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72話 第一の試練

 ジルクの訪問から2日――。

 牧緒の心の準備が整う前に縁談の日はやってきた。

 普段の紳士服を身に着けて、暑苦しいファー付きのマントもしっかりと羽織る。

 ただし、肘をついて項垂れる場所は、格好とは場違いな食堂だった。


「俺はなんで承諾しちまったんだ……」


 牧緒に妻をめとるつもりなんてない。

 そもそも、そんなことをしている場合でもなければ、メリットも無い。

 ”安楽椅子作戦”は成功し、魔境の存在と立場も世界に知らしめることができた。

 他国とのかかわりも重要であるのは間違いない。

 しかし、元の世界に戻るつもりの牧緒にとっては、婚姻までして長い付き合いを維持する必要性が無かった。

 それなのに縁談を受け入れた理由は一つ――。


「断れる雰囲気じゃなかったんだよなぁ……」


 王は形だけ。

 それは、本人が大それた存在の器ではないと理解しているからこその言い訳でもあった。

 命に係わる危機的状況でもなければ、その場の空気に気圧されて簡単に意見を曲げてしまう。

 それが鉢軒 牧緒という男だ。


「アタシは必要ないでしょ。部屋に籠ってていいよね?」


 ピーナツを剥きながら、キュラハが面倒くさそうに言った。

 それを見て、ユレナは不思議そうにキュラハに近づいた。

 

