44話 お山めぐり(前編)
青い顔で息を飲む目森たちに、聞こえてきたのは、あまりに軽い、白亜が麻布留を叩く音だった。
「アイタッ」
「なに、怖がらせとんねん」
「ええやん。夏やで? 肝試し、みんな好きやろ?」
「サービス。サービス。なぁ?」と、目森たちに尋ねる麻布留に、目森も何とも言えない表情しか返せなかった。
「でも、白亜。本当に百鬼夜行が来るなら、何か手伝いとか……」
「いらへんて。ホンマに、日常茶飯事やから」
心配する瑞希の額を軽く弾きながら、呆れたように大きくため息をつく白亜に、目森も真桐も心配そうに白亜の方へ目をやっていた。
「はぁ~~……この子らは、ホンマ……もう……」
少しは、ここにいる狐共を見習ってほしいくらいの素直さだ。
「言いたかないけど、この人ら、無駄に実力だけはあんねん」
「褒めんなや。照れるやろ」
「褒めとらんわ。ドアホ」
茶化す麻布留に、振り返ることも、表情も変えることなく、低い言葉だけを返す白亜は、そのまま言葉を続けた。
「瑞希でいうなら、大婆様は、龍神様に近いレベルの人やから。この辺、ほっつき歩いとる方がおかしいねん」
「鳥かごの鳥が好きなん? 尻の穴が小さな狐やね。他人様に迷惑かける前に、喰ろうとこか」
カラカラと笑い後ろで会話を弾ませている伏見と麻布留に、白亜の耳もパタパタと忙しなく動く。
その様子に、三人も困ったように、その耳を見つめるしかなかった。
「やから、別に瑞希たちが気にすることやないし、旅行を楽しんで――――うっさいねん!! この子らが真面目に話聞けへんやろ!! 去ねや!!」
明らかに悪意を持って、白亜たちに聞こえるように会話をしているふたりに、ついに、白亜も振り返って怒鳴ってしまう。
その白亜の様子に、かかった。かかったとばかりに、伏見も麻布留も、楽し気な笑い声を上げていた。
「なんか、見ちゃいけないものを見てしまったような感じが……」
あまりに普段の印象と違う白亜の姿に、真桐も何とも気まずい空気に、苦笑いを浮かべることしかできない。
鎹杜神社での様子も、自分たちに対するものとは少し違う気がしていたが、今の様子は、もっと違う。
「クラスの男子が、ママに慌てて”クソババア”って言ってるのを見ちゃった時のアレね。わかるぅ」
「ぶっ……」
目森の例えに、瑞希が口を塞いで、肩を震わせてしまう。
「瑞希……」
「いやだって……」
その気持ちは少しわかるが、笑ってしまったその後の反応も、おおよそ想像がついてしまう。
「よよよよ……これが反抗期いうものやのはわかっとるけど、母は悲しいわぁ……」
その上、今は|火に油を注ぐような存在もいる。
目元を隠しながら、明らかな嘘泣きで、よろよろと瑞希に近づき、触れようとする伏見に、白亜もひどく顔を歪ませていた。
「白々しいわ。触んな。あと瑞希は説教な」
「ひどくない!?」
「ホンマ、ひどいなぁ……三人共、こんな狐とおるのはやめて、儂と遊びに行きましょ? 楽しいこと、たぁくさん、させたるよ」
伏見が、三人の手足に柔らかな尻尾を絡ませば、三人共小さな悲鳴のような声をあげて、伏見の方へ目をやる。
「いや、その……! 他にも見たい場所があるというか……!」
「いけずやねぇ……皆には見せへん、奥の奥まで、見せたるよ? その方がお勉強にもなるやろ?」
耳元で囁く伏見に、真桐も顔を赤らめながら、瑞希に抱き着くように逃げれば、それすら楽し気に頬を歪ませていた。
「あぁ……愛い愛い……」
するりと、尻尾で目森の手の甲を撫でれば、目森の喉から漏れる悲鳴。
ただし、瑞希や真桐とは違い、どこか嬉しそうな黄色いものの混じった悲鳴だが。
「あーらら……まぁ、ええか。あの子も本望やろ」
「せやな。終わったら、髪の毛一本でも送ってくれればええわ」
「おん。兄ちゃんに任せとき」
「ダメだからね!?」
瑞希たちと伏見の間に入っている白亜の背中を引きながら、瑞希が窘めるが、白亜の目は明後日の方向に向いていた。
どうしたものかと、白亜が悩んでいると、ふと聞こえてきた目森のくぐもった声。
全員が目を向ければ、目森の顔に、前足を叩きつけている黄金色の小さな狐がいた。
「あ」
「げ」
「あらま」
白亜、麻布留、伏見と、それぞれが声を上げると、その小さな狐の式神は、器用に目森の頭に上ると「コン」とひとつ鳴いた。
「あー……アカン。来夢の奴、痺れ切らしとるやん……悪いけど、俺らもう行ってもええ?」
麻布留が、白亜の襟を掴みながら、伏見に尋ねれば、伏見も耳をパタリと一度はためかせた。
「せやねぇ……腹五分目もいってへんけど……」
「伏見様!! そろそろお戻りください!! 今日は、式で誤魔化していい相手じゃないですからね!?」
慌てたように掛けてきた巫女に、伏見もつまらなさそうに顔を向けるが、険しい表情で巫女に腕を掴まれると、やれやれとばかりについていくのだった。
「お嬢ちゃんたちも、これから山巡りやろ? その間、こいつ借りてくから、ゆっくりしとってな」
そう言い残すと、抵抗している白亜を掴んだまま、姿を消すのだった。
それと同時に、目森の頭の上に乗っていた小さな狐も消えた。
「本当に、なにがなんやら……」
使い魔に慣れている瑞希ですら、嵐のように感じる時間だった。
こちらにちょっかいはかけてくるが、終始、自己本位で、気が付けば、三人だけが残されていた。
できるだけ、頭を整理しようにも、百鬼夜行が迫っている以上の情報が、一切ない。
いや、本当にない。
「陽、大丈夫?」
ひとまず、先程から静かに目を強く閉じている目森に声をかければ、弱弱しい呻き声だけが返ってきた。
「肉球あった……」
「元気そうだね」
「毛並みもすごかった……」
「元気そうだね」
「一瞬でも、包まれてた瑞希が羨ましい……」
心配しなくても良さそうだ。と、瑞希も真桐も、入口でもらった地図を取り出して、視線を落とす。
「このまま上っていく感じでいいよね?」
「そうだね。結構きついって聞いたよ」
「まぁ、せっかくだし」
「あぁ……無情かな。あぁ無情かな。無情かな……」
「妙な俳句読んでないで、陽も行くよ」
「はぁい……」
いまだに残る肉球と毛並みの感触を、名残惜しそうに感じながら、目森も瑞希と真桐を追いかけるのだった。




