イギリス篇 中章 13
約束された勝利だった。
それをあざ笑うものなど誰もいない。誰もが、俺を見て、俺を賞賛した。
安全が約束された場所で。昼まで深く、深く眠り。起き出して、廊下を歩く。
敬礼に――返礼を返す。
少し、いい気持だ。
だが、まだ終わりじゃない。
あの使用人は言っていた。
真実の探求怠るべからず。その道々端々までもお天道様がみている。と。
お天道様という聞きなれない言葉。それを理解するために、ディベートしたのもいい思い出だ。
ベルリンホテルから出ると、太陽が目に飛び込んできた。
冬の太陽。
こんなに、鮮やかに、ただ冷たい光を投げかけるものだった。そう思い返すほどに、その光は痛々しいほどにこちらを貫いてくる。
「お前は、伝令兵に向いている」
2か月の訓練の末に、ブレンドから言われた言葉が頭をよぎった。
俺は、意味が理解できなかった。電信が発達したこの時代に、俺は、時代遅れだって言ったんだと思っていた。その怒りをぶつけた時、少し寂しそうな笑みを浮かべたブレンドの顔が脳裏をよぎった。
「……そうだな。ブレンド。おれは、確かにランナーで、メッセンジャーだ。」
軽くなったメッセンジャーバッグをつかみ、そうつぶやく。中のカメラもフィルムもすべて、差し出した。その重さは、信用になり、信頼になり。そして、不帰の命をひっくり返すだけのものになった。
「帰ろう。ブレンド。おれたちの場所に。おまえも、そうなんだろう?」
自分に言い聞かせるように、言葉が出た。無事に帰る。そして、また来る。
それでいいだろうと。
安堵の声の中で思い、そして、覚悟した。
「……なんでだ?」
ゆえに、出た言葉に理解が追い付かなかった。
ブレンドの瞳は、揺らいでいるように見えた。
だが。
「俺は、帰らない。栄誉も、名声も。お前がすべて一人で握るべきだ。」
「そんなことは言っていない。何もかも、まだ始まったばかりだ。俺は……」
「栄誉を得るんだ。名声を挙げるんだ。それでいいだろう」
この。
この老兵……。
「そ……」
「俺は、お前がそうやって、イギリスに帰って。出世して。今までの優秀な連中を顎で使いながら、退役まで。――のうのうと椅子にふんぞり返っている光景が見えているぞ。」
悔しいが、口では一手も二手も劣る。
だが、引くつもりなどなかった。俺は、俺なりのやり方で、達成して見せる。
「だからな…………」
「だからな。一緒に帰りたいんだよ。ブレンド。いや……偽竜騎兵。あんたは。ここにいていい人間じゃない。」
ただ、真実を告げた。ブレンドの顔が一瞬強張った。
「それは、石の円卓から聞いたのか?」
「いや、俺の探求の成果だ‥‥‥1916年1月12日。かねてより優秀と言われていたが、そのバディ‥‥‥ヒルデ特務上等兵を喪失した伝令兵に新たに超人を組ませることにする。彼は、戦闘力こそ劣るものの、その足の速さと卓越した危機察知能力で必ずや戦場に新たな風を紡いでくれることだろう。彼と、新たなる戦力の共闘が、戦術をさらに飛躍させることは十分に期待できることだろう」
「1915年12月25日令を呼んだのか。」
ゆっくりと俺は首を縦に振った。
彼は……あの地獄の中を、朋友と駆け抜けた。まさに英雄であった。
だからこそ、待つ必要があった。再び口を開く時を。
「そうだ。
お前は、そこまで行き着いたのだな。
やはり、見込み通りだった。
お前に、賛辞を贈りたい。
いや。贈りたかった。
「お前は、すごい奴なんだ。少しは誇れ」
そう言ってやれれば、どれだけ楽だったことか……」
不器用そうに、かすかに口角を上げ、目元を緩めた。
彼らしい。
賞賛だった。
「ならば‥‥‥今という好機を逃すべきではない。今ならば。MI6も全面協力してくれる。一緒に帰ればいいじゃないか」
生を望む熱い声が、喉から出た。だが、それを喰らいつくすほどの冷たく痛い沈黙が、部屋を覆った。
ブレンドは黙ったままだった。何かを言おうと。それを考えている。
それだけが分かった。
「1918年5月‥‥‥フランスを主軸とする通商連合国は。一つの作戦を立案していた。
作戦の本懐は非常に単純。
復讐だ。
すでに対応能力の無くなったドイツ本国への大規模侵攻作戦。
それは、その作戦の本質を取って、
『ネメシス作戦』
と、名付けられた。
作戦の開始と同時に、ベルギーを経由して、かろうじて生きていた鉄道網を利用し、彼らは、ドイツを荒らしまわった。村が焼け、街が蹂躙され。彼らを守るために、微力な対抗をもって立ち上がった民衆は、無力にも踏みにじられた。その進軍は留まることなく、ヒュルトゲンの森に達しようとしていた。」
ゆっくりとブレンドが息を吸うのを感じた。
「結論から言うぞ。彼らは、その全力をもってしても、ヒュルトゲンの森を超えることはできなかった。
失った兵は3割を超えたころに、帰還命令が出され、命令違反として‥‥‥それを指揮した将校たちは、その責を問われた。
その中には、今のお前の上司である、石の円卓の代表兼副代表‥‥‥今の神秘学室の長も含まれていた。
責は、国家への忠誠。まあ、そういうところだ」
ブレンドは、笑みを浮かべた。
悲しい笑みだ。
哀愁を感じる笑み。
右の頬を少し上げ、左の目を垂れさせる。それで笑っていると多くの人は思うだろう。
違う。
泣いているんだ。今だから、いや、今まで居続けたからこそ。分かる。
「ヒュルトゲンの森。その名は‥‥‥メルルといった。大魔女。冠するもの。メルル。
ドイツ帝国に嫌われながら、自ら軍を引き、森に帰った。
その大魔女は、無礼者に、幻想的な地獄で応えた。ヒュルトゲンの森を超えたものはなく。
すべて、森に還った。」
一息を着いた。ブレンドが、テーブルの上の水を一口飲んだ。
重要なことを言おうとしている。
固唾が、喉を滑り落ちた。
「そのメルルの姉貴が。手も足も出ずに敗れた。
1923年‥‥‥ドイツ国民党。ナチス生誕。
その前に、ヒュルトゲンの森に、その男が訪れたことは、知られていない。」
暖炉の木がはぜる音が大きく部屋に響いた。入り込むことのないほどの、極寒の空気はいよいよ部屋を蹂躙しようとしていた。
「一切の手も出せず完敗した。
全てを。今までの全てを喪った。
メルルの姉貴は、そういうと、泣きながら、俺の店の一番高い酒をすべて明けて、机に突っ伏した。
メルルの姉貴。
ラインの知恵とも称された。
大魔女は、ロンドンの場末で自らの涙に沈んだ。
メルルの姉貴は‥‥‥一人の男に敗れた。
男は、一人の少女と共に現れ、無数と共にに、森を蹂躙した。
男は‥‥‥おびえる姉貴に。
自らの名を教えた。
アドルフ・ヒトラー。
俺と――第一次世界大戦を駆け抜けた。
……元バディだ。」




