第33話 祟 り
俺は、骸のそばにヘタリ込んだ。
そして、血糊で汚れた〈 曙光〉を、かたく絡まった指からゆっくりと引きはがした。
役目を終えた刀が、ゴトリと音を立てて膝元に滑り落ちる。
ガサガサと藪を踏みしだく音がしたので振り返ると、コマドリだった。
「チッ、殺りそこねやがった。」
驚いたことに、コマドリが、たしかにそう呟いて舌打ちをするのが聞こえた。
俺は怪訝な思いで奴の顔を見上げた。ゆっくりと近づいてくるコマドリの顔は何の感情も映し出してはいなかった。
聞きちがいだったのか。奥歯に何かが挟まったような違和感を感じて俺は首を傾げた。
その時、刺客を見下ろしていたコマドリが、そいつの顔を思い切りけり上げた。俺の目の前で、サッカーボールのように人の頭が跳ねあがり、ゴキッと嫌な音を立てて地面にぶつかった。
「おいっ、もう死んでんだ! やめろ!」
俺は、ゾッとして声をあらげた。
コマドリがすさんだ目で俺の方を振りかえる。粘っこい視線が、地面に転がっている〈曙光〉に注がれた気がした。
俺はそろりと膝をにじらせて、刀を引き寄せた。
コマドリはというと、傷を負った俺の右腕を乱暴につかんで、傷口の様子を眺めた。
刺客の一打は、鎖編みの籠手の甲の部分を削り、むき出しの前腕に裂傷を生み出していた。籠手をはめていなかったら、傷はもっとひどいものになっていただろう。
コマドリは、背負っていた荷袋をおろし、中から真新しい紺色の紐を取り出して、傷の血止めをし始めた。
「よせ。それ、母さんからもらった着物の紐だろ?」
「こんなしょぼいもん、いらねえや!」
コマドリは、乱暴に言い放った。奴のひねくれ根性を、今ほど疎ましいと感じたことはなかった。
「お前って、ほんと最悪だな!」
俺はそう言い放って、コマドリの手を振り払った。
傷の痛みとコマドリへの不信感で、気が立っていた。奴に背を向け、俺は自分の荷の中から、土産をゆわえてきた紐を取り出し、片手で肘の上を縛った。
そしてヨロリと起き上がると、奴には目もくれず一人で山道を下る。
血に汚れた刀を鞘に収める気になれず、抜き身を左手につかんだまま・・・。
それにしても怖ろしい切れ味だ。さっき、〈曙光〉は、薄紙を裂くように刺客の首を殺いだ。
もし立場が逆で、〈曙光〉で切りつけられていたら、俺の腕はすっぽり断ち切られていただろう。思い起こすだけで背筋が凍る。
俺はエナガの言葉を聞き違えたのか?〈曙光〉は取りえのない刀じゃなかったのか?
何て言ってたっけ。祈りの剣。なんだ、それ。もしくは希望の剣。
・・・分からん、わかんないよ!
祈りなんて分からない、希望とか知らない、俺のせいじゃない・・・。
俺の意志じゃなくて、こいつが勝手に殺ったんだ。
気づけば、谷間まで下って来ていた。
俺は淵に駆けよって、血ぬれた刀をすすごうとした。
その時、後ろからきていたコマドリが大声で叫んだ。
「や、やめろー! ここは龍神様の淵ぞ!」
切り立った崖が、淵を屏風のように取り囲んでいる。見上げれば、崖の中段あたりに小さな祠があった。
「汚したら、祟られる!」
俺は刀をかまえたまま、コマドリをふり返った。
そばに寄ろうとしたコマドリの足が止まる。
吸い寄せられるように〈曙光〉を見つめている。青くスパークする、その刃先を。
「・・・ごついやろ。」
やがて、コマドリがごくりとつばを飲み、低い声でそう言った。恍惚と〈曙光〉に見とれたまま。
まるで自分の物を自慢するような言いぶりだ。
「ごついやろう?」
今度は、俺の目を見すえて繰り返した。
その視線は、秘密を共有した者同士の連帯感をにじませている。
うとましい。
昨日までなら、コマドリのトモダチ認定にはホッとしたはずだったのに。
〈曙光〉を奴に振りかざしてやりたい、とさえ思う。
その時、何かの気配を感じた気がした。俺は背後の淵を振り返る。薄暗い水面に黒い影がうごめいたような。
ギョッとして目をこらすと、それは水面に映り込んだ、崖に生える老松の影だった・・・。
「で、刀匠の里へ引き返し、ガズラの関まで歩いてきたのか?」
カンナの困惑した顔が俺をのぞきこんでいる。
「あんな状況で、コマドリと鍾乳洞なんかノコノコ行けるわけないだろ。奴が刺客を手引きをしたかもしれないんだぞ!」
俺はわめいた。
「まさか・・・。」
カンナが、まだコマドリをかばうようなことを言う。
「じゃあ、何で刺客が森にいたんだ? どうやってもぐり込めたんだよ。結界は鉄壁のはずじゃなかったのか。奴が手引きしたのに決まってる!」
俺はイラついた。
ちっ、やりそこねた、あの時、奴は確かにそう呟いた。
俺は、ガズラの関守り小屋の窓から外をにらむ。コマドリは馬小屋の板塀に寄りかかって、馬の世話をする馬丁らをボンヤリながめている。
昨日、傷を負ってガズラにたどりつくと、関守が、ただちに都へ伝令を飛ばしてくれた。
それを受け、夜どおし馬を飛ばして駆けつけてくれたことには感謝するが、カンナの反応は今いち冷ややかな気がしてならない。
「コマドリに尋ねてみたのか?」
カンナのその問いに、俺は怒鳴り出したいのを押し殺して答える。
「〈内通者〉が、自分で、ハイそうですなんて言うと思うのか?」
カンナがたしなめるようにささやく。
「そんな、決めつけちゃダメだろ。」
目の前が暗くなった気がした。
そう。いつだって、カンナは立場の弱い者の味方だったんだ!
