イギリス篇 中章 14
予想はしていた。
そして、知ってもいた。
だが、待ち構えていたはずの衝撃は、はるかに大きなものだった。
「あいつとは、この部屋で初めて会った。窓ガラスについた水滴が氷つくほど。寒い冬だった。
俺は、希望に満ちていた。
ドヴェルグの兄貴。大魔女ヒュルトゲンの森を冠するラインの叡智メルル。そして、ライン会議のそうそうたるメンバーたち。そんな中で、弱っちい俺も轡を並べて戦場をかけることが出来る。
そんな青臭い理想に……
魅入られて……憑りつかれていた。」
ゆっくりとブレンドは部屋の窓を開けた。
今さらに気が付いた。
そのはるか先に‥‥‥総統府が輝きを放っていた。
「かつて、あそこには総司令部があった。そして、ここで待機すること3日。今でも思い出す。」
沈黙と、真の冬を知らせる窓を叩く雪風の音が静かにそこにあった。
「お前が、俺の相棒か?
お前みたいな――ちびが?
これが、あいつと交わした最初の言葉だった。」
長い長い、沈黙の硬い大岩をたたき割るように、そこ出でたのは小さな哀愁とそれと郷愁の芽だった。それを感じさせることに、そして、表面に出すただそれだけのことに、どれほどに待っていたのだろうか。そして、どれほどの葛藤があったのだろうか?
俺には理解することなど、とても、できそうにない。
否。理解などしてはいけない。
たった、数か月を過ごした俺とブレンドの間にあるこの関係は、塹壕と弾雨の中で結ばれた本物のバディが再び出会うための時間だった。
俺は、理解してはいけない。
だが、まだ諦めてはいけない。
彼をおいていくことなどもはや考えられないことだらだ。
「ブレンド。イギリスに帰るんだ。また、未来にこの場所に戻って来るんだ。ここには……」
「帰る手段がないんだ。シュレッター。いや、Mark127。
俺は、ここまで逃げ続けていた。逃げて、逃げて‥‥‥目をふさいでいた。耳をふさいでいた。
だが……」
テーブルの上に視線が映る。そこに置かれたのは、ハーケンクロイツと黄金の穂の天秤が刻まれた割れた封蝋。封を解かれた封筒。
嬉しそうに。だが、どこか決意を固めた様にブレンドは、それを見ていた。
「フランクフルト。1週間。残された時間だ。」
「そんなばかな。フランクフルトは、毒ガスまみれの土地だろう。生きるものなどない。そう記されているような場所だ。なんでそんなところに」
ひどく疲れて、そして、酷いほどに懐かしさが皺となった顔だった。
もう、隠すことなどないのだろう。
穏やかな。そして、ゆっくりとした語り口だった。
「おれとあいつが、最初の伝令を行った街。
だからか。
おれは、そこで現実を知った。
教えられた。
あいつに。」
言葉が出ない。何かを言わないといけないそう分かっているのに、それは喉の奥で熱い空気のままに渦巻くだけで言葉という形になり得ない。ゆっくりとブレンドが近づいてくる。
その手が肩に置かれる。
大きくて、節だっていながら、優しい手だった。
「ジョンブル。身だしなみを整えるんだ。そして、あきれるほどの称賛を浴びろ。イギリスに帰るんだ。
そして、皆に認められた英雄に成れ。
飽きるほどの称賛と名誉を浴びるんだ。
いつか、戦争が終わったのならば‥‥‥俺たちは再び出会うこともできる。
それまで、生き続けろ。」
冷たい廊下を背中に感じる。ゆっくりと押されている。
だが、抗するための言葉も力もない俺は、ゆっくりと廊下に出てしまう。部屋から体がすべて出たことを確認したブレンドは……静かに微笑みを浮かべた。
納得した。満たされた笑みだった。
「そうだ、それでいい。
ありがとうな。
お前と過ごせた。そして、もう叶わないと思った夢を再び見れた。
