第8話
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「私の言ってること、正しいと思う?」
少年は頷いた。
「じゃあ、私の味方になってくれる?」
また頷いた。
そのあと、彼に問いかける相手は何人も変わった。
「一緒にいてくれる?」
「手伝ってくれる?」
「離れないよね?」
そのたびに、少年は頷いた。
そうしていれば、みんな嬉しそうだった。
だから少年はずっと思っていた。
――質問に答えることは、実はとても簡単なことなんだ。
――『』
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部屋の中は静かだった。
窓の外では、まだ雪が降り続いている。
細かな雪がガラスの向こうを舞い、遠くのぼんやりした灯りに照らされていた。
七海と八海は、並んでベッドの端に座っていた。
ここへ来るまでずっと話し続けていたのに、いざ二人きりになると、今度はどちらも先に口を開かなかった。
八海は背筋をまっすぐ伸ばして座っていた。
両手もきちんと膝の上に置いていた。
七海は横を向き、まずそのまっすぐな背中を見る。
それから、膝の上に行儀よく置かれた両手へ視線を移して、笑った。
「八海」
「ん?」
「緊張してる?」
「そりゃ緊張するでしょ」
「なんで?」
「なんでって……」
七海は瞬いた。
「えー」
わざと声を長く伸ばした。
「八海、何か変なこと考えてる?」
「考えてない」
「嘘」
「本当に考えてない」
「じゃあ、なんでそんなに顔赤いの?」
「部屋が暑いから」
七海はとうとう堪えきれず、肩を小さく震わせて笑った。
「八海」
「何」
「『はい』まで忘れちゃった?」
「なんでこういうときに『はい』って言うの?」
「認めればいいのに」
「嫌だ」
八海は顔を背けるしかなかった。
少なくとも、これなら今どんな顔をしているのかは見られずに済む。
しばらくして、七海が立ち上がった。
「お風呂入ってくる」
「うん」
二歩ほど歩いたところで、また振り返った。
「八海も一緒に入る?」
「……」
八海の体が固まる。
七海は数秒じっと見つめてから、口元を押さえた。
「ははははっ!」
「七海!」
「聞いてみただけだって」
「そういうこと軽々しく聞かないでよ!」
「なんで?」
「なんでって……なんで聞くの!」
七海は笑いながら浴室へ入っていく。
ドアを閉める直前にも、わざわざ顔だけ出した。
「本当に来ない?」
「行かない!」
「残念」
ようやくドアが閉まった。
八海はその場に座ったまま動かなかった。
しばらくして、ゆっくり手を上げて顔を覆う。
「……何やってるんだろ」
ほどなくして、浴室から水の音が聞こえ始めた。
八海は深く息を吸い、少しでも落ち着こうとした。
けれど、視線は何気なく机の上へ落ちた。
二台のスマートフォンが、並んで置かれている。
七海のスマートフォンの画面は、ずっと暗いままだった。
八海は数秒それを見つめてから、視線を逸らした。
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水音が止まった。
しばらくして、浴室のドアが開いた。
七海が出てくる。髪にはまだ少し湿り気が残っていた。
髪を拭きながら机のそばまで歩き、スマートフォンを手に取った。
画面が明るくなり、すぐにまた暗くなる。
「本当に、誰も気にしてないみたい」
八海は何も言わなかった。
七海はスマートフォンを伏せて、もう一度机の上に置いた。
それから八海のほうへ歩いてきて、隣に腰を下ろす。
さっきより、少し近かった。
八海は反射的に反対側へ少しずれた。
それを見た七海も、同じだけ距離を詰めてきた。
「七海」
「ん?」
「狭い」
「ベッド広いでしょ」
「……」
「八海、また緊張してる?」
「してない」
「嘘」
七海は視線を逸らさない。