「あれ? キュラハさんは花嫁バトルロイヤルに参加されないんですか?」

「なんでアタシが?」

「だってあんなにマキオ様にべったりだったじゃないですか」

「……ああー、うん、アタシにもよく分からないんだよねぇ。気の迷いって奴だったのかな。今でもマキオ君のことは嫌いじゃないけどさ」


 牧緒に対する愛情は、キュラハの中から消え去っていた。

 実際には、僅かな愛の灯が残っているのかもしれない。

 しかし、様子は落ち着き払っている。


「花嫁バトルロイヤルってなんだよ」


 耳に入った会話に、牧緒は突っ込まずにはいられなかった。


「今日の縁談のことですわ。魔女様が命名したのです」


 ユレナは、机に両手を突いて体を乗り上げんばかりに倒す。

 憔悴した牧緒とは違って、胸を躍らせているようだ。


「しかし、魔女様が名乗りを上げなかったのは意外でした。何なら、問答無用で破談にするかと……あ」


 何かに気付いたのか、ユレナは「ふふふ」と微笑んでからキュラハの手からピーナツを強奪して噛み砕いた。


「わたくしも魔女様のアシスタントとして、花嫁バトルロイヤルを盛り上げていきますわ!」

「お祭り騒ぎだな……」


 牧緒は小さく溜息をついた。


「実際にそうだからな」


 どこから聞いていたのか、オルガノが現れて小さな椅子を引いて巨体を預ける。


「貴様が誰を選ぼうと、どうでもいいのだ。縁談が盛り上がればそれで体裁は保たれる」


 オルガノが維持したいのは、スウェン公爵閣下との繋がりのみだ。


「幾人か腕の立つシェフを派遣してもらってな。振る舞う料理は完璧だ」

「あぁ、だからニャプチの姿が見えないのか」

「全て食い尽くされては敵わんからな。奴には嘘をついて別の国で過ごしてもらうことにした」

「あいつを一人にしたらヤバくないか?」

「心配ない。友人とやらについてもらっているからな」

「友人? あぁ、レアラって人か」


 かつて魔境に潜入したS級冒険者パーティー『知恵と石塊の円環』の一人、華道のレアラ。

 オルガノはわざわざ彼女を見つけ出し、この日のためにニャプチの子守りを頼んだのだ。


「いつまでも項垂れている場合ではない。さっさと立て」


 オルガノが促す。ついに約束の時間となってしまった。

 重い腰を上げて、牧緒はわざとゆっくりと謁見の間へ向かう。

 足取りは重い。だが、進むにつれて気は晴れていった。


「ま、どうとでもなるか」


 脱獄するわけでも、未知の迷宮(ダンジョン)に踏み入れるわけでもない。

 ましてや、頭を使うことも無ければ、戦う必要もない。

 難しく考える必要はない。牧緒はそう悟った。


 ***


 玉座の左右を並ぶのは、『惡の特異点』の面々。

 一人、ニャプチの代わりに立つ者がいた。

 それは目を見張るほどの美女。

 白髪が撫でる美貌は、魔女にも劣らぬ異彩を放っている。


「あれ、誰だ?」

「あの方はフォリパス卿です。幻想魔法で生前……ではなく全盛期の姿を再現しておられるんです」

「ははぁん、そういうことか」


 ついつい視線を向けてしまう。

 そんな牧緒の視界を遮るように、リデューシャが黒いドレスのスカートを靡かせた。


「金より銀が好みか?」

「え? いや、別にどっちでも……」

「ふむ、そうか」


 リデューシャの髪は、フォリパスと対照的な金色。

 牧緒は少し遅れてリデューシャの言いたいことを理解した。

 そして、金色が好みだと言っておけばよかったと後悔する。

 その裏で、ジルクはひっそりとオルガノに近づき、声を掛けた。

 

「オルガノ殿。スウェン公爵閣下の使者が見えないのですが、何かお聞きになっておりますか?」

「いえ、ジルク殿下。私は何も聞いておりません。しかし、スウェン公爵閣下はこの縁談に関わっていることを公にできぬ立場。恐らく不都合があったのでしょう」


 この縁談には、シェルタ公国からも身分を伏せた使者が参列する予定であった。

 オルガノの言う通りだと納得したが、ジルクの不安は払拭されなかった。

 何故なら、同じく参列する予定の『渡り鳥の賛歌』のメンバーも姿を現さないからだ。


(何か問題が……いや、花嫁候補たちには恙なくご参集いただけたのだ。縁談を中止するわけにはいかない)


 ジルクは、自分たちの都合で牧緒を振り回すことは許されないと判断した。


 謁見の間の大扉が鈍い音を立てて開く。

 選抜された4名の花嫁候補たちが、それぞれの付き添いの者と共に入室する。


 先頭はポルコルーダ族の娘、ミローナ・アウグ。

 付き添いは、兄のザルダ・アウグ。

 アウグ兄妹の身長はほとんど同じで高身長。

 しかし、ザルダの屈強な肉体は、ミローナと比べて二回りは大きく思えた。

 身に着けた民族衣装は肌の露出が多く、二人の姿は最も奇抜で魅力的に映る。


 後ろに続くのが、貴族令嬢のルピス・ヴァン・パリスティアン。

 付き添いは、従者のアーロン・キュール。

 ルピスは黒いドレスに身を包み、貴族らしい優雅な足運びで進む。

 真紅の瞳と、死人の如き白い肌が周囲を威圧する。

 

(付き添いはジュノス辺境伯閣下だと聞いていたが……)


 ジルクは、従者アーロンの顔に見覚えが無い。

 縁談の場に父ではなく、一介の従者……それもかなり若い人間を付き添いとしたことに違和感を覚えた。


 少しだけ距離を置いて、メロリアが続く。

 付き添いはウオラ王国の王子、ベイラン・ラムダ。

 メロリアの立場は、ただの一般市民。

 それを知っている者からすれば、一国の王子が付き添い人となっている事実に驚愕するだろう。

 だが、幸いメロリアの正体を知る者はベイランしかいない。

 着飾り、化粧と装飾品で美しく仕上がったメロリアの顔に牧緒は気付く様子もない。

 その容姿がアンリアと全く同じであることに。


 最後に続くのはシェルタ公国の貴族、シューリ・ラ・フォーゼルク。

 付き添い人は不在。

 他の候補者と異なり、既にウェディングドレスを身に着けてブーケまで持っている。

 その上、ウェディングベールで顔を隠している。

 異質という意味では、最も悪目立ちする候補者だ。


(付き添い人が居ない? 彼女はスウェン公爵閣下が直接選抜された候補者のはず……やはり、何かあったのでは……)


