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第25話 仮面の下

 翌日、青山は市場でエリスを見かけると、静かに近づいた。


「エリスさん。少し、お話ししたいことがあります」


 青山の声色に、いつもとは違う硬さを感じ取ったのだろう。エリスは、一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに、いつもの穏やかな笑みを取り戻した。


「――ええ、いいですよ。あの茶房に行きましょうか」


 二人は、以前と同じ茶房で、向かい合って座った。店内の喧騒が、二人の間に流れる緊張感を、わずかに和らげていた。注文した茶が運ばれてくるまでの短い間、二人とも、一言も言葉を交わさなかった。窓の外を行き交う人々の声だけが、遠くに聞こえていた。青山は、この沈黙の間にも、エリスの些細な仕草――指先の動き、視線の向き――を、注意深く観察していた。だが、そこにもまた、動揺の色は見当たらなかった。


「単刀直入に伺います」


 青山は、努めて冷静な声で切り出した。


「五、六年前、レンダールという街で起きた、土地の権利を巡る詐欺事件。あなたは、その主犯格だったのではありませんか」


 エリスの表情から、笑みが消えた。しばらくの沈黙の後、彼女は静かに息を吐いた。


「――よく調べましたね。まさか、そこまで辿り着かれるとは」


 その言葉は、否定でも、動揺の演技でもなかった。ただ、静かな事実の受け入れだった。


「事実、なんですね」


「ええ。あの事件の中心にいたのは、間違いなく私です」


 エリスは、まっすぐに青山の目を見つめながら、そう認めた。その眼差しには、開き直りとも、後悔とも取れる、複雑な色が浮かんでいた。


「理由を、伺ってもよろしいですか」


「――長い話になりますが、構いませんか」


 青山が頷くと、エリスは、静かに語り始めた。


「私は、王都近くの小さな村の出身です。貧しい家に生まれ、幼い頃から、他人の顔色を読むことだけが、生き延びる術でした。親の機嫌、村人の思惑、誰が味方で、誰が敵か。それを見極める力だけは、誰よりも磨かれていました」


 その言葉に、青山は静かに耳を傾けた。


「食べるものにも困るような暮らしの中で、私にできることは、限られていました。力もない、後ろ盾もない、ただの小娘です。それでも、人の心の機微を読み取る力だけは、誰にも負けないという、妙な自負がありました。それが、生きるための唯一の武器だったんです」


 エリスは、当時を思い出すように、遠くを見つめながら、そう語った。


「ある日、私はその力を見込まれて、ある一味に誘われました。人の弱みや欲望を見抜き、それに応じた"演技"をする。最初は、ただの詐欺の片棒を担がされているだけだと思っていました。ですが、次第に、自分の"才能"が評価される感覚に、抗えなくなっていったんです」


「才能、ですか」


「ええ。誰かを騙し、大金を手にする瞬間、自分がこの世界で、確かに価値のある存在なのだと、錯覚することができました。貧しい生まれの自分には、他に何もなかったから」


 エリスの声には、自嘲の響きが滲んでいた。


「レンダールでの事件は、その一味での、最後の大きな仕事でした。ですが、あの事件の後、私は初めて、自分のしたことの重さを、本当の意味で理解しました。あの老爺は、亡くした息子の面影を、こちらの仲間に重ねていました。その悲しみを利用したことが……どうしても、自分の中で、消化できなかったんです」


 エリスは、そこで一度、言葉を切った。しばらく俯いた後、再び顔を上げると、その瞳には、これまで見せたことのない、脆さのようなものが宿っていた。


「事件が発覚した夜、私は仲間たちが次々と捕らえられていく様子を、物陰から見ていました。逃げることに、迷いはありませんでした。ですが、あの老爺の顔――全てを失って、それでも、まだどこかで、あの若い男を信じたいと願っているような、あの顔だけは、今でも忘れられません」


 青山は、静かにその言葉を受け止めていた。地面師詐欺の被害者として、自分がどれほどの痛みを味わったか。その記憶と、目の前で語られる加害者側の告白が、複雑に絡み合っていた。


「事件の後、一味は捕らえられましたが、私だけは、逃げることができました。それからは、二度と同じことを繰り返さないと誓い、名前も、生き方も、全て変えて、各地を渡り歩いてきました」


「今、この街で行っている仕事は」


「かつての力を、今度は誰かを騙すためではなく、公正な取引を成立させるために使う。それが、私なりの、償いのつもりです」


 エリスの言葉には、真摯な響きがあった。だが、青山は、その言葉を鵜呑みにするわけにはいかなかった。


「償いのつもり、という言葉だけでは、正直、判断がつきません。あなたのこれまでの言動が、全て計算された演技である可能性も、否定できないからです」


「――ええ、その通りです」


 エリスは、意外にも、あっさりとその指摘を認めた。


「私は、長年、人を欺くことで生きてきました。その私が、今更"償い"などと口にしたところで、それこそが、新たな演技だと思われても、仕方のないことです。むしろ、あなたがそう疑ってくれることの方が、私にとっては、健全なことのように思えます」


