第30話 自分の目で
あの噛み合わない会話の日から、十日ほどが経った。
その間、ガロンは、衛兵団としての通常任務をこなしながらも、暇を見つけては、青山たちのもとへ顔を出し続けていた。理屈は相変わらず、完全には噛み合わないままだったが、それでも、ガロンなりに、何かを掴もうとしている様子は、青山にも伝わっていた。
毎日のように、ガロンは、その日見聞きした出来事を、青山とエリスに報告するようになっていた。「今日、露店で妙に安い薬を売ってる奴がいてよ」「今日は、特に怪しい話はなかったな」――その内容は、詐欺かどうかの判断としては、まだ的外れなものも多かったが、少なくとも、意識して周囲を観察するという習慣そのものは、着実に根付きつつあるようだった。
時には、明らかな見当違いの報告もあった。「今日、妙にニコニコしてる奴がいて怪しいと思ったんだが、よく話を聞いたら、単に子供が生まれたばかりで浮かれてただけだった」という報告に、青山とエリスは、思わず苦笑を漏らしたこともあった。それでも、その一つ一つの積み重ねが、ガロンなりの経験値として、着実に蓄積されているようだった。
ある日の夕方、衛兵の見回り任務を終えたガロンが、息を切らせながら、青山のもとへと駆け込んできた。
「青山さん! エリスさん! 聞いてくれ、大変だったんだ!」
「――どうしました、そんなに慌てて」
「今日、見回り中に、変な話に出くわしてよ! 若い女の子が、道端で、旅の商人風の男に声をかけられててな。何でも、"ここだけの話、実家の商売がうまくいってなくて、今すぐお金が必要なんだが、この指輪を、相場の半額で買い取ってくれないか"って持ちかけられてたんだ」
息を切らせながらも、ガロンは、当時の様子を、身振り手振りを交えて、懸命に再現してみせた。よほど印象に残る出来事だったのだろう、その額には、まだ汗の粒が浮かんでいた。
「――それで、どうしたんですか」
「最初は、俺も、可哀想な話だなって、素直に思っちまってよ。だけどよ、ふと、あんたらとの会話を思い出したんだ」
ガロンは、興奮した様子で、身振り手振りを交えながら、続けた。
「"実家の商売が苦しい"って話、具体的にどこの実家で、何の商売をしてるのか、まるで曖昧だったんだ。それに、"今すぐ"って言葉で、やたらと急かしてた。エリスさんが言ってた、"証拠っぽいものがあっても、それが本当に話と繋がってるか確かめる"ってやつを思い出してよ、その指輪、本当にその人のものなのか、聞いてみたんだ」
青山は、静かに相槌を打ちながら、話の続きを促した。
「――なるほど。それで、相手はどう答えたんですか」
「しどろもどろになって、"いや、その、家族の形見で"とか、話がコロコロ変わり始めてよ! これは怪しいと思って、詰め寄ったら、案の定、その場から逃げ出そうとしやがった」
ガロンは、誇らしげに、胸を張った。
「もちろん、逃がしゃしねえよ! そのまま取り押さえて、衛兵団に突き出してやった! 後で調べたら、その指輪、盗品だったらしいぜ! 盗品を、事情を知らない相手に、安く売りつけようとしてたんだと」
ガロンの額には、まだ追跡の際についたのか、うっすらと土埃がついていた。よほど慌てて駆けつけてきたのだろう。
「女の子は、無事だったんですか」
「ああ、怪我一つなかったよ。むしろ、あの子、俺に何度も頭を下げてきてよ。危うく、有り金全部、あの指輪に注ぎ込むところだったって、震えてたぜ」
「それは……見事です、ガロンさん」
青山は、心からそう告げた。
エリスも、感心したように頷いていた。
「たった十日で、ここまで実践できるようになるとは、正直、驚きました。私自身、あの手口に気づくまでに、もっと長い時間がかかった経験もありますから」
エリスは、そう言いながら、どこか眩しいものを見るような目で、ガロンを見つめていた。
「へへ、まあな! あんたらの言ってたこと、頭では完全には分かってなかったけどよ、実際にその場面に出くわしたら、体が勝手に、"あれ、これ、変じゃねえか"って、引っかかったんだ!」
ガロンは、自分でも不思議そうな顔で、そう語った。理屈として完全に整理できていなくても、体感として刻まれたものは、いざという時に、確かに機能する。それもまた、一つの学びの形だった。
ガロンの言葉に、青山は、静かに得心していた。理屈だけを積み上げても、実際の経験が伴わなければ、本当の意味で身につくことはない。だが、経験を積む土台として、理屈を先に伝えておくことにも、確かな意味があったのだ。
「今回のことで、俺、改めて思ったんだけどよ」
ガロンは、少し照れくさそうに、頭をかいた。
