第24話 過去の影
エリスとの一件から数日、青山はレイナやジークの協力を得ながら、彼女の素性について、慎重に調べを進めていた。
王都から流れてきたという噂の出所を辿ることから始め、街を訪れる行商人や旅人たちに、それとなくエリスについての情報を集めていく。派手な聞き込みは避け、あくまで世間話の延長として、自然な形で情報を引き出す。それは、投資詐欺の一件で培った、裏取りの手法そのものだった。ジークもまた、長年の商売上の伝手を頼りに、王都方面から来た商人を、何人か紹介してくれた。
もっとも、今回の調べは、これまでとは少し勝手が違った。相手が明確な悪意を持った詐欺師であれば、証拠を集める作業に、迷いは生じない。だが、エリスに対しては、青山自身、どこか複雑な感情を抱いたまま、調査を進めていることに気づいていた。
(――彼女の正体を暴くことが、正しいことなのかどうか。それすら、まだ分からない)
それでも、正体の分からない相手を、そのまま放置しておくわけにはいかなかった。分からないからこそ、確かめる必要がある。それが、青山がこれまでの経験から導き出した、揺るぎない原則だった。
「エリスねぇ……ああ、聞いたことがあるよ」
ある日、ジークの伝手で紹介された、王都から来たという老齢の商人が、そう切り出した。長旅で日に焼けた顔に、深い皺を刻んだ、実直そうな人物だった。
「もう五、六年は前になるか。王都の隣にある、レンダールって街で、ちょっとした騒ぎがあってな」
「騒ぎ、というと」
「土地の権利を巡る詐欺だ。ある裕福な老爺が、遠縁の親戚を名乗る連中に、まんまと土地の権利書を騙し取られちまった事件があってな。その一味の中心にいたのが、やたらと弁が立つ若い女だった、って噂だ」
青山の中で、何かが静かに反応した。
「その女性の名前は」
「さあ、そこまでは覚えちゃいないが……。ただ、その女は、被害者の心を読んだように、欲しいものをぴたりと言い当てる、って評判だったそうだ。老爺は、亡くした息子の面影を、その一味の一人に重ねちまってな。それに付け込まれたって話だった」
「その息子の面影を持つ人物というのも、女性だったんですか」
「いや、そっちは若い男だったらしい。だが、話をまとめ上げていたのは、間違いなく、その若い女の方だったってよ。仲間に指図をする立場だったとか。まだ若い娘のくせに、随分と場慣れした様子だったって、当時を知る奴らは、皆そう言ってたな」
その手口は、青山にとって、あまりに聞き覚えのあるものだった。相手の欲しいものを、心を読んだように言い当てる――それは、酒場で最初にエリスの噂を聞いた際、この耳で聞いた言葉そのものだった。
(――地面師詐欺と、同じ構図だ)
遠縁の親戚を装い、本来の所有者になりすまし、あるいは近づき、心の隙を突いて、権利そのものを奪い取る。青山を苦しめた前世の詐欺と、この異世界での事件は、驚くほど似た構造を持っていた。
「その事件、その後はどうなったんですか」
「詳しいことは分からんが……確か、一味のほとんどは捕まったが、その若い女だけは、姿を消したまま、行方知れずになったとか。もしかしたら、名前を変えて、あちこちを渡り歩いているのかもしれんな」
「他に、何かその女性について、覚えていることはありませんか。些細なことでも構いません」
老商人は、記憶を辿るように、しばらく目を閉じた。
「……そういえば、当時を知る奴が、こんなことを言ってたな。あの女は、どんな相手と話しても、決して目を逸らさなかった、と。普通、後ろ暗いことをしてる人間ってのは、どこかで目が泳ぐもんだが、あの女だけは、最後まで、まっすぐ相手の目を見て話していたそうだ」
その証言に、青山は思わず、あの茶房でのエリスの眼差しを思い出していた。何を聞かれても、動じることのなかった、あの澄んだ瞳。それが、単なる誠実さの表れなのか、それとも、卓越した演技の一部なのか、青山にはまだ判断がつかなかった。
青山は、その情報を、静かに胸の中に刻み込んだ。
その足で、青山はレイナのもとを訪ね、聞き取った内容を伝えた。
「レンダールの土地詐欺事件……確かに、聞いたことがあります。ギルドの記録にも、いくつか記載が残っているはずです」
レイナは資料室で、過去の記録を調べ始めた。何冊もの台帳を繰りながら、時折、眉間に皺を寄せる。しばらくして、古い書類の束を手に、戻ってきた。
「ありました。これです」
差し出された書類には、レンダールでの事件の概要が、簡潔にまとめられていた。土地の権利を騙し取られた被害者の証言、逮捕された共犯者たちの供述。青山は、それを一枚ずつ、丁寧に読み進めていった。
