第18話 裏路地の誘い
投資詐欺の一件から半月ほどが経ち、カルドナの街にも、青山の名前は一段と広く知れ渡るようになっていた。
もっとも、青山自身の生活そのものは、大きくは変わっていなかった。相変わらず、ギルドで受けた簡単な依頼をこなし、時折、街の人々から持ち込まれる相談ごとに耳を傾ける。その繰り返しの中で、青山は着実に、この世界での生活基盤を築きつつあった。
依頼の内容も、少しずつ幅が広がってきていた。荷運びや伝令といった単純な作業に加え、契約書の確認や、取引相手の身元照会など、青山の"目"を頼りにした依頼が増えている。とはいえ、青山自身の証明書は、いまだに最初に取得した初級のままだった。中級以上の依頼を正式に受けるには、それ相応の実績と審査が必要になる、とレイナからは説明を受けていた。
急ぐ話ではない、と青山自身も思っていた。証明書の等級を焦って上げることに、大きな意味があるとは考えていなかったからだ。だからこそ、その日の夕刻に受けた声かけには、余計に強い違和感を覚えることになった。
ある夕刻、依頼をこなした帰り道、青山は路地裏を通り抜けようとしたところで、一人の男に呼び止められた。
「兄さん、少しいいか」
人目を避けるように、路地の奥へと引っ込みながら、男は声を潜めて話しかけてきた。粗末な身なりだが、目つきだけは妙に鋭い。
「何でしょうか」
「あんた、まだ初級証明書だろう。……実は、ちょっとした伝手があってな。中級の証明書を、格安で譲ってやれるんだが、どうだ」
青山の中で、すぐさま警戒信号が灯った。
「格安で、というと」
「相場の半分以下でいい。訳ありでな、持ち主が急に冒険者稼業から足を洗うことになって、証明書だけが宙に浮いちまってるんだ。正規の手続きを通せば、名義の変更にも面倒な審査が必要になるが……まあ、その辺りは、うまくやる方法がある」
男は、意味ありげな笑みを浮かべた。
青山の頭の中で、これまでの経験が、一気に警鐘を鳴らし始めていた。
(正規の手続きを避ける、格安、しかも人目を避けての取引。三拍子揃った、典型的な"怪しい話"だ)
だが、頭ごなしに拒絶するのではなく、まずは相手の話をもう少し引き出すべきだと、青山は判断した。
「その"うまくやる方法"というのを、詳しく聞かせていただけますか」
「難しい話じゃないさ。証明書ってのは、本来、発行元のギルドで厳重に管理されてるはずのもんだが……実は、地方の小さな支部だと、管理がずさんなところも少なくない。そういう支部から流れてきた"空き"の証明書に、新しい名前を書き加えるだけで済む」
「つまり、偽造ではなく、正規に発行された証明書の"使い回し"ということですか」
「そういうことだ。偽造品とは、わけが違う。バレる心配も、ずっと少ない」
「その"空き"の証明書は、どのようにして手に入れているんですか」
青山が重ねて尋ねると、男の表情に、わずかな苛立ちが浮かんだ。
「そこまで根掘り葉掘り聞かれちゃ、こっちも商売あがったりだ。まあ、伝手がある、とだけ言っておこう」
男の説明は、一見すると、これまで見てきた偽造証明書の手口とは、微妙に異なるものだった。だが、青山の中の違和感は、消えるどころか、むしろ強くなっていた。
(正規に発行された証明書だとしても、名義を書き換えて他人に売り渡す行為自体が、既に不正の一種だ。それに――)
「うまくやる方法がある」という言葉の曖昧さ。地方の支部の管理の甘さを、さも当然のことのように語る口ぶり。それらの端々に、この男自身が、単なる仲介者ではなく、この不正の流通経路に深く関わっている気配が感じられた。
「今すぐ、返事をいただく必要はないんだが、あんまり長く待てる話でもなくてな。興味があるなら、明日の夜にでも、また声をかけさせてもらう」
男はそう言い残すと、路地の奥へと姿を消していった。
一人残された青山は、しばらくその場に立ち尽くしたまま、今聞いた話を頭の中で整理していた。