 平静を装っていたジルクも、そわそわとした態度を隠し切れない。

 そんなことお構いなしに、花嫁候補たちは牧緒の前で横並びになった。


「今日はよくぞ集まってくれた! 愚かな花嫁たちよ!」


 リデューシャが一歩前に出て、声を張り上げた。


「其方たちが魔境の王に相応しいか、この月の魔女が見定めてやろう」


 リデューシャの背中を見つめながら、牧緒は口を曲げた。

 妙に楽しんでいる。それも、ユレナを差し置いて率先的に。

 牧緒には、こういう状況に覚えがあった。

 大抵は、いつも牧緒を試す時のノリだ。


(俺はどうするのが正解なんだ……?)


 だが、リデューシャの真意は分からない。

 裁判が終わってから、キュラハの牧緒に対する態度は一変した。

 それと同じように、リデューシャが向けていた好意も失われたではないかと考えてしまう。


「其方たちには、これから4つの試練を越えてもらう。互いを出し抜き、つぶし合うと良い!」


 魔女の言葉に反論する者は誰もいない。

 皆、『惡の特異点』の盟主との縁談が生半可なものではないと予想していた。


「フォリパス卿。宴の準備を」

「はい、仰せのままに」


 リデューシャの指示に従い、フォリパスが両の手を叩いた。

 すると、謁見の間を縦に二分するカーペットを挟み込むように立食テーブルに乗せられた食事が現れる。

 最初からそこに存在していた物を、フォリパスの幻想魔法で存在を感じ取れなくしていたのだ。


「これが第一の試練だ。食事を楽しめ」


 制限時間も禁止事項も不明。

 だが、この試練が何を意味するものなのかは、誰もが瞬時に理解した。

 先に動いたのはルピス。

 急ぐ様子は微塵も見せず、純粋な頭の回転の速さで誰よりも早く一歩踏み出した。


「陛下。よろしければ、わたくしとご一緒して頂けませんか?」


 まるでダンスに誘うように、たった一人の相手を独占する。

 牧緒はすぐには答えず、「よいしょっ」と玉座から立ち上がった。


「陛下なんて呼ばなくていい。俺は牧緒だ」


 困ったような緩い表情と僅かに波打つ声。

 物腰の柔らかい態度に、ルピスは一瞬戸惑って口を結んだ。


「とりあえず、みんなで食べよう。じゃないと、俺が緊張する」


 そう言って、牧緒はルピスの横を素通りした。

 そこでようやく、ルピスは方針を固めた。

 振り返って、小さな口を開いて声を上げる。

 

「おほほほほ! もっと傲慢で豪胆な方だと思っておりましたわ! 意外と可愛らしい方ですわね!」


 素をさらけ出すこと。それが、ルピスの出した答えだった。


「こ、この方……、わたくしとキャラが被ってますわ……! いや、わたくしよりいくらかお下品かも……」


 ユレナは愕然として息を呑んだ。

 雰囲気から、今まで演じてきた悪役令嬢の気を感じていたが、まさか高笑いを上げる程とは思っていなかった。

 

「か、可愛いか? ありがとう……で、いいんだよな?」


 牧緒は、ユレナを思わせる態度に少しだけ心を許した。

 他の3名は、まだ動かない。

 試練は4つ。軽率な行動は控えるべきだと考えているのかもしれない。


「いいか、君の姉のことは言うな。マキオ様に自然に気付かせるんだ。さぁ、行きなさい!」


 ベイランは、メロリアに耳打ちした。

 しかし、メロリアは目で牧緒を追うだけで、呆然と立ち尽くしている。


「おい、どうした?」

「……少し、頭の中を整理していました」


 牧緒と過ごした日々は、記憶としては存在している。

 だが、メロリアにとっては初対面の他人。

 アンリアの牧緒に対する愛情が、メロリアの行動原理とリンクするまでには時間を要する。

 一日二日では足らない。何年も必要かもしれない。

 それでも、メロリアは牧緒の背中を追った。

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