宝の行方
静かに涙を流す速水の目。まるで自分を置いてこの世を去った仲間のようだ。何もかもを諦めて優しく微笑みながら消えていった悲しい目。胸の痛みを思い出してアキラは顔をしかめた。
このまま速水と西森を離れ離れにしていいのか。ふとした疑問がアキラの中に湧き上がってくる。大切な人の願いを叶えたい。でも、それが本当に速水と西森を別れさせることなのか。小さな疑問は速水の目を見つめることでより大きく成長していく。心の迷いからアキラは速水から目を伏せた。
大切なものを奪われる気持ちはよくわかる。そして同じ想いをしたたくさんの仲間と共に長い間過ごしてきた。もう生き残っているのは自分しかいない。悲しい現実に抗うように必死に何かを探していた仲間たち。心を無くした自分に人の優しさを教えてくれた。
最期、この世を去る決意をしたであろう夜。急に笑って、お前は俺たちのようになるなと明るく肩を叩かれたけれど。仲間たちの秘めた想いに気づけなかった。彼らが死を決意したとアキラがわかった時、親父や兄貴分に頼んで必死に行方を捜したが遅かった。発見されて何度揺すっても動かない安らかな顔を目の前にして、アキラは生まれて初めて泣いた。子供のように童心に返って涙が枯れるまで。
お前は俺たちのようになるなよ。
あれは希望を託されたのだとわかって、またアキラは悲しくなって泣いた。仲間から希望を託されるよりも、一緒に生きてほしかった。どんなに苦しくても、悲しくても。すべてを飲み込んで思うがままに生きてほしかった。一緒に年をとりたかった。
彼らが生きて老いていくことを許さなかったこの世界が憎い。一生懸命に生きていた仲間たちを絶望させた世界が、アキラは心の底から憎かった。
「。。。。」
弱いものは攻撃したくない。気持ちを何度伝えても無視され続けた。自分は人の心を無視したくはない。弱いからと責めたり思い通りにもしたくない。忍耐強く、最後まで向き合っていたい。
速水を見つめる。純粋な目だ。自分の大切なものをちゃんと知っている。それを返してほしいと心から懇願している。一途で真っ直ぐで迷いがない。こんなに優しくて温かい無防備な目を攻撃することはできない。
亡くなった仲間たちに約束した。この世界で生き抜いてやる。自分の想いを偽ることなく真っ直ぐに。優しく温かく。人は何度でも、どんな状態でもやり直すことができる。悲しい苦しい心を持っていても、温かい世界で生きていける。生きることで証明したい。アキラの夢だ。
この世界は優しくて温かい。
そんな世界になったから大丈夫だ。もう一度一緒に生まれて共に生きよう。仲間たちに胸を張って伝えたい。その一心だった。
速水の純粋さは痛いほどわかる。深く傷ついて、底知れぬ悲しみを背負った目が優しさや温かさを求めている。今の速水は信用できる。でも、かつて速水のような純粋な目をしていたのに、ふとした瞬間に黒い憎しみの炎を宿して人を傷つけていった仲間もいた。速水はどちらだろうか。
「俺には。。判断できない。。こんな目をしたこの人を攻撃できない。。」
苦しく呻くアキラの声が静かに響いた。速水は真っ直ぐにアキラを見つめている。この願いが届かなくてもいい。アキラに打ちのめされてもいい。ただ西森を想っていたい。ずっと西森のそばにいたい。
大きなため息が聞こえた。不思議そうに見つめる速水をアキラは穏やかに笑っている。納得したように頷いて、わかりましたとはっきり告げた。
「親父に会ってください。ご案内しますよ。。俺じゃあ力不足ですから。えっと、そちらの方も一緒に来ますか?」
アキラの言葉の意味がよくわからなくて速水は瞬きを繰り返す。きょとんとした顔のまま動かない速水を穏やかに受け止めながら、大丈夫ですよとアキラは口を開いた。
「親父にその想いを伝えてください。あなたが暴走したら、俺が止めます。だから、心のままに。恐れないで」
アキラの告げた意味がわかったのか速水は驚いた表情を見せて、ゆっくりと大きく頷いた。純粋な目の中に温かな優しさが溢れていく。二人を見守っていたさつきが気絶している杉崎を抱えてそばにやってきた。
愛というものを信じてみたい。暗闇の中から光が溢れるその瞬間を信じていたい。速水の想いが本物であることを心からアキラは祈った。
柔らかな何かに体全体が包み込まれている。とても寝心地が良くて気持ちいい。でもどこか落ち着かない。まどろむ意識を振り払って西森は重い瞼を開けた。見たこともないような天井だ。じっと見つめているとキラキラ輝いていて、黄金色の美しい刺繍が施されている。天井なのに?咲き誇る大きな花や龍のような動物の刺繍もあって、あまりの豪華さにしばし心を奪われる。重い体をゆっくりと起こして辺りを見回した。
