第10話 偽りの証明書
カルドナの商業ギルドは、街の中央広場に面した、ひときわ大きな石造りの建物だった。
二階建ての外観は、村の建物とは比べ物にならないほど堅牢で、正面には金属製の紋章――剣と天秤を組み合わせた意匠が掲げられている。天秤は、この街における商いの公正さを象徴しているのだろうと、青山は勝手に想像した。
朝、宿の主人との気まずいやり取りをきっかけに、青山は改めて考えていた。この街に長く滞在するのであれば、いつまでも身分の知れない旅人のままではいられない。何らかの形で、この世界での身分証を得ておく必要がある。宿の主人からも、「まともな身分証がなけりゃ、いずれ商売の話も、宿の契約もままならなくなるぞ」と忠告を受けていた。
ギルドの扉をくぐると、内部は思いのほか広く、朝だというのに既に多くの人で賑わっていた。受付には数列の行列ができており、それぞれの窓口で、羊皮紙を手にした職員が手続きを進めている。
壁には、様々な等級のランク証明書の見本が掲示されていた。木札に刻まれた等級の印、それに紐づく紋様。青山はその一つ一つを、順番を待ちながら注意深く目に焼き付けていった。
(これが本物の"形"だとすれば、偽物との違いを見抜く手がかりになる)
前世の職業病とも言える習性が、ここでも自然と顔を出していた。書類の様式、印章の位置、紙質。それらを一通り記憶するだけで、後々の判断材料になる。
列に並ぶこと小一時間、ようやく青山の順番が回ってきた。
「本日はどのようなご用件で」
窓口の女性職員は、事務的な口調で尋ねてきた。青山と同年代くらいだろうか、きっちりと結い上げた髪と、隙のない所作が印象的だった。
「新規登録をお願いしたいのですが」
「では、こちらの書類にご記入ください。出身地、これまでの職歴、この街での活動目的――正直に、分かる範囲でご記入いただければ結構です」
差し出された羊皮紙には、いくつかの記入欄が並んでいた。青山は、ペンを取る前に、まず用紙全体をじっくりと眺めた。透かしの模様、紙の厚み、インクの色合い。すべてが均一で、明らかに正規の様式であることが見て取れる。
(この用紙自体が、偽造対策として機能しているわけか)
記入欄を埋めながら、青山はふと考えた。出身地については、正直に書くわけにもいかない。かといって、明確な嘘を書けば、後々の裏取りで矛盾が生じかねない。青山は、「遠方の小村の出身、現在は記憶の一部が定かでない」という、事実に近い、しかし詳細を伏せた表現を選んだ。
記入を終え、用紙を提出すると、職員はそれに目を通しながら、静かに頷いた。
「結構です。では、こちらで簡単な適性の確認をさせていただきます。荷物運びや護衛、伝令といった基礎的な依頼を受けられる、初級の証明書を発行いたします」
手続きは、青山が想像していたよりも遥かに事務的で、拍子抜けするほど淡々と進んでいった。むしろ、そのあまりの手続きの正確さに、青山は好感すら覚え始めていた。
しかし――。
自分の手続きを終え、証明書の発行を待つ間、青山はふと、隣の窓口でのやり取りに耳を傾けることになった。
「この証明書があれば、中級の依頼を受けられるはずです。至急、確認をお願いします」
その声の主は、青山と同じくらいの年齢の、身なりの良い男だった。彼が差し出しているのは、既に発行済みのものらしい、中級の等級を示す証明書だった。
窓口の職員――先ほどとは別の、年配の男性職員が、その証明書を手に取り、目を細めた。
「……失礼、少々お待ちください」
職員の表情に、微かな変化が生じたのを、青山は見逃さなかった。
(――何かが引っかかっているのか)
青山は自分の証明書の発行を待つふりをしながら、それとなくその様子を観察し続けた。
職員は証明書を光にかざし、裏返し、指先で紙の質感を確かめている。青山の目にも、その証明書は、先ほど壁に掲示されていた見本と、外見上はほとんど区別がつかないように見えた。だが、青山の中で、あの独特の「引っかかり」が、静かに反応していた。
(透かしの位置が、微妙にズレている)
壁に掲示されていた見本では、透かしの紋章は用紙のちょうど中央に配置されていた。だが、男が提出している証明書は、その紋章がわずかに――本当にわずかに――右に寄っている。素人目にはまず気づかないであろう、ほんの数ミリの誤差だった。
職員も、同じ点に気づいているようだった。証明書を何度も見比べながら、次第に眉間の皺を深くしている。
「お客様、この証明書の発行元と発行日を、改めて伺ってもよろしいですか」
「……北の支部で、半年ほど前に発行されたものです。何か問題でも?」
男の声に、わずかな苛立ちが滲んでいた。それは、単なる手続きの遅れへの苛立ちにしては、少し種類が違うように、青山には感じられた。
職員はしばらく沈黙した後、静かに立ち上がった。
「恐れ入りますが、こちらの証明書について、本部への照会が必要になります。少々、奥の部屋でお話を伺えますでしょうか」
男の顔から、明らかに血の気が引いた。
「――いや、そこまでの手間をかけていただく必要は」
「規定ですので」
職員の口調は、丁寧だが有無を言わさぬものだった。二人はやがて、奥の部屋へと消えていった。
残された青山は、静かにその一部始終を反芻していた。
(あの証明書は、恐らく偽造品だ)
自分の【査定眼】が反応したのは、透かしのズレという、ごく物理的な矛盾だった。だが、それと同時に、あの男の受け答え――質問をされるたびに、微妙に言葉を選び、視線を泳がせていた様子も、青山の記憶に鮮明に残っている。
しばらくして、青山の証明書の発行手続きも完了した。木札に刻まれた初級の印を受け取りながら、青山は先ほど声をかけてくれた女性職員に、それとなく尋ねてみた。
「先ほどの方は、大丈夫だったんでしょうか」
職員は一瞬、答えるべきか迷うような素振りを見せたが、小さく息をついてから口を開いた。
「詳しいことは申し上げられませんが……最近、この街では、偽造された証明書を使った依頼詐取の被害が、少しずつ増えているんです。中級以上の証明書は、それだけ高額な依頼を受けられますから」
「なるほど……」
「見た目はよく出来ているんですが、うちの職員は皆、見本を叩き込まれていますから。いずれ、必ず見破られます」
その言葉に、青山は静かに頷いた。
(この街には、既に対策の仕組みがある。だが、それでも被害が"少しずつ増えている"ということは――)
偽造技術の側も、それに合わせて巧妙化しているということだ。今回のように、わずかな透かしのズレという些細な違和感が、唯一の手がかりになる場合もある。だが、その手がかりすら潰されるほど精巧な偽物が現れたとき、この仕組みはどこまで機能するのだろうか。
青山の脳裏に、ふと第2部の予感めいたものが過ぎった。この街で見た小さな詐欺の芽は、決して氷山の一角にすぎないのかもしれない。
ギルドを出ると、昼下がりの日差しが、石畳の広場に眩しく反射していた。青山は手にした木札――初めてこの世界で得た、自分自身を証明するための小さな証を、ゆっくりと握りしめた。
(俺にできることは、まだ小さい。だが――)
この街には、恐らくまだ見えていない詐欺の種が、いくつも埋まっている。そのすべてを暴くことはできなくとも、自分の目に留まったものだけは、見過ごさずにいたい。
青山はそう心に刻みながら、賑わう市場の通りへと、静かに足を踏み出した。




