密着三日目(1)
妖怪・携帯ショップブチギレジジイが来店するという金曜日。開店の三十分前に店舗に到着した町田さんは、バックヤードでブチギレジジイが来るのを待ちます。その両手には、黒い革手袋。先日見せてくれたマカロフPMをぶっ放す準備は万端のようです。
町田「拳銃に指紋が残ると、いろいろ面倒なことになるのでね。いつでも撃てるよう、今のうちから手袋をしておきます。ブチギレジジイが来てからの策もバッチリです」
ブチギレジジイが来店して店員さんを恫喝し始めたら、町田さんは裏口から出て表に回り込み、入店。そして、その場に偶然やって来た正義感の強いお客さんのふりをしてブチギレジジイに逆ハラスメントを仕掛ける、という作戦とのこと。
午前十時になり、男性の店員さんが自動ドアのロックを外します。すでにお店の前にいた、妖怪・携帯ショップブチギレジジイこと豊崎さんが入店しました。マネージャーの寺村さん自ら、カウンターで応対します。その後、五分足らずで、店内に流れるBGMをかき消すほど大きな怒声がバックヤードまで聞こえてきました。
ジジイ「だからあ! 訳のわからねえ専門用語使うんじゃねえっつってんだよ! 何が『あぷりけえしょん』だ! 知らねえよそんな言葉! わかりやすく伝えろ!」
始まったようです。ジジイの声を聞いた町田さんは、「行きましょう」と、お店の入口へ向かいます。その顔は、どこかワクワクしているように見えました。
町田「長く生きているだけで中身が空っぽな人間ほど、活きの良い老害になるんですよね。若い頃に努力をしてこなかった分、エネルギーだけは有り余っている。そういう奴には、どれだけ逆ハラしても全然心が痛まないので、思いっきりやれます。私の前でも、あの調子だと良いんですけどね」
入口に回り、自動ドアを開ける町田さん。一直線にジジイへと近づきます。
町田「すみません、うるさいんですけど。静かにしてもらえませんかね?」
町田さんは、椅子に座るジジイの背後から話しかけました。ジジイは首を回して町田さんの顔を見やると、椅子を動かして体を彼のほうへ向けます。この瞬間、ハラスメント対逆ハラスメントのゴングが鳴ったような気がしました。
ジジイ「なんじゃお前? 今こっちは取り込み中なんだよ! 黙ってろ!」
町田「……お前とか、黙ってろとか、随分と乱暴な言葉遣いですね。そういう言い方をしてはいけないって、小学校で習いませんでした? もしかして、義務教育を受けていらっしゃらない?」
ジジイ「はあ? 何言ってやがんだお前? おちょくってんのか?」
町田「お年を召してそうなのに、他人への接し方があまりにも幼稚だから気になっただけですよ」
ジジイ「ふざけんじゃねえぞこのガキ!」
挑発されたジジイは立ち上がり、町田さんの胸ぐらを掴みます。そして、眉間に深いシワを作った顔を、町田さんのほうへぐっと近づけました。ジジイなりの威嚇なのでしょう。しかし、町田さんは恐れるどころか薄ら笑いを浮かべています。いくつもの修羅場を潜ってきた彼にとって、この程度、脅しにはならないようです。その上、町田さんの身長がジジイより十センチ以上高いことも、恐れを感じない要因になっているのだと思えます。
町田「で? どうするの? これで終わり? おじいちゃんさあ、今、服を掴んでるだけだよ? それで何になるの? 服にシワがつくだけだよ?」
ジジイ「舐めやがって……」
町田「立場が弱い店員にしか強気になれないんだ? 自分より大きくて得体の知れない男には、ビビって胸ぐらを掴むのが精一杯? 情けないねえ。この前店員にやったみたいに、顔を殴ってみたらどう? ほら、やってみなよ」
ジジイ「貴様……高齢者だと思って調子乗ってると痛い目見るぞ!」
