第2話 裏を取る
「兄ちゃん、名前は?」
ゲオが振り返りもせずに聞いてくる。青山は一瞬、答えを迷った。
本名を名乗っていいものか。それとも、身元を隠しておくべきか。――いや、と青山は思い直す。この段階で偽名を使う理由もない。嘘は、後から必ず綻びる。それも地面師詐欺で嫌というほど思い知ったことだった。
「……アオヤマ、といいます」
「アオヤマ。変わった名だな。どこの生まれだ?」
「遠い場所です。詳しくは、いずれ」
言葉を濁しつつ、青山はゲオの反応を注意深く観察した。不審がる様子はない。旅人が出自を語りたがらないことなど、この世界でも珍しくないのだろう。
二人は森の中の細い道を歩いていた。青山は歩きながら、頭の中でこれまでの情報を整理する。
(この男は「猟師」を名乗った。村長の元へ案内すると言った。矛盾がないか、確かめる)
「ゲオさん、猟師だとおっしゃっていましたが、普段はどのあたりで?」
「このあたり一帯だよ。北の谷から、南の川沿いまで」
「随分と広い範囲ですね。獲物は?」
「主に角兎と、たまに大猪だな。運が良けりゃ、森鹿」
淀みない返答だった。だが青山は、それだけでは満足しなかった。話の内容が事実かどうかは、話し方の滑らかさでは判断できない。もっとも巧妙な嘘ほど、澱みなく語られるものだ。
しばらく歩くと、茂みの奥から低い唸り声が聞こえた。
「――伏せろ」
ゲオの声色が変わった。青山が身を屈めた次の瞬間、灰色の毛並みをした獣――狼に似ているが、額に小さな角が生えている――が茂みから飛び出してきた。
ゲオは動じることなく、腰の弓に矢をつがえ、一瞬で射抜いた。獣は短い悲鳴を上げて絶命する。
「……見事ですね」
「言っただろ、猟師だって」
ゲオが得意げに笑う。
青山は内心、小さく頷いていた。少なくとも、「猟師」という自己申告と、実際の技量は一致している。裏取りの一つが取れた形だ。もちろん、これだけで全面的に信用するつもりはない。技量があることと、悪意がないことは、また別の話だ。
「その角のある獣は?」
「角狼だ。この森じゃ珍しくもねえ。肉は不味いが、角は薬師が高く買ってくれる」
「――薬師、ですか。買い取り価格は?」
「時期によるが、まあ小銀貨二、三枚ってとこだな」
青山はその返答をどこかに書き留めるように記憶した。この世界の物価感覚、通貨の単位、売買の仕組み。すべてが今後、自分の身を守るための情報になる。
やがて森を抜けると、視界が開けた。夕暮れに染まった空の下、木製の柵に囲まれた小さな村が見える。かまどの煙が、あちこちの家からまっすぐに立ち上っていた。
「あそこがうちの村だ。ロウレルってところさ」
「ロウレル、ですか」
青山はその名を頭に刻みつつ、村の様子を遠目に観察した。柵の状態、家の数、人の出入り。何気ない村の風景にも、目を凝らせば情報は転がっている。
(治安は悪くなさそうだ。だが、それも今の時点での印象に過ぎない)
「村長のところへ案内してくれるんですよね」
「ああ。ムテンさんなら、旅人の面倒見もいいはずだ」
「一つ、確認しておきたいのですが」
青山はゲオの目を見た。
「村長にお会いする前に、あなたが今日、私を見つけた経緯を、もう一度聞かせてもらえますか」
ゲオは片眉を上げたが、面倒がる様子もなく答えた。
「何度も言うようだが、森の外れで倒れてるあんたを見つけただけだ。裏も表もねえよ」
その返答は、最初に聞いた話と一言一句違わなかった。作り話であれば、細部のどこかにズレが生じるものだ。青山はひとまず、この場での警戒レベルを一段階だけ緩めることにした。――ただし、完全に解くことはない。
「失礼しました。慎重すぎるとは、自分でも思っています」
「いや、いいさ。転生者ってのは時々、様子のおかしい奴が流れ着くって聞くしな」
「――転生者?」
青山は思わず聞き返した。
「この世界じゃ、たまにあることなんですか。俺のような人間が来るのは」
ゲオは何でもないことのように頷いた。
「珍しくはあるが、初めてってわけでもねえよ。村長が詳しいはずだ、聞いてみるといい」
その言葉に、青山の頭の中で新たな警戒信号が灯った。
(この世界には、前例がある。ということは――同じように転生した人間を利用しようとする者も、既にいるかもしれない)
夕闇が迫る中、二人は村の門へと歩みを進めた。