まるで、八海が次に何か言うのを待っているみたいだった。
いつもの七海だった。
八海をからかって、わざと答えに困るようなことを言う。
ただ今日は――いつもより、止まることを嫌がっているように見えた。
「八海」
「ん?」
「私のこと、好き?」
八海は固まった。
七海の口元には、まださっきまでの笑みが少し残っていた。
まるで、何気なく聞いただけみたいに。
けれど、その視線だけはずっと八海の顔に向いたままだった。
七海から、かすかにボディソープの匂いがした。
一瞬、頭の中が混乱した。
「……好き」
今度は、答えるまでにそれほど時間はかからなかった。
七海は瞬く。そして、少しだけ口元を緩めた。
「本当?」
「うん」
「じゃあ、私が今夜戻らなかったら?」
八海はすぐには答えなかった。
七海は続けた。
「明日も戻らなかったら?」
「……」
「明後日も、戻りたくないって言ったら?」
そう言いながら、七海はふいに立ち上がった。
八海が顔を上げる。
まだ何が起きたのか分からないうちに、肩を軽く押された。
視界が一気に傾いた。
気づいたときには、いつも自分を見上げていた七海が、八海の上で体を支えていた。
「七海?」
膝はベッドのマットレスについていた。
まだ完全には乾いていない髪が垂れ、八海の頬をかすめた。
近すぎる。
八海の体は、完全に固まっていた。
「七海?」
「質問」
「この体勢で?」
「こうしたら、八海逃げられないでしょ」
七海は笑った。
八海の横に手をつく。けれど、その指先にはわずかに力が入っていた。
「八海」
「……うん」
「私のどこが好き?」
八海は一瞬固まった。
七海は答えを待たなかった。
「顔が可愛いから?」
「日本語を教えてあげるから?」
答えを待たず、さらに少しだけ体を低くする。
「それとも、毎日八海と話してるから?」
一つずつ、続けて問いかけた。
最初はまだ、笑みを浮かべていた。
「もし、今みたいに優秀じゃなかったら?」
「もし日本語が話せなかったら――あ、これは無理か」
自分で少し笑う。
けれど、その笑い声はすぐに消えた。
「もし、そんなに可愛くなかったら?」
八海は口を開いた。
けれど七海は、また続けた。
「もし、本当はすごく面倒な人だったら」
「毎日、今日みたいにわがまま言ったら」
「いつも八海に迷惑かけたら」
少しずつ、話す速度が速くなっていく。
まるで止まってしまったら、聞きたくない何かが聞こえてしまうみたいに。
「もし……」
そこで一瞬、言葉が止まった。
ようやく、八海と目が合った。
「もし私が、八海が今好きな私じゃなかったら」
部屋の中が静かになる。
聞こえるのは、窓の外のかすかな風の音だけ。
「それでも八海は、こんな私でも欲しいって思う?」
八海は七海を見つめる。
唇が、わずかに動いた。
好きだ。もちろん、好きだ。
――なんて簡単な質問なんだろう。
そう答えればいい。
そう答えれば、七海は笑う。
今までみたいに。
今まで――
なぜか。
もう長いこと聞いていなかった声が、突然頭の中に浮かんだ。
「陳瑶」
八海は目を見開く。
「汪瑶」
一瞬、呼吸が止まった。
それから、今度は別の声が次々に聞こえてきた。
「今日、電話してもいい?」
「いいよ」
「中国語、教えて」
「うん」
「八海にしか、手伝ってもらえないの」
「……分かった。いいよ」
「一日、私を連れ出してよ」
「うん」
「今夜もう少し一緒にいてくれる?」
「七海が必要なら……」
声が一つ、また一つと重なっていった。
七海はまだ、八海の答えを待っている。
七海の手は、まだ八海の横についている。
笑っているのに、指先には強く力が入っていた。
「それで、八海?」
八海は七海を見つめた。
唇が、もう一度わずかに動く。
けれど今度は、いつも簡単に口にしていた答えが、出てこなかった。
代わりにこぼれたのは、自分でも聞き慣れない言葉だった。
「……だめ」
七海が固まった。
