第14話 原石の輝き
ギルドから相談役就任の打診を受けてから、数日が経っていた。
青山はまだ、その返事を保留にしたままだった。急ぐ話ではないというレイナの言葉に甘えて、じっくりと考える時間を取っている。
その日も、青山はいつも通り、市場での小さな依頼をこなしながら街を歩いていた。荷運びの仕事を終え、報酬を受け取ったところで、見知らぬ男に声をかけられた。
「もし、あなたが青山さんですか」
柔和な笑みを浮かべた、四十がらみの男だった。仕立ての良い服を着ており、一目で裕福な商人だと分かる出で立ちだった。
「そうですが、何か」
「お噂はかねがね。あなたのように、目端の利く方に、ぜひお声がけしたいと思いましてね」
男は名乗った。ヴォルグという名の、薬種商だという。
「実は今、とある画期的な発明にまつわる出資者を、限られた人数だけ募っているところなんです。青山さんのように、慎重で信頼の置ける方にこそ、この話を知っていただきたい」
(――来たか)
青山の中で、静かな警戒信号が灯った。不特定多数ではなく、あえて「信頼の置ける人物」を選んで声をかける手法は、地面師詐欺においても、よく使われる常套句の一つだった。相手に「選ばれた」という優越感を抱かせ、警戒心を緩ませる。
前世の記憶が、脳裏をよぎる。あの日、青山に近づいてきたコンサルタントも、似たような言葉を使っていた。「青山さんだから、この話を持ってきたんです」――その一言に、当時の青山は、確かに心を動かされていた。信頼されている、見込まれている、という感覚が、判断力を鈍らせる甘い罠になり得ることを、青山は骨身に染みて知っていた。
だが、ここで即座に拒絶するのも早計だった。相手の話の内容を見極めることも、裏取りの一環だ。感情的な反発だけで判断を下せば、それもまた、冷静さを欠いた行動になりかねない。
「話だけでも、伺ってもよろしいですか」
「もちろんです。立ち話も何ですから、少し場所を移しましょう」
案内されたのは、市場からほど近い、こぢんまりとした商館だった。入り口には、真新しい布地の垂れ幕がかけられ、「未来を変える発明、ここに」といった趣旨の文言が、金の縁取りで飾られている。中に足を踏み入れると、壁には錬金術めいた図面や、複雑な紋様の描かれた掛け軸が、いかにもそれらしく飾られていた。
中に入ると、既に十数人ほどの人々が集まっており、皆、期待に満ちた表情を浮かべている。用意された椅子には、上等な布張りが施され、テーブルの上には、この場に不釣り合いなほど豪華な茶菓子まで並べられていた。
(――金をかけている)
青山はその一点に、まず違和感を覚えた。派手な演出には、それ相応の資金が必要だ。まだ何の成果も出ていない発明の説明会にしては、あまりに気前が良すぎる。もっとも、これも単なる印象論に過ぎない。慎重に、事実だけを積み重ねていく必要があった。
やがて、正面に立った一人の男が、朗々とした声で話し始めた。ヴォルグとは別の、若く恰幅の良い男だった。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私、錬金術師のセルジオと申します」
セルジオと名乗った男は、傍らに置かれた台の上から、ごくありふれた灰色の石ころを一つ、摘み上げてみせた。
「これは、そこらの河原にでも転がっていそうな、何の変哲もない石です。ですが――」
セルジオは、その石を、傍らの小さな鉢に満たされた、赤黒い液体にゆっくりと浸した。
「私が長年の研究の末に完成させた、独自の触媒です。この触媒には、あらゆる鉱物に眠る"魔素"を活性化させ、物質そのものの性質を凝縮・変質させる作用があります」
会場に、小さなどよめきが広がった。セルジオは、石を液体から取り出すと、恭しく両手で捧げ持ちながら、何事かを低く呟いた。呪文めいた言葉が、静まり返った会場に響く。
やがて、セルジオが手を開くと――そこにあったのは、先ほどの灰色の石ではなく、青白い光をたたえた、見るからに価値のありそうな鉱石だった。
「これが、"魔鉱石"です。武具の強化や、上級の魔道具の素材として、市場でも引く手あまたの品です」
会場から、感嘆の声が漏れた。青山の隣に座っていた、恰幅の良い中年の商人も、身を乗り出すようにして目を凝らしている。
「本当に、変わっちまった……」
青山もまた、その変化を、注意深く見つめていた。もっとも、青山の視線は、鉱石の輝きそのものよりも、セルジオの手つきと、鉢の位置、そして周囲の視線の動きに向けられていた。
(――今の一瞬、セルジオの袖が、不自然に鉢の縁に触れていた)
断定はできない。だが、長年、契約書の細部に目を凝らしてきた青山の観察眼は、あの一瞬の所作に、確かな違和感を刻み込んでいた。
「この変成には、実は、原石の代金以上に、大きな元手がかかります」
セルジオは、会場を見渡しながら、続けた。
「触媒そのものが、遠方の秘境でしか採れない稀少な素材から精製されるためです。しかも、この触媒は、一度の変成で使い切ってしまう。原石は、皆様ご自身で集めていただいても構いません。ですが、この触媒を用意する費用だけは、どうしても避けて通れないのです」
「それだけの元手をかけて、割に合うのか」
誰かが、そう声を上げた。
「もちろんです。触媒の元手を差し引いても、変成後の魔鉱石は、原石の何十倍もの価値を持ちます。今回、皆様に出資をお願いしたいのは、まさにこの、触媒の製造費用なのです」