「私の言葉を、証拠もなく信じてほしいとは思いません。あなたが、私を疑い続けることも、当然の権利です。ただ、一つだけ、知っていただきたいことがあります」


「何でしょうか」


「あなたのような人が、この世界にいてくれることに、私は、心から安堵しているんです。誰も彼もを疑い続けるあなたの姿勢は、傍から見れば、生きづらいものかもしれません。ですが、その姿勢こそが、私のような人間の"演技"を、いつか見破ってくれる。そう思うと、不思議と、怖さよりも、期待の方が大きいんです」


「期待、ですか」


「ええ。もし私が、また同じ過ちを繰り返しそうになったとき、あなたのような人がそばにいてくれれば、きっと、踏みとどまることができる。そんな気がするんです。都合のいい話だと、自分でも思いますが」


 エリスは、そう言って、初めて、少し弱々しい笑みを浮かべた。これまでの、完璧に整えられた微笑みとは、明らかに違う種類の表情だった。


 その言葉に、青山は、しばし言葉を失った。


 これまで出会ってきた誰とも違う、複雑な感情の吐露だった。自分自身の悪意を隠さず、それでいて、青山の警戒心そのものを、肯定するような物言い。


(――これもまた、計算された言葉なのだろうか)


 青山の中で、疑念と、ある種の納得が、同時に渦巻いていた。少なくとも、今日聞いた話の中に、明確な矛盾は見当たらなかった。だが、それが真実である証明にはならない。


「今日、伺った話については、時間をかけて、判断させていただきます」


 青山は、そう告げた。即断せず、時間をかけて見極める。それこそが、これまで貫いてきた、揺るぎない姿勢だった。


「ええ、それで構いません」


 エリスは、静かに頷いた。


「一つだけ、お願いがあります。もし、これから先、私の言動に少しでも矛盾を見つけたら、迷わず、教えてください。それが、あなたの原則でしょうから」


「承知しました。ですが、それは、あなたを断罪するためではなく、あくまで事実を確かめるためです。誤解のないように」


「分かっています。……それでも、十分すぎるほど、誠実な返事だと思います」


 エリスは、そう言って、静かに立ち上がった。


 その言葉を最後に、二人はしばらく無言のまま、冷めていく茶を見つめていた。


 沈黙を破ったのは、エリスだった。


「一つだけ、聞いてもよろしいですか。青山さんが、ここまで頑なに人を信じないようになった理由――先日、少しだけ仄めかしていらっしゃいましたが」


 青山は、少し迷った後、静かに口を開いた。


「詳しくは、いずれ。ですが、私もまた、あなたと同じように、大きな詐欺に巻き込まれた側の人間です。全てを失い、この身一つで、この世界に来ました」


「――そうでしたか」


 エリスは、それ以上、深く踏み込んでは来なかった。ただ、その表情には、これまでとは違う、静かな共感のようなものが浮かんでいた。加害者と、被害者。本来であれば、決して相容れるはずのない二つの立場が、今、この茶房の一角で、奇妙な形で向き合っていた。


 茶房を出た青山は、夕暮れの空を見上げながら、静かに、今日聞いた話を反芻していた。


(人は、変われるのか。それとも、変わったふりが、上手くなっただけなのか)


 その問いに対する答えは、まだ、青山の中にはなかった。地面師詐欺の主犯格たちは、逮捕された後も、最後まで反省の色を見せなかったと聞く。もし彼らが、エリスのように、悔恨を語ることがあったなら、青山は、その言葉を信じられただろうか。それすら、青山自身、確かな答えを持ち合わせていなかった。


 だが、少なくとも一つ、確かなことがあった。エリスという人物との関わりは、これで終わりではなく、これからも続いていくのだろうという、静かな予感だった。


 彼女の告白が真実であれ、あるいは、さらに巧妙な演技の続きであれ、青山は、これから先も、同じ姿勢で向き合い続けるしかない。証拠を積み上げ、言動を注意深く観察し、それでもなお、判断を急がない。それが、青山にできる、唯一のやり方だった。急いで白黒をつけることは、かえって真実から遠ざかることを、青山はこれまでの経験で、嫌というほど学んでいた。


 夜の帳が下りるカルドナの街を、青山は一人、静かに歩いていった。頭上には、二つの月が、いつもと変わらぬ静けさで浮かんでいる。だが、青山の心の中は、これまでのどの事件の後よりも、複雑な余韻を残していた。


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