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63話 強襲

 牧緒はマントを靡かせながら、シオンレウベの街を歩く。

 隙間なく石畳で舗装された道に魔石を利用した街灯が等間隔に並ぶ。

 その間を馬のいない馬車が颯爽と駆け抜けた。

 ふと上を見上げれば、浮遊する建造物すら目に入る。

 魔法を肌で感じる街並みを牧緒は見たことが無い。

 普段なら目を丸くして舞い上がるところだが、むしろソワソワと浮足立っていた。


「視線が痛いな……」

「そうか? 僕には心地良いけどね」


 そう言って、レトロは低く手を挙げて人々に笑顔を振りまく。

 庶民たちは、牧緒の正体が魔境の王だと知る由も無い。

 しかし、勇者レトロは有名人だ。


「次はサシで勝負するんじゃなかったのか?」


 その問いは、敵意の無いレトロに対する不信感。


「それは敵としての約束さ。でも、今は味方だ」

「何のつもりだ?」

「七ヶ国同盟から依頼があったんだ。魔境の王を護衛せよ、ってね」

「は?」


 簡単な説明では、状況を理解できない。

 レトロは歩きながら続けた。


「『惡の特異点』を制御できるのは君だけだ。君が死ねば、≪終末級≫が暴走するかもしれない。それが世界の出した結論さ」


 ”安楽椅子作戦”は、思い通りに機能していた。

 魔境の王が指揮する限り、『惡の特異点』は規律ある組織であると認識されている。

 表向きは、敵としてではなく世界の一部として迎え入れる方が健全と判断したのだろう。

 一転して、勇者は味方となった。


「護衛だけならサボろうと思ってたんだけどね。裁判記録を見て、すぐに飛んできたよ」

「キュラハの証言か」

「それもある」


 既に証言されたことを無かったことにはできない。

 今更、シオンレウベに飛んできても意味は無いはず。

 だが、レトロの真意は他にあった。


「君、決闘で勝てるのかい?」


 牧緒は、目を細めてしかめっ面をした。


「確かに、僕ですら君に気圧される瞬間はある。でも、戦闘において君に勝ち目はない」

「……まぁな」


 裁判記録から、レトロは締列に突入する可能性を感じた。

 

「君との約束を守るには、君に生きていてもらわなくちゃいけないからね」


 そう言って、高笑いしながら牧緒の不服そうな顔を楽しむ。


「で、どうするんだ?」

「トーチ裁判官とは顔見知りなんだ。たまに勇者を訴える馬鹿もいるからね」

「だからって、こっちの肩を持つか?」

「彼女は真面目だ。恩を売れば、話しぐらいは聞いてもらえるさ」

「売れる恩が無いんだが」

「作ればいい」


 レトロには、その機会に心当たりがあった。


「敵は、少なくとも締列に持ち込みたい。だが、トーチ裁判官がいては負ける可能性もある」

「まさか、命が危険なのは俺でもユレナでもなく……トーチ裁判官か?」

「その通りだよ」


 裁判中に裁判官が職務を果たせない状態に陥った場合、新たな裁判官が補充される。


「真実の天秤を使える裁判官は最低一人必要だ。でも、既に初列は終わった。だから、『霊長教会』の息のかかった裁判官を充てられる」


 もう、清廉潔白な裁判官は必要ない。

 中立を謳いながらも、実質的に原告側の味方である『霊長教会』は裁判に勝つための手段を選ばないだろう。

 

「僕たちが彼女の命を救ったのなら、それは十分な恩になるだろ?」


 自信に満ちた様子で、キザに顔を傾ける。

 そのまま、パチリとウィンクして見せた。

 目尻から、小さな星が飛び出した気すらする。

 