だが、そろそろ起きる時間だ。
お前は、理想の中に戻るんだ。」
ドアが目の前で閉る。
「それでも、諦めないからな。おまえを連れて帰る。俺は絶対に」
静かに決意から吐き出した声は、一拍、遅れて誰にも届かなかった。
ゆっくりと立ち上がる。閉ざされたドアを見る。
そして背を向けた。
ホテルから出る。今は、とにかく情報と力が必要だ。しかし、相手はその力の片鱗すら見せていない強力な相手。まずは、泉の魔法使いに助言を仰ぐことが重要だろう。そう思いベルリンホテルに走る。
「グレンダーグ・佐藤・シュレッター。」
忘れていたわけではない。ただ、考えが及ばなかっただけだ。
まるで司祭のような出で立ちの軍服おそらくは、礼装を身にまとっているあのタクシーを運転していた男性だった。意志を持った視線が、こちらを貫くように見据えている。
逃がさない。
それは、そう言っているように見えた。
「こちらに来てもらえないでしょうか?」
手を後ろに組んだまま、こちらを見ている。一部の隙も無い。
「はい行きます。とでも言うと考えているのか?」
男は、ええっ。とまるでそうなることが、当たり前であるように首是した。
「あなたは、重大な罪を犯そうとしている。このことに気が付いているか?
勝敗はすでにつき、静かに終わろうとしているこの戦争。
皆が、静かに終わらせようとしてたこの戦争。
お前は、たった一人で再び燃え上がらせようとしている。」
後ろに組んだ手をゆっくりと広げる。手にはモーゼルP38とハシバミの十字架がそれぞれ握られている。
「ドイツを蘇らせたわが父は、それを望んだ神を信じよと言った。
貴様らのような、狂信的な虚像たる神ではなく。
真なる神を信じよといった。
ドイツはその言葉と、ナチズムとの連帯と連携により復興したのだ。
進んだ時計に身を任せていればよかったものを、その時計の針を逆に回す。
貴様らは、やはり大罪の抱きし亡者」
まるで、聖言のように、男性の口から言葉が出る。その声に呼応するように後ろにも気配を感じる。包囲されたかと、身構えた瞬間だった。
「少しいいかしら?ベルリンホテルに行きたいんだけど、道はここであっているかしら?」
気配から聞こえたのは、女性の声だった。透き通るようなソプラノボイス。ゆっくりとその気配が横を通り過ぎて間に入った。
「後ろのボウイに案内をお願いしていたんだけど。見失ったから、わざわざ私が探しに来たっていうわけ。
なに?あなた、銃なんか突き付けて……ああ、なるほどチンピラに絡まれていた彼を助けてくれたのね」
無造作にゆっくりと近づいていく。男性は、少し諦めた様に目を閉じると銃をホルスターに収めた。
「囲まれたのは私の方だったか」
ゆっくりと出たのは諦めの言葉だった。男性は、ゆっくりと軍帽をとった。
女性が、息をのんだのが聞こえた。
「アーサー?」
女性の口からは、何かを確かめるような声が聞こえ、まるで自分に言い聞かせるように
「そんなわけないか」
と言い、ゆっくりと頭を振った。
「私は、そんな名前ではありませんよ」
「そうね。少し昔の知り合いに似ていたから、そう思っただけよ。道案内のボウイを助けてくれて、ありがとう。助かったわ」
手で、さっさとついて来いと合図されると、そのままついていくしかなかった。ふと振り返ると、男性は、静かにたたずんでいた。その手がモーゼルP38の銃座を撫でている。早く行けとでも言いたそうなその動作は、酷く寂しそうに見えた。
なぜならば、ここはベルリンの中心地。今は、ここから、一刻も早く立ち去るしかないからだ。視線の先にはベルリンホテルが見える。それが、これほどまでに安堵できるものだとは思いもしなかった。