口元の笑みまで、そのまま止まった。
「……何?」
八海自身にも、よく分からなかった。
心臓はひどく速く鳴っている。
それでも、もう一度言った。
「だから……だめ」
七海は数秒、八海を見つめていた。
それからゆっくりと体を起こし、八海の上から離れる。
横のマットレスが、軽く元に戻った。
七海はもう一度、ベッドの端に座った。
「そっか」
顔を窓のほうへ向けた。
両手は膝の上へ戻り、指先が部屋着の裾をそっとつまんだ。
「やっぱり八海も、私のこと面倒だって思ってるんだ」
「違う」
考えるより先に、八海は答えていた。
「じゃあ、なんで?」
七海は振り返らなかった。
八海は口を開く。けれど、すぐに止まった。
――違う。
そう言いかけた。
七海の背中を見つめる。
なぜだろう。今度は、別の言い方を選んだ。
「僕は、七海が好きだよ」
七海の肩が、ほんの少し動く。
それでも振り返らなかった。
八海は自分の手へ視線を落とした。
「でも……」
「七海が何を言っても、僕は全部頷いてしまう」
「それは、違うと思う」
一つ一つの言葉を確かめるように、ゆっくり話す。
「七海が何を言っても、全部頷く」
「それは、七海が好きだからじゃないと思う」
七海がようやく振り返った。
「どういう意味?」
「僕にも分からない」
八海はすぐに答える。
七海が固まった。
八海自身も、一瞬戸惑った。
けれど、口にしてしまうと、さっきより少しだけ楽になった。
「どうすればいいのか、僕にも分からない」
「どうすれば正解なのかも分からない」
「でも……」
八海は顔を上げた。
「さっきのは、だめだ」
七海の顔にかろうじて残っていた笑みも、少しずつ消えていく。
「なんで?」
八海はすぐには答えなかった。
視線が、机の上のスマートフォンへ向く。
七海のスマートフォンは、相変わらず静かなままだった。
湖のほとりで、何度も何度も画面を確認していた七海の姿が浮かぶ。
「七海、今日ずっと待ってたでしょ」
七海は何も言わなかった。
「家の人が七海を探すのを」
七海の手が、ゆっくり握り締められる。
「黙って」
八海は止まった。
一瞬。本当に、このまま黙ろうかと思った。
七海はもう不機嫌になっている。
だったら、これ以上言わなければいい。
今までみたいに。
――それでいいじゃないか。
自分が頷けば、みんなそれ以上怒らない。
――そうじゃないのか?
八海は一度目を閉じた。
そして、もう一度開いた。
「……だめ」
七海は勢いよく八海を見た。
「八海は何も知らないくせに!」
「うん」
八海があまりにもすぐ認めたせいで、七海は一瞬、言葉に詰まった。
「七海の家が本当はどんなところなのか、僕は知らない。七海が今まで何を考えてきたのかも、知らない」
「だったら、何を根拠に――」
「でも、一つだけ分かる」
七海が止まった。
八海はまっすぐ七海を見る。
「七海は今、つらいんだ」
七海の唇がわずかに動く。
けれど、声にはならなかった。
数秒してから、冷たい声で聞いた。
「だから何?」
八海は答えなかった。
七海は俯く。それでも、言葉だけは少しずつ速くなっていった。
「お父さんもお母さんも、私を探しに来なかった」
「私がいないって知ってる」
「ホテルに戻ってないのも知ってる」
「それなのに、誰も来ない」
「電話一本もない」
七海の口元が、ぎこちなく少しだけ動いた。
まるで、これもいつもの愚痴みたいに言ってしまおうとしたのかもしれない。
けれど、最初の一言を口にした時点で、もう声は震え始めていた。
「私、ずっとちゃんと言うこと聞いてきた」
「決められた予定にはちゃんと行くし」
「やれって言われたことは、ちゃんとやってきた」
「成績だって、心配かけないようにしてきた」
「外でも、家に恥をかかせるようなことはしない」
八海は動かなかった。
けれど七海は、もう止まれなかった。
「なのに、なんで?」
「いったい、どこまでやればいいの?」