セルジオの説明は、実に滑らかだった。専門用語らしき言葉を交えながら、変成の理屈を、いかにも科学的な根拠があるかのように語っていく。
青山の隣に座っていた、恰幅の良い中年の商人が、興奮気味に肘で突いてきた。
「なあ、あんたも見ただろ。本物だ。あんな変化、手品なんかじゃできっこねえ」
「……そのお話、どちらでお聞きになったんですか」
「知り合いの紹介さ。その知り合いも、また別の知り合いから聞いたって話でね。まあ、こういう話は、早い者勝ちだろう」
青山はその返答に、内心で小さくため息をついた。伝聞の伝聞。情報の出所を辿ろうとしても、途中で必ず途切れる構造になっている。これもまた、詐欺話が広まる際によく見られる特徴の一つだった。
「もちろん、この話には裏があるのでは、と疑われる方もいらっしゃるでしょう。ですが、ご安心ください。今回の出資枠は限られており、既に賛同いただいた方々からは、確かな成果報告をいただいております」
会場の熱気は、時間を追うごとに高まっていった。セルジオの言葉が一区切りつくたびに、拍手や歓声にも似た反応が上がる。青山は、腕を組みながら、セルジオの言葉一つ一つを注意深く聞いていた。同時に、周囲の反応にも意識を配る。集まった人々の表情は、期待と興奮に満ちていた。中には、既に懐から財布を取り出しかけている者もいる。
(この空気そのものが、演出の一部だ)
青山はふと、会場を見渡した。壁際に、一人だけ、腕を組んで無言のまま会場を眺めている老人の姿があった。他の参加者たちのような高揚感は、その顔には一切見られない。むしろ、どこか冷めた目つきで、セルジオの一挙手一投足を観察しているように見えた。
(あの人も、俺と同じような見方をしているのかもしれない)
青山はその老人の存在を、記憶の片隅に留めておくことにした。
青山の中で、いくつもの違和感が積み重なっていった。まず、実演で使われた石そのものを、後で検証する術がないという点。次に、触媒の稀少素材について、産地も調達ルートも一切語られていない点。そして何より――。
「セルジオ殿、一つ伺ってもよろしいですか」
青山は静かに手を挙げた。会場の視線が、一斉にこちらへ向く。
「先ほどの触媒の材料となる、稀少な素材についてですが。具体的に、どちらの地で採れるものなのでしょうか」
セルジオの表情に、ほんの一瞬、動揺のようなものがよぎった。だが、すぐに柔らかな笑みで取り繕う。
「素晴らしいご質問です。……とはいえ、この産地の情報は、私の長年の研究の結晶であり、企業秘密に類するものでして。詳細をお話しすることは、控えさせていただいております」
「では、先ほど変成された魔鉱石は、実際にどちらで売却される予定でしょうか。市場での取引実績を、確認させていただくことは可能ですか」
「もちろん可能ですが、皆様、お忙しい方々ばかりですので、すぐにというのは難しいかもしれません」
当たり障りのない、しかし具体性を一切伴わない返答だった。青山はそれ以上、質問を重ねなかった。この場で追及を続ければ、周囲の期待に水を差す形になり、かえって青山自身が「場の空気を読めない人間」として扱われかねない。それは、今後の情報収集において得策ではなかった。
「本日はご説明、ありがとうございました。少し、考えさせていただいてもよろしいですか」
青山がそう告げると、隣にいたヴォルグが、わずかに眉をひそめた。
「青山さん、実はこの出資枠、今夜中にご決断いただかないと、埋まってしまう可能性が高いのです。せっかくの機会ですので、できれば――」
「申し訳ありませんが、大きな判断を、その場の勢いで下すことはしないと決めています」
青山ははっきりと、しかし穏やかにそう告げた。
ヴォルグは一瞬、苦い顔をしたが、すぐに笑みを取り繕った。
「……そうですか。分かりました。それでは、明日の昼までお時間を差し上げましょう。それが、こちらとして精一杯の譲歩です」
「ご配慮、感謝します」
商館を出た青山は、夕暮れの空を見上げながら、静かに息を吐いた。
(限られた時間の中で、どこまで裏取りができるか)
明日の昼まで。決して十分な時間とは言えない。だが、青山にはこれまでの経験から、動くべき方向が、既にいくつか見えていた。
まずは、「既に成果を得た」という商人たちの実在を確認すること。触媒の材料や、変成後の魔鉱石の売却先について、可能な限り情報を集めること。そして、あの実演の一瞬――セルジオの袖が鉢の縁に触れた、あの不自然な動きの正体を、突き止めること。さらにもう一つ、会場の隅で一人だけ醒めた目をしていた、あの老人のことも気にかかっていた。あの人物が、青山と同じように違和感を覚えているのだとすれば、話を聞く価値があるかもしれない。
夜の帳が下り始めた市場の通りを、青山は宿へと向かって歩き始めた。頭の中では、先ほどの説明会の様子が、繰り返し反芻されていた。
豪華な内装、伝聞に伝聞を重ねた成功譚、産地を頑なに語らない触媒の説明、そして「今夜中」という当初の期限。一つ一つは、決定的な証拠とは言えない。だが、それらが幾重にも重なり合ったとき、青山の中の警戒信号は、無視できないほど明確な輪郭を持ち始めていた。
(明日の昼まで。それまでに、できる限りのことをしておこう)
宿の部屋に戻った青山は、寝台に腰掛けながら、ヴォルグから渡された案内状を、改めて手に取った。そこに記された「セルジオ」という名前と、商館の所在地。この二つの情報を手がかりに、まずは何から確かめるべきか。青山は暗くなった窓の外を見つめながら、静かに思考を巡らせ続けた。