被害者である老爺は、事件後、心労のあまり体調を崩し、しばらく寝込んだという記述もあった。金銭的な被害だけでなく、心にまで深い傷を残す。それは、地面師詐欺の被害者たちに共通する、痛ましい経過だった。
その中に、一つ、気になる記述があった。
「――主犯格と見られる女性については、氏名不詳のまま、逃走中」
「氏名不詳、ですか」
「はい。ただ、共犯者の一人の供述に、こんな一文があります。"あの女は、いつも人の名前を、本当の名前で名乗ったことがない"と」
その一文を読んだ瞬間、青山の脳裏に、あの茶房でのやり取りが蘇った。「エリス」という名を名乗った、あの女性。あれもまた、本当の名前ではないのかもしれない。名前すら偽りだとすれば、これまで積み上げてきた彼女への印象そのものが、根底から揺らぐことになる。
(もし、あの記録の女性が、本当にエリスなのだとすれば)
青山の中に、複雑な感情が渦巻いていた。エリスという人物が、かつて詐欺の中心にいた可能性。それは、警戒すべき理由として、十分すぎるものだった。だが同時に、あの茶房で交わした会話の中に感じた、奇妙な親近感が、簡単には消えてくれなかった。二つの感情が、青山の胸の中で、絶えずせめぎ合っていた。
「青山さん、どうされますか。この件、正式に衛兵に報告することも、できますが」
レイナの言葉に、青山は少し考えてから答えた。
「まだ、状況証拠の域を出ていません。それに――」
青山は、言葉を選びながら続けた。
「もし本当に、彼女が過去にそうした詐欺に関わっていたのだとしても、今、この街で何をしているのかを、まず確かめる必要があります。過去だけを理由に、断罪することはできません」
「それは、危険な考え方かもしれませんよ。相手が、本当に危険な人物である可能性も、否定できません」
「承知しています。ですが、直接、本人と話をする機会を、私は持っています。まずは、そこから確かめたいと思います」
「もし、彼女が今もなお、危険な人物だったとしたら? 青山さん一人で、対処できる相手だとは、思えませんが」
「その時は、その時です。ですが、まだ何もしていない相手を、噂と過去の記録だけで決めつけるわけにはいきません」
レイナは、しばらく青山の顔を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「分かりました。……ただし、決して無理はなさらないでください。何かあれば、すぐに衛兵か、私のところへ連絡をください」
「ありがとうございます」
ギルドを出た青山は、夕暮れの街を歩きながら、これまで積み上げてきた情報を、頭の中で改めて整理していた。
レンダールでの土地詐欺事件。心を読んだように相手の欲しいものを言い当てる手腕。そして、決して本当の名前を名乗らないという、共犯者の証言。それらの点が、エリスという人物の輪郭に、少しずつ重なっていく。単独の情報であれば、偶然の一致で片付けることもできたかもしれない。だが、これだけの点が積み重なると、もはや偶然では片付けられない、明確な線として浮かび上がってくる。
(もし彼女が、本当にあの事件の主犯格だったとしたら)
地面師詐欺で全てを失った青山にとって、それは、決して見過ごせない事実だった。かつて自分から全てを奪った者たちと、同じ種類の人間が、目の前にいるのかもしれない。そう考えると、腹の底から、静かな怒りにも似た感情が込み上げてくるのを、青山は感じていた。
だが、その一方で、青山の中には、まだ答えの出ない問いも残っていた。
あの完璧すぎる契約書、そして、今日この街で見せた、公正な商談の数々。もし彼女が本当に詐欺師であったのなら、なぜ今、この街では、誰も傷つけることのない、むしろ人々の利益になるような仕事をしているのか。過去の悪事と、今の在り方。その二つが、青山の中で、うまく一つの人物像として結びつかなかった。
人は、変わることができるのか。それとも、一度手を染めた悪事は、決して拭い去ることのできない、消えない影として残り続けるものなのか。青山自身、その問いに対する、明確な答えを持ち合わせてはいなかった。
(過去と、今。その両方を、ちゃんと見極める必要がある)
もし今、エリスが本当に改心し、これまでとは違う生き方を選んでいるのだとすれば、過去だけを理由に、彼女を断罪することは、公正とは言えない。だが、もし彼女が、今もなお、巧妙に仮面を被り続けているだけなのだとすれば、その油断こそが、新たな被害者を生む引き金になりかねない。
夜の帳が下りるカルドナの街で、青山は、次にエリスと会う機会を、慎重に見計らい始めていた。決して急いてはならない。だが、この問いをいつまでも先延ばしにすることもできない。その狭間で、青山は静かに、次の一歩を、じっくりと考え続けていた。




