イギリス篇 中章&断章 15
1940年12月20日 4:52
ゆっくりと準備を整える。あの時同じように。もう二度と袖を通すまいと思っていた服に袖を通し、支度を整える。重い外套を羽織り留め金をかけた。
今朝は月明りすらない。
絶好の出立日和だ。
「そういえば、お前は新月を喜んでいたな。
今日は、塹壕の土を顔に塗っておけば、誰も俺たちには気が付かない。と。」
ゆっくりとホルスターから銃を抜く。
一日たりとも手入れを欠かしたことのない、ルガーP08R。
伝令兵用にカスタムされた‥‥‥いや、カスタムした銃だ。軽量化と隠匿性の向上のためにショートバレル化された銃。多くのメリットを喪った銃。それでも、伝令兵たちには、この銃は渡された。
1カートリッジ、9発の弾倉。伝令兵には、1カートリッジの他に、たった1発の9ミリ弾が渡される。
伝令兵が捕虜になることを恐れた自決用の弾丸であり、そして、裏切者を撃つときに使用する弾丸でもあった。
「伝令兵になるための最後の1ピースだ。お前は、そう言っていたな。おれは、その1ピースを使う勇気がなかった。」
ゆっくりと、装填を追え立ち上がる。もう、ここに戻ることはないだろう。
エントランスは静かだった。邪魔するものなどいない。それを象徴するように。
静かに横切ると、入り口の扉ではなく通用口を開いた。
凛とした冷たい空気が、この決意をさらに重いものにしてくれる。
「シュレッターは‥‥‥Mark127は、無事に帰れただろうか?」
ふと出た言葉に苦笑いを浮かべた。当然のことだ。彼の特異性が知れた今、MI6が、なによりイギリス軍が逃しはしないだろう。今頃は、安全な場所で帰国の時を待っているはずだ。
不意にワーゲンのライトの光が網膜を焼いた。どうやら、出迎えらしい。ゆっくりと近づき、大きなサイドカーに荷物を置いて腰かけた。
「では頼む。」
「行先は、フランクフルトでよかったな。
——ブレンド」
声に驚いた。運転手が、ゆっくりとゴーグルを外した。
その下から出たのは、見知った顔だった。
「シュレッター。なぜ」
「まあ、あれだ、帰国までの1週間。休暇をもらえた。
休暇中ならば自由行動も止むえないって、上司の判断だ。休暇と成ったら、せっかくだから、死の街フランクフルト観光もしたいって思っただけだ。あそこは、写真にもとられていないからな。
それにだ。
俺も、お前の元バディに言いたいこともある。
理由なんてそんなもんさ。」
ぐっと出たものを抑え込んだ。
「この馬鹿野郎が」
その言葉は、照れ隠しにしかならなかった。だが、それは、たった2か月でできた即席バディにもバレバレだったらしい。人懐っこい笑みを浮かべたシュレッターは再びゴーグルを掛けなおした。
「これからが、本番だ。
行こうぜ、総統閣下っていうあんたの最高のバディの顔を拝みな」
ベルリンの街。黄昏が深い最も暗い中をワーゲンのエンジン音とライトが切り裂いていく。
まだ夜明けは遠くにあり、真実は、その闇の中にあるのだとしても。
すでに、動き出した物語は、止められるはずもない。
これで、イギリス篇 中章は終わりになります。




