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67話 天記の書

 歓声に包まれた闘技場の端で、レトロは静かに高揚した。


「なるほど、面白い。でも、僕には通用しないやり方だ」


 レトロは、いずれ訪れる牧緒との一騎打ちに期待を膨らませる。

 純粋な暴力の強さが勝敗を決するはずの決闘において、戦術を用いて牧緒は勝利を掴み取った。

 相手の立場を利用したハッタリ……タネが分かれば実に拙劣な戦術。

 だが、称賛すべきはそれを押し切った胆力。


 勇者相手に牧緒がどんな方法で力量差を埋めるのか、レトロはそれが楽しみで仕方がない。

 

「勇者レトロ」


 肩越しに、声が届く。

 振り向くと、そこには麻布のローブを着たオーギュオンが立っていた。


「お忍びかい? 異端審問官が何の用かな?」

「妹君の処遇……あなたは干渉しないと考えてよいか?」


 『霊長教会』を裏切り、『惡の特異点』の証人となったキュラハを罰しなければならない。

 しかし、初列の証言にて勇者の親族であることが明かされた。

 それは『霊長教会』も知らなかった事実だ。


「好きにすればいい。でも、魔境の王がそれを許すかな……?」


 傍から見れば、キュラハは既に『惡の特異点』の一員、またはその庇護下にある。

 迂闊に手を出せないのは、結局変わらない。


「同じ異端審問官として、彼女を許すわけにはいかない。いずれ、然るべき罰を与える」

「いずれ、か」


 レトロは鼻で笑った。

 仕掛けた裁判にすら敗北した異端審問官が、大口をたたくのが滑稽に思えたからだ。

 それから、名残惜しそうに渦中の妹が人混みを掻き分ける様子を目で追った。


 ***


 熱狂に沸いた観客たちが邪魔で、ユレナたちは牧緒の下へ向かうのが少し遅れた。

 決闘者用の通路の先に、ふらつく牧緒の姿が見える。

 すぐ目の前のベンチに座っているオルガノは、手を貸そうとすらしない。


「マキオ様!」


 真っ先にユレナが駆け出した。

 しかし、ゲルンが長い足を引っかける。


「ぶへぇ!」


 両手を挙げて、滑り込むようにユレナはこけた。


「マキオ君!」


 その隙に、キュラハが牧緒を支える。


「だ、誰か腕を――」

「腕は、大丈夫だ……。とにかく、止血を……血が足りない……」


 魔境に戻れば、リデューシャが失った腕を再生してくれる。

 牧緒はそう判断して、アリーナに取り残された左腕を無視して現状のままの治癒を望んだ。


「絶対に死なせないから……抱擁の加護――糸」


 牧緒を床に寝かせて、キュラハは唱えた。

 光の魔法の高難易度治癒魔法。

 魔力の消費が激しく、光の糸を肉体に這わせる繊細な魔法の操作技術を要する。

 失った血液を補うためには、この魔法を選択する他なかった。


 額に大量の汗を滲ませるキュラハを他所に、ユレナは赤くなった鼻の頭を撫でながら悪態をつく。


「酷いですわ! マキオ様がいなかったらお仕置きしていますよ!」

「譲ってやれ。アイツは一晩中泣きながら魔境の王の修行に付き合ったんだからよ」


 ゲルンは、歯をむき出しにして言った。

 自分より一回り大きい人狼(ライカン)を相手に、ユレナは一歩も譲らない。

 やいのやいのと言い合う二人を、オルガノは横目で見ながら口元を緩ませた。

 裁判にも勝利し、ひとまずユレナの安全は確保された。

 憚ることなく声を上げて怒る様すら、オルガノは愛おしく感じる――。

 