(この話、単に自分一人が乗るか乗らないかの問題じゃない)
もし、これが本当に一つの流通経路として存在しているのだとしたら、既に多くの証明書が、同じような形で不正に取引されている可能性がある。第10話で見た、あの偽造証明書の一件とは、また別の角度から、ギルドの管理体制そのものに穴が空いているということになる。
青山は、その足でギルドへと向かった。
「レイナさん、少しお時間よろしいですか」
ちょうど閉館作業をしていたレイナは、青山の表情を見て、すぐに何かあったのだと察したようだった。
「何かあったんですか」
「実は、少し妙な話を持ちかけられまして」
青山は、路地裏での出来事を、順を追って説明した。話を聞くにつれ、レイナの表情が、次第に険しくなっていく。
「……証明書の"使い回し"ですか。それは、正直、初めて聞く話です。ですが、可能性としては、十分にあり得ると思います」
「地方の支部での管理体制について、詳しい方はいらっしゃいますか」
「本部から定期的に監査は入っているはずですが……正直なところ、全ての支部を完璧に把握しきれているとは、言い切れません」
レイナの言葉には、以前、投資詐欺の一件のときと同じような、制度の限界に対する歯痒さが滲んでいた。
「もし、この話が事実なら、由々しき問題です。中級以上の証明書は、それだけ責任の重い依頼を受けられる証でもありますから。それが、素性の知れない人間の手に渡っていれば……」
「依頼主にとっても、大きな危険に繋がりかねません」
青山の言葉に、レイナは深く頷いた。
「青山さん、その男との約束、どうされるおつもりですか」
「明日の夜、もう一度接触があるはずです。今度は、もう少し踏み込んだ話を聞き出してみようと思います」
レイナは、少し心配そうな顔をした。
「危険はありませんか。相手が、思いのほか大きな組織と繋がっている可能性もあります」
「承知しています。ですが、この機を逃せば、次にいつ手がかりを掴めるか分かりません」
青山の脳裏には、前回の投資詐欺の一件が思い起こされていた。証拠を固めるまでの時間との勝負、そして、相手が姿を消す前に動くことの重要性。同じ轍を踏まないためにも、慎重かつ迅速な対応が求められていた。
「分かりました。念のため、明日の夜は、衛兵の方にも待機してもらうよう、手配しておきます」
「助かります」
ギルドを出た青山は、夜の帳が下りたカルドナの街を、宿へ向かって歩いていった。
(証明書の"使い回し"。この裏に、一体どれほどの規模の不正が広がっているのか)
投資詐欺の一件を通じて得た、証拠を積み上げる手順と、周囲との連携の重要性。それらの経験が、今回もまた、青山の判断を支える土台になっていた。
だが同時に、青山の中には、拭いきれない緊張感もあった。今回の相手は、単独犯ではなく、何らかの組織的な繋がりを持っている可能性が高い。もし深入りしすぎれば、これまでのように、証拠を突きつけて終わり、とはいかないかもしれない。
(慎重に。だが、確実に)
その二つの姿勢を、両立させる必要がある。青山は、夜空を見上げながら、明日の夜に備えて、静かに気持ちを整えていった。
宿への道すがら、青山はふと、投資詐欺の一件の際にジークが口にした言葉を思い出していた。「こういう手口の連中は、この街だけの話じゃない」――あの言葉は、今回の一件にも、そのまま当てはまるように思えた。
個々の詐欺師や不正の手口は、それぞれ形を変えて現れる。だが、その根底にある構造――制度の隙間を突き、急かし、判断力を鈍らせるという手法は、驚くほど共通していた。一つの街で、一つの手口を潰したところで、また別の場所で、別の形の不正が生まれる。その繰り返しに、根本から立ち向かうには、どうすればいいのか。
青山の中に、まだ形にはならない、しかし確かな問いが芽生え始めていた。その答えを探る旅は、まだ始まったばかりだった。




