41話 おいでなさいませ! 伏見稲荷!(後編)
その頃、白亜は空にいた。
文字通りの意味である。
「…………」
懐かしい、朱色の大量の鳥居の並ぶ山を、眼下に捕らえながら、数瞬前までの事を思い出しては、眉間にしわが寄ってくる。
瑞希たちを見送って、姿が見えなくなった頃、突然、浮遊感に襲われたと思ったら、これだ。
何かやってくることはわかっていたし、この程度なら想定内だ。
本当に、境内に入る前に、瑞希たちと別れておいて、正解だった。
「とはいえ――何考えとんねんッッ!! ドアホッッ!!」
下手すると、普通に死にかねないことを平然とやってきたであろう、知り合いが嗤う姿を想像しては、眉間の皺が深くなる。
文句を言っていても、このまま何もしなければ、地面に叩きつけられて死ぬだけだ。
白亜は、身を翻すと、刀を取り出し、近づいてくる地面の方へ目をやった。
「おっ……元気そうやん。兄ちゃん、安心したわ」
無事、着地した先にいたのは、白銀の耳と尻尾を携えた、白亜に似た使い魔。
麻布留という、正真正銘、白亜の兄の妖狐だ。
「…………」
相変わらず、腹立たしい笑みを浮かべている麻布留に、白亜はゆっくりと立ち上がり、一足に刀を抜くと、その首元へ刀を向けた。
「あいっっかわらずやな。このドアホ」
「なんや、うれしすぎてむせび泣きそう? そこまで喜んでくれるんやったら、兄ちゃん、夜なべして仕込んだかいあるわぁ」
自分の首に刀が触れているにも関わらず、ケラケラと嗤う麻布留に、白亜も頬が引きつる。
実際、この刀が、これ以上進むことはない。というより、進められない。
「ぶぶ漬け欲しそうな顔して……兄ちゃんが食ってしもうたから、ないで? 諦めぇ」
「派手な歓迎のわりに、相変わらず、ロクな持て成しもできひんのやねぇ」
「拗ねんなや。ちゃぁんと、お前が好きなもんも用意してあるで」
「遠慮しとくわ。今日は、僕、ただの付き添いやから」
お互い笑顔だが、その雰囲気は、刺々しく、例えここに、ふたり以外の誰かがいても、仲睦まじくは見えないだろう。
「ちゅうわけやから、みんなにもよろしゅう伝――」
「逃がすわけないやろ」
さっさと瑞希たちのところへ戻ろうとする白亜の襟を掴む、麻布留。
「他人様巻き込むなや。アホ」
「うっさいわ。血を分けた弟なんやから、他人様やないやろ。アホ」
これが、百鬼夜行の迫っている使い魔の態度か。
もう少し緊張感を持ってほしいものだ。
「ハァ? 百鬼夜行なんか、大婆様に来夢おったら、問題ないわ。アホ。それより、問題は身内や。身内」
力のこもったため息交じりに、麻布留が逃げ出そうと抵抗している白亜を抑え込みながら、紙束をひとつ取り出した。
「見てみぃ。これ」
「ハ? ふざけんな。なんやこれ……企画書?」
見たくもないが、目の前に差し出された文字を、つい目で追ってしまえば、どうやら楽曲の企画書のようだ
「三日前に、来夢に渡されてん」
それは三日前の事だ。
突然、麻布留の部屋のドアをノックもせずに入ってきた、黄金色の毛並みの妖狐、来夢はその企画書を麻布留に突きつけた。
「イヤ――!! 来週公開予定の楽曲だけど、いいネタ思いついたから、こっちに変更する!!」
「は……? いやいやいや、これ、ほぼ別ものやん。ここまで変更するなら、一旦前のやつ、アップして――」
「ネタは鮮度が命! 大丈夫! 大婆様と違って、麻布留の方は個人だし、自分が頑張れば、他人様迷惑かけない!! 個人って、こういうことできていいよね!」
拒否権などがないことは、この数百年で嫌というほど、理解している。
理解はしているが――
「――って、弟も他人様やねん!! ドアホッッ!!」
文句だけは言わせてもらわなければ、気が済まない。
「…………」
毛並みを逆立てて、怒りを露わにしている麻布留に、白亜はただ無表情でそれを見つめていた。
そして、無言のまま、妖術で作り出した水鏡に、麻布留を写す。
