を正した。


「私、この街で、小さな商いを始めようと考えているのですが、右も左も分からない状態で……もしよろしければ、力を貸していただけないでしょうか」


 リディアは、そう言いながら、少し不安げな表情を浮かべた。異国での慣れない生活に戸惑っているという体裁は、実に自然で、演技めいたわざとらしさは、少なくとも表面上、感じられなかった。


 その言葉自体は、これまで青山が受けてきた、数々の相談と、大きくは変わらないものだった。だが、リディアの視線や、時折見せる仕草には、単なる商売上の相談とは異なる、親密さを匂わせるものが、絶えず混じっていた。


「差し支えなければ、詳しい事情を伺ってもよろしいですか」


「ええ、もちろんです。……あの、青山さんさえよろしければ、今度、お食事でもご一緒しながら、ゆっくりお話しできればと」


 その申し出に、青山は、慎重に言葉を選んだ。


「事情を伺うことに、異存はありません。ですが、まずは、この場で、大まかな内容を教えていただけますか」


「――そうですね、失礼しました。少し、性急すぎましたね」


 リディアは、そう言って、控えめに微笑んだ。その微笑みには、少しの落胆と、それでいて、こちらの反応を注意深く測るような、微かな鋭さが、確かに感じられた。


「実は、故郷にいた頃、私自身、悪い商売相手に騙されて、大きな借金を背負ってしまったことがあるんです。それ以来、人を信じることが、少し怖くなってしまって……。でも、青山さんのような、誠実な方のお噂を聞いて、勇気を出してお声がけしてみようと思ったんです」


 その語り口には、演技には見えない、生々しい実感がこもっているようにも聞こえた。だが、その"実感"こそが、最も巧妙に作り込まれた演出である可能性も、青山の頭からは、消えなかった。


「それは、大変な思いをされましたね」


 青山は、静かにそう応じながらも、それ以上、深く踏み込むことは避けた。同情と、警戒。その二つの感情が、青山の中で、絶えずせめぎ合っていた。


 その日の夜、青山は、宿の部屋で、今日のやり取りを、静かに反芻していた。


(好意を装った接近――これもまた、一つの手口として、十分にあり得る)


 青山は、これまでの経験から、様々な種類の詐欺の手口を知っていた。その中には、恋愛感情や、親密さを利用した詐欺も、少なからず含まれていた。相手の孤独感や、承認欲求に付け込み、金銭や信用を騙し取る手口。前世でも、そうした被害の話は、決して珍しいものではなかった。


(だが、決めつけるのは早計だ。まずは、事実を確認する必要がある)


 青山は、翌日、レイナのもとを訪ね、リディアという人物について、それとなく調べを依頼することにした。


「隣国から来た商人、ですか。少し、調べてみます」


 レイナは、そう請け合いながらも、どこか気がかりそうな表情を浮かべていた。


「青山さん、少し踏み込んだことを伺いますが……その方に、好意を抱かれているんですか」


「――いえ、そういうわけでは」


「そうですか。それなら、良いのですが」


 レイナの言葉には、含みがあった。青山は、その意味を深く問うことはしなかったが、内心で、少し落ち着かない気持ちを覚えていた。


「一つ、お伝えしておきますが」


 レイナは、少し声を落として続けた。


「感情が絡む相手を調べるのは、これまでの案件よりも、慎重さが求められます。事実だけを淡々と確認するようにしますので、青山さんも、あまり先入観を持たずに、結果をお待ちいただければと」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 その帰り道、青山は、エリスにも、リディアとのやり取りについて、簡単に話した。


「――なるほど。それは、興味深いですね」


 エリスは、そう言いながら、どこか楽しげな表情を浮かべた。


「私の経験から言わせていただくと、好意を利用した詐欺は、契約書や金銭の話よりも、遥かに厄介です。理屈で判断できる部分が少なく、感情そのものが、判断を鈍らせる原因になりますから」


「――ええ、それは、私も理解しています」


「私自身、かつて、同じような手口を、使う側にいたこともあります。相手の孤独や、承認されたいという欲求を見抜き、そこに寄り添うふりをする。金銭目当ての契約よりも、遥かに、相手の心の深いところまで踏み込む必要がありますが、それだけ、効果も絶大です」


 エリスの言葉には、かつての自分自身への、複雑な感情が滲んでいた。


「青山さんは、大丈夫だと思いますが……念のため、私も、少し様子を見ておきますね」


 エリスの言葉に、青山は、静かに頷いた。


 夜の帳が下りるカルドナの街で、青山は、これまでとは異なる種類の警戒心と、向き合い始めていた。契約書の矛盾や、証明書の偽造とは違い、人の心の機微に潜む罠は、これまでの経験だけでは、簡単には見抜けないかもしれない。そんな予感が、青山の胸の中に、静かに広がっていた。


 これまで対峙してきた詐欺の数々は、いずれも、証拠という形のあるものに、最終的には帰結してきた。契約書の条文、証明書の透かし、行動の矛盾。だが、もしリディアの好意が、本物か偽物かを見極めようとするならば、その判断材料は、遥かに曖昧で、掴みどころのないものになるだろう。


(――査定眼が、通用しない領域なのかもしれない)


 エリスに対しても感じた、あの「見抜けない」という感覚。だが、あの時とは、また違う種類の困難が、そこには待ち受けているような気がしていた。契約の公正さや、事実関係の矛盾ではなく、人の心そのものの真偽を、どうやって見極めればいいのか。青山には、まだその方法が、はっきりとは見えていなかった。


 窓の外に浮かぶ月を見上げながら、青山は、リディアの語った言葉の一つ一つを、改めて頭の中で反芻していた。彼女の過去の借金の話、故郷での出来事。それらが真実であれ、あるいは、巧妙に作られた物語であれ、いずれにせよ、次に会う時までに、できる限りの裏取りを進めておく必要があった。

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