 ***


 牧緒は辛くも勝利を収めた。

 『霊長教会』の思惑は阻止され、『惡の特異点』との膠着状態は続く。

 だが、それを良しとしない者がシオンレウベの地に足を踏み入れる。


「理解できない。今も天記の書に記され続ける意味の無い情報……。どうやったのか、教えて貰えないでしょうか?」


 シオンレウベ大聖堂――高い階段の上で、司教座に身を委ねたウォーデンが問う。

 それに答えるのは、全知の王子クォーツであった。


「天記の書は、世界の動向を記す。そこには世界を滅ぼせる程の有用な情報が記されている……そう考えた時、彼女の存在が効果的だと思ったのさ」


 クォーツは階段の手前に立ったまま、太い柱の方を向く。

 柱の陰からは、落ち着いたメイド服を着た女性が姿を現した。


「その者は、オーギュオンが始末したはずだ……」

「えぇ、メロリアは死にました。私は別の……いや、私はこの後、ウオラ王国に戻る予定ですので……私もメロリアと名乗りましょう」


 彼女は、原型魔法【複製(オムニス)】によって複製された一人。

 そして、今もシオンレウベの中で彼女は増え続けている。


「まさか、天記の書を埋め尽くしたのがあなただったとは」


 ウォーデンは目を丸くしながらも、動揺を見せない。

 天記の書には、シオンレウベの至る所に現れて移動するメロリアの複製体の動向が記され続けている。

 例えるならば、ゲームのチャット欄が、大量に押し寄せたユーザーのログイン情報のログで埋め尽くされている状態だ。

 ≪終末級≫たる複製体の脅威を、天記の書は逃さず記す。

 それが仇となって、本当に必要な情報はあっという間に流されて見逃された。


「この私がシオンレウベに侵入すれば、君はすぐに気づいてしまうからね。先にリラルカの複製体を侵入させたのだ」


 リラルカの複製体であるメロリアは、原告であるジルクの証人として合法的にシオンレウベに入国した。

 証人となるよう仕向けるため、それらしい情報をプフトゥール王国に流したのも、別の複製体の一人である。

 