「やっぱり、俺も、あんたらと一緒に、こういう活動を、ちゃんとやっていきたいんだ。今日みたいに、自分の目で、ちゃんと詐欺を見抜けたってことが、何よりの証拠になるんじゃねえかって、思ってよ。剣の腕だけじゃなく、頭も少しは使えるってところ、見せられたと思うんだ」
その言葉には、これまでの、どこか自信なさげな様子とは違う、確かな手応えが滲んでいた。
その言葉に、青山とエリスは、静かに顔を見合わせた。
「ガロンさん」
青山は、改めて、ガロンに向き直った。
「以前、あなたは、"仲間になる資格を見せたい"とおっしゃっていました。今日の一件は、まさにその証明だと、私は思います」
青山は、あの日の倉庫街での会話を、はっきりと思い出しながら、そう告げた。
「――お、おう!」
ガロンは、少し驚いたように、目を丸くした。まさか、そんなに前の一言まで覚えられているとは、思ってもみなかったのだろう。まさか、あの日の何気ない一言を、青山がしっかりと覚えていたとは、思っていなかったのだろう。
「詐欺や不正から、この街の人々を守る。その活動に、正式に、力を貸していただけますか」
ガロンは、満面の笑みを浮かべた。
「もちろんだ! よろしく頼むぜ、青山さん、エリスさん!」
ガロンは、大きな声で、そう答えた。その声には、これまでの見習い騎士としての自信だけでなく、新たな役割を得たことへの、確かな喜びが滲んでいた。
エリスも、柔らかく微笑みながら、頷いた。
「これで、正式に、私たちは三人になりましたね」
「ええ」
青山は、静かに頷いた。
思えば、この世界に来てから、ずっと一人で警戒し続けてきた。ロウレル村での孤立、カルドナでの試行錯誤。誰も信じないという原則を貫きながらも、少しずつ、確かな協力関係を築いてきた結果が、今、この瞬間に、一つの形として実を結んでいた。
村での孤立を思えば、隔世の感があった。あの頃の自分は、誰にも理解されないまま、ただ一人で警戒を貫くことしかできなかった。それが今では、警戒の姿勢そのものを保ったまま、こうして仲間と呼べる存在が、隣に増えている。
(信頼ではなく、検証を重ねた上での協力関係。それが、少しずつ、仲間と呼べるものに変わってきている)
エリスとの、互いに一線を保ったままの協力関係。そして今、ガロンという、まったく異なるタイプの人間が、新たに加わった。警戒することしか知らなかった自分と、信じることしか知らなかったガロン。その対極にある二人が、こうして同じ方向を向いて歩き出していることに、青山は、静かな感慨を覚えていた。
一人では、決して見えなかった景色が、少しずつ、視界に広がり始めている。それは、地面師詐欺で全てを失い、誰も信じないと誓った、あの日の自分には、想像もつかなかった変化だった。
「よし! これからは、俺も、正式な仲間として、ばりばり働くぜ!」
「ええ、期待しています。ただし――」
青山は、少しだけ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「油断は禁物です。今日、一つ見抜けたからといって、これから先も、常に見抜けるとは限りません」
「うっ……そこは、厳しいな」
「厳しくなければ、意味がありません。ですが、今日のあなたの成長は、本物です。それだけは、間違いありません」
ガロンは、少し情けない顔をしながらも、どこか嬉しそうに、頷いた。
「分かったよ。これからも、あんたらに追いつけるよう、精進するぜ!」
「精進というより、これからは、共に学び合う関係だと思っています。私にも、あなたの視点から、教わることがあるはずですから」
その言葉に、ガロンは、少し照れくさそうに、鼻の下をこすった。剣を振るう以外の場面で、誰かに頼りにされるという経験が、これまであまりなかったのかもしれない。その照れた表情には、これまでの豪快な物言いとは、また違った素朴さが滲んでいた。
夕暮れのカルドナの街で、新たに三人となった一行は、これからの活動について、改めて語り合い始めていた。詐欺や不正のない街を作るという、まだ漠然とした構想が、少しずつ、確かな仲間と共に、形を成し始めていた。
空にはまだ、二つの月のうち、片方だけが薄く姿を見せていた。夕焼けに染まる石畳の道を、三人は、それぞれの歩幅で、並んで歩いていく。青山の慎重な足取り、エリスの洗練された所作、そしてガロンの、多少がさつだが力強い足音。三者三様のその歩みが、不思議と、一つの調和を保っているように、青山には感じられた。
この先、どれだけの困難が待ち受けているのか、まだ誰にも分からない。だが、少なくとも今、この瞬間だけは、確かな前進の実感があった。三人という数字は、決して大きなものではない。それでも、一人だった頃とは、明らかに違う重みを持って、青山の胸に響いていた。




