密着二日目
翌週の火曜日、町田さんと共に、Aさんが勤める会社を再び訪問。入口で対応してくれた女性社員から、Aさんは昨日付で退職したことを聞かされました。念のため社内を確認させてもらいましたが、Aさんの姿はどこにもありません。町田さんと交わした約束を守ってくれたようです。
町田「逆ハラ成功です。●●さん(依頼人)に連絡を入れます。私の役目はここまでですね」
ビルを出て次の現場に向かうためのタクシーを待つ間に、町田さんは●●さんに電話をしました。いつ復職するのかは、●●さん次第です。
やって来たタクシーの後部座席に乗り込みます。これから向かうのは、某携帯キャリアの店舗だそう。お客さんから店員さんに対して行われるカスタマーハラスメント、略して『カスハラ』に関する依頼だと、町田さんは話します。
町田「依頼をくれた携帯ショップの責任者と打ち合わせをしに行きます。詳しいことは話を聞かないとわかりませんが、頻繁に来店しては店員に怒鳴り散らすじいさんがいるみたいですね。そいつに対する逆ハラを代行してほしいという依頼です」
カスハラもハラスメントの一つとして、接客業務を伴う職場を中心に大きな問題となっています。お客さんに対して店員さんはどうしても弱い立場になってしまいがち。そのため、過度なサービスを求められたり、暴言・暴行を受けたりといった事態が頻発します。カスハラをやめるようお客さんに呼びかける動きは大きくなってきていますが、まだまだ解消には至っていません。
町田さんも、カスハラを深刻な問題だと捉えています。
町田「店員がやり返そうものなら、SNSでさらされて、その店舗だけでなく運営会社全体の評判まで下げられてしまう。今はそういう時代です。けど、そんなリスクを店側が全部飲み込んで我慢するのも違うと思います。こういうときこそ、私のような外部の専門家を頼っていただきたい。一つ一つではありますが、店に負担をかけることなくカスハラ野郎を確実に潰していきますので」
先週の町田さんの仕事ぶりを考えると、その言葉には説得力があります。これから向かう携帯ショップが抱えているカスハラ問題も、町田さんなら何とかしてくれることでしょう。
十五分ほどで、依頼があったお店に到着。店舗マネージャーの寺村麗さんの案内で、お店の奥にある会議室に入ります。テーブルにつくと、寺村さんの口から依頼内容の詳細が語られました。
寺村「事前に少しお伝えしたとおり、当店にいらっしゃるお客様からのハラスメントに悩んでおります。仕事柄、お客様に怒鳴られるのはよくあることなのですが、そのお客様は怒鳴るだけでなくスタッフに手を上げてきまして……。先日、女性スタッフが顔を殴られました。すぐに警察へ通報したのですが、お客様は逃げてしまって、行方がわからず……。何か起こってから警察に通報したのでは間に合わないので、今回ご依頼した次第です」
町田「その客というのが、例のじいさんですね?」
寺村「はい。豊崎様という方で、年齢は七十代中盤くらいでしょうか。毎週金曜日、開店と同時にやって来ては、二時間ほど怒鳴り続けます。ご相談内容は、『スマホの電源を切る方法がわからない』や、『電話をかける方法がわからない』といった、ごく簡単に解決できるものです。しかし、解決した後にスタッフの態度や言葉遣いなどを注意し始めて……」
町田「なるほど。鬱陶しいですね。あの世に行くまでの暇を持て余したジジイに付き合わされている感じだ。たまったもんじゃない」
寺村「私からも直接、豊崎様に控えていただくよう何度も伝えました。ですが、女性だからか舐められてしまって、言うことを聞いてもらえず」
町田「寺村さんの話だけでも、豊崎というジジイがろくでもない人間だということがわかります。ただ、やっていることはよくあるカスハラです。私にお任せください」
淡々と、しかし自信ありげに応える町田さん。その発言の直後、寺村さんの視線が左右に泳ぎました。何か不安を感じている様子です。次に彼女の口から飛び出した言葉は、異様なものでした。
