第二話 知らない俺
「……アルト?」
俺を案じて追いかけてきた母さんの震えた声で我に返った。
村の入り口で、巨大な魔獣がゆっくりと倒れた。
三千人もいる頭の中が静かなせいで、自分の唾を飲む音がやけに大きい。
ふと周りを見渡すと、村人たちの無数の目が俺を映していた。
「お、お前がやったのか……?」
「いや、その……」
説明できるわけがない。
なんなら、俺が一番知りたい。
何をしたんだ?
あの一撃は、俺の知るどんな剣術でも、魔法でも、体術でもなかった。
いや…三千回の人生、そのどれにも存在しない。
「おい、早く逃げろ。」
突然、頭の中で誰かが呟いた。
今度はいつもの会議ではない。
たった一人、そう、あの低い声だった。
「お前は、誰だ。」
俺は思わず返事を求めた。
たが、帰ってくるのは沈黙のみ。
代わりに、三千人の人格たちがざわめき始めた。
「話しかけるな。」
「聞くな。」
「まだ早い。」
「思い出すな。」
「神との約束を破るぞ。」
俺は眉をひそめた。
神との約束?
なんの話だ、そんなもの、聞いた覚えがない。
「お前ら、何を知ってる?」
誰も、何も答えない。
こいつらは、何かを隠している。
三千人全員が。
ーーーーーーーーーー
その日の夕方。
村は大騒ぎになっていた。
魔獣を一撃で倒した少年。
そんな噂はあっという間に広がる。
「アルト君!」
「すごかったぞ!」
「勇者様だ!」
違う。
俺は勇者じゃない。
「あぁいや、勇者だったことはあるけども。」
「だからその発言はややこしい!」
思わず独り言が漏れた。
「誰かいるの?」
母さんが不安そうに首を傾げる。
「大丈夫だよ、母さん。」
…正確には三千人くらいいる。
ーーーーーーーーーー
夜。
眠れなかった。
ベッドに横になっても、落ち着かない。
母さんは下戸なのに、村の勇者誕生高なんだかの宴の付き合いで飲んだ酒で潰れてしまった。
仕方なく、村の宿屋に母さんを泊まらせ、俺は家を守るために帰路についていた。
最近のこの辺は魔物が多く物騒だ、家を空けたままにはできない。
誰もいない家はがらんどうで活気があった分、恐怖感も増す。
誰かに話しかけようにも、誰もいない。
静寂が夜の闇を包む。
普通の人はこれくらい静かなんだろうか。
いつもなら、
「左向きで寝ろ。」
「いや右だ。」
「睡眠時間は八時間。」
「夜襲に備えろ。」
「腹筋百回。」
と頼んでもないのに騒がしいが、今日は誰も話さない。
その沈黙か、不気味だった。
「おい。」
俺は呼びかけた。
「誰でもいい。誰か話せ。」
帰ってくるのは無音と、反響する俺の声だけ。
「眠れないか。」
あの声がようやく返事をする。
「お前が三千十三番か。」
「そうだ。」
「お前は一体誰なんだ!」
鼻で笑う気配。
「お前自身だ。」
「そんなんは、分かってる。」
「いいや、分かっていない。」
数秒の沈黙のあと、話が始まった。
「三千回の人生は、お前が生きた人生ではない。」
「……………は?」
こいつは、一体、何を言っている。
俺は全部覚えている。
剣聖になって剣を極めたことも。
魔王になって世界を統べたことも。
鍛冶屋として名刀を打ったことも。
全部、そう全部だ。
普段は煩わしいと思うが、俺はそれぞれの人生を悔いなく生きた。
「記憶はある。」
間髪入れず、声が続ける。
「だが、お前は生きていない。」
意味が分からない。
「なら、誰が生きたんだ、俺以外の?」
「まだ言えない。」
「だから一体お前は、何なんだよ!」
思わず叫んだ。
今まで必死に生きた自分を否定されたようだった。
その瞬間。
部屋の窓が音もなく開き、冷たい風が吹き込んた。
そして、黒いローブの男が立っていた。
「あぁ、やっと見つけた。」
三千回の人生で何度も暗殺者と戦った。
だが、こんなに接近されるまで気づかなかったことなど一度もない。
こいつは…なんだ、わからない。
「やぁ、三千十二番。」
男は俺を見てにっこりと笑う。
「あぁやっとだ、ようやく見つけた。」
おかしい、こいつ、俺の転生回数を知っている…。
「おまえは、誰だ?」
「つれないなぁ、君を回収しに来たんだよ。」
…回収?
意味が分からない。
とりあえず、この男の間合いからでなくては…。
考えるより先に、男はゆらりと一歩踏み出す。
その瞬間。
頭の中で三千人が一斉に叫んだ。
「はやく、逃げろ!」
「絶対にここで戦うな!」
「勝ち目はない!」
「寝ぼけてたら死ぬぞ!」
俺は姿勢を下げて、転がるように前へ出る、男の白刃が髪を掠める感覚に浸るまもなく、背後の窓へ一目散に飛び込んだ。
数秒、家が真っ二つに吹き飛んだ。
轟音と共に家だった木材が宙を舞う。
「ツッ…!」
今の一撃を食らっていたら間違いなく即死だった。
男の影が煙の中から揺らめきならゆっくり近づいてくる。
「そうか、やはり記憶が残っているか。」
複数回の転生を繰り返したおかげか、俺は他人の視線に人一倍敏感になった。
見ればだいたい何を考えているかわかる程度に。
そしてこの男…。
その視線を、俺は知っていた。
商人だった頃、壊れた商品を検品するときに、俺も同じ目をしていた。
「実はね、君は失敗作なんだ。」
男は手で顔を覆った。何かを隠すように。
「…失敗作?なんのことだ?」
「あぁ、そうか君は教えられてないのか。」
男は言う。
「君の数は狂ってるんだ。」
「数…何の話だ?」
「魂は1人一つ…転生繰り返してれば知ってるよね?」
「なのに、君の魂だけなんと三千近くもあるんだ。」
「魂の総量は一定で、それは絶対のルールさ。」
「ひとりがルール破りしちゃぁいけない。」
男が指を鳴らす。
ぐゃりと月が、いや、空間が歪んだ。
そこから現れたのは、液体のような…人形。
いや違う、鎧だ。
全身真っ黒な騎士が十体。
「だから、世界の均衡のために君を処分しにきた。」
その瞬間、三千人が初めて一つになった。
「アルト。」
誰も口論しない。
誰も騒がない。
全員が同じ言葉を言った。
「もう隠している時間はない。」
体が熱い、脳が焼けるように痛い。
激痛に思わず涙して、声にならない声を叫ぶ。
記憶、記憶、記憶…。
頭に今までの記憶が、せきを切ったように流れてくる。
剣を握り、素振りに明け暮れた日々。
魔王として、魔族を統一し、秩序をもたらした栄光。
王の責務、王冠の重み。
裏切られ、地の底から成り上がった執念。
極寒の地を救った竜の炎の煌めき。
精霊として、和平のために捧げた讃美歌の数々。
少し土の入った爪で、子どもを抱き上げる幸福。
…無数の人生が流れ込む。
そして、見えた。
巨大な白い部屋その中心に佇む円卓。
周囲に座る三千人の『俺』たち。
全員の視線が俺に向けられていた。
その中央、玉座に座る、一人の男。
顔は見えないが、分かる。
あいつが…三千十三人目だ。
男は静かに立ち上がる。
「さぁ、会議を始めよう。」




