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誘われる人、誘う人  作者: 下心 薫
弾けるポップコーン
11/12

弾けるポップコーン SIDEーA

 会社帰りの映画館は、閑散としていた。

 客席に座っている人の数は、数えられるくらいに少ない。


 僕が座った席は中段のほぼ真ん中。

「大型スクリーンで観る映画は、端の席と中央の席とでは見え方が全然違う。絶対に真ん中で観るべき」、これは自称、映画通である友人の言葉。


 僕は通路側が好きだった。

 それはつまらない映画だった時に、途中で抜け出すことが出来るし、エンドロールを最後まで観なくても済む、そう思っていたからだ。

 だけどそれを友人に話したら、最後まで観てもいないのに、つまらないと判断するなんて製作者に失礼だし、エンドロールの途中で帰るなんて、以ての外だと断罪された。

 それ以来、僕は映画を真ん中の席で観るようにしている。

 実際のところ、違いは良く分からないのだが……


 フードコーナーで買ったポップコーンを右側のドリンクホルダーに入れて席に着く。

 予告編を眺めながら過ごす時間、それは本編以上に心が躍る。

 僅かな時間に見所を詰め込む予告編は、例えどんなジャンルの映画であっても、観たいという気持ちにさせられる。

 これには感心するが、実際観てみると大した事がなかったり……

 そんなのも良くある事だ。


 同じ列に一人の女性がやって来た。

 座席が僕よりも奥のようで、申し訳無さそうな目をして訴えかけてくる彼女。

 反対側の通路から入ってくればいいのに……

 そんな思いが頭を掠めた。


 しかしスクリーンの光に照らし出されたモノトーンの彼女に、僕の心は揺さぶられる。

 ポニーテール、丈の短かいスカート、細身の身体にフィットしたセーター、ほのかに漂う香水……

 きっと僕の好みだ……


 僕は膝を抱え込むように引きつけ、前の座席との間に充分なスペースを作った。

「すいません……」

「どういたしまして……」

 彼女は申し訳無さそうに通り抜ける。


 左手にポップコーンを持っていた彼女は、隣の席に座った。

 僕の心が躍る。空席だらけなのに、タイプの女性と隣り合わせだなんて……

 彼女は座るなり、ポップコーンを右手に持ち替えてドリンクホルダーに収めた。

 程なくして館内の照明が完全に落とされ、本編の上映が開始される。


 それから数分後……

 ポップコーンの入った容器に手を伸ばした時、柔らかなものが触れた。

 僕の心臓が早鐘を打つ。彼女の手に触れてしまったのだ。


「すみません……」

 ほぼ反射的に言葉が出た。

 彼女は、こちらをちらっと見て会釈する。

 合わせて僕もお辞儀をした。

 だけど、ふと思った。

 右側のドリンクホルダーに入っているのは、僕のポップコーン……

 それを取ろうとして、手が触れたと言う事は?

 間違えたのは僕じゃなく、彼女のほう。

 恐らく彼女は、それに気付いていない。


 指摘するべきか、見過ごすべきか、迷った。

「これ僕のポップコーンなので……」

 これでは、()()()、に続く言葉が思い当たらない。


「間違っていますよ……」

 これだと、ストレート過ぎて器の小さい男に思われてしまう。


 そんな事を考えている間にも、映画は進行していく。

 スクリーン上では、ラブシーンが映し出されていた。

 妻子ある男性が、魔性の女と裸で激しく抱き合うシーン……


 広い観客席の中にポツンと隣り合う僕と彼女。

 このシーンを彼女も観ている、そう思ったら、心がザワザワし始めた。

 そして同時に、隣に座っている男も観ているのだ、と彼女に思われているとしたら……

 そんな事を想像したら気恥ずかしくなってきた。


 そんな思いを掻き消そうと、ポップコーンへ手を伸ばす。

 すると再び彼女と手が触れ合う。

 今度は、僕の手の甲に、彼女の手の平。しっとりとした彼女の手が吸い付くように僕の手を覆う。

 時が止まったような気がした。


 僕と彼女の視線が重なり合う……

 スクリーンから反射した光が、彼女の顔を浮かび上がらせる。

 色彩のない戸惑い顔が、妙に色っぽい。

 館内には男と女の喘ぎ声が響き渡る。

 この奇跡のタイミングが、僕にときめきと恥じらいを同時にもたらした。


 なぜか僕のほうを見たまま動かない彼女。

 何か言いたそうで、微かに唇が動くが言葉は出てこない。

 ただ見つめ合ったまま時間が流れる……


 スクリーン上では、相変わらずベッドシーンが展開されている。

 それは終わる気配がなく延々と……

 僕はゴクリと唾を飲んだ。 

 そして、一瞬彼女から視線を外す。

 視線を外すとその先にあったのは、彼女の右側に置かれたポップコーン……

 次の瞬間、彼女は僕の視線に気づき、口元を覆った。


「ごめんなさい…… 間違えちゃいました」

 僕の耳元に口を寄せて、彼女が囁いた。

 その吐息が、さらに僕を刺激する。


 彼女は右側に置かれていた、まだ手をつけていないポップコーンを、僕との間に置き、空になりかけていた容器と差替えた。

「良かったら、一緒に……」

 上目遣いで僕を見つめるその表情に、心をくすぐられる。


 それから先、僕と彼女の手は、何度も、何度も、重なった。

 重なる度に見つめあい、お互い笑顔を交わす。

 彼女が手を伸ばすタイミングを見計らって僕が手を出すと、彼女も同じ事をした。

 ただ手が触れ合うだけ…… ただそれだけなのに、そのもどかしさが僕の男を昂ぶらせていく。

 いつまでもこのままで、と言う遊び心と、ここを出て、もっと深く関わりたい、という男の本性。

 二つの気持ちが胸の中を行き来する。


 やがて、ポップコーンは食べ終えた。

 そして、エンドロールが流れ始める。

 映画の内容はちっとも頭に入って来なかった。


 だけど、僕には魅惑的なラブストーリーが続く……

 きっと……

 早く原色の彼女に会いたい。

 僕はエンドロールが終わる前に席を立った、彼女の手を握って。


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