「……眼帯でウィンクは、ただ目を瞑っただけだろ」

「おっと、人の不便をイジるのは良くないぞ」


 癪に障る受け答えが、牧緒の額に青筋を立てる。


「彼女の行先は目星がついている」


 トーチは本を愛している。

 次列の間、図書館に籠ることをレトロは知っていた。


 場合にもよるが、次列は大きく二つの段階に分けられる。

 まずは裁判官個人の審査。

 初列の内容を振り返り、考えをまとめる時間。

 過去の判例を洗うのもこの際だ。

 次に6名の裁判官による審議。

 裁判所に集い、討論を重ねて結論を出す。


 当然、これらに原告や被告は干渉できない。

 しかし、買収は裁判官個人の審査時に行われることがほとんど。

 審査内容や審議の結果に干渉できない建前はあれど、裁判官本人への接触は許されているのだ。


「次列の結果が明日の午後からなら、まだ個人審査の段階だ」


 時間的余裕を口にした直後、レトロは険しい表情を浮かべる。

 遠方を見据える瞳には、空を飛ぶ何かが映っている。


「やっぱり急いだ方が良い」


 レトロは、ガッと牧緒の胸倉を掴む。


「うわっ、おい!」

「乱暴に走るけど、吐かないでくれよ」


 返事をする前に、重力加速度が牧緒の腰を無理な方向へ曲げる。


「あべべべでぇぁ」


 風圧が唇を揺らし、頬を膨らませる。

 喉は一瞬で乾き、髪の毛は真横に流れる。

 マントはどこかに飛んで行ってしまった。


 シオンレウベの民間図書館まで、距離約3キロメートル。

 到着予測時間、約2分――。


 ***


 天井まで伸びた本棚。そこにびっしりと詰まった本は、どれも革を張った木製の表紙。

 広い吹き抜けに並ぶ高窓には、金糸があしらわれた翠色のカーテンが掛けられている。


 静かな図書館のど真ん中で、トーチ裁判官は本のページをめくった。

 耳に入るのは、紙が擦れる音だけ。

 それが不規則に、雨粒が土を打つように響く。

 次の瞬間には、心地の良い本の音色がガラス片の飛び散る音と悲鳴に変わる。


 窓を突き破って図書館に侵入してきたのは、数十匹の魔物。

 それは彫像の如き肉体を持つガーゴイル。角の生えた人型の獣。

 重くて硬い灰色の翼は、魔力を放つことで飛行を可能としている。

 生涯の大半を動かずに過ごす魔物が、何故かこの場に集い、人々を強襲した。

 

「そう……、随分と卑劣なことをするのね」


 トーチは本を閉じて、納得したように呟いた。

 誰かにとって都合の悪い裁判官が命を狙われる事案は、過去にも数件存在する。

 治安の良いシオンレウベでそんな目に遭うなどと、トーチは想像していなかった。

 ましてやここは魔法大国。

 魔物の侵入を易々と許す場所ではない。

 ならば、これは仕組まれたこと。

 大方、ガーゴイルたちも誰かの召喚獣であろう。


 我先に出口へ走る者たちを横目に、トーチは覚悟を決める。

 戦う他、生き残る道は無い。

 そう思った途端、出口の扉が砕けて轟音を響かせた。

 人が押し寄せて扉が破壊されたのではない。

 何者かが突き破って図書館へ入ってきたのだ。


 上空と地上の挟み撃ち。

 トーチは一瞬そう考えた。

 だが、迫るガーゴイルの一匹が眼前で砕けるのを見て、助けがきたのだと理解する。


「なるほど、ガーゴイルか。確実に殺す気だな」


 レトロは、剣も抜かずに素手でガーゴイルを粉砕した。

 

「うっぷ……、トーチ裁判官、無事ですか!?」


 牧緒は軽く目を回しながらも、その身をトーチの盾にする。


「あなたは……。それに、あの方は勇者……」


 魔境の王と勇者が敵対しているのは周知の事実。

 だからこそ、その二人が現れたことに戸惑いを隠せない。


「身を低くして」


 レトロは、手の平を牧緒たちに向けて指示した。

 魔物が何匹いようとも、レトロにとって脅威ではない。

 だが、迫るガーゴイルの原型魔法は厄介だった。

 【爆裂(エクスプロウシヴ)】――端的に言えば、自爆。

 原型魔法は魂を基点として発動する魔法。

 故に、それは肉体の内側から生じる。

 爆発を起こす原型魔法は、自爆に他ならない。

 だが、捨身の魔法だからこそ威力は尋常ならざるものとなる。


 数十の爆弾。

 それがトーチを取り囲み、一斉に起爆する。


 轟音と皮膚が裂ける熱の中で、牧緒だけが目を閉じなかった。

 レトロの魔法が風の膜を生み出して、爆風とガーゴイルの肉片を全て弾き返す。

 それが牧緒たちを守るための最小限の物であることも目視できた。

 

「大丈夫かい?」

「……あぁ、トーチ裁判官は無事だ」


 低く唸るように牧緒は答えた。

 周囲には、爆発に巻き込まれた一般人が転がっている。

 悲鳴も呻き声も無く、ピクリとも動かない黒い人の形。

 勇者であればここにいる全員を救うことができたのではないか。

 その考えが頭の中を埋め尽くす。

 しかし、誰も救う力を持ち得ない牧緒は、それを糾弾することができなかった。

 感情を押し殺し、トーチの身を最優先に案じることで気を紛らわせる。


「ここを離れましょう」


 腰が抜けて立ち上がれないトーチに、牧緒は肩を貸した。

 