ここはどこだろう。とても綺麗な所だ。寝ていた布団に触ってみるとふわふわしていて西森の手を優しく包み込んだ。
「目覚めたかね?気分はどうかな?」
深みのある優しい声だ。その中にどこか高圧的なものを感じて西森は体を咄嗟に震わせた。小さく体を縮ませながら声の主を捜す。奥の扉が開いていて車椅子に乗った初老の男がゆっくりとやってきた。初めて見る人だ。恐怖を感じた西森が自分は連れ去られたのだと思い出して警戒心を露にする。鋭く睨む西森に老人は優しく笑った。
「。。出会った頃の静子さんにそっくりだ。。懐かしい。まるで静子さんが私にもう一度出会ってくれたかのようだよ」
老人の口から出てきた言葉に西森は驚いて警戒するのを忘れた。大好きな祖母の名前に何もかも意識が飛んで老人に問いかける。なぜ祖母を知っているのか。なぜそんなに優しい声なのか。西森はたくさんの質問を老人に投げ掛けた。老人は穏やかに微笑んでいる。
「静子さんの人生をご存じかな?。。その様子では、引退した静子さんしか知らないようだな。静子さんは君に何も言わなかったのだろう。何から話そうか。。静子さんには本当に助けられてばかりだった」
懐かしそうに目を細める老人に西森は驚きながらも少し近づいていった。祖母の話をするこの老人は優しくて穏やかで、大切なものを楽しげに語っている。豪華なベットの上に正座をして老人に向き合った。礼儀正しい西森に、足を崩しなさいと苦笑しながら老人はゆっくりと口を開いた。
「静子さんが娘を置いて家を出たのは知っているね?それから、あの人は家計を支えるために当時の花街に入ったのだよ」
花街。。とてもきらびやかな芸者と躍り。色香漂う美しくも妖しい街。西森も母親からそれとなく聞いていたので驚かなかった。幼い頃から見ていた祖母はとても綺麗な人だったし、どこか少女のようなあどけなさもあった。
「そこでね。。私と静子さんは出会ってね。花街の芸者にしては気さくな人だったよ。優しくて朗らかで。酒を飲みながら、娘を置いてきたことをほろりと打ち明けてくれた。その時から、私は静子さんの虜だったのだろうねぇ」
ずっと胸に秘めていた一人娘の存在。家が傾き、名の知れた名家だった西森家は娘の面倒を引き受ける代わりに家計を支えろと静子に迫った。愛しい我が子のため花街に入って、会えない娘への想いを初めてさらけ出したのだ。
「一途な想いに心を打たれたよ。それから西森家の現状を調べて。大変なことがわかってね。現実はあまりに残酷で。。私は静子さんに嘘をついたんだ」
西森家は再興のために時間がかかる。だから花街よりも私の仕事を手伝ってほしい。西森家のために私を助けてくれ。
「西森家の当主にはもう静子さん以外に嫁として相応しい人がいたんだ。静子さんは愛人だったんだよ。。本人には知らされていなくてね。。本妻に子供が出来なかったから、静子さんと関係を持った。静子さんが娘を出産して跡取りが出来たんだ。用が済んだ静子さんは知らぬ間に追い出されてしまったんだよ」
昔はよくある話だと老人は悲しそうに呟いた。亡くなるまでそのことは静子には伏せていたと言う。
「あんなに西森家からの迎えを待っていたんだ。言えるはずがないよ。だから、私の元で働いてもらおうと思ってね」
ちょうど身寄りのない子供や犯罪に手を染めてしまった大人の更生施設を作ろうと老人は思っていたらしい。有り余る財力を人の役に立てたい。長年の夢を現実にするために人を探していた。自然に溢れた穏やかな環境を選び、建物は立てたものの引き取った子供や大人がなかなか心を開かない。十分な食事と寝床、衣食住を備えても上手くいかなかった。
「私は貧しい所から、一つ一つ小さなことを積み重ねて事業を大きくしていったんだ。温かさを知らない子供や大人を引き取って、協力しながら一緒に生きていくことが幼い頃からの夢でね。傷ついた心を持つ人達の安心できる居場所を作りたかったんだよ。でも、上手くいかなくてね。。私が提供できるのは形だけのものだったんだ」
身の安全を確保できて未来を約束されても、生きることには繋がらなかった。老人は悲しそうに力なく笑っている。西森は何とか励ましたくて恐る恐る近寄った。心配そうに見つめる西森を老人は優しく見つめる。静子さんにそっくりだね。嬉しそうに笑って口を開いた。
「傷ついた者たちに必要なのは温かな心だったのだよ。悲しみも苦しみも憎しみも。優しく包み込む大きな心の器だった。私にはそれがなかった。静子さんと話をして酒を飲み交わすうちに、この人こそ必要だと思ったんだ」