寺村「こんなこと、信じてもらえないと思いますが……豊崎様は普通の人間ではないかもしれないんです」
町田「……と言いますと?」
寺村「弊社の系列店舗は北海道から沖縄まで、合わせて約三百店あります。そのすべての店舗に、豊崎様は来店してらっしゃるんです。しかも、絶対にありえない時刻に来ていることもあって……。三週間前の金曜日、当店に豊崎様がいらっしゃっていたのと同時刻に、兵庫と宮城の店舗にも豊崎様が来店されていた記録が残っています。両方の店舗に激しいクレームが入ったと社内共有があって、それが豊崎様によるものだと判明しました」
町田「兵庫と宮城……何百キロも離れていますよね? 確かですか?」
寺村「ええ。私も不審に思ったので、両店舗に行って監視カメラの映像を見せてもらったんです。間違いなく豊崎様ご本人でした」
豊崎さんという方は、方法はわかりませんが、同時に三つの店舗に姿を現していたそう。にわかには信じられない話です。町田さんも疑います。
町田「豊崎が双子、あるいは三つ子ってことも考えられますよね?」
寺村「だとしても、同じ時間に弊社の系列店に来店されますでしょうか? しかも、どの店舗でもスタッフに怒鳴り散らしていたようで……。偶然とも、勘違いとも思えないんです」
町田「そうですか。実に奇妙ですね」
寺村「はい……。何かただならない感じがして、私たちの手ではどうすることもできないだろうと思いまして……」
町田「寺村さんが見た映像が本物ならば、豊崎と全く同じ行動をするドッペルゲンガーがいるのか、またはバイロケーション現象か……。いずれにせよ、常人にできることではないかもしれませんね」
寺村「ええ……。あまりに変なので、私たちスタッフの間では、本来やってはいけないことですが、豊崎様のことを『妖怪・携帯ショップブチギレジジイ』と呼んでおります」
町田「なるほど、妖怪ときましたか。本当に妖怪かどうかはわかりませんが、この奇妙なじいさんを呼ぶ名前としては、なかなか良いですね。私も、豊崎ではなく『ブチギレジジイ』とでも呼ぶことにしましょう。わかりやすい」
不安げな寺村さんと対照的に、町田さんは余裕そうな表情。豊崎さんが人間ではなく、謎の力を持つ妖怪の類いだったとしても、対抗できる策があるというのでしょうか。
町田さんはジャケットの右ポケットから黒い革製の手袋を取り出すと、両手にはめました。そして、足元に置いたビジネスバッグに手を入れ、何かを探し始めます。バッグの中から出た町田さんの右手に握られていたのは、拳銃でした。黒光りするスライドに、グリップが茶色く塗装された小ぶりの自動式拳銃。旧ソビエト連邦で製造されていた『マカロフPM』です。
町田「知人から横流ししてもらったものです。相手が妖怪なら、話は通じないかもしれません。そのときは、言葉ではなく弾丸をお見舞いしてやりますよ。世の中、もっと質の良い拳銃もありますが、仕入れる手間や使いやすさを考えたら、このマカロフが一番ですね」
町田さんがヒットマンをしていたときに使っていた拳銃もマカロフPMだったため、扱いには慣れているそう。
妖怪に対抗する手段として拳銃を寺村さんの前で見せつけ、彼女を安心させようと考えたのでしょう。そんな町田さんの気遣いに反し、寺村さんの表情は強張ります。無理もありません。
寺村さんの様子を察してか、町田さんはすぐに拳銃をバッグの中に仕舞いました。
町田「とにかく、相手が何者だろうが、私が何とかします。もうブチギレジジイに悩まされることはなくなりますよ。では、金曜日の開店前にまた来ますので、よろしくお願いします」
寺村さんにそう言い、席を立った町田さん。彼が「何とかする」と言ったからには、本当に何とかしてくれることでしょう。店舗の外で私たちを見送る寺村さんの顔は真っ青でしたが、その顔色が元に戻る日は、もうすぐそこまで近づいています。