すると、麻布留もその鏡を覗き込み――
「艶良し。毛並み良し。格好良し」
完璧なポーズを決められた。
凄まじい舌打ちの音など気にした様子もなく、白亜と肩を組むと、その企画書を捲ってみせた。
「どーせ、来夢がおるせいで、お前、巻き込まれるんやし、諦めぇや」
「はぁぁぁ……」
白亜は、遠慮も何もないため息を漏らしながら、企画書に視線を落とす。
実に腹立たしいことだが、麻布留の言っていることは正しい。
大婆様である伏見の次に、妖力の強い来夢の命令は、正直絶対だ。断るなんて選択肢はない。
というより、断ったところで、引き摺ってでも参加させられる。
瑞希たちが、伏見稲荷大社を巡っている間の数時間は、この狐たちの腹の中にいるようなものだし、巻き込まれても困る。
「……って、これに弟に見せるって、正気か?」
諦めて、企画書に目を通していれば、そこにはネットで見覚えのあるVactorの名前があった。
いや、別にいい。
自分も似たようなことをしているから、今更、麻布留も動画配信をしていたり、それがVactorであったりすることは、想定内だ。
子睦が『狐だからねぇ……』で済ませてしまう程度には、同種である故に、白亜も理解している。
「キッッッショ……」
だが、誰が、身内が、生意気系幼女Vactorをしているなどと、予想がつくものか。
「この設定考えたの、来夢やけど、伝えとくわ」
「キャラの設定やないわ。中身とひっくるめて、キッショい言うとんねん!! つか、ホンマ、おかしなやつしかおらんわ!! 身内!!」
腹立たしいことに、Vactorのキャラクターに対する、一定の人気とかは理解できてしまう。
中身が、麻布留であるということを除けば、Vactorとしては、相当人気がでることだろう。
事実、人気はあるし、他の配信者ともコラボもして、実は『30代くらいのシゴデキOLなのでは?』という予想が立てられるくらいには、人気がある。
中身は、麻布留だが。
いや、もういい。妖狐だから、もうVactorをやっていることも、おかし話ではないと割り切るしかない。
割り切るしかないが、生意気系幼女配信をしていることを、身内にバラし、楽曲にまで巻き込もうとする、心の強さだ。
もはや、諸悪の根源であろう発案者に関しては、コメントすらする気が起きない。
「これから、コーラス、セリフと野次の部分の収録やから、時間ないで? いやー白亜が来てくれて、助かったわ」
「ほぼ全部やん……時間ないやないわ……」
「元が遅いんやから、しゃーないやん」
すごく嫌だ。ものすごく嫌だ。
しかし、肩に組まされている腕が、外れることは絶対にない。
例え外れたとしても、もうひとりの問題児が、大人しく逃がしてくれるとは思えない。
「…………てか、百鬼夜行、結構アカン連中やって聞いたんやけど、ホンマに大丈夫なん?」
いっそのこと、百鬼夜行が来てくれれば、麻布留も含めて、気が逸れるのではないかと期待してしまうくらいだ。
「なぁんや、ホンマ、気にしとるな。一緒に来とる子が心配なん?」
「そらそうやろ。向こうさんから、預かっとる子やぞ。変な事したら、ホンマ、はったおすで」
静かに、白亜が麻布留の事を睨めば、麻布留は気にした様子もなく、奥社奉拝所の方へ目をやる。
「ま、ここにいる間は、心配いらへんって。いくら、ぬらりひょんかて、大婆様のお膝元に来ることは――」
ピクリと、麻布留と白亜の耳が、その気配を察知する。
「「…………」」
百鬼夜行ではない。
だが、彼ら、妖狐にとっては、それ以上に恐ろしい存在である気配が、奥社奉拝所の方に現れた。
「いやいやいや……初月のネズミんとこの巫女や言うても、大婆様、気にせぇへんやろ……」
「だったら、なんで大婆様が、瑞希んとこおんねん」
白亜は、すぐさま麻布留の腕を叩き落とすと、駆け足に、道なき山道を駆け下りて行った。