悲しい現実を知らせずに悪いことをしたと老人は何度も話している。自分の夢に縛り付けて悪かったと。西森は静かに目を伏せて老人の手を優しく握った。深い皺がたくさん刻み込まれている。この手で傷ついた多くの心を救おうとしたのか。労るように何度も撫でた。
この人のそばに長い間過ごした祖母の気持ちがわかる気がする。祖母はきっと自分が西森家の愛人だとわかっていたのではないかなと西森は思った。生前祖母が艶やかに微笑んだあの笑顔、秘めた恋をしているのだと今ならわかる。それはきっと西森家の当主、自分の祖父ではない。愛する人とずっと祖母は暮らしたのだ。西森は嬉しくなって優しく笑った。
「静子さんが私の元を去ったのは、静子さんの体の負担からだ。花街で体を酷使していた静子さんの体は限界だった。空気が綺麗で人も温かいと私が実感したこの田舎町に静子さんを静養させようと決めたんだ。これまでの感謝を込めて。花が好きな静子さんに大好きな花に囲まれてほしいとな」
それで小さな花屋を開いたのかと西森は大きく頷いた。こじんまりとした古い家具と鳩時計がある優しい花屋。捨てられる予定だったものを引き取って使っていたという。祖母らしい。
「遠くから見守っていたよ。大切な人だったからね。あの人は何も求めなかった。いつも嬉しそうに笑っていた。ただ一つだけだね。私に願い事をしたのは」
不思議そうに見つめている西森を優しく笑って、懐から古びた手紙を取り出した。老人のうちポケットにオレンジ色のカリフォルニアポピーが大切に押し花として保存されているカードのようなものを見つけて西森は思わず息を飲んだ。そんな西森に気づかず老人は手紙を広げる。愛しそうに見つめながら一つ一つ噛み締めるように撫でていた。西森に渡した後、促すように優しく見つめている。西森は小さく頷きながら祖母の遺した手紙を読んだ。
親愛なる御主人様
お仕えした身として、このような手紙を贈ることをお許しください。どうしてもあなた様にお願いしたいことがございます。
私の孫のことです。どうか御主人様のお力であの子をお守りください。
両親から勘当されて、あの子には私一人しか頼れるものがいません。私はもう長くはない。。この命が尽きるのに何ら悔いはありませんが、あの子を遺していくことが唯一の心残りです。あなた様が見守ってくれるのなら、こんなに嬉しく心強いことはありません。
愚かな私の願い、どうかお聞きくださいますよう、心からお願い申し上げます
静子
読み終えた西森は手紙を胸に抱き締めた。体が小刻みに震えている。優しい祖母の手紙だ。自分への強く温かい心が伝わってきて胸が熱くなった。どんな時でも受け入れてくれた。優しく包み込んでくれた。
「お祖母ちゃん。。」
涙が溢れて止まらない。西森の前では辛そうな姿を見せなかった。西森の心が深く傷ついているのを知っていたからだ。西森は何度もしゃくりあげ子供のように泣いた。西森の頭を優しく老人が撫でる。西森が泣き止むまで老人は何度も優しく撫で続けた。
「え!?俺を連れ去ったのは、試すためなんですか!?」
ひとしきり泣いた後、祖母の手紙を老人に返しこの事件の真相を西森は聞いた。老人から速水は危険だと言われ戸惑う。速水の過去を知っている西森に老人は驚いたようだが、知っているだけではどうしようもないことがあるのだと強く諭された。
「衝動というものは経験した者でないとその恐怖はわからない。悲しい過去を抱えて、それでも人を愛することはとても強い意志と忍耐が必要だ。速水という男が君を傷つけないという保証はないだろう。私は危険なものを君に近づかせたくはないよ」
強い老人の目に西森は困惑する。確かに自分には憎しみの深さはよくわからない。速水が抱えているものの大きさも怖さも、正体もはっきりと感じることはできない。それでも。耐えるように目を閉じていた速水になぜか甘えたい気持ちが溢れてきてそっと口づけを贈った。固まったまま信じられないと拒絶しているように動かないので悔しくて何度も触れる。驚いたように目を見開く速水が心の底から愛しかった。
「お爺さん。お爺さんの気持ち、とても嬉しいです。守られてたんだなって心強い。。でも、速水さんは。。優しい人です。たとえ大変でも。。俺がそばにいたいから」
真っ直ぐに見つめる西森の目を老人は何も言わずに受け止めている。複雑な色をした老人の目を西森は穏やかに見守っていた。
皆様こんにちは(*^^*)いかがお過ごしでしょうか?
お花屋さん 夏 も終盤に差し掛かりました。ここまで書くことができて本当に感謝感激です。小説を書くことは幸せだなぁ。。梅雨に入り雨とか酷いですが、皆様気をつけてお過ごしくださいね(*^^*)ではまた~☆




