第19話 紙の下の真実
翌日の夜、青山は約束通り、昨日と同じ路地裏に足を運んだ。
衛兵たちには、レイナを通じて事前に事情を伝えてあった。とはいえ、今夜は現行犯での摘発ではなく、あくまで情報収集が目的だ。衛兵たちには、少し離れた場所で待機してもらい、万が一の際にだけ動いてもらう手筈になっていた。
約束の時刻まで、青山は物陰に身を潜めながら、これまでの経緯を頭の中で改めて整理していた。相手の目的が何であれ、今夜は決して踏み込みすぎず、あくまで情報を引き出すことに徹する。それが、レイナや衛兵たちと事前に取り決めた方針だった。
夜風が路地を吹き抜け、遠くの酒場から漏れ聞こえる喧騒が、かすかに耳に届く。約束の時刻を少し過ぎた頃、路地の奥で、足音が響いた。
路地の奥で待っていると、昨日の男が、闇に紛れるようにして姿を現した。
「来たか。どうだ、考えはまとまったか」
「もう少し、詳しい話を伺ってからと思いまして。実物を見せていただくことは、可能ですか」
青山の言葉に、男は一瞬、警戒するような素振りを見せたが、すぐに懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「特別に見せてやるよ。これが、中級の証明書だ」
差し出された証明書を、青山は受け取り、月明かりを頼りに、じっくりと目を凝らした。
一見すると、ギルドの窓口で見た正規の見本と、遜色ない出来栄えに見える。だが、青山の指先が紙の表面をなぞった瞬間、微かな違和感を覚えた。
(紙の厚みが、わずかに薄い)
正規の証明書に使われている羊皮紙は、独特の重みと厚みを持っていた。ギルドで自分の初級証明書を受け取った際、青山はその感触を、意識的に記憶に刻み込んでいた。今、手にしているこの証明書は、それよりも心なしか薄く、手触りにも、微妙な粗さが感じられる。
青山は、努めて自然な素振りで、証明書を裏返した。裏面に施された、細かな模様の刻印。正規の証明書であれば、この模様は、指先でなぞってもはっきりと段差を感じられるほど、深く刻み込まれているはずだった。だが、今、指の腹に伝わってくる感触は、それよりも幾分か浅く、平坦だった。
(型を使って、大量に複製しているのかもしれない。一枚一枚、手作業で刻んでいるにしては、感触があまりに均一すぎる)
次に、青山は証明書に押された印章に目を向けた。中央に刻まれた、剣と天秤を組み合わせたギルドの紋章。壁に掲示されていた見本と、パッと見には遜色ない。だが、よくよく見ると、天秤の傾きが、ほんの僅かに異なっているように見えた。
(――前にギルドで見た、あの偽造証明書と同じ種類の違和感だ)
あの時見つけた透かしのズレとは、また少し違う種類の粗だったが、根本にある"歪み"の性質は、酷似していた。おそらく、印章そのものを複製する型作りの技術が、まだ完全には正規品の精度に追いついていないのだろう。青山は、そう推測した。
「どうだ、なかなかの出来だろう」
男が得意げに笑う。青山は、あえてすぐには反応を見せず、証明書をさらに光にかざしながら、静かに口を開いた。
「一つ、伺いたいのですが。これは、"使い回し"の証明書だとおっしゃっていましたね。本来の持ち主から、正式に譲渡を受けたものですか」
「まあ、そういうことだな」
「でしたら、印章の部分に、多少の経年劣化があってもおかしくないはずです。ですが、この印章は――むしろ、比較的新しく刻まれたもののように見えます」
男の表情に、明確な動揺が走った。
「――兄さん、やけに詳しいな」
「以前、ギルドで証明書の偽造事件に居合わせたことがあるんです。あの時、正規の証明書の特徴を、じっくり見る機会がありましたので」
青山は、静かに、しかし確信を持って告げた。
「これは、既存の証明書を使い回したものではなく、新たに偽造されたものではありませんか」
男は、しばし沈黙した後、開き直ったように鼻を鳴らした。
「……ふん、まあ、多少の作り直しはしてるさ。だが、それがどうした。バレなきゃ、それでいいんだよ」
この一言で、青山の中の疑念は、完全な確信へと変わった。単なる"使い回し"などではなく、この一味は、独自の偽造技術を持つ組織的な集団だった。