町田「そう。じゃあ早く見せてよ。ちんたらしてると、俺のほうが先に見せちゃうよ?」
町田さんはズボンの左ポケットから取り出したマカロフPMの銃口をジジイの足に向けると、引き金を引きました。ぱんっという軽めの銃声と共に射出された弾丸がジジイの右太ももを貫通し、お店の床にめり込みます。
ジジイが履いているジーンズが、どす黒く染まり始めました。何が起きたのかわからない様子で、ジジイは自身の足を見ます。徐々に痛みを感じ始めたのでしょう。ジジイは腕を震わせながら、町田さんの胸ぐらから指を離しました。
ジジイを蹴り倒す町田さん。ジジイは力なく、その場に尻もちをつきました。
町田「手荒な真似してすまないねえ、じいさん。けど、アンタはただのクレーマーじゃなくて、妖怪じゃないかって疑惑があるんだ。だから面倒な問答はさっさとやめて、撃たせてもらったよ。もし普通の人間じゃないなら、この程度、屁でもないだろ?」
ジジイ「な、なんてことしてくれとんじゃ……俺はただ……世直しをしようと……」
町田「世直しだあ!? てめえごときに世直しする権限なんてねえんだよ! ……と、気が済むまで怒鳴りたいところだが、今はやめておく。俺が知りたいのは、てめえがクレーマーをやってる動機じゃなくて妖怪かどうかだ。なあ? どうだ? 痛いか? 血が出てるから普通の人間っぽく見えるが、実際はどうなんだ? 正体を見せてみろ」
ジジイ「俺は世直しを……世直しを……世直し……世直し世直し世直し失敗。世直し世直し世直し失敗。世直し世直し世直し失敗」
ジジイは「世直し失敗」という言葉を繰り返しながら、ゆっくりと立ち上がりました。
ジジイ「世直し失敗。直ちに帰還せよ。世直し失敗。直ちに帰還せよ」
ぴんっと背筋を伸ばしながら、コマのように回転し始めるジジイ。その間も意味不明な言葉を、一昔前の人工音声ソフトを連想させる抑揚のない声音で口にし続けます。
町田さんはマカロフPMを構え、ジジイの腹部を目掛けてさらに二回発砲しました。ジジイが着ている白いワイシャツの左胸と右脇腹あたりがじわじわと赤く染まります。それでも、ジジイは回転するのをやめません。
町田「なんだこいつは……」
さすがの町田さんも、表情を引きつらせます。
カウンターの向こう側で二人のやりとりを見ていた寺村さんが、どこかへ電話しようとしました。彼女の動きに気づいた町田さんは、「待ってください」と制します。おそらく寺村さんは警察に通報しようとしたのでしょう。しかし、今の町田さんは拳銃を持っていて、発砲もしました。警察が来れば確実に逮捕され、逆ハラスメントどころではなくなります。
町田さんが寺村さんに気を取られたほんのわずかな隙に、ジジイは体の回転を止め、両足を曲げてしゃがみ込みました。そしてカエルのようにぴょんぴょんと床の上を跳ねながら、お店の入口へ向かいます。そのスピードは、本物のカエルとは比べ物にならないほど高速です。ジジイの正面には閉じたままの自動ドアがありますが、開くのを待つことなく突進。ガラスを突き破ってお店の外へと飛び出しました。
町田「しまった……」
町田さんもジジイを追って外に出ます。ですが、右を見ても左を見ても、ジジイの姿はありません。猛スピードで逃走したのでしょう。
完全に見失ってしまった……と思われましたが、ジジイの体から歩道に流れ落ちた血痕が、その行き先を示していました。
町田「これを辿って、ジジイを追跡しましょう。まだ私の仕事は終わってません。カスハラをさせないためには、逆ハラするよりも、そいつの命を取っちまうのがベストです。もしジジイが本当に妖怪なら、殺しても罪にはならないはず」
そう言って血痕に沿って駆け出す町田さん。命を奪う気満々です。




