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〜〜〜〜レベルアップしました!〜〜〜〜


「……レベルアップ?」


思わず辺りを見回す。

だが、薄暗い夜道には俺以外誰もいない。いや、正確には、さっきまでいたはずのゴブリンが、足元でぐったりと倒れているだけだった。


その直後、目の前の空中に半透明の画面が浮かび上がる。


まるでゲームのステータス画面みたいなそれは、青白い光を放ちながら、何の前触れもなく俺の視界のど真ん中を占拠した。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


名前・弘前 一篤

レベル・1

パッシブスキル・身体能力向上(1)


ーーーーーーーーーーーーーーーー


「……なんだこれ」


思わず声が漏れる。


意味が分からない。

いや、意味自体は分かる。分かるからこそ、余計に意味が分からない。


どう見てもゲームだ。

レベル、スキル、ステータス画面。どれも見慣れた単語なのに、それが現実の、それもついさっきゴブリンに襲われて死にかけた俺の目の前に表示されている。


頭がおかしくなったのかと思って、自分の額を押さえる。

ぬるりとした感触が指に付いた。血だ。


夢じゃない。

少なくとも、痛みと血の感触は、嫌になるくらい現実だった。


呆然と画面を見つめていると、不意に足元が明るくなる。


「ん?」


視線を落とすと、倒れていたゴブリンの死体から淡い光が溢れ出していた。

緑色の皮膚も、折れ曲がった右腕も、潰れた頭も、そのすべてがぼんやりと発光している。


嫌な予感がして、俺は半歩身を引いた。


(なんだ……? まだ何かあるのか?)