「作り直しをしているのは、あなた自身ですか」
「まさか。俺はただの仲介だ。腕のいい職人が、別にいる」
「その職人と、直接お話しすることはできますか」
男は、探るような目つきで青山を見た。
「随分、踏み込んだことを聞くじゃねえか。……まあいい、本気で証明書が欲しいってんなら、話は早い方がいい。三日後の夜、街の外れにある廃倉庫まで来い。そこで、直接、話をつけられる」
「分かりました」
青山は静かに頷いた。
男が路地の奥へと去っていくのを見送ってから、青山は少し離れた場所に控えていた衛兵のもとへ向かった。
「聞いていただいた通りです。相手は、独自に偽造を行っている組織のようです。三日後の夜、廃倉庫で、その元締めと接触できるとのことでした」
衛兵の一人が、腕を組みながら唸った。
「廃倉庫、か。単独で乗り込むには、少々危険な相手かもしれんな」
「承知しています。ですが、元締めまで辿り着ける、またとない機会でもあります」
「気持ちは分かるが、無理は禁物だ。相手の規模次第では、こちらの態勢を大きく整える必要も出てくる」
もう一人の衛兵が、そう付け加えた。
「廃倉庫の場所は、この街の外れにある古い倉庫街の一角だな。あの辺りは、人通りも少ない。当日は、俺たちも近くに配置につく。何かあれば、すぐに駆けつけられるようにしておく」
「ありがとうございます」
「ただし、兄さんの方でも、事前にできることはやっておいてくれ。倉庫の周辺の地形、出入り口の数、逃げ道の有無。分かる範囲でいいから、把握しておいてほしい」
「承知しました」
「三日後まで、こちらでも態勢を整えておく。無茶はするなよ」
青山は頷き、その場を後にした。
宿へ戻る道すがら、青山は今夜のやり取りを、頭の中で丁寧に反芻していた。
翌朝、青山はギルドに立ち寄り、レイナにも昨夜の顛末を報告した。
「証明書の紙質や印章に、明確な偽造の痕跡があったんですね」
「はい。おそらく、専用の型を用いて量産している可能性があります。相手の言う"腕のいい職人"というのが、その製造元でしょう」
レイナは、報告を聞きながら、手元の羊皮紙に丁寧に書き留めていった。
「型を使った量産となると、これまでのような一過性の偽造とは、規模が違ってきますね。もし本当に組織立った偽造工房のようなものがあるとすれば、被害はこの街だけに留まらないかもしれません」
「三日後、廃倉庫でその元締めと接触できる見込みです。衛兵の方々にも、既に協力をお願いしています」
「分かりました。ギルド側でも、念のため、これまでに発行された証明書のうち、疑わしいものがないか、改めて確認を進めておきます」
青山は頷きながら、心の中で改めて気を引き締めた。
(紙の厚み、印章の傾き。どちらも、ほんの僅かな違いに過ぎない。だが、その僅かな違いが、真実へと繋がる糸口になる)
前世の職業病とも言える、細部への執着。それが、この異世界でもまた、青山を救う武器になっていた。もっとも、青山自身は、この力を過信するつもりはなかった。今回も、もし男が証明書の実物を見せなければ、この違和感に気づく術はなかったはずだ。
(運も、実力のうちと言えなくもないが……油断は禁物だ)
三日後の廃倉庫での接触。相手がどれほどの規模の組織なのか、まだ全貌は見えていない。「腕のいい職人が、別にいる」という男の言葉が、青山の頭の中で、何度も繰り返し響いていた。
単なる小悪党の副業ではなく、専門の型を作り、量産できるだけの技術と設備を持った者が、この背後に存在している。だとすれば、これまでの事件とは、規模も危険度も、一段違う相手になるかもしれない。だが、その正体を突き止めることができれば、この街に潜む不正の根そのものを、断つことができるかもしれない。
夜風に吹かれながら、青山は静かに、これからの三日間の動き方を、頭の中で組み立て始めていた。まずは、廃倉庫の周辺について、できる限り下調べをしておく必要がある。人目を避けて動くための経路、逃げ場のない状況に陥らないための備え。慎重に、しかし着実に、次の一手を固めていくつもりだった。