そこでようやく、七海は顔を上げる。
目の縁は、もう赤くなっていた。
「どうしたら……私を見てくれるの?」
八海は答えなかった。
部屋の中が、すっかりと静かになった。
七海は目元を手で拭った。
けれど、濡れたところをかえって余計に乱しただけだった。
次の瞬間。七海は勢いよく八海を見た。
「八海だってそう」
「ずっと私のこと好きだって言ってたじゃん」
「なのに、なんで今になって断るの?」
八海は口を開く。少し間が空いた。
「だって……」
自分でも、この答えが正しいのかは分からなかった。
「今、七海の言うことを全部そのまま聞いたとしても」
「七海は明日になっても、本当には嬉しくないと思う」
七海は固まった。
そして次の瞬間、声が一気に大きくなった。
「じゃあ、私はどうすればいいの?」
「どうしたらいいの! どうしたら八海は……」
声はもう、ほとんど嗚咽に近かった。
それでも、その一言一言ははっきりと八海の耳に届いた。
「ずっと……私を見ててくれるの……」
八海は黙る。
長い沈黙のあと、ゆっくり首を横に振った。
「分からない」
「……何が?」
「分からないんだ」
八海はもう一度言った。
「七海がどうすればいいのか、僕には分からない」
「どうすれば七海が本当によくなるのかも、分からない」
そう口にする声は不安定だった。
少し慌てているようにも聞こえた。
それでも、八海は続けた。
「でも……七海は、まず自分がやりたくないことをしなくてもいいと思う」
「……」
「僕に残ってもらうために、何かを証明しなくてもいい」
七海は俯いたままだった。
八海はそんな七海を見つめた。
「僕は今夜、ここにいる」
七海がゆっくり顔を上げる。
八海は少しだけ間を置いた。
「七海が心配だから」
「七海が何かをくれるからじゃない」
七海は何も言わなかった。目尻に、かすかな光が滲んでいる。
八海は少し迷った。それでも、最後には手を伸ばした。
指先が七海の目元に触れた瞬間、二人とも明らかに一瞬固まった。
こんなことをしていいのか、八海自身にも分からなかった。
それでも、そのまま目尻の涙をそっと拭う。
七海はすぐに八海を睨んだ。
余計なことをするな、とでも言いたげに。
けれど次の瞬間、さらに涙が一気に溢れた。
「……ばか」
「うん」
「八海はばか」
「うん」
「何にも分かってない」
「うん」
七海は唇を噛んだ。まだ何か言いたそうだった。
けれど最後には、突然八海へ飛び込んだ。
八海はまったく構えていなかった。
勢いに押されて、体が少し後ろへ揺れる。
そこでようやく、七海が自分を抱きしめていることに気づいた。
強く抱きしめたまま、顔を八海の肩に埋めている。
最初は声がなかった。ただ、肩だけが震えていた。
数秒して、ようやく押し殺したような嗚咽が一つ漏れた。
――それからは、もう止まらなかった。
八海はそこに座ったまま、何をすればいいのか分からなかった。
手を上げ、途中で止まり、最後にはただそっと七海の背中に置いた。
暖房は、変わらず低い音を立てている。
窓ガラスには薄く曇りが広がり、外の雪ももうほとんど見えなかった。
七海の髪は、もともとまだ完全には乾いていなかった。
今は乱れたまま、頬の横に貼りついている。
鼻声はひどく、呼吸まで途切れ途切れだった。
八海が七海と知り合ってから見てきた、どの七海とも違っていた。
けれど今回は、八海は何も言わなかった。
急いで「大丈夫。よくなる。ずっとそばにいる」と伝えることもなかった。
――自分が書いた小説の主人公が、そうしていたように。
ただそこに座って、七海が泣くままにしていた。
ずいぶん経ってから、七海がようやく途切れ途切れに口を開く。
「私、前は……」
声は八海の肩に埋もれて、よく聞き取れなかった。
八海は急かさなかった。
七海は鼻をすする。
それから、また長く黙った。
「私、小さい頃……」
今度は、七海がようやく話し始めた。