「クォーツ王子の侵入経路は、無限に増える複製体が短時間で調査して確立したということか。ふふふ、なんて泥臭い。とても≪終末級≫の仕事とは思えませんね」


 ウォーデンは頬杖をついて挑発した。


「悪くないだろう? そのお陰で、君に逃げられる前に対峙することができたのだから」


 クォーツの余裕は揺るがない。


「あなたは、私を見くびっておられるようだ。≪終末級≫たる称号は、確かに天記の書に依存するもの。しかし、それだけでは最高司祭は務まらない」


 小さく、そして短く、ウォーデンは唱える。


「羽ばたけ――」


 一斉に、大聖堂の至る所から魔導書がバタバタと音を立てて飛んでくる。

 表紙を翼のように羽ばたかせ、生き物の如く自在に空を旋回した。

 飛び交う大量の魔導書は、息が詰まりそうになるほど空間から隙間を奪う。


「記された魔法陣だけではなく、魔導書そのものが魔法具というわけか」


 だとすれば、何と恐ろしい。

 魔力を込めた瞬間しか魔法を成さない魔法陣は、手元から離すことができない。

 だが、魔法具は込められた魔力を滞留させることができる。

 空飛ぶ魔導書に滞留する魔力は、自らに記された魔法陣へ流れ込んで魔法を成す。

 分厚い紙だが、一冊200ページはあるだろう。

 その全てに魔法陣が記されているのなら、星の数ほどの魔法をあらゆる方向から放つことができる。


「歴代の司祭たちが魔法具として装丁し、魔力を込め続けたものです。あなたは、人類の歴史に打ち倒されるのです」


 途端、魔導書たちは輝いた。

 あらゆる属性の魔法が同時に発動し、クォーツを包み込む。

 光、闇、火、水、風、雷、土――魔法の起源を象徴する自然(エレメンタル)はもちろん、概念を司る魔法すら迫りくる。

 これは、ウォーデン一人の魔法適性では実現不可能な森羅万象の体現。

 これは、『霊長教会』であるからこそ行使可能な、人類の歴史が実現した奇跡である。


「王は、欲しておられる――」


 死の光の中で、クォーツは呟いた。

 冷たい空気が全ての魔法を屈折させ、一点に集める。


「召喚獣――王たるジュラヴェラ」


 クォーツの真上の空間が、ひび割れたガラスのように割れる。

 そこに望む黒ずんだ亜空間から、ミイラのように枯れた巨大な右手がぬぅっと現れた。

 全ての指に金色の指輪がはめ込まれ、宝石が施された腕輪を幾つもぶらされている。


「これが……≪終末級≫の召喚獣……」


 その詳細は、どこにも伝わっていない。

 初めてそれを目にしたウォーデンは、体を震わせた。


「王の右手は、あらゆるものを手中に収める」


 クォーツの言葉と共に、一点に集まった魔法はジュラヴェラの右手に握りつぶされた。

 同時に、その手は魔法ごと灰となって散る。


「大聖堂には、亜空間を拒絶する結界が張り巡らされているはずですが……」

「関係ない。王の征く(みち)を阻むものなど、在りはしないのだから」


 不条理な理屈が、ウォーデンを窮地に陥らせる。


「しかし、そう何度も防げますか!?」


 召喚された右手は消えた。

 再び、無数の魔導書から魔法を放てばいい。


「王の御前だ。頭が高い」


 クォーツは階段の先を見上げて、苦言を呈した。

 ただそれだけで、大地が揺れる。

 階段が沈んだのか、それともクォーツの足場がせり上がったのか。

 それすら判断できない程、歪に空間は歪む。

 結果として、二人は真っすぐ目を合わせられるようになった。


「魔導書が……」


 飛んでいた魔導書は、羽ばたくことを止めて全て閉じた。

 綺麗に表紙を下にして、床に貼り付く。


「これは、重力……ではないのか……! 洗脳魔法か、いや、相反魔法が通用しない……!」


 ウォーデンは抗いながらも、徐々に膝が曲がり頭の重さに耐えかねる。

 最終的には、片膝を付いて首を垂れた。


「既に王の召喚は成されている。もはやここは、君の意思が許される場所ではなくなった」


 クォーツの頭上に浮かぶのは、背筋の凍る眼光。

 ジュラヴェラの双眸だ。

 それに睨まれては、誰も頭を上げられない。

 たとえそれが、魔導書であっても。


「この私が、最高司祭の椅子に座ろう。異端審問官が手に入れたという魔女の心臓と、()()()()()が欲しい」

「ふふ、ふふふ……残念ながら、その魔法は天記の書が無ければ使えない……」


 クォーツは、ウォーデンの懐から天記の書の原書を抜き取った。


「初耳だな。これにそんな用途は無いと思っていたよ」

「ふふ、全知の名は捨てた方がよさそうですね」

「大丈夫。この私の知り得る情報と、この本の情報が合致した」


 クォーツが見たのは、天記の書に記される世界の動向ではない。

 裏表紙の裏面に記された、著者の名だ。


「ウォーデン・クラフト。これが君たちの信じる神の正体か」


 クォーツは、クラフトの名を知っている。それが、神などではないことも。

 そして、鉄槌の魔法に必要なものが、天記の書ではなく著者の方だと理解した。

 だが、著者の居場所を知るためには天記の書が必要だ。


「バトラリオス一族の長男は、皆ウォーデンを命名されるのだろう? 信じる神の名を己に刻むなんて……業が深いな」

「……故に、あなたに天記の書は使えません。ウォーデンを名乗る者が原書を所持しているからこそ、ページに文字が刻まれるのだから」


 それを聞いても、クォーツは笑顔を見せた。

 そして、手に取った原書を燃やしてしまう。

 火の魔法は、あっという間にそれを炭に変えた。


「この私こそが全知だ。これは、この私の劣化品に過ぎない」


 世界の動向など、クォーツは既に把握している。

 著者の居場所も、いずれ知ることになるだろう。


「『霊長教会』は、この私が有意義に使ってあげよう。だから、君は眠るといい」


 ウォーデンの頭はより深く沈み、床に額が触れる。


「あなたの前途に、不幸あらんことを……」


 ウォーデンの最後の言葉を噛み締めながら、クォーツはその頭をゆっくりと踏みつぶした。


「さぁ、ここから始めよう。≪終末級≫たちの群雄割拠を」


 望むのは、世界の征服か。

 目指すのは、世界の崩壊か。

 繰り返すのは、世界の過ちか。

 

 今日、≪終末級≫の一人が世界から消滅した。

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