死んだふりでした、みたいな最悪の展開が頭をよぎる。

だが、ゴブリンは起き上がらなかった。


その代わり、死体は光に包まれ、輪郭から少しずつ崩れるように薄れていき――次の瞬間には、跡形もなく消えた。


「……は?」


そこには、何も残っていなかった。

血だまりすら、肉片すら、服の切れ端一つすらない。


「なんだよ、びびらせやがって……って、あー!!」


遅れて最悪の事実に気づく。


「これじゃ、俺がゴブリンに襲われた証拠が消えるじゃねえか!」


思わず夜道で叫ぶ。

だが返ってくるのは、自分の情けない声の反響だけだった。


これで警察に行って何て説明するんだ。

夜中にゴブリンに襲われました。

倒したら死体が光って消えましたなんて言ったところで、相手にされるわけがない。


むしろ、危ない薬でもやって幻覚を見たヤバい奴として扱われるのが関の山だ。


「いてっ……!」


気を張っていた糸が切れたのか、急に全身に痛みが戻ってくる。

頭、肩、背中、腕、脚。殴られた場所すべてが一斉に悲鳴を上げた。


自転車は少し離れた場所で無残に横倒しになっている。

前輪は曲がり、ハンドルも変な方向を向いていた。


真夜中の路地裏。

ボロボロの男と壊れた自転車だけが取り残されている光景は、笑えるくらい惨めだった。


「……もう疲れた」


声に出してみると、自分でも驚くほど覇気がなかった。


「もうどうでもいい……帰ろう……」


警察も病院も、今は無理だ。

説明できる気もしないし、誰かに助けを求める気力も残っていない。


こういう時、人間は案外簡単に思考を放棄するらしい。

俺はブラック企業で長年鍛え上げた理不尽をとりあえず忘れるスキルを発動し、帰宅を選んだ。


壊れた自転車は持っていく気力がなく、道の邪魔にならない端に寄せるだけで精一杯だった。


そこから先は、ほとんど記憶が曖昧だ。


ふらつく足でアパートまでたどり着き、外壁の薄汚れた古い建物を見上げて、心の底からうんざりしたのだけは覚えている。


俺の部屋は五階。

そしてこのアパートには、今どき珍しくエレベーターがない。


「……マジかよ」


普段ならどうってことのない階段が、その日は果てしなく長く見えた。

一段上るたびに体中が痛み、呼吸が荒くなる。手すりに掴まりながら、半ば這うようにして上がっていく。


今日ほど、この五階までの道のりを長く感じたことはなかった。


ようやく部屋の前にたどり着いた時には、鍵を差し込むだけでも腕が震えた。


扉を開け、散らかったワンルームに入る。

いつもなら狭くて古臭いだけの部屋なのに、その時は妙に安心した。


風呂に入る気力もない。着替える余裕もない。

俺はスーツのままベッドに倒れ込み、そのまま意識を手放した。


-------------------------


どれくらい眠っただろうか。


カーテンの隙間から差し込む朝の光で、俺は目を覚ました。


「ふぁあぁ……よく寝た……」


頭はぼんやりしていたが、妙に体が軽い。

ここ最近では一番寝覚めがいいくらいだった。


「いやー……なんか変な夢見た気がするな……」


寝起きの頭でぼそりと呟く。


俺がゴブリンと死闘を繰り広げて、死にかけながら何とか勝つ夢。

意味不明にもほどがある。どれだけゲーム脳なんだ俺は。


でも、不思議なことにあの夢は妙にリアルだった。

ゴブリンの肌の色、殴られた感触、地面の冷たさ、口の中に広がる血の味。夢にしては生々しすぎる。


それでも、体に痛みがない以上、やっぱり夢だったのだろう。

そう結論づけて、俺は洗面台へ向かった。


洗面所に入り、何気なく鏡を見る。


そして俺の時間は止まった。


「……は?」


鏡の中にいたのは、寝起きの冴えない男ではなかった。


顔面は乾いた血で汚れ、髪は乱れ、頬には擦り傷。

着ているスーツはところどころ裂け、泥と血でボロボロになっている。


「あれ……現実、だったのか……?」


鏡の前で、俺はしばらく動けなかった。


夢じゃない。

喉がひどく渇く。

心臓が、今さら思い出したように嫌な音を立て始めた。


-------------------------



「……どうやら、あの出来事は現実らしい」


俺は部屋の安物の椅子に座り、目の前に浮かぶ半透明の画面を見つめながら呟いた。


あのあと、顔や体に付いた血と汚れを洗い流した。

シャワーの蛇口を捻ったが、水は出てこなかった。

風呂を覗くと前日の残り湯がまだ残っていた。

正直かなり嫌だったが、そんなことを言っている場合でもないので、その残り湯で血と汚れを流した。


風呂場の排水口へ赤黒い水が流れていくのを見ているうちに、嫌でも現実感が増していった。


その後、強烈な空腹に襲われて、家にあった食料を貪るように食べた。


一息ついた後それから、自分なりに色々と検証してみた。


まず分かったのは、昨夜ゴブリンとの戦いで負ったはずの傷や痛みが、ほとんど綺麗さっぱり消えていることだった。


頭を切ったはずなのに傷跡がない。

殴られたはずの頬も、痛めたはずの腕も問題なく動く。


これが自然治癒なわけがない。

だとしたら考えられるのは一つしかない。


「身体能力向上……これが関係してるのか?」


目の前の画面に表示された唯一のスキル名を睨む。


昨夜のあのタイミングでレベルアップしましただの身体能力向上だの出てきたのだから、無関係とは思えない。

というか、関係あってくれないと逆に困る。


次に試したのは、この画面ついて試した。


「ステータス」


そう口に出すと、何もない空間にすっと画面が現れる。

逆に消えろと念じると、霧のように薄れて消える。


どうやら表示・非表示は俺の意思で切り替えられるらしい。


さらに手で触れてみたが、指はそのまま画面を通り抜けた。

感触はない。硬さもない。ただ見えているだけの映像のような存在だ。


項目を指で押してみても反応はない。

スキル名をじっと見つめても説明文は出てこない。


親切なチュートリアル機能は未実装らしい。

おおいクソゲーかよ。


他人からも見えるのかは試しようがない。

そもそも、今の状況で誰かに「ちょっとこれ見える?」なんて聞けるわけがない。


そして、一番まずい問題があった。


ネットに繋がらない。


スマホも、部屋にある古いノートパソコンも、何度試しても駄目だった。

Wi-Fiもモバイル回線も沈黙。ニュースもSNSも見られない。外の情報が一切入ってこない。


「……これは不味いな」


俺の部屋にはテレビがない。

普段は動画とネットがあれば十分だったから困らなかったが、こういう時に限って情報源の少なさが命取りになる。


窓から外を見ようにも、俺の部屋は隣のビルとほとんど密着していて、見えるのは薄汚れたコンクリートの壁だけだ。

空が晴れているのか曇っているのかすら、まともには分からない。


もし昨日の出来事が本当に現実なら、今この街のどこかで同じようなことが起きているかもしれない。

ゴブリンが一匹だけとは限らない。もっとやばい何かが出てきている可能性だってある。


そう考えると、外に出るのは危険だ。


だが家に籠もっていても、食料はそのうち尽きる。

コンビニの買い置きも大した量はない。水だって無限じゃない。


「……考えても埒が明かないか」


結局、家の中で悩んでいても答えは出ない。

だったら、自分の目で確かめるしかない。


少なくとも家の周辺だけでも見て、いつも通りかどうかを確認しよう。

何もなければ、ネット障害か何かだと笑い話で済む。

逆に異常があるなら、その時点で本気で動けばいい。


俺はクローゼットを開け、比較的丈夫そうな服を選ぶ。


革ジャン。

ジーパン。

ブーツ。


動きやすさは微妙だが、家にある服の中では一番マシだ。


さらに念のため、キッチンから包丁を一本持ち出して革ジャンの内ポケットに忍ばせる。


本当なら金属バットとか、もっと分かりやすく武器っぽいものが欲しい。

だがそんな物を持って外をうろつけば、何もなかった時にただの危ない奴だ。


……いや、包丁を隠し持っている時点で十分危ない気もするが、見た目だけならまだ普通だ。たぶん。


リュックも背負う。

中にはペットボトルのお茶、残っていたパン、モバイルバッテリー、財布、スマホ。思いつく限りの最低限を詰め込む。


避難というほどではない。

ただ、万が一のための準備だ。


「よし……行くか」


そう口にした途端、喉の奥が少し乾いた。


サクッと周囲を見て、異常がなければすぐ戻る。

どうせ俺の考えすぎだ。きっとそうだ。


そう自分に言い聞かせながら、俺はゆっくりと玄関へ向かう。


ドアノブに手をかける。

金属の冷たさが、妙に生々しく掌に伝わった。


少しだけ息を止める。


そして、俺は扉を開けた。

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