「そうだね。いつ倒壊してもおかしくない」


 レトロは先導するように遺体の間を抜けて進む。

 憚ることの無い、後悔を微塵も感じさせない堂々たる背中はむしろ清々しい。


 図書館の外に出ると、多くの兵が駆け寄ってくるのが見える。

 生存者がいるのであれば、きっと彼らが何とかしてくれる。

 そう割り切って、牧緒はそそくさとその場を後にする。

 人混みを避けて脇道を進むと、噴水のある広場に抜けた。

 目に付いたベンチで、トーチを休ませる。


「これは……私の罪でしょうか」


 トーチは牧緒を見上げて言った。

 自身を狙った攻撃に、多くの民が巻き込まれた。

 時間が経てば経つほど、凄惨な情景はハッキリと脳裏に焼き付き、心を蝕んでいくだろう。

 彼女が清廉潔白だと言うのなら、それは避けられない。


「あなたは裁判官だ。法に則って考えればいい」


 牧緒は冷静に言い返した。

 当然、トーチに罪は無い。

 だから、これは励ますつもりで言い放った言葉だ。

 しかし、冷たく突き放したかのような、棘のある言い方になってしまった。

 

「魔境の王と共に、トーチ裁判官を助けにきたんです」


 気まずい空気に、レトロが割って入った。


「私が狙われると知っていたのですか?」

「いえ、予測したまでですよ。前例はある」

「まさか、自作自演ではありませんよね……?」


 トーチは、再び牧緒に目をやった。


「もちろん違います。ここまでやるなら、そもそも裁判なんかしていませんよ」


 力尽くで事を運ぶのであれば、最初から武力で制圧するはず。

 そんな理屈を通せるのは、『惡の特異点』だからこそ。


「この勇者レトロが保証します。魔王の魂は、彼らが管理するべきだ」

「勇者だろうと神様だろうと関係ありません。証言台に立っていない者の意見は不要です」


 レトロが強引に本題を突きつけるも、断固とした態度で拒絶された。


「なら仕方ない。では、あなたはそこに座っているだけでいい」


 妙な提案に、トーチは眉を顰める。

 牧緒も同じく、何がしたいのか理解できずに固まっていた。


「マキオ、話をしよう」


 木漏れ日の下、突如として二人の問答が始まる。

 その間にポツンと座るトーチの存在が、消えてしまったかのようだった。


「君は、ビシャブ王を恨んでいるんだろう?」

「あぁ、心底な」

「全て聞いたよ。君がどんな目にあったのか。何を見せられたのか」


 それは、牧緒がウオラ王国で過ごした2年間のこと。

 恐らく、アンリアの末路についても。


「何故、彼を殺さなかった?」

「……勇気が無かっただけさ。俺は勇者じゃないからな」

「誤魔化さないでくれ。僕は君に興味があるんだ。こうして仲間でいられる時間は長くない。今の内に、宿敵である魔境の王のことを知っておきたい」

 

 レトロは、巨悪へ挑み戦う自分に酔っている。

 それだけが楽しみで生きていると言っても過言ではない。

 だから、彼はドラマを欲していた。


「なんなら、僕のことも話そう」

「別に知りたかねぇよ。俺は感情移入しやすいほうだ。憎たらしいお前に悲しい過去が……なんて言われたら、やる気がそがれる」

「ははは! 最強の勇者にも辛い日々がある……そんな風に思ってくれるのか!」

「まぁ、王道だしな」

「そう、王道だ。僕はそれが欲しい」


 牧緒に語らせるため、レトロは再び話を戻そうとする。


「魔王の話を聞いたことがある。そこに同情の余地は微塵も無かった。魔王の物語は、退屈な勧善懲悪さ」


 大きく溜息をついてから続ける。


「心の底から思ったよ。”つまらない”ってね。実際に命を懸けて戦えるのなら、物語が無くても楽しめる。でも、君は違うだろ?」

「……何がだ?」

「君は弱い。闘りあえば、確実に僕が勝つ。だから、せめて魅力的な物語が必要なんだ」


 レトロは真剣な眼差しで問う。


「何故、君は誰も殺さない? 生きる価値の無い屑の命すら、君の中では大きな意味を持っているように見える」

「……俺は異世界の人間だ。それは知ってるだろ?」

「あぁ」

「お前たちとは、価値観が違うんだよ」

「僕が知りたいのは、異世界の価値観じゃない。君の価値観だ」


 牧緒は緘黙した。答える義理は無い。

 だが、トーチを一瞥すると、食い入るようにこちらを見ている。

 目が合って、トーチはクッと顔を逸らした。

 それでも、耳を澄ましているのが分かる。

 世界の命運を握っている二人の会話が気にならないわけがない。


 この会話を通して、牧緒という人間をトーチに理解させる。

 それがレトロの狙い。


(嘘で塗り固めるか、それとも本音を語るか……君はどっちだ?)


 レトロの心の声が伝わったのか、牧緒は閉じた口を開く。

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