そういう論理でカンナは俺に優しかったんだし、コマドリに比べれば、今の俺は強者だと、カンナは思っているんだろう。
愛情じゃなくて同情だ。状況がハッキリして、気持ちがすっきりするかと思ったが違った。
どうしてだかわからないが悔しい。悔しくて、寂しい。
俺はカンナに背を向け、小屋を出ていく。
馬小屋の反対側には、石灰岩がゴロゴロと転がるカルスト高原が広がっていた。
ガズラの関を囲む石の砦を抜け、俺は荒涼としたその岩の原へ降りていく。
じきに、石の砦は見えなくなった。俺は、足元に転がっている岩の一つに座り込む。
西方の山の頂をにわかに雨雲が覆いはじめ、やがて空一面に拡がっていく。
遠雷がとどろいた。
カンナが近づいてきて、少し離れた所に腰を下ろした。
お互い何も言わないで、ただ座って、沸き立つ黒い雲を見上げる。
かまってくれて嬉しいと思う。たとえ同情であれ何であれ。
だけど寂しさは半分しか消えない。カンナでは、お前では、半分しか癒されないんだよ。
腕の傷が、灼けるように痛い・・・。
〈火〉の屋敷での夜警の仕事は、このところの俺にとって、生きてることを実感できる唯一の日課となっていた。
櫓に打ちつける突風さえ、俺の気分にはちょうどいいくらいだった。
それなのに、今夜は風もなく星さえ数えることができた。
なんだかガッカリだ。俺はスーパーハードの刺激を欲しているというのに。
気まずい空気になった夜以来、カンナが櫓に登ってくることはなかった。が、その夜は違っていた。
夜も深まった時刻に、ギシギシと梯子が鳴ったと思うと、カンナが機嫌の悪そうな表情を浮かべて近づいてきた。
そして、俺の肩に自分の肘を置いた。宝塚の男役なら百点満点の格好よさだ。
「腕の傷は、どうだ?」
俺は右手をグーパーしながら答えた。
「お?おぅ、ありがとう。だいぶ良い感じかな。」
「・・・刀匠の里で何かあったのか?」
疲れた口調でカンナがそう言った。
理由はわからないが責められてると直感。
俺は、自分の目線とほぼ同じ高さにあるカンナの目を見返しながら、必死になって記憶をたどるが、思いつくようなことは何もなかった。
「な、何の話だ?」
「里で、お前のことが噂になっているらしい。お前が帰った後、嫁になりたいと何人もの娘が名乗りを上げているそうだ。」
俺はわざとらしい軽口を叩いてみる。
「わぁい、そーなの? じゃなくて、ちょっと待ってくださいよ。俺は、年頃の娘となんて口もきいてないぞ。前回も、今回も。そういえば、姿を見かけることもなかったな・・・。」
考えて見れば、不自然なほど年頃の娘を見かけなかった。おおかた、俺の名前は危険人物リストにでも載っていて、親たちが娘たちを遠ざけていたとしか思えない。
「・・・俺が里でしたことと言えば、チビどもの子守ぐらいで。えっと、コ、コハギという童女と遊んだり、たしか・・・。」
俺がまくし立てるのを、カンナが思いっ切り冷たい目で見返している。俺は思わず後ずさった。
「なるほど。将を射んと欲すれば先ず馬を射よってわけだ。お前の子供好きぶりが、里の娘たちの心を射抜いたんだな。」
たしかに、幼稚園の保父さんのような状況ではあった。だが、それ以上の下心などあったわけでは決してない。
「それにしても、お前はそんなに子供好きだったっけ。」
カンナが食い下がる。
俺は、キキョウの娘が生まれた時、抱いてやらなかったことを思い出して、さらに後ずさりした。やはり根に持っていたのか!
腰のあたりに見張り台の手すりがぶつかる。
実際、油断していた。
カンナがそんなことをするとは思いもしなかったから。俺はカンナのキャラを見誤っていた。
いきなり、カンナがあでやかに笑った。
???
思いがけず、色っぽい顔が迫ってきてあせる。
んと?
ぽーんと胸板を弾かれ、俺のまわりで空が回転を始めた。
いや、回転しているのは俺の方だ。自身のぶざまな悲鳴が耳をつんざく。
俺は落ちながら、張り出している見張り台の角をかろうじてつかんだ。そして、片手でぶら下がったまま、見張り台の上のカンナを見上げた。
カンナが仁王立ちでニンマリ笑っている。カンナのはるか頭上には、むだに壮大な天の川が広がっていた。
「往生際が悪いなぁ。お前なんか、刀匠の里へでも行くがいい。」
そう言うと、見張り台の角をつかんでいる俺の指を、グリグリと踏みつけた!
・・・俺は、覚悟を決めて闇の中へ落ちていった。
刀匠の里行きの命令は、こんな理不尽なかたちで、俺に伝えられた。
次の日、あらためてイカルから命を受けた。そして、足首をねんざしているようだがどうしたのかと訊かれた。
俺は、うっかりして見張り台から落ちたと返答した。
イカルは怪訝な顔をしたが、それ以上、追求はしなかった。




